2016N84句(前日までの二句を含む)

August 0482016

 ひるがほに電流かよひゐはせぬか

                           三橋鷹女

道の植え込みなどに細い蔓をからませてピンクの花を咲かせている「ひるがほ」を見るたび思い起こす句。朝顔に似ているのにそのはかなさはなく、炎天下にきりりと花を開き続ける様子は電流が通っているようでもある。鷹女の句は機転や見立てが効いている表現が多いように思うが、それだけで終わってはいない。ひるがほを見ている自分もひるがほであり、ひるがほを通う電流は鷹女の身の内をも貫いている。しばらくは「電流かよひはせぬか」と「ゐ」をすっとばして覚えていたが、「かよひ」でしばし立ち止まって「ゐはせぬか」と自問自答することで、「ひるがほ」の存在感をたかめ、読み手にも「そうかもしれない」と思わせる呼び水になっている。鷹女の「雨風の濡れては乾きねこぢやらし」からスタートして十年、増俳木曜日を担当させていただいた。このサイトの一ファンであった私に書く機会を与えてくださった清水哲男さんと、拙い私の鑑賞を読んでいただいた方々に感謝します。ありがとうございました。『三橋鷹女全集』(1989)所収。(三宅やよい)


August 0382016

 凡句よし駄句よし宇治に赤とんぼ

                           清水哲男

りずに相変わらず凡句・駄句を生産している者にとって、心強い句である。句会で高得点を目指して、五・七・五の指を折っている初心者に向けて、哲男は慰めの言葉をかけているわけでは必ずしもない。ここで言われている凡句・駄句というのは、箸にも棒にもかからないような句のことを言っているわけではなかろう。それらを「よし」として、だからと言って、うまい句をいたずらに期待しているわけでもあるまい。「良い句」を作ろうとして、そんなにムキになるなよ、ムキになったところで「良い句」ができるわけではない、という哲男の精神が言っていると理解したい。当方の本欄担当は今朝で最終回だが、これまでずっと取りあげてきた「文人俳句」は、シャカリキになっていわゆる名句を毎回物色していたわけではない。名句は夥しい数の俳人諸兄姉にまかせておけばよろしい、と考えてきたつもりである。句会でも同じことが言えよう。掲出句には哲男らしい俳句観が裏打ちされている。「宇治」といえば、哲男は学生時代に宇治に下宿していたことがあった。学生時代には俳句を作っていた、それが凡句・駄句であってもかまわない、という意味合いも含めているのであろう。当時の宇治では、赤とんぼがたくさん見られたにちがいない。秋には少し早い時季だが、今朝はあえて掲出句を選んだ。哲男が宇治を詠んだ句に「宇治や昔オルグ哀しも新茶汲む」がある。『打つや太鼓』(2003)所収。(八木忠栄)


August 0282016

 香水に思い出す人なくもなし

                           清水哲男

俳満了まであと6日。今日が最後の火曜日です。読者であった10年と、書き手となった10年の思い出が錯綜します。パソコンにはショートカットキーなるものがあります。ことによく使われているのがundo(アンドゥ)と呼ばれる復活のコマンドです。左隅のCtrlキー(macだとコマンドキー)を押しながらZを押すと、ひとつ前の動作に戻ります。これを覚えておくと、うっかり消してしまった画面や、誤った選択をしたとき元に戻ることができるのです。人生にはたびたびこの復活のコマンドが使えたらどんなによいかと思う瞬間が訪れます。掲句で思い出される人とは、遠い過去の知り合いでしょう。香りの記憶はさまざまな思い出を引き連れて、やや強引に迫ってきます。下5の言い回しは作者特有の恥じらいと、すべて思い出すことへのためらいを感じさせます。作者はふっと横切る香りのなかで、復活のコマンドを使うことなく、おそらく固有名詞さえ思い出すことを封じて「なくもなし」と完結します。清水さんの俳句作品には〈四股踏んで雀の学校二学期へ〉〈だるまさんがころんだ春もやってきた〉のような相好が崩れる愛らしいものと、掲句や〈釣忍指輪はずして女住む〉〈糸の月人に生まれて糸切り歯〉のような臈長けた色香が混在することも特徴です。ときに甘やかに、ときにクールに、絶妙な匙加減で読者を楽しませてくれるのです。『打つや太鼓』(2003)所収。(土肥あき子)




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