September 1992004

 鳥渡る旅にゐて猶旅を恋ふ

                           能村登四郎

語は「鳥渡る」で秋。登四郎最晩年八十九歳の句、死の前年の作句である。若い身空で旅にあっても、ときにこういう感興を覚えることがあるが、老いてからのそれは一入だろう。澄んだ秋空を渡ってくる鳥たちを見上げていると、その元気さ、その自由さに羨望の念を覚え、旅先であるのに猶(なお)さらなる遠くへの旅を「恋ふ」気持ちがこみ上げてくるのだ。もはや渡り鳥のようには元気でもなく自由もきかない我が身にとっては、今度のこの旅が最後になるかもしれない。そうした懸念とおそれがあるので、なおさらに鳥たちの勇躍たる飛翔が目にまぶしく感じられる。同じころの句に「啄木鳥や木に嘴あてて何もせず」があり、こちらは何もしないでいる「啄木鳥(きつつき)」に老いた我が身を重ねあわせたものだ。あのいつも陽気で騒がしい鳥にも、じっと黙して動かない時間がある……。一見ユーモラスではあるけれど、何か名状しがたい苦さがじわりと読み手に沁み入ってくる。高齢者の句には総じて淡白なものが多いように思うが、見られるように登四郎の句にはなお作品的な色気がある。人によりけりなのではあろうけれど、妙な言い方をしておけば、登四郎には最後まで読者を意識したサービス精神があったということだ。その道のプロは、かくありたいものだ。『羽化』(2001)所収。(清水哲男)




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