October 202002
萩の家わずかな水を煮ていたり
下山光子
草冠に秋と書いて「萩」。古来、秋を代表する花とされてきた。『枕草子』に「萩、いと色深う枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよと広ごり伏したる……」とあるように、凛とした姿ではない。「たをやか」「なよなよ」とした風情が、この季節のどことなく沈んだような空気に似合うのである。そんな萩を庭や垣根に咲かせている家は、たとえば薔薇の庭を持つ家などとは違って、とてもつつましく写る。住んでいる人を知らなくても、暮らしぶりまでもがつつましいのだろうと思われてくる。作者もまた、単に通りがかっただけなのだろう。「煮ていたり」とは書いているが、実際に台所を見たのではなく、つつましやかな「萩の家」の風情から来た想像だと、私には読める。こういう家では、こういうことが行われているのが相応しいとイメージして、詠んだのだと思う。水はふつう「煮る」とは言わず、「沸かす」と言う。が、そこをあえて「煮る」と言ったのは、「沸かす」の活気を押さえたかったからに違いない。「わずかな水」なのだから、この人は一人暮らしだ。自分のためだけの水を、ひとりひっそりと煮ている姿を想像して、作者は「萩の家」の風情に、いつそうの奥行きを与えたのである。『句読点』(2002)所収。(清水哲男)
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