October 09102002

 鳥渡るこきこきこきと罐切れば

                           秋元不死男

わゆる「新興俳句事件」に連座して、作者は戦争中に二年ほど拘留されていた。その体験に取材した句も多いが、掲句は自由の身になった戦後の位置から、拘留のことを思いつつ作句されている。拘留時の作者は、おそらく自由に空を飛ぶ鳥たちに、羨望の念を禁じえなかっただろう。鳥たちは、あんなに自由なのに……。古来、捕らわれ人の書いたものには、そうした思いが散見される。だが、ようやく自由の身を得た作者には、必ずしも「渡り鳥」の自由が待っていたわけではない。冷たい世間の目もあっただろうし、なによりも猛烈な食料難が待っていた。あの頃を知る人ならば、作者が切っている缶詰が、どんなに貴重品だったかはおわかりだろう。その貴重品を食べることにして、ていねいに「こきこきこき」と切る気持ちには、複雑なものがある。「こきこきこき」の音が、名状しがたい気持ちをあらわしていて、切なくも悲しい。身の自由が、すべて楽しさにつながるわけじゃない。こきこきこき、そして、きこきこきこ、……。この「罐」を切る音が、いつまでも心の耳に響いて離れない。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)




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