December 282001
くれくれて餅を木魂のわびね哉
松尾芭蕉
旅に生きた人も、さすがに年末は侘しかったと見える。新年を迎えるにあたって、何の準備もしなくともよい。なんて気楽な人生なんだ。とは、つゆ思えない句だ。「わびね」は「侘び寝」であり「侘び音」だろう。まだ薄暗い早朝に、どこからか「餅」を搗く音がしてきて、目が覚めた。ぼんやりと聞きながらも、いよいよ「くれくれて(暮れ暮れて)」きたかと思うと、だんだんに搗く音が胸奥に「木魂(こだま)」してきて、侘しさが募ってくる。蒲団をかぶってもう一眠りしようかとも思うが、「木魂」はますます耳につき、さりとて起き上がる気にもなれず……。ただ、じっと薄明の天井を見つめているばかりの三十八歳の男の図。世間から、ひとり取り残された旅人の実感だ。芭蕉には、他にも「ありあけも三十日に近し餅の音」があって、この句も切ない。とくに江戸期の餅搗きは、各家の景気を誇示する意味もあったので、わざわざ暗いうちから起きだして搗くのも、静かな時間に近所中に搗く音をアピールするためであったようだ。さながら名家や大家のごとく、早朝から深夜までかけて大量に搗かねばならぬふりをした、涙ぐましくも姑息な策略である。この策略は、戦後にも私の田舎では尾を引いていて、餅搗きは早朝からと決まっていた。そしてこの早起きだけは、子供にも苦にならなかった。(清水哲男)
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