May 1752003

 出立の彼を頭上に溝浚う

                           岡本信男

語は「溝浚う(みぞさらう)・溝浚へ」で夏。都会では蚊などの発生を防ぐため、田舎では田植え前の用水の流れをよくするため、この時期にいっせいに溝を浚う。現代の東京あたりでは、溝やらドブは全くと言っていいほどに見られなくなっている。したがって、町内いっせいの溝浚いも姿を消した。先日、神戸の舞子駅に降りたら、駅のすぐそばに奇麗な溝のある住宅街があり、懐しかった。細い溝ても、多少汚くても、町の中に水が流れているのは良い気分だ。対して、句の溝は田舎の溝である。道路よりもかなり低いところにあって、幅も広い。作者が浚っていると、これから「出立」する「彼」が挨拶に来た。同世代の友人だろうか。ちょっと旅行に行くというのではなくて、都会に働きに行くのか、あるいは大学などへの入学のためか。いずれにしても、もうちょくちょくは会えない遠いところに出かけていくのである。そんな彼を見上げるようにして、作者も挨拶を交わす。自分とは違って、彼のパリッとしたスーツ姿がまぶしい。お互いの今いる位置の高低の差が、なんとなくそのまま未来の生活の差になるような……。都会へ都会へと、田舎を捨てて出ていく人の多かった時代の雰囲気をよく捉えた佳句だ。その後の長い年月を経た今、出ていった「彼」はどうしているだろうか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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