第24号 1998.1.15 231円(本体220円)

〒154-0016 東京都世田谷区弦巻4-6-18(TEL:03-3428-4134;FAX:03-5450-1846)
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5号分予約1100円(切手の場合90円×12枚+20円×1枚)編集・発行 清水鱗造
ロゴ装飾:星野勝成



表紙-人ごみにはぐれて-きみの色-立春の卵(たまご)-エアロビクス・くねくね-マイクロ・ライト-父の決意-Mについて-球体-光の柱-ハドリアヌス-horseplay-物色-死んでしまっても日の出--硫黄のにおい-鉛の船-水面の墨-冬の木-Spinal Cord / Nappy Sphere Edit.-政治の中のバタイユ 3-ハイパーテキストへ 6-近況集-編集後記

人ごみにはぐれて

関富士子



あなたを見失って さよならを言えなかった あたしのさよならが あなたのさよならを 求めて さまよう よふけ なだらかな丘にひろがる ラベンダー色の街を さざめきがいつまでもやまない よごれた裏通りから なつかしい転調のしかたでとぎれとぎれに ラジオの古ぼけた歌が聴こえる さかさまにおちていくよさらさらのすなのさばく よっぱらいのじょうよくによるべなくさらされて ないてもなぜかしらよごとなみだなんかでないさ らんぼうなからさわぎラブソングのようなららら あなたはいつかこう言ったなんでもないさ だいじょぶだよ そうかな あたしはちょっと身震いしながら 指のさ くれをなめていたのだ ひどいま い道に行きくれて 人々はみん 笑って言う さあてレモン イムのお酒でその指を洗いなさい さがしものは見つからない よにもおかしな活劇風のオールナイトシアターの幕間にも なげきのマリアの青銅の胸の谷間にも ライラックの金色な蓬髪のしげみの間にも 〈さてこのぼくだがもう何代目のぼくなのか〉の中にも さよならはもう朝のつめたい光に目をふせて せなかにうすい影をのばして だらだら坂を海に向かって下りていったかもしれない ささやき よびかけ なが ら さざなみ よせてはかえし なが ら

*〈 〉は宮野一世「股眼鏡」より



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きみの色

長尾高弘



ずいぶん透き通ってきたものだね。 きみは、 自分がどんな色だったか覚えているかい。 色々なやつが、 きみにべたべたとペンキで色を塗って、 お前はこんな色だと騒いでいるけど、 あいつらは、 きみが透き通っていて、 向こう側が見えてしまうことに、 耐えられないだけさ。 もっとも、 そんなおしゃべりは、 きみの耳には、 入ってこないだろうけどね。 それにしても、 あのとききみは、 どんな色になりたかったんだい? 赤、青、白、黒、 それとも金色や銀色? どんな色にしても、 それは、 きみの色じゃないんじゃないかな。 もちろん、 きみは透き通っているわけでもない。 だって人間の色は、 そんなに変えられるものではないし、 変わってしまうものでもないと、 思うんだ。 夏の日ざしを浴びたら、 少し濃くなった自分の色に気付く、 なんていうのは甘いかな? いまきみは、 自分がどんな色になっていると、 思っているのだろうか。


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立春の卵(たまご)

青木栄瞳



   ウヒャラ、メンコ    ウヒャラ、メンコ   (立つでしょうか?)    白い卵、    白い卵、   (うまれたての)    立春の    白いタマゴたち。 【全国配送承り中】  ――氷が必要な方はスタッフまでどうぞ!    ウオの卵、    ヒトの卵、    トリの卵、    ユメの卵、    ハルの卵は、    ランランラン――    卵・卵・卵、    乱・乱・乱、   (わが秘められた生涯)*    ウヒャラ、メンコ    ウヒャラ、メンコ   (立つでしょうか?)    ウオの乱、    ヒトの乱、    トリの乱、    ユメの乱、    ハルの乱は、    ランランラン――    乱・乱・乱、    卵・卵・卵   (皆様、ご機嫌いかがですか?)    ウヒャラ、メンコ    ウヒャラ、メンコ   (立つでしょうか?)  ――そのような経緯があったので、   (何か悪いことをしてみたくなる日があります。)    白い卵、    白い卵、   (むずむず、動く)    立春の    白いタマゴたち。    白いタマゴっち、    白いタマゴっち、 【全席自由です】

*サルバドール・ダリの自叙伝のタイトルより



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エアロビクス・くねくね

青木栄瞳



(雨を隠す) 風薫る五月の朝、 庭の風が―― 草ばっこ*のキミドリ色が――        くねくね、カ−ブ        くねくね、カ−ブ エアロビクス・くねくね、 エアロビクス・くねくね、 しています。 (夜を隠す) わたしの朝のベッドでは、 五月の風が―― シ−ツの上のきれいな二人の裸体のまわりで――        くねくね、カ−ブ        くねくね、カ−ブ エアロビクス・くねくね、 エアロビクス・くねくね、 しています。 (汗を隠す) 黒の香水はありません。 ――基本的には男女別学です。

*『草ばっこ』というのは『草叢』のことで、八王子の方言かもしれません



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マイクロ・ライト
        ――夏際敏生に

倉田良成



いつも通る路地沿いの 小さな教会の掲示板に載った先週の箴言はこうだ 「言葉どおり この身に成る」 たぶん光り輝く聖像を思い浮かべてはいけないのだろう たぶん秘蹟は静かな五月の木の揺らぎや、咀嚼し嚥下する今日のパンの塩味のなかの 歓びのかすかな爆発のうちに隠されているのだろう きみの手をとって歩く買い物帰り、教会の今週の言葉は 「テベリヤの海べで」だ アウトドア・パーティでは豚のあばら肉の炭火焼きが好評だった 葉山の海岸は夕方から晴れて、空と大人たちの顔をワインの色に染めたが 騒音をあげて走り回るウォーターバイクのあいだから いきなり夕空にむかって舞い上がった乗り物に、きみと私はわが目を疑った 淡い光の粒子のなかを漂うあれはマイクロ・ライト イタリアで開発された小型洋上飛行装置だと、降りてきた持ち主は教えてくれた 朱に染まった空を遊弋する孤独があんなに簡単に実現してしまうとは 用途も実益も確実にない、レオナルドが夢見た人造鳥の骨組みに仄かに似かよって 渋谷駅上空で二機の警察ヘリコプターが大音量のスピーカーで何か呼びかけている 磁気嵐に流されてゆく映像のように真昼の声はゆがみふくらんで聞き取れない 白日の強盗か、轢き逃げか、ホームの誰もが放心した表情で耳を澄ますが 翳を奪われたこのゴモラでは、誰かが殺されるまで憎悪や恐怖は完璧に無視される 仕事帰りのゆうぐれに見上げた掲示板の言葉 「神が動く 私が動く」は 薄闇のなかに示された深い激怒ではなかったのか? 夜空は徐々に異様なまでに高く、人の限界を超えてなおきらめいていたとしても? きみといっしょにマイクロ・ライトをカメラに収めた 写真では豆粒ほどにしか写っていないが そこからこっちはどんなふうに見えるのだろう 人の一生は、青い平原のまんなかに見つける小さなお祭りに似たものか 五月の夕晴れのなかを かろやかに行ってしまった詩人はこう書きつける 「なにやってんだ/いつも空の下で」*

*夏際敏生「曖昧模湖のネッシー」より



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父の決意

布村浩一



斎藤さんは意外に思うだろうが ぼくは父親の面倒を見たくない  距離を持とうと努めている 父とぼくが一緒にひとつのグラグラと した岩になるのではなく 突き放しながら見ていようと思っている  桜の花が散りはじめる 雨が降っているせいだ 雨に濡れた舗道 で 桜の花びらが道路にはりついている ぼくが連絡しないまま父親は死ぬだろう 後になってその事をぼく は知る ぼくのなかでゆれるものの大きさにぼくは耐えられるだろ うか 身体がはげしくゆれるだろう 身体の振幅のためによろよろ とよろけるかもしれない 熱い霧にからだの真ん中を穴が開いたよ うにさせられるかもしれない 下北沢の駅で待ち合わせて 近くの喫茶店にはいった コーヒーを たのむ 父はコーヒーがくる前からしゃべりはじめて 女のことを いう 別れるという この女といるとだめになる この町から離れ るともいう この町に住んでいたら何もできない お父さんが生ま れて育った町なんだから 町には昔からの知り合いがあっこっちに 住んでいてどんな仕事でもやるというわけにはいかない 女には仕 事をやめさせた 外で男と会っているような気がしてならないんだ  サラ金の金を返すために 他のサラ金から借りている その金が 返せなくなった 家賃も払っていない ひとりじゃだめなんだ で ももう別れる 新しくやり直したい アパートに女がいた ラメの光る服を着ている みんなわたしが悪 いんでしょうねという 目のしたにはっきりわかる隈ができている  額が大きすぎる 事情がわかるにつれて ぼくには額が大きすぎ ると思う 家賃やサラ金が払えたとしても そのあとの見通しがつ かない それに父の心をくるおしくさせているのは女のことだ 女 との関係からだ 老人という言葉が浮かんできた  受話器をはずしまた置く 手が受話器の向こうの世界とつながって いるようで重くなる 目の前で父親が死んでいくのをだまってみて いるようだ 胸のあたりがグラグラゆれている 支点がふるえてい るのがわかる このまま受話器を取らなければ あなたからメッセ ージを受けとることができる 黙すること 線を引くこと はっき りと身体を切り離すこと その跡がみえること 父だからということではないような気がしていた 倒れそうなもの が揺れると手が伸びてしまう 自分の秤の上に十万置き 二十万置 き 父の高血圧 視えない目 決意とみえて崩れていく心 いつも 謝る心 そういったものを置きつづけて もうこの秤の上に置くの がいやになった 秤は揺れない 父から電話はこない ぼくがかけるだけだ 父がでても窮状は訴え ない ちがう町へ行くという 身の回りが落ち着いたら連絡するよ という 何とかするとしか言わない 新しく住むところがみつかる まで連絡はできない ここをとにかく離れる 家賃だってたまって いるし もう無理は言えないんだから いらない荷物は整理してい るところだ いるものは今度住むところに送って ここの大家さん にあいさつして そうしたら 向こうで落ちついたら はっきりし たら連絡するよという


