June 302004
あぢさゐを小突いてこども通りけり
小野淳子
まったく、しようがないなあ。と思いつつも、作者は微笑している。男の子だろう。「なんだい、こんなもん」と言わんばかりに、ちょんと小突いて行ってしまった。見たままそのまんまの句だが、男の子ならいかにもという感じがよくとらえられている。女の子だったことはないのでわからないが、私自身のことを思い出しても、小学生くらいまでは花に関心を持ったことはないような気がする。おそらく、友人たちもそうだったろう。しげしげと花を見つめている男の子なんて、なんとなく気色が悪い。というのは偏見だろうが、そんな男の子を見た記憶もないのである。稲垣足穂によれば、加齢にしたがって人の関心は移っていくのだという。最初が動物で、その次は植物、そして最後には鉱物に至ると書いている。そういえば子供は昆虫の類が好きだし、鳥や獣も好きだ。人も動物のうちだから、思春期以降は異性への関心が高まる。その期間が過ぎると、今度は植物というわけで、ここでようやく花への関心も湧いてくることになる。道ばたに咲く花を、ちょっと立ち止まってみたりするようになってゆく。私の場合だと、四十歳くらいでそのことが意識された。そして稲垣説の最後は鉱物というわけだが、これはまだ私には当てはまらないと思う。よく河原などから石を拾ってきて庭に置いたりする人がいるけれど、そんな衝動に駆られたことはない。ただ、若い頃と違って、そうした石の趣味をくだらないと思う気持ちは失せている。理解できるような気はするのだ。もうしばらくすると、私も石を拾ってきたりするようになるのだろうか。更に稲垣説の先を言えば、老人は子供にかえるというから、もう一度「あぢさゐ」を小突くようなことになるかもしれない。しかし、掲句の「こども」を「老人」に入れ替えてみると、かなり不気味だなア(笑)。『桃の日』(2004)所収。(清水哲男)
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