June 1062003

 平伏の火の父が見し蟻なるか

                           小川双々子

語は「蟻」で夏。平伏(へいふく)する父親の姿。誰だって、そんな屈辱的な父親の姿など見たくはない。想像もしたくない。が、かつての大日本帝国に生きた父親たちにとっては、抽象的にもせよ、平伏は日常的に強いられる行為であった。ニュース映画に天皇が登場するだけで、起立脱帽した日常を、いまの若者は信じられるだろうか。今日伝えられる某国の圧制ぶりをあざ笑う資格は、我が国の歴史からすると、誰にもありえない。しかし、今日の某国でもそうであるように、かつての心ある父親たちはみな「火の」憤怒を抑えつつ平伏し、眼前すれすれの地を自在に歩き回る「蟻」を睨んでいただろう。その「火の父」の無念を、作者は子として引き受けている。かっと、眼前の蟻を睨んでいる。「昭和二十年七月二十八日夜、一宮市は焼夷弾による空襲で八割が灰燼に帰した。僕の父は防空壕内で窒息死した。傍らに自転車が立つてゐた」と作者は書いている。平伏の果てが窒息死であったとは、あまりにも悲惨でやりきれない。作者が父と言うときには、必ずこの悲惨な事実を想起して当然だが、それを個人の問題に矮小化して詠まないところが双々子の句である。個人を超えて常に人間全体へと普遍化する意志そのものが、双々子のテーマであると言っても過言ではないだろう。だから、作者の父親の窒息死を知らなくても、掲句はきちんと読むことができる。ところで、父たちの平伏の時代はあの頃で終わったのだろうか。そのことについても、掲句は鋭く問いかけているようだ。『囁囁記』(1998・邑書林句集文庫)所収。(清水哲男)




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