May 312016
植田から青田に変はる頃の風
名村早智子
数年前に流れていたエビスビールのコマーシャルに「日本は風の名前だけでも2000もある国です」というコピーがあった。2000という数字に驚くが、しかし掲句のように名称はないが誰もが明瞭に描くことができる風がそのうえまだある。西洋に「刈りたての羊に風はやさしく吹く」の言葉があるように、頼りなくそよぐ植田に風はなでるように通り過ぎ、元気いっぱいの青田には隅々まで洗い上げるように行き渡る。幼な子が子どもになるまでのほんの束の間、そのとっておきの風は渡る。それはまるで、太陽と大地を両親に持つ苗の健やかな呼吸が、清潔で、みずみずしく、明るい風になっていくようにも思われる。その時期だけの旬の食べ物があるように、その時にしか吹かない旬の風を胸いっぱいに満たしたい。ふらんす堂自句自解2ベスト100『名村早智子』(2016)所収。(土肥あき子)
May 292016
不器用は/如何なる罪ぞ/五月闇
鵜澤 博
静かに怒っています。手先の不器用さにではありません。自分が、あるいは目をかけている人が、人間関係に不器用なんでしょう。相づちを打てない。愛想笑いをしない。納得のいかない意見には同意しない。旧態依然の悪弊には従えない。この、真っ当な心根のどこが罪なのか、と問うています。ところで、五月闇は、梅雨時の夜、月明かりが厚い雲に隠された闇のことです。ここから、昼の闇にも汎用される使われ方もありますが、掲句の場合は心象風景の闇でしょう。かつて、受験勉強で燃え尽きた新入生は、学生生活にすぐにはなじめず、五月病にかかりました。五月闇は、同じ心のやみですが、それとはちょっと違った意味合いがあります。新入社員たちは新人研修を終えて、それぞれの部署に配属されました。そこには独自の社内ルールが適用されていて、一般常識からみれば到底受け入れることのできない掟に縛られていることもあるでしょう。その現実に直面したとき、純粋さは、不器用さとしてもて余されてしまう。21世紀を迎えても、湿潤な気候風土の日本の社会には、五月闇が存在しています。なお、句集の表記は、横書き三行分けです。『イヴ仮説』(2002)所収。(小笠原高志)
May 282016
松落葉吹きよせられて海女の墓
森 婆羅
一読して、海女の墓、に得も言われぬ切なさのようなものを感じた。と同時に、どこまでも続く松林の落葉が一斉に海風に吹かれる音が聞こえてくる。落葉の中にひっそりと立つ苔むした墓はきっと海に向いているのだろう。初めて目にする作者の森婆羅を検索すると、明治十年香川県生まれの俳人であり、香川県には海女にまつわる伝説と共に、海女の墓、と呼ばれる五輪の墓石が遺されていると知った。写真を見ると木漏れ日の中、静かなたたずまいの古い墓石で、墓のある志度寺は四国八十八箇所霊場の第八十六番札所であるという。確かな目で観て作られた句は見知らぬ景をくっきりと立てる。「新歳時記 虚子編」(1951・三省堂)所載。(今井肖子)
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