June 202003
路頭とはたたずむところ合歓の花
坪内稔典
季語は「合歓(ねむ)の花」で夏。夜になると葉を閉じるので「眠」と付いたそうだ。子供のころ、学校への道の途中の川っぷちにあつて、不思議な木があるものだと思っていた。故郷を離れてからは、一度も見た記憶はなく、それでも花の様子は鮮明に思い出せる。いまごろは、もう咲いているだろう。作者は旅行先で合歓に出会い、しばらくたたずんで眺めた。そして、ふっと気がついた。そうか「路頭」とは、こうしてたたずむところでもあったのだ。都会の道のように、ただせかせかと歩くだけが路頭じゃない。作者は日本一せかせかと歩く人が多いと言われる大阪住まいだけに、痛切にそう感じたのだろう。現代ならではの句だ。実際、東京あたりでも、なかなかたたずめるような道はない。たたずむことができるのは、信号待ちのときくらいだ。下手に立ち止まったりしたら、突き飛ばされかねない。それに、合歓なんてどこにも生えてない。すなわち、たたずむに値するだけの対象物もないのである。ひたすら道は歩くため、車で移動するためだけにあるのであって、別の目的で使用したりすると、たちまち道交法に引っ掛かってしまう。いまにきっと、みだりに立ち止まっちゃならぬという一項が追加されるだろう。いや、既に集団に対してはそうした条項があるも同然だ。だから、掲句が発禁になるのも間近い。と、いまは冗談ですむけれど、いつまでこの冗談がもつだろうか。路頭は変わった。それこそ路頭が「路頭に迷っている」。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)
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