January 082003
焼跡に遺る三和土や手毬つく
中村草田男
季語は「手毬(てまり)」で新年。どんな歳時記にでも載っている句、と言っても過言ではあるまい。「焼跡」は、むろんかつての大戦の空襲でのそれだ。以前のたたずまいなどはわからないほどに焼け落ちてしまった家の跡に、わずかに「三和土(たたき)」だけが、そのままに遺(のこ)った。三和土は、土間のこと。そこで、小さな女の子がひっそりと毬つきをしているという敗戦直後の正月風景だ。「国破れて山河あり」などと言うが、敗戦国の民のほとんどは、そんなふうに自然と向き合うだけで達観できるわけもない。明日をも知れぬ生活をおもんぱかりつつ、ふと通りがかりに見かけた女の子の毬をつく姿に、作者はどんなに慰められたことだろう。おのずから、涙が溢れてくるほどの感動を覚えたにちがいない。それを草田男は、見られるとおりに、できるだけ散文的に描写することですませている。そっけないほどに、淡々とした書きぶりだ。感動の「カ」の字も書いてはいない。何故か。実は、やはり心のうちでは泣いているからなのだ。泣いているがゆえに、必死に感情に溺れまいとして、突然の恩寵の源を客観的に書き留めようとしたのだと思う。すなわち、このときの草田男の脳裡に読者はいない。自分だけの記録、自分のためだけの光景としてしっかりと書き留め、長く手元に残しておきたかった……。涙を拭って撮った「スナップ写真」とでも言えば、多少とも当たっているだろうか。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)
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