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Mについて

片根伊六



僕は、パルコ7Fの バックヤードにいた 換気用の小窓が 1つ穿たれていて 制御された街のネオンが 暗闇と調和していた 左耳の裏に、刺激を感じ始めた 肉眼では見えない 限りなく細い針だった じっとしていた 赤と青の暗闇が 冷たく 漂っていた 3本目が差し込まれた


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球体

片根伊六



球体の中は ひんやりしていた 古代の生態系が 守られていた 呼吸を 最小限に押さえたのだが やはり 侵入してきた 肺が熱をもちはじめて 古代のウイルスに 侵されつつあった


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光の柱

片根伊六



光の柱は そのためにあるのかもしれなかった ハドリアヌスがしたように 僕も 柱の中に 立ってみた そして ハドリアヌスがしたように 裸になった 黄ばんだヘインズと 破れた501は きれいにたたんで 祭壇にのせた すり切れたアジダスは 柱の外に 揃えた 目を閉じると 白い暗闇に包まれた 方向感覚がなくなり 球体が 僕を中心にして まわり始めた


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ハドリアヌス

片根伊六



ハドリアヌスは ニッチに腰掛けていた 懐かしそうに 石の硬さを確かめていた 僕と彼と どっちの方が寂しいだろうか? 僕らは一言も喋らなかったが たしかに ふたりとも 球体の中にいた
    ※「球体」からの三篇は、パンテオンという、古代ローマ建築についての詩です。 ドーム屋根の頂点に穴が開けられていて、光が円柱のように差し込みます。 ※ハドリアヌスという人は、パンテオンを創らせた皇帝です。


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horseplay

夏際敏生



朝っぱら、流しで欧米を研ぐ 水から牛乳から洗いたくもなるわ (実際には冷蔵庫に牛乳はなかった いまさらピーマンでもない もうなんにもないと衷心より思ったわけなんで 意気ゴミからして並々でしょ  で、クリーニング屋のキシおばさんとかも 廊下でモニタリングされていて 笑う女子高生に笑っていなかったけえ? ワーストは自然に優しい乙女座のお父さんたち 言葉にだって余ろうというもんです お時間をとらせますが ちょっとここで舞っててね、コンサバ万歳! とか叫んで 勝手に急に居なくなったりして このへんは誰と特定できないのだけれども できっこないし 光で人称が溶けちゃったもんだから 謂れのない金が受け取れるわけなんで (噛んで含めるなや、先生 (噛んだ後は紙に包んで、先生 速やかに潤みだした物騒さを買われて あの透き間この透き間と渡っていく ツジツマってなんなんです ロータリーで油を売っている女詩人のマタの名なの?


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物色

夏際敏生



きょうマツダが死んだ もしかしたら昨日だったかもしれないが…… なにはともあれ霞町でパンを買って うつらうつら車を走らせる 片耳は切って捨てる たとえばそんな経緯で ガードレールを労えれば フィラメントも通りに置かれる なにしろ盲唖では鳴らした 口幅ったい顔をいくつも渡った 十八番は機械的キョトン 好きな色は好色、物色、警戒色、 好きな曲なら遁走曲 女たちは涼風のような裸体をもてあまさない 息だけは次々に引き取っていく それがどうあろうと人生は美しい このフレーズを教えてくれた中学教師が NHKに転身の後は消息が不明のままである 余計なお世話さま わたしたちはかつてない安全に瀕している わたしたちは祖先を省みていない ハーゲンダッツ出したりしないもの ということであとは裏面を見てください 紙幅を肥やすことにもとりたてて異議はない バカ丁寧語は電話口からオモテへ出ろ! ところで、もう片方の耳は食うんだったっけ? どの道悪はもう気取られることさえない 善のハキ溜めにカラスが茂るばかり


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死んでしまっても日の出

駿河昌樹



死んでしまっている人が動いている 死んでしまっている人のヴィデオ コップなんか持って 小さなパーティーのおわり テラスで日の出を待っている そよ風が海から吹くのか 前髪がわずかに揺れる だんだんと明るくなって 日の出はすてきなオレンジだ 死んでしまっても人は動いている 死んでしまってもオレンジ 死んでしまっても日の出


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駿河昌樹



つかれたからだを横たえながら 眠らぬ青い宝石のはなしを思い出した さらわれてすてきに レンズコーティングされた双眼鏡などたずさえて 戻ってきた隣の子は無言に ひと秋を過ごしてしまったとか ああ ふかいつかれ 浮かんでくる色あざやかな風景 いつのまにか 空気もさびしくなった ひたひたと 肌はどこまで透いていくのだろう


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硫黄のにおい

清水鱗造



くねくね曲がる道を車は走る 小雨の湖畔 老女は小さく後部座席に たたずんでいる その 甘受して刻んできた日月 けっして憤怒はおもてに出ることはない ゆっくり動くワイパーを見る男 じつに硝煙に似た 硫黄のにおいは 老女のネガの映像を いくたびも焼き付ける わたしの世代から何度も 硝煙は 上がるだろう


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鉛の船

清水鱗造



風に 湖面には靄が変形して 鉛の船のようにも見える 重みが船を まぼろしの中で難破させ しかし どんよりとした目を さらに霧が洗い やはり鉛の船は 窓の左から右に ゆっくり動いていく


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水面の墨

清水鱗造



水底から 面の水茎は 鏡面文字に見える 墨汁の記す字は 習俗からほど遠い意味を 流している さざ波にちりぢりに種子を投じる


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冬の木

清水鱗造



白く湖面を見下ろす木々は 情念の骨だ からまる思いの白金の骨の かたちに 専用突堤を飾っている


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Spinal Cord / Nappy Sphere Edit.

田中宏輔



●学校の子供たちに数学を教えている●わたしは●数学の教師●学校が済むと直ぐ帰って●二階へ上がって●二階の書斎で●読みかけの本を読んでいた●やがて●暗くなり●窓の外を●夜の間にひどい雨が降った●そのうち●わたしは●その本を読んでいると●ページをめくるごとに●うとうととして●そのままぐっすり●眠りこんでしまった●真夜中になっていた●ふと●目をこらして見ると●小さい蟻が●机の上に●コーヒーを持って現われた●蟻は●暗い階段を匐ふやうに昇って●コーヒーをはこんできたのだった●いつ目をさましても●目覚めるたびに●かならず同じ場所に現れた●蟻は●ものがたる●新しく生まれかわるために●ハンカチを探しつづけていた●という話であった●どのハンカチ?●どんなハンカチなの?●コーヒーをかきまわしながら●私は言った●ぼくのハンカチ●汚れたハンカチ●哀れな小さなハンカチよ●刺繍で縁取りされた●あのハンカチの隅っこには●ぼくの頭文字と紋がついているんだ●しかしどうやって見つけるのか?●いまでもみつかると思うかい?●忘れるのだ●しかし●返事がない●その蟻の●話はつづいた●蟻は●私の眼を見つめながら●語りつづけていた●くりかえしを聞かないうちに●聞こえないふりをして●立ち上がると●わたしは●窓のところへ行って、外の眺めを見た●雨はもう降っていなかった●じきに夜が明ける……●そのままなにも聞かないようなふりで立っていた●いつものやうに●蟻の●話はつづいた●朝といえば●太陽が出るか出ないころ●部屋には●隅々にまだ夜明けの暗さが漂っていた●そのおぼろな薄明りの中に●部屋の中央に●仄白いものが●あった●電話が鳴った●どうやってこの話から抜け出す?●どうやってこの部屋から出る?●壁に穴をあけて、そこから出て行く●行くがいい●わたしは●窓ぎわを離れて●机に●歩み寄ると●蟻を●つまんで●ぎゅっと圧しつぶし●ハンカチに包んで●ポケットに収めた●電話が鳴りつづけている●私は受話器を取りあげた●はい?●もしもし?●もしもし?●電話線の向うで●沈黙がつづいた●一分間近くの沈黙が続いた●わたしは●受話器を戻した●うしろでかすかな音がした●半開きになっていた扉のほうへ振りかえった●獣?●その獣は●猿だった●それは●亡霊のように●つぎつぎに現われたが●みんな●おなじ顔つき●うり二つ●そっくり同じだ●いったいお前たちは何者だ?●どうしてここへ来たのだ?●沈黙か?●何でお前たちは黙っている?●なんという不可解な猿なんだろう●話しかけても●それはなにも語ろうとはしない●猿どもは●じっと黙っていた●黙ったまま●立っていた●なぜ黙っている●さあ、黙ってないで言ってくれ●そうすればどこへでもついて行こう●すると猿どもは●あとについて来いという合図をした●どこへ行くのか?●いったいどこへ連れて行くつもりなんだ?●猿どもは●黙っている●箒をもった●一匹の猿が●先に立って歩き出した●猿たちの●あとについて階段を降り●行列に加はって●私はついて行った●猿どもは●ずうっと一列にならんで●黙ったまま●ぞろぞろと●歩みつづけた●獣の歩みにつれて●太陽が●昇ってくる●わたしは●一行の行く所へ何処までも従いて行った●行列は●海を見下ろす海岸の高い道を歩いていた●暫くすると●森に辿りついた●猿どもは●どんどん●森の中へはいっていった●一体どこまで私を●連れて行くつもりなんだ?●森は●たえず登りになってつづく●それを登りつめると、高い丘の頂きに出た●丘の頂上に出た●さびしい場所だった●猿どもは●いつのまにか姿を消してしまっていた●どこへ行ってしまったのか?●気がつくと、ひとりきりだった●ここにはわたしだけがある●ねむけがおそってきたので●わたしは●すこし盛りあがった地面を枕にして●あおむけに横たわり●この光景を眺めていた●真上にある太陽が眩しかった●反り身になって●頭をのけぞらせ●太陽に●陽の光に●身を曝していた●過ぎ去った日のいろんな場面が、つぎつぎに目さきにまざまざとよみがえった●わたしの幼いころの想い出にはいつも太陽がつきまとっている●太陽は●私を●散々な目にあわせた●私は●日の光を見るのが、いやになった●あっ●あれは何だろう?●つぎつぎに●太陽が●昇ってくる●一つ一つ●数えて行く●太陽はますます高くなり●見ていると●太陽という太陽ことごとく●ゆっくり円を描いて●回り出した●すると猿ども●が●また現われ●わたしを●とり囲み●円を描いて●ぐるぐるまわりはじめるのだった●見ていると●いかに父に似たることか●そうだ●父ではないのか?●父よ●父たちよ●同じ一つの顔が●円を描いて歩いている●そうだ●猿どもは●父たちなのだ●わたしへとつながる●父たちなのだ●そうだ●みんな、みんな、この丘に眠っている●遠い祖先なのであった●光の渦●光の輪が●急速に廻転し始めた●すると猿どもは●一匹また一匹と●また消えて行った●光はますます烈しくなり●わたしは●頭をのけぞらした●すると●太陽が●回転を止め●一つまた一つと●空から落ちてきた●太陽という太陽ことごとく●一直線に落ち始めた●苦しい、おお苦しい!●頭が焼ける●頭が焼ける、心臓も●心臓も?●心臓は生きていた●まだ心臓の鼓動が感じられた●心臓の脈管は百と一つある●血管の一つ一つが●波の音になる●心臓は知っていた●永遠に海は呼ぶのだ●ああ●体全体が急激にどんどん小さくなっていく●人間の姿がわたしから奪われて行く●さあ、わが目よ、これが見おさめだ●その目はくらむ●いまに見えなくなる●一段とからだを反らし●両の腕をさし伸べ●私は●ふり返る●海だった●突然、海が見え出した●海が見えた●目を凝らして見ると●海のほとり●波打ち際で●つぎつぎに●土がもりあがり●地雷が●出て来る●どうしてこんなにたくさん?●どうしてこんなに夥しいのか?●それは●地雷が埋めてある●海だった●どれくらいいたのか●夥しい●地雷が●動いていく●ああ、苦しい、苦しい●もうたくさんだ●何もかも●もう●これっきり●これをかぎりの光景●わたしには最後の光●ほら●爆発!●とつぜん●目の眩むような光線が●るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる●電話?●電話が鳴っているのが聞こえる●ぼくは●目をあけた●爆発があった●爆弾?●なんの夢を見ているの?●ん?●ぼくのこと?●ねえ●坊や●教えてくれない?●教会はどちらにあるの?●ん?●どこに?●ぼくに言ってるのかい?●聞こえないの?●聞いてるよ●なぜぼくにそんなこと聞くんだい?●どうして教えてくれないの?●ねえ●どこ?●どこにあるの?●このバスでいいの?●ぼくは知らない●何も知らない●知ってれば教えてあげる●ぼくが知っているのは●せいぜいのところ●こうなったことだ●今日も●また●take the wrong bus●間違ったバスに乗る●ところで●ほかのひとたちは?●ルルル●ルルル●電話のベルが鳴り響いたので●ふりかえって見た●猿が●また●亡霊のように現われた●電話のベルが鳴るたびに●沈黙の●猿が●わたしを●運ぶ●あっ●バスが●角をまがった●ほら●見て●窓のほうに顔をむけた●バスがとまった●ポケットからはバイブルが出て来た●さあ●坊や●どうしたの?●どうしたんだっけ?●ぼく、いったいどうしたんだっけ?●ぼくは?●ああ●ぼくはなにをしたらいい?●ぼくがやりたかったのは……●ああ、そうだ、ぼくは●ぼくは●バスを降りて●戦場に行こう●戦場?●戦場!●戦争だって平ちゃらさ●で●今度のバスは何時?●あっ●電話が鳴った●もういかなきゃ●おら行くよ●さようなら●


