2016ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0682016

 八月六日のテレビのリモコン送信機

                           池田澄子

集『いつしか人に生まれて』(1993)で出会ってから、八月六日が近づくと心に浮かぶ句です。「八月六日」は、その時生きていたすべての命が常に直面していた戦争という免れがたい現実の象徴であり、季題の力、という言葉だけでは到底表現しえない生と死そのものという気がします。七十年の時を経た今、押さない日はほとんどないリモコンの送信ボタンから八月六日を思い起こす人は少なくなる一方ではありますが、この句は読み手の心に残り続けます。作者の池田氏を始め多くの俳縁は、増俳なくしては得られませんでした。季語が入って五七五なら俳句なのか、季題の力とは何なのか、安易に季語をつけることをしないがゆえの無季句の難しさなど、それまで思い及ばなかった様々を考え続けながら、この十年の全ての縁に深謝致します。(今井肖子)


August 0582016

 田の母よぼくはじゃがいもを煮ています

                           清水哲男

母が農作業している。家族の生活を一身に引き受けている様を子が見ている。何か手助けをしたいのだが子に出来る事はそんなに多くない。母に言われたじゃがいもを煮る事が精一杯である。母さんぼくは一生懸命心を込めて煮ていますよ。男性には母を思慕する傾向があると聴く。父親が外で奮闘努力しても子の目に留まることが少ないのかも知れぬ。子が真近かで見る母の姿は究極の優しさに満ち、子は命ごと委ねて頼ってゆく。私世代の多くは戦禍を掻い潜って生き延びてきた。皆貧しかった。命の支えとなった母はそれこそ慈母観音の如きと思慕されるのであった。ゲーテが人生の最後に「もっと光を」と言ったとか。もしそんな時に小生だったら何と言うか、多分「お母さん」だろうな。『家族の俳句』(2003)所収。(藤嶋 務)


August 0482016

 ひるがほに電流かよひゐはせぬか

                           三橋鷹女

道の植え込みなどに細い蔓をからませてピンクの花を咲かせている「ひるがほ」を見るたび思い起こす句。朝顔に似ているのにそのはかなさはなく、炎天下にきりりと花を開き続ける様子は電流が通っているようでもある。鷹女の句は機転や見立てが効いている表現が多いように思うが、それだけで終わってはいない。ひるがほを見ている自分もひるがほであり、ひるがほを通う電流は鷹女の身の内をも貫いている。しばらくは「電流かよひはせぬか」と「ゐ」をすっとばして覚えていたが、「かよひ」でしばし立ち止まって「ゐはせぬか」と自問自答することで、「ひるがほ」の存在感をたかめ、読み手にも「そうかもしれない」と思わせる呼び水になっている。鷹女の「雨風の濡れては乾きねこぢやらし」からスタートして十年、増俳木曜日を担当させていただいた。このサイトの一ファンであった私に書く機会を与えてくださった清水哲男さんと、拙い私の鑑賞を読んでいただいた方々に感謝します。ありがとうございました。『三橋鷹女全集』(1989)所収。(三宅やよい)




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