December 16122001

 刻かけて海を来る闇クリスマス

                           藤田湘子

リスマスは、言うまでもなくキリストの降誕を祝う日である。その祝いの日をやがては真っ暗に覆い隠すかのように、太古より「刻(とき)かけて」、はるかなる「海」の彼方より近づいてくる「闇」。人間にはとうてい抗いがたい質量ともに圧倒的な暗黒が、ゆっくりと、しかし確実に接近してきつつあるのだ。この一年を振り返るとき、一見観念的と思える掲句が、むしろ実感としてこそ迫ってくるではないか。知られているように、キリストは夜に生まれた。いま私たちに近づいてくる「闇」は、彼の生まれた日の夜のそれと同様に邪悪の気配にみなぎっており、しかも生誕日の暗黒とは比較にならぬほどの、何か名状しがたいと言うしかないリアリティを確保しているようだ。キリスト教徒ではないので、私にはこの程度のことしか言えないけれど、いまこそ宗教は意味を持つのであろうし、また同時に、人間にとっての真価は大きく問い返されなければならぬとも思う。「聖夜」の「聖」、「聖戦」の「聖」。俗物として問うならば、どこがどう違うのか。しかし、そんなことは知ったことかと、海の彼方から今このときにも、じりじりと掲句の「闇」は接近中だ。何故か。むろん、他ならぬ私たち人間が、太古よりいまなお呼び寄せつづけているからである。メリー・クリスマス。「俳句研究」(2002年1月号)所載。(清水哲男)




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