Reference
●ノサック『弟』中野孝次訳●ヨブ記四・一六●原民喜『狼狽』●志賀直哉『濁った頭』●原民喜『沈丁花』●志賀直哉『邦子』●志賀直哉『児を盗む話』●ガルシン『四日間』小沼文彦訳●ヨエル書三・一五●原民喜『破滅の序曲』●志賀直哉『城の崎にて』●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十章、鈴木幸夫訳●ヨブ記四・一六●コルターサル『石蹴り遊び』17、土岐恒二訳●コンラッド『ナーシサス号の黒人』高見幸郎訳●志賀直哉『濁った頭』●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十一章、鈴木幸夫訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●バルザック『ゴリオ爺さん』三、水野亮訳●原民喜『雲雀病院』●バルガス=リョサ『緑の家』W・一章、木村榮一訳●川端康成『十七歳』●スタンダール『パルムの僧院』下巻・第二十三章、生島遼一訳●コルターサル『石蹴り遊び』17、土岐恒二訳●サン=ジョン・ペルス『讃』多田智満子訳●原民喜『魔のひととき』●ラリイ・ニュートン『地球からの贈り物』12、小隅黎訳●バルガス=リョサ『緑の家』W・一章、木村榮一訳●オラシオ・キローガ『羽根枕』安藤哲行訳●原民喜『吾亦紅』昆虫●サン=ジョン・ペルス『讃』多田智満子訳●ツルゲーネフ『岩』神西清訳●ヘッセ『デーミアン』吉田正己訳●ゾラ『ナナ』安東次男・関義訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第五章、鈴木幸夫訳●シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第三場、管泰男訳●ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』第U部、水野忠夫訳●ビオイ=カサーレス『豚の戦記』18、荻内勝之訳●ブレイク『天国と地獄との結婚』土居光知訳●ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第V部、高本研一訳●ジュネ『ブレストの乱暴者』澁澤龍彦訳●ギー・シャルル・クロス『あの初恋』堀口大學訳●ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓直訳●ゾラ『ナナ』安東次男・関義訳●ゾラ『ナナ』安東次男・関義訳●プルースト『失われた時を求めて』スワン家の方へ、鈴木道彦訳●カルヴィーノ『むずかしい愛』ある写真家の冒険、和田忠彦訳●ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』下、河島英昭訳●リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第一章、鈴木幸夫訳●ヴァレリー『セミラミスの歌』鈴木信太郎訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第四章、鈴木幸夫訳●『イソップ寓話集』蟻、山本光雄訳●バタイユ『眼球譚』猫の目、生田耕作訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第十八章、鈴木幸夫訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第二十九章、鈴木幸夫訳●ギマランエス・ローザ『大いなる奥地』中川敏訳●プルースト『失われた時を求めて』囚われの女、鈴木道彦訳●箴言八・二七●オースティン『自負と偏見』四三、中野好夫訳●フロベール『ボヴァリー夫人』第一部・二、杉捷夫訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●オースティン『自負と偏見』二〇、中野好夫訳●原民喜『鎮魂歌』●『イソップ寓話集』蟻と甲虫、山本光雄訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第四章、鈴木幸夫訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第六章、鈴木幸夫訳●シェンキェーヴィチ『クウォーヴァーディス』第一巻・第二〇章、梅田忠良訳●オースティン『自負と偏見』四五、中野好夫訳●シュトルム『みずうみ』高橋義孝訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十四章、鈴木幸夫訳●フェリスベルト・エルナンデス『水に浮かんだ家』平田渡訳●原民喜『溺没』●ル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』豊崎光一訳●三島由紀夫『禁色』●ポール・オースター『幽霊たち』柴田元幸訳●ポール・オースター『幽霊たち』柴田元幸訳●エゼキエル書一二・一二●ジョン・ダン『目覚め』篠田一士訳●ヨハネによる福音書一九・二八●シュトルム『みずうみ』高橋義孝訳●シュトルム『みずうみ』高橋義孝訳●オースティン『自負と偏見』二〇、中野好夫訳●レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』北山克彦訳●レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』北山克彦訳●ランボー『七歳の詩人たち』堀口大學訳●ル・クレジオ『モンド』豊崎光一・佐藤領時訳●アーヴィング『ガープの世界』15・ベンセンヘイバーの世界、筒井正明訳●アーヴィング『ガープの世界』13・ウォルトの風邪、筒井正明訳●スタニスラフ・レム『ソラリスの陽のもとに』飯田規和訳●ポール・オースター『シティ・オヴ・グラス』山本楡美子・郷原宏訳●プイグ『赤い唇』野谷文昭訳●プイグ『赤い唇』野谷文昭訳●ノーマン・メイラー『夜の軍隊』第一篇・第一部、山西英一訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第二十一章、鈴木幸夫訳●原民喜『魔のひととき』●ヨハネによる福音書一九・二八●カルヴィーノ『むずかしい愛』ある会社員の冒険、和田忠彦訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第一章、鈴木幸夫訳●アンリ・バルビュス『地獄』X、田辺貞之助訳●ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上、河島英昭訳●ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上、河島英昭訳●オラシオ・キローガ『羽根枕』安藤哲行訳●シルヴィア・プラス『オーシャン一二一二−W』徳永暢三訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●イバニェス『血と砂』会田由訳●マースターズ『丘』衣更着信訳●パヴェーゼ『月とかがり火』米川良夫訳●シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳●アンリ・バルビュス『地獄』Z、田辺貞之助訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳、疑問符加筆=筆者●ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』第T部、水野忠夫訳●ゴットフリート・ベン『ノクターン』生野幸吉訳●プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』佐々木彰訳●トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳●志賀直哉『雨蛙』●ボルヘス『ウンドル』篠田一士訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●フロベール『ボヴァリー夫人』第二部・一、杉捷夫訳●ラリイ・ニーヴン『地球からの贈り物』2、小隅黎訳●オースティン『自負と偏見』二〇、中野好夫訳●シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳●シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳●シェイクスピア『夏の夜の夢』第二幕・第一場、福田恆存訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』1、鼓直訳●ギマランエス・ローザ『大いなる奥地』中川敏訳●ドノソ『ブルジョア社会』木村榮一訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●アンリ・バルビュス『地獄』XI、田辺貞之助訳●シモン『ル・パラス』平岡篤頼訳●リルケ『マルテの手記』生野幸吉訳●原民喜『幻燈』●フォースター『インドへの道』第一部・第四章、瀬尾裕訳●アーヴィング『ガープの世界』13・ウォルトの風邪、筒井正明訳●原民喜『冬日記』●志賀直哉『祖母の為に』●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●トマス・ハーディー『テス』第三部・再起、竹内道之助訳●ラリイ・ニーヴン『地球からの贈り物』2、小隅黎訳●原民喜『暗室』●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十二章、鈴木幸夫訳●サン=ジョン・ペルス『讃』多田智満子訳●ダンテ『神曲』浄罪篇・第七歌、野上素一訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●フィリップ・K・ディック『ヴァリス』10、大瀧啓裕訳●志賀直哉『真鶴』●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十章、鈴木幸夫訳●志賀直哉『真鶴』●原民喜『心願の国』●カルペンティエール『この世の王国』第二部・U・大いなる契約、平田渡・木村榮一訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●ギマランエス・ローザ『大いなる奥地』中川敏訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第十五章、鈴木幸夫訳●セフェリス『わが歴史の神話』十六、秋山健訳●ドノソ『ブルジョア社会』木村榮一訳●オースティン『自負と偏見』四三、中野好夫訳●ヘミングウェイ『二心ある大川その一』谷口陸男訳●オースティン『自負と偏見』四三、中野好夫訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第十二章、大橋吉之輔訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第二十章、鈴木幸夫訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●シェイクスピア『マクベス』第一幕・第三場、福田恆存訳●パヴェーゼ『三人の娘』河島英昭訳●ガブリエラ・ミストラル『夜』荒井正道訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第十七章、鈴木幸夫訳●ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳●トーマス・マン『魔の山』第七章、佐藤晃一訳●トーマス・マン『魔の山』第七章、佐藤晃一訳●ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』第一巻・第二篇・第八、米川正夫訳●原民喜『潮干狩』●ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳●シモン『ル・パラス』平岡篤頼訳●カミュ『追放と王国』客、窪田啓作訳●ベールイ『銀の鳩』第T部、小平武訳●ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第U部、高本研一訳●イバニェス『血と砂』会田由訳●ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』清水三郎治訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●プルースト『失われた時を求