October 012002
十月やみづの青菜の夕靄も
藤田湘子
はや「十月」。今月は「体育の日」もあったりして、抜けるような青空を連想しがちだが、統計的に言っても、とくに前半は雨の日も多い。空気が湿りがちだから、靄(もや)や霧が発生しやすい月である。掲句は、そんな湿り気を帯びた十月をとらえて、見事なポエジーを立ち上らせている。戸外の共同炊事場だろうか。「みづ(水)」に漬けられた「青菜」に、うっすらと「夕靄」がかかっている。本来ならば鮮やかな色彩であるはずのものが、半透明に霞んでいる。美しさを感じると同時に、なんとはなしに寂寥感も覚える句だ。美しくもそぞろ寒い夕暮れの光景が、読む者の心を秋深しの思いに連れていくのである。「夕靄も」の「も」が、とても効果的だ。「も」があるから、句の世界が青菜一点にとどまらず、外に開かれている……。ところで以前にも書いたような気もするが、靄と霧の違いは、気象学的には次のようだ。「気象観測では視程が1キロ以上のときを『もや』、1キロ以下のときを霧としているので、気象観測でいうもやは、霧の前段階の現象である」〈大田正次〉。ちなみに「視程(してい)」は、「大気の混濁度を示す尺度。適当に選んだ目標物が見えなくなる距離で表す[広辞苑第五版]」。昨今の東京あたりでは、朝靄はのぞめても、句のような夕靄には、まずお目にかかれなくなった。「煙霧」ばかりになってしまった。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)
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