September 202003
シベリヤという菓子の歳月鉦叩
的野 雄
季語は「鉦叩(かねたたき)」で秋。チンチンチンと鉦を叩くような美しい音でかすかに鳴くが、私は姿を見たことがない。物の本によると、体長は1センチくらいだとか。さて、問題は「シベリヤという菓子」だ。「菓子の歳月」とあるくらいだから、相当に古くからある有名な菓子なのだろうが、聞いたこともない名前だ。日本の菓子ではなくて、シベリヤ特産なのだろうか。それでなくとも甘いものにはうといので、こういうときの頼みの綱であるネットを駆け回ってみた。と、間もなくまずは商品写真が見つかった。が、ここに掲載しなかったのは、透明な包装紙越しに写されているので、菓子自体の姿がよくわからないからである。いくら眺めても、はじめて見る代物としか思えない。そこで、なお検索をつづけるうちに言葉による菓子の説明があり、そこではたと膝を打つことになった。「カステラ生地で餡を挟んだもの」。たったこれだけの説明なのに、たちまち懐しさが込み上げてきた。なあんだ、これならば昔の村の駄菓子屋(というよりも、万屋だったけれど)にだって、いつでも売っていたあの菓子のことじゃないか。名前は知らなかったけれど、いまでも当時の味は思い出すことができる。いや、大人になってからも、どこかで食べた覚えがあるような……。カステラ生地といってもパサパサなものだったが、それがまた美味だったっけ。そうか、あれがシベリヤ菓子という名前なのか。命名の由来には諸説あるようだが、いずれにしても大正末期ころから登場した純粋に日本製の庶民的な菓子である。「シベリヤ」という立派な名前を持ちながら、いつしか忘れられ、いまではその存在すらも知る人は少なくなってしまった。その「歳月」はまた、作者自身の過ごした歳月でもある。かすかな鉦叩の音を耳にしながら、来し方を思いやっている一人の男の淋しさがじわりと伝わってくる。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)
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