めて』スワン家の方へ、鈴木道彦訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●プルースト『失われた時を求めて』スワン家の方へ、鈴木道彦訳●シェイクスピア『マクベス』第五幕・第六場、福田恆存訳●ロブ=グリエ『嫉妬』白井浩司訳●ジョイス『ユリシーズ』13、ナウシカア、永川玲二訳●ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第T部、高本研一訳●クローデル『真昼に分かつ』第一幕、鈴木力衛・渡辺守章訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●ベルトラン『夜のガスパール』第三の書・六・鐘楼下の輪舞、及川茂訳●ベルトラン『夜のガスパール』第五の書・一・僧房、及川茂訳●ガルシン『ナジェジュダ・ニコラーエヴナ』小沼文彦訳●ヨハネの黙示録一九・一七●アラゴン『エルザの瞳』橋本一明訳●ロブ=グリエ『嫉妬』白井浩司訳●トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●ダンテ『神曲』天堂篇・第三十三歌、野上素一訳●シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳●ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』こころ、三好郁朗訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●ヨブ記二六・一〇●プルースト『失われた時を求めて』スワン家の方へ、鈴木道彦訳●ヨハネの黙示録一九・一七●エウリピデス『ヘラクレス』川島重成・家内毅訳●サルトル『嘔吐』白井浩司訳●ビョルンソン『人の力を超えるもの』第一部・第一幕・第六場、毛利三彌訳●ヨハネによる福音書一七・二●ヨハネの第一の手紙二・一三●『ラ・ロシュフコー箴言集』考察V・顔と挙措について、二宮フサ子訳●ロブ=グリエ『嫉妬』白井浩司訳●サルトル『嘔吐』白井浩司訳●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●リルケ『ドゥイノの悲歌』第三の悲歌、手塚富雄訳●マリー・ノエル『哀れな女のうた』田口啓子訳●リルケ『ドゥイノの悲歌』第三の悲歌、手塚富雄訳●サルトル『嘔吐』白井浩司訳●マースターズ『丘』衣更着信訳●ユイスマンス『さかしま』略述、澁澤龍彦訳●ベールイ『銀の鳩』第U部、小平武訳●ベールイ『銀の鳩』第U部、小平武訳●原民喜『幻燈』●ヘッセ『青春彷徨』山下肇訳●ロートレアモン『マルドロールの歌』第六の歌、栗田勇訳●ブロッホ『ウェルギリウスの死』第U部、川村二郎訳●ダンテ『神曲』浄罪篇・第三十三歌、野上素一訳●ヨハネによる福音書一九・二八●スタニスラフ・レム『ソラリスの陽のもとに』飯田規和訳●ヘッセ『魔術師の略伝』西義之訳●クローデル『真昼に分かつ』第一幕、鈴木力衛・渡辺守章訳●セフェリス『ミケネー』秋山健訳●プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方、鈴木道彦訳●マイケル・ムアコック『この人を見よ』第一部、峯岸久訳●アラゴン『エルザの瞳』橋本一明訳●ヤーコブレフ『花むこと花よめ』宮川やすえ訳●シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳●ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳、疑問符加筆=筆者●トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳●オウィディウス『変身物語』巻一、中村善也訳●死神の秘教『カタ・ウパニシャッド』第六章、服部正明訳●シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第四場、大山俊一訳●志賀直哉『真鶴』●ブロッホ『ウェルギリウスの死』第V部、川村二郎訳●ゴットフリート・ベン『唄』U、生野幸吉訳●イェイツ『塔』出淵博訳●ジェイン・アン・フィリップス『ファスト・レーンズ』篠目清美訳●オウィディウス『変身物語』巻二、中村善也訳●シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第五幕・第三場、大山敏子訳●エレミアの書一四・六●メーテルリンク『青い鳥』鈴木豊訳●ゾラ『ナナ』安東次男・関義訳●ゾラ『ナナ』安東次男・関義訳●プルースト『失われた時を求めて』スワン家の方へ、鈴木道彦訳●リルケ『オーギュスト・ロダン』第一部、生野幸吉訳●ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』出淵博訳●原民喜『不思議』●スタニスラフ・レム『ソラリスの陽のもとに』飯田規和訳●ユイスマンス『さかしま』第十一章、澁澤龍彦訳●ロートレアモン『マルドロールの歌』第一の歌、栗田勇訳●プルースト『失われた時を求めて』囚われの女、鈴木道彦訳●ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第T部、高本研一訳●ジョン・ダン『恍惚』高松雄一訳●ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』菅野昭正訳●ジュネ『屏風』第八景、渡邉守章訳●ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』第T部、水野忠夫訳●ホーフマンスタール『人生のバラード』川村二郎訳●シルヴィア・プラス『オーシャン一二一二−W』徳永暢三訳●ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』菅野昭正訳●ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』出淵博訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第三十二章、鈴木幸夫訳●ホーフマンスタール『人生のバラード』川村二郎訳●ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』菅野昭正訳●ガッダ『アダルジーザ』腋、千種堅訳●ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳●メーテルリンク『青い鳥』鈴木豊訳●リルケ『神さまの話』見知らぬひと、手塚富雄訳●イェイツ『女のこころ』尾島庄太郎訳●リスペクトール『家族の絆』バラに倣いて、及川昭訳●ブロッホ『ウェルギリウスの死』第W部、川村二郎訳●オウィディウス『変身物語』巻一、中村善也訳●クローデル『真昼に分かつ』第一幕、鈴木力衛・渡邉守章訳●アイザック・アシモフ『神々自身』第二部・3c、小尾芙佐訳●マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』第二十九章、鈴木幸夫訳●モーパッサン『テリエ館』青柳瑞穂訳●草野心平『春殖』●ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』22、鼓直訳●アーヴィング『ガープの世界』12・ヘレンのできごと、筒井正明訳●ホセ・ドノソ『この日曜日』ある日曜日の夜、内田吉彦訳●ザミャーチン『われら』小笠原豊樹訳●ビオイ=カサーレス『豚の戦記』41、荻内勝之訳●フィリップ・K・ディック『逆まわりの世界』12、小尾芙佐訳●ホセ・ドノーソ『閉じられたドア』染田恵美子訳●タニス・リー『死の王』巻の一・第三部・六、室住信子訳●ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』10、鼓直訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第一部・第四章、大橋吉之輔訳●リスペクトール『家族の絆』財産づくり、高橋都彦訳●ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』23、鼓直訳●リスペクトール『家族の絆』財産づくり、高橋都彦訳●タニス・リー『死の王』巻の一・第三部・六、室住信子訳●エイチ・ディー『キプロスよりの歌』U、安藤一郎訳●コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳●コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳●ビオイ=カサーレス『豚の戦記』28、荻内勝之訳●コルターサル『石蹴り遊び』46、土岐恒二訳●ホセ・ドノーソ『この日曜日』ある日曜日の夜、内田吉彦訳、疑問符加筆=筆者●ハックスリ『恋愛対位法』第七章、朱牟田夏雄訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第十一章、大橋吉之助訳●ルードルフ・アレクサンダー・シュレーダー『餘韻』淺井眞男訳、疑問符加筆=筆者●ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』出淵博訳、疑問符加筆=筆者●アンリ・バリビュス『地獄』XIV、田辺貞之助訳●パスカル『パンセ』第六章、前田陽一・由木康訳●タニス・リー『死の王』巻の一・第三部・六、室住信子訳●アンリ・バルビュス『地獄』XIV、田辺貞之助訳●ジイド『背徳者』第二部・一、淀野隆三訳●ジイド『背徳者』第二部・一、淀野隆三訳●ヴェルレーヌ『三年後』堀口大學訳●エウジェーニオ・モンターレ『蜃気楼』米川良夫訳●三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』●三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』●ボリス・ヴィアン『墓に唾をかけろ』伊東守男訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第十七章、大橋吉之輔訳●リルケ『マルテの手記』生野幸吉訳●アンリ・バルビュス『地獄』V、田辺貞之助訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●ケッセル『昼顔』桜井成夫訳●アンリ・バルビュス『地獄』V、田辺貞之助訳●リルケ『マルテの手記』生野幸吉訳●ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』こころ、三好郁朗訳●ヘミングウェイ『武器よさらば』第三部・第二十七章、石一郎訳●ロブ・グリエ『嫉妬』白井浩司訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第九章、大橋吉之輔訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第九章、大橋吉之輔訳●クローデル『真昼に分かつ』第一幕、鈴木力衛・渡辺守章訳●志賀直哉『山科の記憶』●コレット『牝猫』工藤庸子訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第十三章、大橋吉之輔訳●原民喜『焔』●スタンダール『カストロの尼』桑原武夫訳●リスペクトール『家族の絆』財産づくり、高橋都彦訳●三島由紀夫『禁色』●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●アンリ・バルビュス『地獄』T、田辺貞之助訳●ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第二部・第十六章、大橋吉之輔訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●コレット『牝猫』工藤庸子訳●W・C・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭T、沢崎順之助訳●『エラの神話』第1部、杉勇訳●『エラの神話』第1部、杉勇訳、疑問符加筆=筆者●『エラの神話』第1部、杉勇訳、感嘆符加筆=筆者●G・ヌーヴォー『恋人』福永武彦訳●ボルヘス『他者』篠田一士訳●志賀直哉『山鳩』疑問符加筆=筆者●ロブ=グリエ『嫉妬』白井浩司訳●三島由紀夫『禁色』●ヘミングウェイ『日はまた昇る』第一部・第四章、大橋吉之輔訳●ゴーリキイ『どん底』第四幕、中村白葉訳●ヘミングウェイ『武器よさらば』第二部・第十九章、石一郎訳。

