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May 2052016

 ほととぎす田の水は堰溢れつつ

                           中山世一

トトギスの仲間にはカッコウとかツツドリなどがいて、なかなか遠目には見分けがつきにくい。ただ鳴き声は「カッコーカッコー」とか「トウキョウトッキョキョカキョク」とか「ポポ・ポポ・ポポ」とかなり特徴が出て個性的である。九州以北に夏鳥として渡来し、枯枝や電線にとまり、翼を垂らし尾をあげてくり返して鳴くことが多い。また自分では巣を作らないで、オオヨシキリなどの他の鳥の巣に卵を産み込み雛を育てさせる。これを托卵(たくらん)といい、育てる鳥が仮親となる。気持ち良い風を渡らせて田には水が満々と張られて行く。堰を溢れた水は音を立てながら勢いよく走ってゆく。ほととぎすと言えば眼前は今まさに目には青葉の候、時ぞ今の様をなしている。その他<葭切の声飛び込んでくる三和土><崩れつつ白波走る端午かな><蛍光灯蛇の標本照しゐる>など、俳誌「百鳥」(2014年7月号)所載。(藤嶋 務)


May 1952016

 ナイターやふんはりのせる落し蓋

                           嵯峨根鈴子

ロ野球が開幕して二か月がたった。ナイターは球場に行くのもいいし、ほかのことをしながら家のテレビでちらちら見るのも楽しい。さて掲句はナイターを見ながら煮炊きしている鍋に落し蓋をした、それだけのことなのだけど円形の野球場そのものに蓋が被せられた様も想像されて面白い。沸き立つ歓声は煮炊きしてぐらぐら揺れる落し蓋の動きを彷彿とさせる。これが単に鍋に蓋をするだと連想がすぐドーム球場に直結してしまうし、現実をなぞるたとえになり面白くない。「落し蓋」であり、「ふんわり」のせるからいい。この二つの言葉によって離れた場所にあるものが意外性をもって重なりイメージが広がる。台所で料理をしながら毎晩ひいきチームの試合を見ている私の心にヒットした一句だった。『ラストシーン』(2016)所収。(三宅やよい)


May 1852016

 悲と魂でゆくきさんじや夏の原

                           葛飾北斎

出句はかの超人的絵師・北斎の辞世(90歳)の句として知られる。江戸後期に活躍した謎多い超弩級のこの絵師について、ここで改めて触れるまでもあるまい。掲出句の表記は、句を引用している多田道太郎にしたがっている。特に上五の表記は、茶目っ気の多い多田さんが工夫したオリジナルであると考えると愉快であるけれど、出典が別にあるのか詳らかにしないが、一般には「人魂で行く気散じや夏野原」と表記されている。いきなり「悲と魂(ひとだま)」と表記されると、いかにも奇人・北斎らしさを感じずにはいられない。「気散じ」ということも北斎にかかると、「人魂」とはすんなり行かず、「悲と魂」で行く夏草繁るムンムンした原っぱということになってしまう。芭蕉の「枯野を駆けめぐる」と、北斎の夏の原をゆく、両者の隔たりには興味深いものがある。「枯野」どころか、ムンムンした「夏の原」の辞世の句には畏れ入るばかりである。多田さんはこの句について、「「気散じ」のくらしはできそうもない」とコメントしている。その言葉に二人が重なってくるようだ。ちなみに北斎の法名は「南牕院奇誉北斎」である。多田道太郎『新選俳句歳時記』(1999)所載。(八木忠栄)




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