2016N612句(前日までの二句を含む)

June 1262016

 床拭きて万緑の息通しけり

                           小倉桂子

巾で床を拭く。それは、部屋のお清めです。窓を開け、風を入れる。万緑の息吹が、間を浄化する。今も、このような所作が日々続けられているのなら、素敵な暮らしぶりです。日本人の生活が西洋化されてから久しい年月が経ち、掃除は主に立ち仕事となって、屈んで床を拭く動作はめっきり減りました。私事を言えば、ふだんの床掃除は使い捨てのクイックルワイパーと箒の組み合わせで、床を雑巾がけしたのは今年に入って一回きりです。ただ、この一回が気持ちよかった。膝をつき、腕でごしごし隅々ま できれいにして、雑巾を絞りました。小中学校のときの掃除の時間と、稽古合宿のときの雑巾がけを思い出します。日々の汚れを日々拭きとる。この所作は、日本に住まう所作としてすり込まれた身体の記憶です。世界には、掃除をする習慣がない国もあり、例えば西アフリカのマリでは、日本人のボランティアが掃除という概念とやり方を教えて好評を博しています。日本人は無宗教だと言われますが、むしろふだんは無関心なだけで、掲句のようなお清めの伝統は、無言のうちに生活に根づいています。『告解』(1989)所収。(小笠原高志)


June 1162016

 十薬やいたるところに風の芯

                           上田貴美子

の犬の散歩に時々付き合うようになって半年ほどになる。早朝の住宅街をただ歩く、ということはほとんどなかったので、小一時間の散歩だがあれこれ発見があって楽しい。そんな中、前日まで全く咲いていなかった十薬の花が今朝はここにもあそこにもいきなりこぞって咲いている、と驚いた日があった、先月の半ば過ぎだったろうか。蕾は雫のようにかわいらしく花は光を集めて白く輝く十薬。どくだみという名前とはうらはらに、長い蘂を空に伸ばして可憐だ。いたるところで風をまとっている十薬の花と共に、どこかひんやりとした梅雨入り前の風自体にも芯が残っているように感じられたのを思い出した。他に〈透明になるまで冷えて滝の前〉〈人声が人の形に夏の霧〉。『暦還り』(2016)所収。(今井肖子)


June 1062016

 郭公の声に高原らしくなる

                           中村襄介

公は四月から五月にかけて南方から渡ってきて、夏が終わると南へ帰ってゆく。人間様もこれから夏休みに向かって非日常の世界へ飛び出したくなる。切符は青春切符、泊まりはホテルではなく民宿へ。あれやこれやと思いをめぐらせた結果涼しい高原へ向かうこととなった。「汽車の窓からハンケチ振れば〜」歌を口ずさんだりして心晴れ晴れと、高原列車は走り車窓を満喫する。到着した山は緑、渓は透明、空気はオゾンに富んでいる。天気も上々であるが何か一つ物足りない。思っていた矢先に「カッコゥ」「カッコゥ」の鳴き声。これだ、郭公の鳴き声が加わり高原のイメージはとことん充足された。「朝日俳壇」(「朝日新聞社」2014年7月28日付)所載。(藤嶋 務)




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