April 0242004

 別々に拾ふタクシー花の雨

                           岡田史乃

語は「花の雨」。せっかくの花見だったのに、雨が降ってきたので早々に切り上げてバラバラにタクシーで帰る。散々だ。とも読めなくはないけれど、そう読んだのでは面白くない。むしろ作者は多忙ゆえか他の何かへの関心事のせいで、花のことなどあまり頭になかったと解すべきではなかろうか。誰かと会って話し込み、表に出てみたらあいにくの雨になっていた。傘を持ってこなかったから仕方なくタクシーで帰らざるをえず、お互い別方向なので「別々に拾ふ」ことになった。そこでその人とは別れ、タクシーを探す目で街路をあちこち見つめているうちに、遠くの方に咲いた桜が雨に煙っている様子がうかがわれたのだろう。そこで、ああ今年も花の季節が来ているのだと、作者はいまさらのように気づいたのだった。さすれば、この雨は「花の雨」だとも……。このとき、タクシーを別々に拾うという日常的な散文的行為に舞い降りたような季節感は、はからずも作者の気持ちを淡い抒情性でくるむことになったのである。そしてまた、その照り返しのようにして、つい先ほどまで会っていた相手との関係に散文性を越えた何かを感じたような気がする。シチュエーションは違うにしても、こういう感じは誰にもしばしば起きることだろう。たいていはその場かぎりで忘れてしまう感情だが、掲句のように詠み止めてみるとなかなかに味わい深いものとなる。とはいえ、この種の感情をもたらしたシーンを、的確に詠み込むシャッター・チャンスを掴まえるのは非常に難しい。だからこの句には、苦もなく詠まれているようでいて、いざ真似をして作ってみると四苦八苦してしまうような句のサンプルみたいなところもある。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)




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