May 2452004

 手渡しの重さうれしき鰻めし

                           鷹羽狩行

語は「鰻(うなぎ)」で夏。掲句のように、作者は身構えない句の名手だ。何の変哲もない日常の断片を捉えて、見事にぴしゃりと仕立て上げる。天性のセンスの良さがなせる業としか言いようがなく、真似しようとして真似できるものではないだろう。その意味では、虚子以来の名人上手と言うべきか。前書に「茨城・奥久慈」とあるが、ここが鰻の産地であるかどうかは知らない。いや、むしろ産地ではないからこそ、思いがけなく出てきた「鰻めし」と解したほうが面白そうだ。旅の幹事役が一人ひとりに手渡しているのは、駅弁かどこかの店の折詰である。包装紙から中身が鰻めしであるとはすぐに知れたが、いささか小ぶりに感じられた。だが、実際に手渡されてみると、意外にもずっしりとした手応え。思わずも「うれし」くなってしまったというそれだけの句であるが、実に巧みに人情のツボを押さえている。いわば人の欲のありようを、さりげなくも鋭く描き出している。同じものならば少しでも重いほうが、あるいは大きいほうが得をしたような気になるものだ。べつに作者はがつがつしているわけではないけれど、こうした他愛ない欲の発露にうれしくなる自分(ひいては人間というもの)に小さく驚き、むしろ新鮮味すら覚えているのだと思う。誰にでも覚えのあることながら、このような些事を句にしようとする人は皆無に近い。句作において、この差は大きい。作者の天性を云々したくなる所以である。『十四事』(2004)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます