2016N618句(前日までの二句を含む)

June 1862016

 水澄し見る水の上水の中

                           そら紅緒

舞虫(まいまいむし)ともいわれるミズスマシ。ランダムな曲線を描きながら水面を忙しく動き回っている。じっくり見たこともないのであらためて調べるとなかなか興味深い体の作りだ。特に眼、二つの複眼はそれぞれ水中用と水上用に仕切られ計四つに分かれているのだという。掲出句を読んだ時は、水面から上を見たり下を見たりしながら進んでいるのかと思ったがそうではなく、あの素早さで動きながら水底も空も同時に見えているということだ。あらためて声に出して句を読んでみると、重なる四つの、み、と七七五のリズムに、想像もつかないミズスマシの視界を体感しているような不思議な世界に引き込まれる。作者は沖縄在住、句集名は沖縄の言葉で「蝶」のことである。『はあべえるう』(2015)所収。(今井肖子)


June 1762016

 民芸品売りて軽鳧の子育てをり

                           前田倫子

鳧(カルガモ)は全国の水田、湖沼、川等で繁殖する留鳥である。冬には市街地の公園の池にもたくさんいる。顔は淡色で筋がありクチバシの先は橙色で足が橙赤色である。野生の鳥は警戒心が強いのが普通ではなかなか人間に懐つかない。しかし中には奇跡的に野鳥が人に懐いた例を耳にする。多くのケースでは雛に孵った時に人間を目にして懐いたという。観光地の民芸品を商う店の傍に池があり軽鳧が子を産んだ。店の主人はせっせと餌を与えたり鴉を追ったりして面倒をみている。ここでは人と野鳥が信頼関係でしかと結ばれている。無償の愛は通じるもんだと愚考する次第である。その他<翡翠の一閃したる神の滝><八月の忘れもの吊る海の家><薫風や全身で吹く大ラッパ>など。『翡翠』(2008)所収。(藤嶋 務)


June 1662016

 父の日の父と鯰の日の鯰

                           芳野ヒロユキ

近にいてその存在すら日頃意識しない父への感謝の日。戦前の日本では親は今よりも権力を持っていたので父親は尊敬するのが当たり前そんな日は無用だったろう。戦後アメリカから日本に導入されたらしいが、定着は遅かったようだ。母親は子供に密着して嫌でも存在感があるが朝早く帰って来て夜遅く帰ってくる父親はテレビの前でゴロゴロしている姿しか思い浮かばない。沼の底深くじっと姿を消している鯰が「ナマズの日」なんて作られて沼の底から引っ張り出されてプレゼントを渡されても困惑するように父の日の父だって困っちゃうのだ。「お父さんありがとう」って言われてもなあ、、『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)




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