March 0432003

 水浅し影もとどめず山葵生ふ

                           松本たかし

語は「山葵(わさび)」で春。「生ふ」は「おう」。曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』に「山葵、加茂葵に似て、其根の形・味、生姜に似たり。故に山葵・山姜の名あり。中夏(もろこし)の書にみえず。漢名しらず」とある。漢名がわからないのも道理で、日本だけにしか生えない植物だ。私の育った山口県の山陰側の渓流には、自生していた。山葵の句のほとんどは栽培してある山葵田を詠んだもので、なかなか自生している姿を詠んだものは見当たらない。なかで、掲句はどちらとも取れるけれど、どちらかといえば自生の姿ではなかろうか。春光の下、生えてきた「影もとどめ」ぬ、すっきりと鮮かな緑の姿が、私の郷愁を誘う。暗くて寒い農村にも、ようやく春がやってきたのだ。学校帰りに、よく小川をのぞき込んだものだった。小さな魚や蟹たちが動き回り、芹や山葵が点在し、浅い水はあくまでも清冽で、掬って飲むこともできた。そんな山葵しか知らなかったので、のちに信州穂高町の巨大な山葵田を見たときには仰天したが、あれはあれでとても美しい。以下は余談的引用。「すしとワサビの結び付きは江戸後期からで、1820年(文政3年)ころ江戸のすし屋・華屋与兵衛がコハダやエビの握りずしにワサビを挟さむことを考案し、評判となった。しかし、20年後には天保の改革により、握りずしはぜいたく品とされ、与兵衛は手鎖(てじょう)軟禁の刑に処せられ、一時衰退する。ワサビとすしの組合せが全国的に広がるのは明治になってからである〈湯浅浩史〉」。『新日本大歳時記・春』(2000)などに所載。(清水哲男)




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