(『陽の埋葬・先駆形』)



表紙-人ごみにはぐれて-きみの色-立春の卵(たまご)-エアロビクス・くねくね-マイクロ・ライト-父の決意-Mについて-球体-光の柱-ハドリアヌス-horseplay-物色-死んでしまっても日の出--硫黄のにおい-鉛の船-水面の墨-冬の木-Spinal Cord / Nappy Sphere Edit.-政治の中のバタイユ 3-ハイパーテキストへ 6-近況集-編集後記

バタイユ・ノート 4
政治の中のバタイユ 連載第3回

吉田裕



第8章 「フランスのファシスム」
 前回のノートで「ファシスムの心理構造」まで辿ってきたのだが、そこまでの過程はある意味でまとまりのつけやすいものであった。というのは、バタイユの活動は、主となる舞台を設定することができていたからである。もちろん彼はほかにいくつか活動の場所を持っているのだが、二〇年代には「ドキュマン」、三〇年代はじめには「社会批評」という場所に集中している。「ファシスムの心理構造」は後者の最終号(三四年三月)に掲載されたものだが、この雑誌以後彼は、少なくともしばらくの間、特定の雑誌に拠るということがない。前述のように彼は「ミノトール」(第一号が出るのは三三年五月)に協力するが、シュルレアリストたちに乗っ取られる。彼が自分の雑誌らしいものを持つのは、三六年六月に第一号が出る「アセファル」にいたってである。だがアセファルも薄い雑誌で、五号までしか出ていない。一方彼はかなりの量を書いており、それらは様々の小さな雑誌に寄稿というかたちをとっている。したがって、社会学研究会の講演などいくつかの集合の場合を除いて(だが三七年から三九年の活動を、社会学研究会だけに絞ってしまうのもまた間違いなのだ)、特定のテーマを持続的に追求するということはなされていない。だが草稿のたぐいは多く残される。それらは、後年になっても書物にまとめられることはない。要するにこの時期のバタイユの活動は、混沌としており、それを跡づけるのは容易でない。バタイユとはこの混沌なのだ。だがバタイユを読もうとする限りは、そこに道筋を設けてみなくてはならない。それは仮説にすぎないが、仮説だということを肝に銘じ、必要なときにはいつでも混沌に戻しうる姿勢を保ちながら、それを追求するほかない。
 いくつか考えられる仮説のうちで、まず妥当なのは、全集という形で提出されたものだろう。少なくともすべてを網羅的しているからだ。第II巻はこの時期の草稿類を集めたものだが、その中の「社会学的試論集」と名付けられた一群の草稿が、私たちの関心を引く。この表題はバタイユ自身がひとまとめにしてその束の上に書き付けておいた名前らしく、それだけに必ずしも主題は統一されていないが、そのなかに私たちの目下の導きの糸であるバタイユのファシスムへの関心を照らし出すものがある。そこに収められた草稿は「ファシスムの心理構造」の後に続くものであるらしい。前述のようにバタイユは「フランスのファシスム」という表題の書物を計画したが、そこには同題の草稿がある。草稿は題名のないままで、これは編者がつけたものであるが、確かにこの書物の冒頭部分であるようだ。あるいは「ファシスム定義の試み」と名付けられた草稿がある(いずれも未訳)。
 前者は、ファシスムを、その起源であるイタリアから説き起こし、ドイツに至るというように、ファシスムの総体をとらえようとする試みだが、彼が最初におそらく計画したであろうようにフランスにおけるファシスム的傾向の分析と批判にまでは至っていない。そしてイタリアおよびドイツのファシスムの分析は、後にアセファルに発表された「ニーチェとファシストたち」におけるムソリーニに関する部分などに現れることになる。しかしながら、この草稿にあらわれて興味深いのは、ファシスムとコミュニスムを比較した部分である。この二つの政治体制をどのように比較し評価するかは、周知のように、この時期バタイユにとってに限らず重大な問題だった。彼の立場も、視点により常に同じではないが、この論文では、二つを同一視する視点を提出している(同じ時期に書かれたとおぼしく、同じ「社会学的エッセイ」の中に収録されている「ファシスム定義の試み」では、二つを混同すべきでないと言われているが)。
 それはバタイユによれば次のようである。まず現象として、イタリア・ファシストは、社会変革の契機を作るものとして暴力組織を置くなど、ボルシェヴィキのやり方を学んでいる。生産体系の違いは問題にならない、とバタイユは言う(経済的側面を従属的なものと見なす――反対に心理的側面を重視する――バタイユの傾向が見えるところでもある)。彼が着目するのは、コミュニスムの側における変質である。ボルシェヴィスムとファシスムほど対立し合うものはない。だが類似は起こった。それは〈ボルシェヴィキたちが、自分で引き起こしておきながら制御できないプロセスがあったからだ〉。それは宗教化である。その象徴はレーニンのミイラであり、次にスターリンへの個人崇拝が始まる。ソ連は「労働者の祖国」となり、ついには「労働者の」という限定すらなくしてただの「祖国」となる。〈しかしもし、もっとも執拗な抵抗も・・君主的な制度が発達するのを押しとどめられないとするならば、その場合、大工業社会のカオス的な変容を支配する、死んだレーニン、ムソリーニ、ヒトラー、スターリンといった指導者にして神のごとき存在の、ほとんど信じられないほどの古代的なありようは、何を意味するのだろうか?〉(第六節)。この権力化、宗教化、ファシスム化は、労働運動の勝利によっても起こる。感情も風俗も科学も、すべては、「神」に対する従属に置き換えられてしまうのである。
 次の「ファシスム定義の試み」は、「フランスのファシスム」と一部かさなるところがあり、後者を延長して定義にまで近づけようとしたものだろう。そこでバタイユは、ファシスムを〈一人の頭領に従属するところの軍事的構成を持った党派〉だとしている。軍事性とは、単に武装的勢力であることを指すのではなく、これがバタイユが最も重要視する点なのだが、他に対して情念的に絶対的に従属するという存在の仕方である。それは究極的には、指導者を経て、神の存在を受け入れることである。このような意味での軍事性が、ファシスムの本質をなしていることは、「ニーチェとファシストたち」周辺のファシスム論でも繰り返し強調される。
 むろん違いがすべて無視されるわけではなく、「ファシスム定義の試み」では、実際のコミュニスト活動家をファシストと混同することを厳に戒めているが、思想的な問題としては、ファシスムとコミュニスムが、ともに奇怪な宗教性を持って現れたことを批判的にとらえようとしていると言える。同じ時期彼は、政治的関心と並行して宗教への関心を深めていて、その立場から、ファシスムとコミュニスムに表れたこの奇怪な宗教性は批判されるが、また反対に前者にもこの批判は反映することになる。

