January 2812002

 白鳥の首つかみ振り回はす夢

                           高山れおな

語は「白鳥」で冬。どうなることかと読み下していって、最後の「夢」でほっとさせられる。夢では何でもありだから、こんな夢もあるよね。と、気楽に読み捨てにできないところが、掲句の魅力だ。人間誰しも、ときに凶暴な衝動にかられるときがあるだろう。日常生活では厳しく自己抑制している感情だから、たまには夢のなかで爆発したりする。わけもなく、上品でしとやかなイメージの「白鳥」の首根っこを無理無体につかまえて、わめかばわめけと「振り回はす」ようなことが起きる。でも、人間とは哀しいもので、たとえ夢の中にせよ、そのうちに日常の倫理観がよみがえってくるのだ。白鳥を振り回したまではよかったが、次第に凶暴な感情が醒めてきて、「ああ、俺はとんでもないことをやっている。こんなこと、しなければよかった」と思いながらも、しかし、もう手遅れである。できれば、なかったことにしたい。が、現にこうやって振り回している事実は、消えてはくれない。どうにもならない。身の破滅か。……と、自責の念が最高度に高まったところで、はっと目が醒めた。夢だった。ああ、よかった。助かった。ここで読者もまた、同様な気持ちが理解できるので、安堵するという仕掛けの句だ。夢でよかったという思いは、夢の中での被害者としてか、あるいは句のように加害者としてなのか、自分の場合は、どちらが多いのだろう。そんなことを考えさせられる一句でもありますね。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




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