ビーンズが出来るまで

荒川みや子



 私に植物の束をくれたオジイサンと私達にそら豆を買ってきてくれたオバアサンにはさまれて軒下でそら豆を剥いた。私はオジイサンとオバアサンのムスコの嫁さんで、ムスコと夫婦であるからそら豆を剥かなければならない。五月や六月の夕方家族のものたちが、そら豆をざるに入れ準備をしなければならない。雨の日でもチリを払って私はそうする。オジイサン、脇にすわるとあなたの骨のまわりは春でも冬の木立ちが触れ合う音。がする。ガラガラもうすぐ骨が記憶したものたちで、いっぱいになり家中豆の木のような骨の林が生えるだろう。私は死んではいない。でもオジイサンより先に死ぬかもしれない。川を渡って、木立ちの方へ進んだから果実がぽとんと落ちるように、人間だから皆死ぬと思う。私は死にたくない。生きたい。のでトイレへゆく。空からふってくるモノや地上になるモノを喰べる。バカと言おう。マヌケ。オバカのトンマ。なんでもかんでもき・こ・え・る・よ。

 川を渡って私はグミの林やクヌギの木立ちを歩く。私達の家の中にいるオジイサンとオバアサン。古い柱と古いタタミの中でそら豆を喰べてしまったヒトへ、水を取りに入る。「さ行の音ね。私達が夜抱き合って寝るひびきとはちがう。」「風の音ね。日曜日私達はビガーに乗っている。」空より低く、何か草で出来たモノが私の中に居る。私はビーンズと呼ぼう。それから霞立つ木立ちの奥へ杭を打ちにゆく。


Booby Trap No. 2



ビーンズが出来るまで-片肺まで枯葉-明日香めぐり-旅仕度-節分 ──腐蝕画──-節分 ――腐蝕画――

片肺まで枯葉

荒川みや子



夜の中へ入ってゆく。冬至からは少しづつ光があるだろうよ。ね。 縄の目くらい明るいのはまだまだ 火を焚き、幹線道路からはずれた家の中で 男が声をかけている。 「今晩わ。ただいま帰りました。 酒は飲んでおりませんよ。」 起点に帰ってゆく。起点の声。 「菜種のおひたしにおぼろ月でもナイ。マフラーなんかしてオカシイヨね。」 家の中で火を焚く。袖をよごして 縄を編む。 「細やかな柄。ぱあっとこういう風にひろがって。」 ヒトが終りになるとき払ったらいい。それで。 風のあつまるところ。音があつまる。あつまる。縄目の起点。 枯葉抱えて火を焚く。林に鳴る風。ソレマデハ! 夜の中へ入ってゆく。冬至からは少しづつ光があるだろうよ。ね。 あかるくなったら、いつか。 世田谷の植物とくらしている女のヒトの顔をみに 枯葉抱えて きっと行く。

Booby Trap No. 3



ビーンズが出来るまで-片肺まで枯葉-明日香めぐり-旅仕度-節分 ──腐蝕画──-節分 ――腐蝕画――

明日香めぐり

荒川みや子



あたたかく膨らんだ土地に入ってゆく 私は私の肉親達と畦道を歩いた 「インディアンサマーだよ。今日は。」 娘は頭に帽子をかむっている 私と血を同じくする母と父と弟と娘 彼等は手をかざして石のまるみに消えてゆく 列をなした他者も過ぎる。野菊のあとだ。 石のまるみから鬼をかかえて 父と母が出てきた 私は伝板蓋宮(いたぶきのみや)跡で二人を待っている 鬼の首をまわせ、まわせ、 まわせ、 私は足を踏み鳴らし 娘は足をつっぱり 弟は声を出さずに古代ビトの大声を真似た 父と母は、前より老いて 石の傍でうずくまっている 土の矩形さえしてきた 二人は手で確かめて 柿の葉でくるんだ御飯を喰べだした 茄子、コンニャク、やまとイモ、牛蒡 ゆっくり陽をたくわえ われわれ家族は膨らんでいった 生けるモノよ 生けるモノよ

