May 292016
不器用は/如何なる罪ぞ/五月闇
鵜澤 博
静かに怒っています。手先の不器用さにではありません。自分が、あるいは目をかけている人が、人間関係に不器用なんでしょう。相づちを打てない。愛想笑いをしない。納得のいかない意見には同意しない。旧態依然の悪弊には従えない。この、真っ当な心根のどこが罪なのか、と問うています。ところで、五月闇は、梅雨時の夜、月明かりが厚い雲に隠された闇のことです。ここから、昼の闇にも汎用される使われ方もありますが、掲句の場合は心象風景の闇でしょう。かつて、受験勉強で燃え尽きた新入生は、学生生活にすぐにはなじめず、五月病にかかりました。五月闇は、同じ心のやみですが、それとはちょっと違った意味合いがあります。新入社員たちは新人研修を終えて、それぞれの部署に配属されました。そこには独自の社内ルールが適用されていて、一般常識からみれば到底受け入れることのできない掟に縛られていることもあるでしょう。その現実に直面したとき、純粋さは、不器用さとしてもて余されてしまう。21世紀を迎えても、湿潤な気候風土の日本の社会には、五月闇が存在しています。なお、句集の表記は、横書き三行分けです。『イヴ仮説』(2002)所収。(小笠原高志)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|