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July 2472016

 夕立を写生している子供かな

                           清水哲男

情があります。子供は、夕立を選んで写生しているのか。それとも、写生をしていたら天気が急変したのか。いずれにしても、子供は夕立を写生し続けています。この時、降る雨つぶはどのように描かれているのでしょう。その目の先には、いつもと違う街の質感があります。雨つぶに打たれている舗道の影はゆらいでいて、樹は濡れて黒く、雨に洗われた葉は鮮明です。いつもの街が、初めての街に見えてくる。絵筆を握っていた手は、いつしか情景を前にして止まっています。同じ色はなく、同じ形はなく、同じくり返しはない。夕立は、子供を急速に成長させている。もしかしたら、これは、うつろいつづける自然と事象を肉眼で受けとめてきた清水さんの自画像なのかもしれません。『打つや太鼓』(2003)所収。(小笠原高志)


July 2372016

 何もかも何故と聞く子と夕焼見る

                           今井千鶴子

和三十三年の作なので子は四歳、作者はその長女と並びもうすぐ一歳になる次女を抱いて官舎の縁側に立って西の空を見ている。白金育ちのお嬢様は病院勤務の医師と結婚、そのまま東京で暮らすはずだった。ところが突然結核になった夫は療養も兼ねて箱根の国立療養所に転勤、こんなはずじゃなかったという思いを抱きながらこの年三十歳になった作者である。そして長女は「ねえなんで空が赤くなるの」といつもの「なぜなぜ攻撃」を仕掛けてきており、そうねえなどと言いつつ「なんでこんな田舎で暮らさなくちゃいけないの、何故って言いたいのは私よ〜」と心の中で叫んでいたにちがいない。今日も何とか一日が終わった、と見る夕焼が美しければ美しいほど泣きたいような気持ちになったことだろう。豊かな自然の中での暮らしは作者の俳句に大きな力を与え、四十三歳で東京に戻るまでの十数年間、俳句が作者を支えたに違いないけれど、この時の作者の心情を思うとちょっぴり切ない。『吾子』(1981)所収。(今井肖子)


July 2272016

 昼寝覚電車戻つてゐるやうな

                           原田 暹

くある錯覚。以前は酷暑のおりは疲労がたまり夜の睡眠不足を補う意味で昼寝が奨励された。今ではビルも家庭も車内でも空調が行き届き昼は安眠の機会となっての昼寝である。電車の座席はとにかく寝心地がよい。そこでついつい居眠りに陥る。心底寝入ってはいないので次は何々駅のアナウンスではちらと目が覚める。作者の場合は進行中での目覚めだろうか睡眠の中に失っていた自分を取り戻したものの自分の立ち位置がはっきりしない。動いてはいるもののさてはて戻っているような気もするしという半分だけ覚醒の状態。隣りに並走している電車があれば余計ややこしくなる。追い付いたり追い越したりしている内にとろとろと混乱して眩暈がする。ある夏の眠たい午後の昼寝覚め、突如寝覚めて乗り越しに気が付いてあわてても後の祭りである。仮にふいと飛び降りても網棚に忘れ物などをしたら大事件となってしまう。他に<人日の茶山にあそべ天下の子><梟を眺め梟から眺め><蟬時雨駐在さんの留守二日>など所収。『天下』(1998)所収。(藤嶋 務)




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