第9章 三四年二月から『青空』まで
 強力な工業力を持ったドイツでファシスト政権が成立したことは、当然ながら民主共産主義サークルにも、深甚な影響を与える。眼前に勃興しようとするファシスムにどう抵抗するか? これをめぐってサークル内で意見の相違が明らかになってくる。これは主に、議会制度のなかで反ファシスム闘争を拡大していこうとする一派と、ドイツでの左翼の敗北を鑑みて一層強力な武装闘争を組織する方向にゆこうとする一派の対立が明瞭になってくる。スヴァーリンは前者の主張を持っていたらしいが、それによって全体をまとめていくことはできなくなっていったようだ。バタイユは、「消費の概念」で明らかにされた主張、すなわち生産に還元されない消費が人間の根本であるという主張を、革命の問題に病理的な傾向を持ち込むことだと批判され、どちらのグループからも排除されていたらしい。その頃、すなわち三四年二月六日に、前述のようにブルボン宮前で、右翼による騒擾事件が起こる。二月一二日には、この騒擾事件に対抗して、社会党と共産党、それにこれらの政党に近い労働組合が合同し、ゼネストとデモが計画される。ゼネストには一〇〇万の労働者が参加し、一〇万人がヴァンセンヌからナシオン広場までデモを行った。これをきっかけとして社共の統一行動が模索され、二年後の三五年七月一四日の革命記念集会で急進社会党、社会党、共産党、それに労働組合、人権同盟、反ファシスム知識人監視委員会などを含めて、「人民の結集 rassemblement populaire 」が結成される。そして翌三六年一月に上記の三つの政党を含めて人民戦線綱領が合意され、五月の総選挙を経て、六月五日にブルムを首班とする人民戦線内閣が成立する(しかしこれが崩壊するのは、わずか一年後の三七年六月二二日である。その後ブルムは三八年三月に第二次の人民戦線内閣をつくるが、熱気はもはや消えており、今度は一月で崩壊する)。
 この時期、フランスの国内からすると、戦争は抑止され、社会は漸進的にだが改革されつつあると見えたようだ。三四年二月のゼネストとデモは、左翼がまだ力量を持っていることを示し、人民戦線は結成され、政権についたからだ。この政権によって、週四〇時間労働法、年間休暇法が可決され、労働組合の交渉権が認められ、他方で「火の十字架団」をはじめとする極右の四団体に解散命令が出される。これらブルムの実験と呼ばれる施策によって、時代はある意味では希望を信じ得るものと映っていた。
 だがそれらを背景に置いてみると、バタイユの書き残したものはいかにも対蹠的である。それらのなかで政治的な文脈の上で読むことのできるもの(もちろんほかの文脈で読むことを排除するものではない)が、まず目につく。それらは論文かフィクションか、あるいは公刊されたか草稿のままかの区別によって全集の各巻に分別されているが、「ファシスムの心理構造」「フランスのファシスム」「ファシスム定義の試み」以後を政治的関心という視点から連ねてみると、第II巻の「一九三四年―一九三五年」の項にまとめられた「ゼネストを待ちながら」「人民戦線の挫折」「予感」が来る(いずれも未訳)。このあとに位置させるべきは『青空』であろう。三四年初頭の動乱を受けて民主共産主義者サークルは崩壊するが、その中でもみくちゃになったバタイユは、三五年の五月のほぼ一月の間、当時フランス国境に近いスペインの寒村トサ・デ・マルにアトリエを開いていたアンドレ・マソンのところに避難し、そこでこの小説を書くからである。
 最初に検討すべきは、「ゼネストを待ちながら」であろう。これは「フランスのファシスム」に加えるつもりで書かれたもののようで、ゼネストをはさんで前後三日間、すなわち二月一一日から一三日までの記録、いくつかの項目に分けられた覚え書である。前日のバタイユは、ゼネストの設定が、間に週末があったものの、遅すぎたのではないかと考え、ストがあまり激しくなると、ブルジョワを不安がらせ、右翼勢力を利するから避けた方がいいのではないかと書く。しかしその後の記述には、ストが激烈になることを期待しているような部分が目につく。だが実際にはストは大した混乱なしに終わる。彼はヴァンセンヌ広場で共産党のデモに出会うが、その赤旗を持って先頭に立っていた髭面の労働者に〈悲惨が壮麗さに達している〉のを見て感動する(この労働者のことは一年後の「街頭の人民戦線」の中でも言及される)。ドイツとオーストリアのプロレタリアは一撃で倒されたが、フランスではそうではあるまい、と彼は考える。夕刻になって彼は、クノーら何人かの友人と議論し、概ね成功だったという評価を下す。しかしこれらの印象は、常に悲観的観測と一体である。前日彼は、〈いずれにせよ、ファシスムが発展するプロセスは始まっており、一般的な状況はそれに有利になっていることを忘れてはならない。すぐに収まったとしても、それは決して終わりを意味しない〉と考える。そしてストのあとでも次のように書き付ける。〈しかしながら、統一は、実現されたとしてもつかの間のものだろうし、有用となってファシスムとははっきり異なって区別され得るような組織を作ることに導くというものではあるまい。なぜなら、政府が窮してファシストと戦わざるを得なくなったとき、社会主義者たちは、政府を支えようとする誘惑に抗しきれないであろうからである。そしてもし統一が持続的であるとしても、二つの政党が合わせた力は、ファシスムの道をふさぐのには、まだ十分ではあるまい〉。
 もう一つの「人民戦線の挫折」は口頭での報告、あるいは演説の原稿らしいが、いくらかわかりにくいところがある。タイトルは消去されたものを全集の編者が復元したものらしいが、「人民戦線」という表現が表れるのは、いつ頃だろうか? 左翼諸政党の合同が模索されはじめるのは、三四年二月一二日をきっかけとしてだが、この集合は三五年七月一四日の革命記念集会までは「人民の結集 rassemblement populaire 」と呼ばれていた。「人民戦線」の名が公式になるのは、三六年一月の「人民戦線綱領」の締結によってである。一方バタイユのこのノートが書かれたのは、それが「一九三四―一九三五」という項目の中に収められ、さらに三五年五月のマソン宅への滞在中の覚え書である「予感」よりも前に置かれていることをみると、三五年春以前ということになるのだろうか。その時点で「人民戦線」の名前がささやかれることがあったのだろうか? さらにその「挫折」が語られるとは何だろうか? だがこの論文には多少の不明を越えて、興味深い点がある。それは次のような箇所である。

〈……社会的な動揺は、人間の深みから来る動揺と切り離されえない。もしこのように切り離されないものであるなら、政治的な出来事は、プロパガンダの持つどんな明快さとも異質であるような注意力を求めてくることになるだろう。直接的な現実が観察からもれることはなくなる。そしてデモクラシーの世界での内部的な動きは、狭い限界内にあることが見えてくる。同時に、視野は開放され、地平は開け、そしてさまざまの衝突のなかで賭金となっているものの大部分が、本当はあまりにも実際的な利得や挫折と結ばれているものではないことがわかってくる〉

 政治的なものが、本当は人間のもっとも奥底にあるものと結ばれていることがわかってくる。同時にこのように結ばれることで、政治的なものがただ政治的ではない相貌を持つことになる。私がバタイユのなかで一番惹かれるのは、このように「社会的な」ものと「人間の深み」を直結させ、それによってその双方のありようを変えていこうとする試みである。この研究ノートは政治的な問題を設定しているから、関心を「社会的な」面に集中させてきたが、バタイユには自分の政治的関心が、良くも悪くも政策論議には収まらないことは明らかに見えていた。それはたぶん、彼が、政治が政策として表れざるを得ないことを熟知しつつも、それを「内部的なもの」へと読み変えようとしてきたからである。
 また読み変えへのこの要請は、彼が予感していたように、デモクラシー世界の脆弱さとファシスムの執拗さが明らかで、ファシスム的な世界が到来し、政策的政治のレベルでの可能性をすべて奪われたときに、自分の内的な根拠をどう持つかのための密かな準備だったとも言える。「人民戦線の挫折」という草稿の断片がどのあたりに位置づけられるのかは明確でないとしても、この時期バタイユの関心が、持続的に、「社会的な」ものと「内部的な」ものの結合にあったことは確かである。明らかな証拠は『青空』である。
 ここでは『青空』の全体を取り上げることはできない*1。またそれはフィクションの作品であって、フィクションとしての読み方を求めてくるが、それでも半ば政治的な領域に身を浸した作品であり、その分では政治的に読むことができる。とりわけこの「政治」が、今見たように「人間の深み」に向かって読み変えられようとしているとすれば、なおさらのことである。いやそう読み変えようとしていたからこそ、『青空』のような作品が書かれえたのだ。この作品では、「政治」の側からの変容は、左翼の活動家であるラザールを通して展開され、「人間の深み」の側からの変容は、ダーティを通して進展する。そしてそれは最後に、星空を足下に見ることに表されているように全体的な転倒を成し遂げ、それまで不可能だった交接を成功させるが、この成功は「社会的な動揺と人間の深みから来る動揺」を結びつけ得たことにほかならない。
「政治的なもの」のこのようなありようを、フィクションにすぎないと批判し貶めるのは間違っている。なぜなら、読み変えと変容を経たとき、それは単純に現実的なものであるという様態を遙かに越えていくものであるからだ。

