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May 2552016

 陵(みささぎ)の青葉に潮の遠音かな

                           会津八一

書に「真野」とある。佐渡の真野にある順徳天皇の御陵を詠んでいる。承久の変(1221)により、後鳥羽上皇は隠岐へ流され、その皇子である順徳天皇は佐渡へ流された。天皇は二十一年後、佐渡で崩御する。そういう歴史をもつ御陵を、八一は青葉の頃に訪れたのであろう。往時を偲ばせる木々の青葉が繁っている、その間を抜けて海の波音が遠くから聞こえてくる。それは遥かな歴史の彼方からの遠音のように聞こえ、八一の心は往時に遡り、承久の変に思いを致し、順徳天皇が聞いたと変わらぬ波音に、今はしみじみと静かに耳をかたむけるばかりである。八一の句は他に「灌仏や吾等が顔の愚かなる」など多い。上記いずれの句からも、私は新潟市にある会津八一記念館に掲げられている、凛として厳しさをたたえた八一の肖像写真を想起せずにはいられない。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


May 2452016

 両腕は翼の名残夏野行く

                           利光釈郎

と翼と鰭はみんな同じものだという。腕は翼として羽ばたいていたかもしれず、鰭として大海原を泳いでいたのかもしれない。夏野の激しいエネルギーのなかに身をおけば、人間としてのかたちがほんの束の間の仮の姿のようにも思えてくる。男でも女でも、大人でも子どもでもなく、ずっと自由な生きものとして夏野を行く。しかし、ひとたび夏野を出れば、また元のきゅうくつな人間に戻ってしまうのだ。夏の野が見せる束の間の夢である。〈葱坊主みんな宇宙へ行くごとし〉〈万緑へ面打つ鑿をそろへけり〉『夏野』(2016)所収。(土肥あき子)


May 2252016

 真清水や薄給の人偉かりし

                           田中裕明

の前の真清水に見入っています。濁りなく、たゆむことなく、少しずつこんこんと透明な清水が湧きあがっている。そこに、地球のささやかな鼓動を見ているのかもしれません。この時、かつて、薄給を生きていた人を思い出しました。それは、父であり、父の時代の人たちです。給料が銀行振込になった1980年代以降も、給料が高い低いという言い方は変わっていませんが(例えば高給取りとか、高給優遇とか、低所得者とか、低賃金など)、一方で、給料袋を手渡されることがなくなったので、その薄さを形容する薄給という言葉は無くなりました。ところで、薄給という言葉には、清貧の思想が重なります。あぶく銭で儲けるのではなく、自分の持ち場を離れず誠実に役割を果たす。しかし、小さな成果だから、労働対価は微々たるもの。けれども、誠実な仕事人は、少ない給料を知恵を使ってやりくりして、無駄のない質素な生活を営みます。ゴミを出さず、部屋の中もすっきり整頓されて、ぜい肉もない。薄給を手にしていた人たちは、それが薄くて軽いぶん、むしろ、手を自由に使えました。針仕事をしたり、日曜大工をしたり、手料理を作ったり。今、真清水を目の前にして、生きものは、清らかな水があれば何とかなる、作者は、そんな思いを持った。『夜の客人』(2005)所収。(小笠原高志)




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