2016N616句(前日までの二句を含む)

June 1662016

 父の日の父と鯰の日の鯰

                           芳野ヒロユキ

近にいてその存在すら日頃意識しない父への感謝の日。戦前の日本では親は今よりも権力を持っていたので父親は尊敬するのが当たり前そんな日は無用だったろう。戦後アメリカから日本に導入されたらしいが、定着は遅かったようだ。母親は子供に密着して嫌でも存在感があるが朝早く帰って来て夜遅く帰ってくる父親はテレビの前でゴロゴロしている姿しか思い浮かばない。沼の底深くじっと姿を消している鯰が「ナマズの日」なんて作られて沼の底から引っ張り出されてプレゼントを渡されても困惑するように父の日の父だって困っちゃうのだ。「お父さんありがとう」って言われてもなあ、、『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)


June 1562016

 梅雨空に屋根職(やねしき)小さき浅草寺

                           玉川一郎

陶しい梅雨空がひろがっている。参道から見上げると、浅草寺本堂の大きな屋根を修繕している職人の姿が、寺の大きさにくらべ小さく頼りないものとして眺められる。梅雨曇りの空だから、見上げるほうも気が気ではない。はっきりしない梅雨空に、屋根職の姿と寺の大きさが際立っていて、目が離せないのであろう。「屋根職」は屋根葺きをする職人のこと。先日のテレビで、せっかく浅草寺を訪れた外人観光客たちが、テントで覆われた雷門にがっかりしている様子が紹介されていた。気の毒であったけれどやむをえない。そう言えば何年か前、私が浅草寺を訪れたとき、本堂改修のためあの大きな本堂がすっぽり覆われていて、がっかりしたことがあった。ミラノの有名なドゥオーモ(大聖堂)を初めて訪れたときも、建物がすっぽり覆われていたことがあって「嗚呼!」と嘆いた。しかもそのとき、無情にも2月の雪が降りしきっていた。そんなアンラッキーなこともある。一郎には他に「杉高くまつりばやしに暮れ残る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 1462016

 細胞はこゑなく死せり五月雨

                           髙柳克弘

月雨は陰暦五月の雨、梅雨のこと。湿度の高さに辟易しながら、人は半分以上水分でできているのに…、人間は水の中で生まれたはずなのに…、とうらめしく思う。暑ければ暑いで文句が出、寒ければ寒いで文句が出る。声とは厄介なものである。しかしこの文句の多い体を見つめれば、その奥で、細胞は声もなく静かに生死を繰り返している。降り続く雨のなかでじっと体の奥に目を凝らせば、生と死がごく身近に寄り添っていることに気づく。新陳代謝のサイクルを調べてみると「髪も爪も肌の角層が変化してできたもの、つまり死んだ細胞が集まったものです(花王「髪と地肌の構造となりたち」)」の記述を発見した。体の奥だけではなく、表面も死んだ細胞に包まれていたのだ。衝撃よりもむしろ、むき出しの生より、死に包まれていると知って、どこか落ち着くのは、年のせい、だろうか。〈一生の今が盛りぞボート漕ぐ〉〈標なく標求めず寒林行く〉『寒林』(2016)所収。(土肥あき子)




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