第10章 コントル・アタック*2
 おそらくは『青空』を書くことで、バタイユは気力を取り戻したのである。彼はパリに戻り、二九年以来仲違いしていたブルトンとの関係を修復し、知識人を反ファシスム闘争のために結集させようとする。反ファシスムの知識人組織としては、すでに三四年の騒擾事件直後に、ブルトンの呼びかけ(「闘争への呼びかけ」)をきっかけにしてアランやマルローが参加した「反ファシスム知識人監視委員会」があり、この団体は、人民戦線の発端となる三五年七月の「人民の結集」に一役を買う。だがそれはブルトンにとって満足のいく活動とはなっていなかったようだ。九月バタイユとブルトンは和解し、「革命的知識人同盟」という但し書きのついた「コントル・アタック(反撃)」というグループを結成する。ブルトンの側からペレ、エリュアールなど、バタイユの側からアンプロジーノ、クロソウスキー、デュビエフ、エーヌなどが参加する*3。一〇月七日に宣言が出される。この宣言の執筆は、ほぼバタイユによるらしい。宣言は二度出され、最初の署名者は一三名、二回目には二五名が加わる。後の参加者をいれ、最大限に見積もって七〇人ほどで、それほど大きな団体ではない。
 この組織の実際面での活動を簡単に振り返ってみる。知識人の組織であったせいか、あるいはブルトンとバタイユという相反するグループの糾合であったせいか、またデュビエフによればシュルレアリストの世代とそれより若い研究者世代の食い違いもあってか、活動が跛行している感は否めない。三五年とは、人民戦線の結成が模索され、綱領の合意に向かって進んでいるときだった。設立宣言を見ると、コントル・アタックが共和政民主主義と議会を激しく批判し、直接行動を求めるものであることがわかるが、にもかかわらず、三六年二月ブルムがアクシオン・フランセーズの青年に襲撃された事件に対して、社会党を中心にした抗議行動が行われると(一七日)、それに参加している。それに公開の集会が二度、ビラで宣伝されているように「祖国と家族」「二〇〇家族」のテーマで、三六年一月五日と二一日に開かれている。ついでながら言うと、コントル・アタックの実践的な行動はこれが全てである。
 そしてすぐさま分裂がくる。原因はいくつかあるようだ。コントル・アタックの結成に当たって、ある雑誌からインタビューを受けたブルトンが、あたかもそれが自分のイニシアティヴによるもののようにふるまい、また「設立宣言」が実際はバタイユの起草であるのを知っていながら、同年一一月に出版した自分の著書『シュルレアリスムの政治的位置』に収録する。これは主導権争いと言えるかもしれない。またブルトンとバタイユの性格上の相容れなさは、一夕で改善されるものでもなかった。直接のきっかけになったのは、バタイユに近かったドトリーが起草し、同意を得ないままブルトンを署名者としてしまった三六年三月のビラ「フランスの砲火の下で」に、次のような一節があったためらしい。〈何はともあれわれわれは、外交官と政治家たちのしまりのない興奮ぶりなどよりも、ヒトラーの反外交的な粗暴さを好む。なぜなら実際はそのほうが平和的なのだから〉。この言い方が「超ファシスムsurfascisme」だとして、ブルトンたちとの間の亀裂は決定的なものとなる。だがすぐあとに見るが、分裂の理由は、もっと深い思想的なところにあったと言うべきである。バタイユの側もこの時に早くも分裂を覚悟したらしい。同じ三月、ドイツ軍のラインラント進駐とそれに対する政府あるいは共産党の対応に抗議して出された、今度はバタイユ自身の起草になるパンフレット(これにもブルトンの署名があるが)、「労働者諸君、君たちは裏切られた!」に、「反神聖同盟委員会」という新しい組織の結成を示唆し、それへの参加を求める広告を添付しているからである。時期的に言うと、同じ五月にコントル・アタックに予定されていた機関誌「コントル・アタック手帖」の創刊号が出て、そこにバタイユは「街頭の人民戦線」をはじめとする重要な論文を載せているが、その時にはコントル・アタックの分裂はもう明らかだった。むしろそれはすでにコントル・アタックの限界を越えようとするところで発想されていたように見える。
 コントル・アタックは、左翼諸政党に対して強い批判を持っていたが、それでも人民戦線の結成に向かう思潮のなかで誕生したのは確かである。だがそれは人民戦線が政権を取るとほぼ同時に崩壊する。シュリヤは評伝で、〈人民戦線の成立およびコントル・アタックの内部分裂が、この運動を理由づけていたものを乗り越えてしまった〉と書いているが、内部分裂は別にして、人民戦線が成立したためにコントル・アタックが不要になったということはあるまい。コントル・アタック――少なくともバタイユの――が目指したのは政権の問題ではなかった。それは「街頭の人民戦線」という論文の題名が十分に示しているところではないか。
 バタイユはこの活動のなかで集中的に論文を書いている。それらは全集第I巻に収録され、一一の項目を数えるが、三つに分類できるようだ。第一に分類されるのは、設立に関わる文書で、三五年一〇月七日付けの「設立宣言」および、同盟員がそれぞれの立場から主張を公表する著作の広告「コントル・アタック手帖:紹介パンフレット」である。第二に、集会や行動への参加を呼びかけるビラの一群が来る。「コントル・アタック:祖国と家族」「二〇〇家族」「ファシストどもはブルムをリンチした!」「行動への呼びかけ」、そして先ほど触れた二つのビラ「フランスの砲火の下で」「権利と自由のための戦争を忘れていない人々に:労働者諸君、君たちは裏切られた」がそうである。これらは無署名かあるいは共同署名だが、実際の起草者は多くの場合バタイユであるらしい。第三は、三六年五月の機関誌「コントル・アタック手帖」の唯一の号に掲載された「街頭の人民戦線」「現実の革命を目指して」「戦争についての付加的ノート」の三つの論文である。これらはかなり長く、詳細なもので、バタイユが単独で署名しており、彼の考えを知る上で重要なものである*4。私たちはこれを今しばらく検討しなくてはならない。

*1 この作品を筆者がどう読んだかについては、「星々の磁場」(ユリイカ、一九九七年、七月号)を参照していただきたい。すべてを細部まで尽くしたわけではないが、見方の総体を示すことはできたと思う。
*2 コントル・アタックに関しては、シュリヤの評伝のほかに、参加者の一人であったアンリ・デュビエフ(一九一〇生)の回想記「コントル・アタックについての証言一九三五ー三六Temoignage sur Contre-Attaque (1935-1936), Texture,no6,1970」を参照した。デュビエフは後に歴史学者となる。彼の著書で私が持っているのは、Seuil社から出ているPoints叢書のなかの「三〇年代の危機La Crise des annees 30」(Dominique Borneとの共著)だけで、これは概説書だが、左翼運動の様相をよく伝えているように思える。コントル・アタックにに関する叙述があり、当時の左翼の中の位置づけを知ることができる。
*3 マソンとレリスのいずれも参加していない。マソンは元々政治嫌いで、またマルクシスムの理論に対して批判的であった。三五年一一月八日付けのバタイユに宛てた手紙で次のように書いている。〈マルクシスムに立脚するなにもかもが薄汚いことを僕は確信している。なぜならこの教義は人間に関する誤った考え方に基づいているからだ。――僕にとって人間は、それ自体である一つのレアリテだ(わざと強調して言うが)。マルクシストにとっては、人間は機能にすぎない(何かとの関係においての・・・だけど何との関係においてだ? 環境さ! つまりあらかじめ作られて、深い現実性なしの環境とのね)〉(Andre Masson, Le Rebelle du surrealisme, Herman, 1976)。またレリスは、コントル・アタックをユトピア的か、悪ふざけにすぎないと考えていた。
*4 以上に挙げた論文やパンフレットのうち、「設立宣言」「コントル・アタック手帖:紹介パンフレット」「行動へ呼びかけ」「権利と自由のための戦争を忘れていない人々に」は、『シュルレアリスムの資料』(思潮社、一九八一年)に訳出されている。他は未訳。

第三回終わり



表紙-人ごみにはぐれて-きみの色-立春の卵(たまご)-エアロビクス・くねくね-マイクロ・ライト-父の決意-Mについて-球体-光の柱-ハドリアヌス-horseplay-物色-死んでしまっても日の出--硫黄のにおい-鉛の船-水面の墨-冬の木-Spinal Cord / Nappy Sphere Edit.-政治の中のバタイユ 3-ハイパーテキストへ 6-近況集-編集後記

ハイパーテキストへ(連載第6回)

