December 062001
息白き子のひらめかす叡智かな
阿波野青畝
季語は「息白し」で冬。我が子ではなく、よその家の子だと思う。寒い朝。出かける道すがら、たまたま近所の知っている子に出会って連れ立って歩いている。子供とは世間話はできないから、学校や勉強のことなどを軽い気持ちで聞いてみたのかもしれない。話題がなんであれ、話しているうちに、作者は質問に一所懸命に答える子供の「叡智(えいち)」に気づかされた。単に才気煥発とか小利口というのではなく、日頃から真剣に物事を考えているところからしか出てこない話ぶり。それが子供の白い息に添ってひらめきながら、作者の胸を強く深く打ってきたのである。当の子供にしてみれば、当たり前の話をしただけなのだろう。が、作者には「これぞ本物の叡智」という感慨が生まれてしまった。この子のように、俺は物事を正面から引き受けて物を考えたことがあったろうか、と。凄いヤツだなあと、顔には出さねど舌を巻いている。「叡智」とは知識ではない。だから、ちっぽけな子供にだって「叡智」はそなわる。知識の徒が逆立ちしたってつかめない考えを、自力でつかんでいる子供もいる。そんな子供に自然に畏敬の念を覚えた作者もまた「叡智」の人なのだと、私は感動した。寒い朝でも、この交流はとても暖かい。『合本俳句歳時記』(1973・角川書店)所載。(清水哲男)
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