October 012004
鉢植に売るや都のたうがらし
小林一茶
季語は「たうがらし(唐辛子)」で秋。真紅に色づいた唐辛子は、蕪村の「うつくしや野分の後のたうがらし」でも彷佛とするように、鮮やかに美しい。だが、蕪村にせよ一茶にせよ、唐辛子を飾って楽しむなどという発想はこれっぽっちも無かっただろう。ふうむ、「都」では唐辛子までを花と同格に扱って「鉢植」で売るものなのか。こんなものが売れるとはと、いささか心外でもあり、呆れ加減でもあり、しかしどこかで都会特有の斬新なセンスに触れた思いも込められている。むろん現在ほどではないにしても、江戸期の都会もまた、野や畑といった自然環境からどんどん遠ざかってゆく過程にあった。したがって、かつての野や畑への郷愁を覚える人は多かったにちがいない。そこで自然を飾り物に細工する商売が登場してくるというわけで、「虫売り」などもその典型的な類だ。戦後の田舎に育った私ですら、本来がタダの虫を売る発想には当然のように馴染めず、柿や栗が売られていることにもびっくりしたし、ましてやススキの穂に値段がつくなどは嘘ではないかと思ったほどだった。でも一方では、野や畑から隔絶されてみると、田舎ではそこらへんにあった何でもない物が、一種独特な光彩を帯びはじめたように感じられたのも事実で、掲句の一茶もそうしたあたりから詠んでいると思われた。(清水哲男)
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