August 302004
売れ残る西瓜に瓜のかほ出でて
峯尾文世
季語は「西瓜」で秋。なぜ西瓜が秋なのかと私たちは訝るが、その昔は立秋以降の産物だったようだ。その昔と言っても、おそらくは元禄期ころで、そんなに大昔のことでもない。初期普及時には血肉に似ているので、嫌われたという話がある。掲句は一読、いや三読くらいして、じわりと面白さが広がってきた。なるほど、売れ残ってしょんぼりしたような西瓜からは、だんだん「瓜のかほ」が表れてくるようだ。もとより誰だって西瓜が瓜の仲間であるのは知っているけれど、南瓜もそうであるように、日頃そんなことはあまり意識していない。マクワウリなどの瓜類とは、違った意識で接している。産地で見るのならまだしも、暑い盛りの八百屋の店先や家庭の食卓で見るときには、ほとんど瓜類とは思わないのではなかろうか。それが秋風が立ち涼しくなり、売れ残りはじめると、西瓜の素性があらわに「かほに」出てくると言うのである。言われて納得、何度も納得。ユーモラスというよりも、そこはかとないペーソスの滲み出てくる良質な句だ。観察力も鋭いのだろうが、私には作者天性の感受性の豊かさのほうが勝っている句と思われた。いくら企んでも、こういう発想は出てこない。上手いものである。「東京新聞」(2004年8月28日付夕刊)所載。(清水哲男)
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