Booby Trap No. 17



ビーンズが出来るまで-片肺まで枯葉-明日香めぐり-旅仕度-節分 ──腐蝕画──-節分 ――腐蝕画――

旅仕度

荒川みや子



今年の夏の暑い日に、おばあさんが死んだ。去年の夏の暑い日におじいさんが死んだ。二人共生きるのを終えたので旅の仕度をしなければいけない。娘と二人して始めた。それは白い脚絆である。羽のように軽くうすく、足に捲くと冷たい水音がする。編み笠も置いた。足には草鞋をそえた。足袋もはかせる。広い広い地平線と空のあいだにおばあさんは横たわる。冷たい水がひたひたわたしたちを取り囲み、祭壇近くまであふれ出した。生きているわたしたちには、冷えた番茶があった。Tシャツの裾から欠けた月も過ぎる。朝顔、レンコン、ザリガニも出てきた。娘は傍で毬を投げている。二人して膝を折ったまま止まっていようか。イヤイヤ、わたしたちは豆を剥かねばならない。私が嫁さんに来た当初のように、私は娘とそら豆を剥かなければならない。

 おじいさん、うまく川を渡れよ三途の川。小銭は入れといたよ。おばあさん、おばあさんの息子と私は仲よく川の中にいるよ。バタバタ、ブクブクああたのしい。だから、できるだけ遠くことさら遠く、マメの蔓を登ろう。鳥さえ落さずように。


Booby Trap No. 18



ビーンズが出来るまで-片肺まで枯葉-明日香めぐり-旅仕度-節分 ──腐蝕画──-節分 ――腐蝕画――

節分 ――腐蝕画――

荒川みや子



 棘でかこまれている斜面。ずらっと裸木の林が 私の棲家に連なっている。風が骨のように鳴った。昼の月が正確に息を吐く。ココア色の地表と共に私達もそれに倣った。娘が輪遊びを始めようとしている。道なりにそって走ろうとしている。私は住民票を拾い集めながら 私の棲家へ入ってゆく。後ろから 鬼の影がついてきた。膝をみせて寒そうであった。たとえば ああでもなくこうでもなく流しの前で足をふく。ああでもこうでもなくフライパンをひっぱり出して豆を煎る。裏の庭で薪を割る男もいる。月はいつの間にか白い栓をゆるめた。ああでもこうでも角を出しながら豆であるらしい。娘が輪の中でぐるぐるまわっている。林の外だ。私の住民票は裸木の影に刷り込まれ 林は月を抱え笑っている。豆をやろうか。まわりの影は階段を上る度に濃くなってゆく。私は耳をあずけて夜の底へ足をはこんだ。踊り場に薪を積み上げる。輪の中へ月を入れよう。ああでもよく、こうでも悪く吐く息はここまでだ。豆を喰べてしまうと われわれは鬼のようなものである。角を撫でながらそこいらを相手に棲みつく。


Booby Trap No. 27



ビーンズが出来るまで-片肺まで枯葉-明日香めぐり-旅仕度-節分 ──腐蝕画──-節分 ――腐蝕画――

節分 ――腐蝕画――

荒川みや子



2  われわれの前をゆく橇を倒せ。この間から私の行く手 にある この雪のにおい。雪を運ぶモノ達がしくんだ夜 の満月だ。私は、都市の中でビーカの中の兎の息。横隔 膜のまわりにうすくたよりなくただよう霧の中の草。そ れらを選り分け、すくい、軒下で豆を煎る。娘は、毬を かかえ動きだす。男はフライパンを並べてガタガタござ をひいている。昼は単純なだいだいいろに曇っていた。 今度、私たちの家族に大金がころがりこんだら、この家 にたちこめる うすぎたないモノをみんな追い払って。 団扇でおもいっきり追い出して。かわりに、水色の春風 で迎えようか。ひじき(いいぞ)、れんこん(よし)、 水菜(グッド)、さといも(OK!)、豆腐(ナイス)、 なんぞ呼び込んで、楽しくゆこうではないか。鬼の面そ うだが、五体満足でなっとくがいく。雪の原でさんざん ひえきった、心底つめたい我身をかかえ、豆といっしょ に食べようではないか。今、始まったところ。と、声が 届いた。春に近い声ではない。家のまえのはずれた閂の 音だ。春は不器用にしまってある。

Booby Trap No. 28


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