August 2082001

 とうすみはとぶよりとまること多き

                           富安風生

戦の年まで、東京の中野区鷺宮(現在の「若宮」)に住んでいた。当時の新興住宅地で、似たような形をした貸家がたくさんあり、我が家もそんな一軒を借りていた。近所にはまだあちこちに原っぱがあって、子供らには絶好の遊び場だった。そのころ(五歳くらいだったろう)に「とうすみ(糸蜻蛉)」を知った。夕方になると、空にはコウモリが乱舞し、赤とんぼも群れをなし、鬼やんまがすいすいと飛び交っていた。走り回っていたお兄ちゃんたちのお目当ては、むろん鬼やんまだ。思い出しても壮観であるが、一方で地べたに近い草の葉先などには「とうすみ」が静かにハネをたたんでとまっているのだった。しゃがんで見ていても、句の言うように、なかなか飛ばない。手を打って威かしても、動こうとはしない。子供心にも、なんて弱々しいトンボなんだろうと写り、つかまえるのがはばかられたほどだ。掲句の平仮名は、よくこのトンボの特性を伝えている。なお、多くの歳時記では夏の季語とされており、当歳時記でもそれに習うが、しかし風情としては初秋の少し寂しげな風景に似合うトンボである。それにしても最近はちっとも見かけないが、あのはかなげな様子からして、もしかしたら絶滅したのではないかと心配である。弱々しいと言えば、「おはぐろ(川蜻蛉)」もどうなっているのだろうか。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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