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July 2272016

 昼寝覚電車戻つてゐるやうな

                           原田 暹

くある錯覚。以前は酷暑のおりは疲労がたまり夜の睡眠不足を補う意味で昼寝が奨励された。今ではビルも家庭も車内でも空調が行き届き昼は安眠の機会となっての昼寝である。電車の座席はとにかく寝心地がよい。そこでついつい居眠りに陥る。心底寝入ってはいないので次は何々駅のアナウンスではちらと目が覚める。作者の場合は進行中での目覚めだろうか睡眠の中に失っていた自分を取り戻したものの自分の立ち位置がはっきりしない。動いてはいるもののさてはて戻っているような気もするしという半分だけ覚醒の状態。隣りに並走している電車があれば余計ややこしくなる。追い付いたり追い越したりしている内にとろとろと混乱して眩暈がする。ある夏の眠たい午後の昼寝覚め、突如寝覚めて乗り越しに気が付いてあわてても後の祭りである。仮にふいと飛び降りても網棚に忘れ物などをしたら大事件となってしまう。他に<人日の茶山にあそべ天下の子><梟を眺め梟から眺め><蟬時雨駐在さんの留守二日>など所収。『天下』(1998)所収。(藤嶋 務)


July 2172016

 どのくらい泣けば痩せるか答えよ虹

                           近 恵

はは、である。昔、学校で映画が上映されたとき、それこそ最初から最後まで泣いている友人がいて、いったいどこを捻ればそんなに涙が出てくるのか不思議に思ったことがある。泣くという行為は自分の感情の発散のためには必要なことかもしれないが、最後は身体がひくつくぐらい泣けるのは幼い子供の特権かと思っていた。そうか、泣いたら痩せるのか!それにしても「どのくらい泣けば痩せるか」という問を虹に答えさせるなんて!こんな虹の句は初めてみた。雨上がりの空に滲む虹も答えに窮しただろう。「はがきハイク」14回(2016年6月)所収。(三宅やよい)


July 2072016

 小使の愚痴聞いてやる蚊やりかな

                           戸板康二

句を読んでいると、いつの間にか私たちの日常から姿を消した物や事に出くわすことが多い。それは季語だけとは限らない。俳句が私たちの生活の変遷を、反映していることは言うまでもない。それだけ俳句は、否応なく日常生活に密着しているということ。「小使」も「蚊やり」もそうだ。昔の学校や役所の小使さんは、いつの間にか「用務員」さんと名称が変わってしまった。中学・高校時代、小使さんと話したり、からかわれたりした(先生たちとは違った)思い出が懐かしい。人のいいその顔は今もはっきり覚えている。また今は電気蚊取りが主流だが、蚊取り線香などが出まわる以前、縁側で祖父が火鉢で松葉をいぶしていた光景も記憶のすみに残っている。小使さんはストレスがたまる仕事だったと思う。夏の夜、尽きることない愚痴を聞いてやっているのだ。愚痴の内容はどうであれ、主人公はもっぱら聞き役だ。かたわらで、蚊やりは細く長く煙を立ちのぼらせているといったあんばい。ただ「うん、うん」と聞いている。康二の夏の句に「ひとへ帯母うつくしく老いたまふ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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