長尾高弘



 前の号は休んでしまってごめんなさい。別に書くネタがなくなったわけではないのだが、書くヒマがなかったのである。特に懺悔のネタは、決してなくならないところが悲しいところだ。1回抜かした分、少々古い話題になるが、『るしおる』29号(書肆山田, 1996年11月)の清水哲男さんの「蛍の頭 4」に、清水さんが引用した大村浩一氏の文章のなかにさらに引用されている私のメールというものがあって、そのなかで私は日本には大学や読者のページがないと言っている。
 問題のメールを書いたのは、去年の夏頃だったと記憶しているが、『るしおる』が発売された11月頃には、すでにこの見解が誤りだということはわかっていた。特に国文学関係の電子テキストの蓄積は、現在のインターネットの普及度を考えれば、かなり進んでいると言ってよいだろう。福井大学の岡島昭浩さんが作られたリンク集(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/bungaku.htm)は、それらの電子テキストを一望のもとに見渡せるすばらしいものになっている。先ほどの引用されたメールのなかで、私はないものの例として万葉集を挙げているが、万葉集については検索機能付きのページが少なくとも2つあることがわかる(http://dtkws01.ertc.edu.yamaguchi-u.ac.jp/~kokugo/search.htmlhttp://www.kyu-teikyo.ac.jp/~ichikawa/ltdb/index.html)。近代以降でも、中原中也については、長崎大学の中原豊さん(http://133.45.168.7/chuuya.htm)が初期短歌、『山羊の歌』、『在りし日の歌』の完全なテキストを公開されている。
 岡島さんのページからリンクされているページをいくつか見てみると(とうてい全部は見切れないのだが)、国文学畑の人々のページは互いによくリンクされていることがわかった。短歌関係のページも相互リンクされている(俳句関係はそうでもないようだ、などと言って新たな懺悔のネタにならなければよいが...)。そして、私のリンクページに含まれている(現代)詩人のページも、相互リンクされている。しかし、分野が少し違うと、個人ページのリンク集には限界が出てくる。問題のメールを書いた頃の私のホームページ探しは、主としてそれらのリンク集(それと登録系検索エンジン)に頼っていたので、ちょっと分野の異なるページには気付かなかったのである。
 それでは、何かほかの手段はないのだろうかと言えば、もちろんあって、それはいわゆる検索エンジンというものである。検索エンジンには、大きく分けてロボット系と登録系の2種類がある。ロボット系のエンジンは、自動的にあちこちのページにアクセスして情報を蓄積するのに対し、登録系のエンジンは、ホームページのオーナーが自分のページの情報をエンジンに提供する。当然、ロボット系のエンジンの方が蓄積している情報は多いが(しかし、それもロボットプログラム次第である)、登録系のエンジンは、オーナーが分類、メッセージなどを書いているので、情報の精度が高い(かもしれない)。問題は、どちらも数種類ずつあって、どれを使うか迷うというところである。
 このような悩みは、Asai Isao氏の「検索デスク」というページ(http://www.bekkoame.or.jp/~asaisan/)に行けば、かなり解消される。このページを使えば、1つのキーワードで複数の検索エンジンを呼び出すことができる。それだけではなく、どこのエンジンが強力で、どこのエンジンの登録数が多いか、といったことも説明してくれている。
 「検索デスク」を見て以来、私は、日本語関連ではgoo(http://www.goo.ne.jp/)、海外ではHotBot(http://www.hotbot.com/)を愛用するようになった。どちらも、それぞれの分野でAsai氏が検索力トップと評価しているロボット系サービスである。ロボット系のエンジンは、ほんのちょっとでもキーワードが含まれているページを律義にリストアップしてくるので、はっきり言ってゴミ情報が多い。そのことはロボットプログラムの開発者たちも考えているらしく、goo、HotBotは、ともに何らかの基準に基づいてページにランクを付け、それを%表示してくる。しかし、ランクが高いからといって、期待通りのページが出てくるとは思わない方がよいようである。当たりのページを見付けるまで、いくつものページをクリックしなければならない。かなり根気のいる作業になる。しかし、あれこれの人名をキーワードとして検索してみると、それなりに面白いページが見付かる。
 たとえば、ブラジルのギタリスト、Ziqueさん(http://www.netserv.com.br/zique/)のページのディスコグラフィには、Gozo Yoshimasu and Ziqueの"The moan close my face is a fish"というものが含まれている。moanがmoonの間違いだとすると、『死の舟』(1992年、書肆山田)に収録されている「わたしの貌のよこの月は魚だ」のレコードなのだろう。また、カトマンズポスト(The Kathmondu Post)のあるページ(http://www.south-asia.com/Ktmpost/1996/Dec/Dec18/dec18-lc.htm)には、「日本詩の大御所、谷川俊太郎と新世代の代表的な詩人、佐々木幹郎が来た」という記事が掲載されている。これからは、海外に行ったからといって、地元の新聞記者に「最近の日本の詩の大半は、リアリティがないねー」などとうかつに言うと、日本の端末からばっちり見られてしまうのである。
 詩の読者のページも、gooで見付けることができた。川端秀人さんのページ(http://server1.seafolk.co.jp/~kwbt/)は、「詩を読もう 私家版現代詩の歳時記」と題して、毎月、詩を1つずつ取り上げて、それらの詩にまつわる思いをエッセイにしているというページである。6月分は、田村隆一「保谷」を取り上げているのだが、エッセイは、岡田隆彦の訃報に接し、突然北海道から九州に電話をかけてきた友人の話から始まっている。その友人は、「周りを見てもさ、岡田隆彦なんて誰も知らないしさ…」と言っているが、川端さんの文章を読むと、逆に「彼の死に感慨を覚える人間があちらこちらにいるのだ」ということを確認させてもらえる。詩を読んでいてよかったなと思うページである。
 読者のページでは、もう1つAkira "Kevin" Koyasuさんの「吉岡実の世界」(http://userwww.aimnet.or.jp/user/akirakoyasu/yoshioka.html)というページもある。Koyasuさんは、このページで、「彼がどれくらい世の中に知られた詩人であるのか僕は判りません。正直、20年前に買った詩集「サフラン摘み」以降に彼がどんな創作活動をしてきたのか、或は現在も存命なのかそれさえも知らないのです。」 と書かれているのだが、私はつい、吉岡実は90年に亡くなったとメールしてしまった。Koyasuさんからは、ありがとうという返信をいただいたが、あんなメールしなければよかったのではないかと今でも少し後悔している。
 研究者、読者のページがあることはわかった。しかし、最近、これら以上に増えているのは、出版社や書店、古書店のページである。gooで詩人の名前をキーワードにして検索すると、ほとんどかならず古書店のカタログページに行き当たる。古書店業界はもともとカタログによる通信販売が盛んだったと聞いたことがあるが、インターネットはこの方向に拍車をかけるのではないかと思う。カタログを印刷、製本することを考えれば、テキストファイルをHTML化する方がはるかにコストは低いだろうし、まめに更新することもできる。インターネットなら検索機能を付けることもできる。買う側から言っても、サーチエンジンで目的の書名や著者名で検索すれば、あちこちの古書店の在庫がわかるわけだから、便利である。インターネットがTVのように普及するのはまだ先のことだろうし、それまでは従来の形態との併用ということになるだろうが、有望な形であることに違いはない。
 新本の方は、Book Stacks Unlimited(http://www.books.com/scripts/news.exe)を初めとして、アメリカにはかなり多くのインターネット通販書店がある。ユーザー登録して、籠に本を入れていって、最後に購入、配送手続きをする。日本では、このような形で気楽に本を買えるサイトはあまり見かけなかったのだが、最近、図書館流通センター(http://www.trc.co.jp/trc-japa/index.htm)が同じようなシステムを持っていることを知った。思潮社、書肆山田などの詩書もかなり登録されている。まだ、ぱろうるの方が品揃えでは上回るようだが、気楽にぱろうるに行けない地方在住者にとっては便利なサービスだろう。
 そして出版社。すでに七月堂のホームページがあることは本誌20号でお伝えした通りだが、今年の5月21日には、書肆山田もホームページをオープンした。オープンした、などと他人行儀に書いたが、実は、このホームページの作成には、縁あって私も参加させていただいた。そういうわけで、あまり詳しく書くと自慢話になってしまいそうなのだが、このページでは、品切本を含めた書肆山田刊行書の大半について、目次、表紙イメージを含む詳細な情報を提供している。
 ところで、冒頭でも紹介した清水哲男さんの「蛍の頭 4」に引用されている大村浩一氏の文章に引用されている私のメールメッセージには、「日本のリンクは詩人自身が発信しているものが多いのに対し、海外のリンクは大学、出版社、読者のリンクが主です(註: 私のリンク集に含まれているサイトの説明なのでこういう言い方になっている)。鈴木志郎康さんのような一線級の詩人が、自身で発信しているものは、あまりないと思います」と書いてある。海外に詩人本人のサイトがどれだけあるかはよくわからないが、日本の詩人のサイトは、その後も急速に増えている。特に、『列島』に所属していた井上俊夫さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yp5k-tkn/)のような大ベテランが自らホームページを開いておられるのはすばらしいことである。そのほか、このシリーズでまだ紹介していないページとしては、山内宥厳さん(http://www.asahi-net.or.jp/~be5y-ymnu/gsjd1.html)、奥村真さん(http://www.freepage.total.co.jp/oku/)、渡辺洋さん(http://www.catnet.or.jp/f451/)、谷内修三さん(http://www.asahi-net.or.jp/~kk3s-yc/)、榎本恭子さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yk8k-imd/seishikyutai1.html)のページがある。また、鈴木志郎康さんが「詩の電子図書室」として、清水哲男『スピーチバルーン』、辻征夫『ボートを漕ぐおばさんの肖像』、八木忠栄『にぎやかな街へ』の全篇と恩地妃呂子、奥野雅子、川本真知子さんの詩誌『Intrigue』の第1号を紹介している。清水鱗造さんは、「うろこ通信」というセカンドページを持っており(http://www.asahi-net.or.jp/~cq2k-ktn/fcv/uroko.html。清水さんは、Nifty-ServeのFCVERSEというフォーラムにSHIMIRIN's ROOMというスペースを持っており、うろこ通信のページはそこと直結しているわけである)、ここには、倉田良成さんの『解酲子飲食』、夏際敏生さんが亡くなられる直前まで書かれていた日記が掲載されている。逆に、園下勘治さんのページはなくなってしまった。インターネットのページは生きているので、死ぬこともあるのだ。
 さて、1回抜かしてしまった分、ネタの方も1回分ほど遅れてしまった。実は、私が今一番力を入れているのは、エキスパンドブックというものである。従来は、ホームページからダウンロードできる詩集、詩誌の媒体として、このシリーズの発端となったWindowsヘルプというものを使っていたのだが、エキスパンドブックを知ってからはこちらに乗り換えつつある。次回は、このエキスパンドブックについて取り上げることにしたい。


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〈近況集〉

吉田裕
 新聞のコラムで次のような記事を読んだ。<まるで魔法にかけられたような冬だった。頭で何か考える前に、スケートが動く。氷の上で風になったような気分だった>(朝日新聞九七年三月三日朝刊のスポーツ欄)。これは一九八〇年、レークプラシッドでの第一三回冬季オリンピックで、一人で五個の金メダルをとったエリク・ハイデンの言葉である。彼は自分のいる場と一体と化している。
 同様の例をもう一つ。アンジェイ・ワイダは『灰とダイヤモンド』の撮影にはいる前に、次のような出来事があったと語っている。<チブルスキーがやってきて言うのです。「ああ、アンジェイ、なんだか知らないがとても気分がいいよ」。これを聞いて、この映画はうまくいくと確信しました。私の映画生活の中でもただ一度のことでした>。これもまた、俳優が映画という場と一体と化していることを示している。エリク・ハイデンと同じく、チブルスキーはあたかも魔法にかけられたように、風になったようにスクリーンを駆け抜けた。そのことは『灰とダイヤモンド』という作品があかし立ており、この場合ありがたいことに、私たちはそれを繰り返して見ることができる。僕はこのような出来事に興味を引かれる。

田中宏輔
あと、2つ、『陽の埋葬・先駆形』を書いたら、しばらく中断して新しいシリーズを展開していくつもりです。夏休みは、詩集『陽の埋葬』上梓の準備に忙しくなりそうです。これまで、本誌や、ユリイカ、現代詩手帖、BARAMADO、P&T 、ベルヴァーグ、オラクルなどに掲載された作品の中から、できる限り多くの作品を選び出して、収録したいと思っています。しかし予算との兼ね合いで、たくさんの作品を割愛しなければならないでしょう。4〜8ページの作品が大部分なので、今夏は、その作品の選択と構成に、ずいぶんと頭を悩まされることでしょう。4月から句会に参加してます。〈蟻ほどの大きさの人つぶしたし〉いまのところ自作で一番好きな句です。

倉田良成
このBTが出るころにはちょっと季節はずれとなりますが、このあいだ近所の公園に花見に行ってきました。花のしたでは近くの杉山神社の講中のじいさん・おじさん連やおかあさんたちがいて、周りの若い家族連れやカップルに「この囃子を知らなければ町内ではモグリだぞ」と、土地の獅子舞やそのカシラを用いた子を寝かしつけるシグサの舞いを披露してくれました。彼らはみんな酒でまっかな顔をして、さながらまつろわぬ地神の大宴会のようで、女房と二人、しばしコップ酒の手を止めて見惚れてしまったことでした。その間(昔風にいえば)ハントキほどのあいだの夢幻です。


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編集後記

 23号が去年の4月でしたので、ほぼ1年空白ができてしまいました。読者、寄稿者諸氏には、ごめんなさい。この間、いろいろと私事で完遂すべきことがあったのです。ようやく一段落、25号は1月末にも出す予定です。なんといっても原稿はあふれています。とくに、吉田さんの連載の25号分の原稿、長尾さんのブレイクの翻訳は版下まであります。じつは25、26号(これも2月には出します)に原稿を先送りしないと僕の作品を載せられない状況でした。僕の作品が皆無なのは、なんかおかしいということもあり、3号続けて出すことにして、ページの余裕を作ることにします。インターネットのホームページでは早めに全作品を読めるようにします。読む機会がありましたら、1号よりの全テキストをHTML、エキスパンドブックの各形式でお読みください。また紙版バックナンバーもあります。はがきにてお問い合わせください。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.24目次]
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