April 0942004

 遠足の列大丸の中とおる

                           田川飛旅子

語は「遠足」で春。気候がよいこともあるが、春に遠足が多いのは、新しいクラスメート同士が親しくなる機会を作る意味もありそうだ。来週あたりから、あちこちで見かけることになるだろう。句は戦後四年目の作というから、まだデパートが珍しく思えた時代だ。遠足の行程に、いわゆる社会科見学として組み込まれていたのだろうか。いきなりぞろぞろと、子供たちの一団が「大丸」デパートの中に入ってきた。今とは違い、当時の子供らはこういう場所ではあまり騒がなかったような気がする。周囲のきらびやかな環境に気圧されるばかりで、さすがの悪童連も声が出なかったのだ。内弁慶が多かった。しかし、とにかく遠足の列とデパートの店内とでは、あまりに互いの雰囲気がなじまない。作者は客としているわけだが、すぐに遠足だとはわかっても、心理的な対応が追いつかない。あっけにとられたような気分の中を、子供たちが緊張した表情で通っていくのを見やっている。そんなところだろう。こういう遠足もあったのだ。大丸が東京駅に店を構えたのはちょうど50年前の1954年のことなので、作句の舞台は東京ではない。京都か大阪か、あるいは神戸か。いずれにしても関西地方かと思われる。私がはじめて連れていってもらったデパートも関西で、大阪駅前の阪急だった。まだ八歳。覚えているのは、蛇腹式の扉のついたエレベーターに乗ったことくらいで、それこそただただ店内のキラキラした様子に圧倒されっぱなしであった。だから、多少とも掲句の遠足の子供たちの側の気持ちはわかるような気がするのである。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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