雨がはじまる

布村浩一



雨がはじまった 空からの電話に倒れて 雨の音を聞く もうすぐ解けるそうだけれど 悲しいことを知るのだ 大きなムダをしてしまって雨の音が胸の板に滲みこんでくる こういったことは 戦争や 事故でしか起こらないことなのに ぼくは100年もふとんの上に倒れていた 雨が降り続けて 壮大なムダが身体に滲みこんでくるまで時間がある    * Mからの電話に倒れて 火花のように頭が鳴る 本当は鳴らない ぼくは冷静で ぼくの舌は鈍くて ぼくはそのあと平気で メシも食ったし 駅まで歩いても行った 自分が思ったことを殺そうとするときは 外(ほか)をみながらやるのだ 自分が生きてきたことの首を締めるときは 外(ほか)をみながらやる 駅で煙草を買った これから何年間かを 何かを殺しながら生きるのだ    * 彼女は快活で「おかしかったのは89年の春から冬の間だけよ」と言ったりする 解けることはないのだ 人と繋がった〈もの〉は ぼくには帰らない ぼくのものにするために 坂道を降りていくようだと感じた孤独や 折れ曲がって ほそい路に入っていった孤独を考える 彼女の悲鳴のような声を考える もうみつからない ぐるぐると町を回って 目の前で〈ぼくたち〉が消えていくのを待っている

Booby Trap No. 9



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木の前の写真

布村浩一



ボーッと寝ざめた 窓のすきまから みどりのすきとおった葉っぱ 階段があるような気がする 息が葉とおなじで ダメージではない きのうというよりも 今までというよりも 覚えているものとおなじだ 空を意識する はい色の 空 瓦と壁板も描く 打ち消しつづけた 写真の跡が 目の前で大きくなった 焦げる あれはあんずだったんだろうか 空にはぼくのしたことが何ものこっていない 瓦の斜め 葉のよこ 軒先の手前 煙草を吸う内臓 応答がないので分からない あんずは答えないので分からない あれは全部無駄でした 途中から無意味になりました とも言ってこない あれはあんずではない ぼくのしたことは無駄ではない すべてが葉の呼吸のここから 離れると 絵のなかからひとつ抜ける ただそれだけ

Booby Trap No. 10



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セミの日

布村浩一



あつい夏の空からセミが鳴いて ぼくはスダレの向こうの空をみつめる 汗をポタポタかいて 汗をポタポタながして 暑中見舞いを2枚書いて それから この村の おなじような形をした 屋根をみつめる 二本の電線も 山も むかしと同じ配置 ぼくはむかしと同じ空気を吸っている ぼくは吸おうとしている ぼくは吐きだそうとしている この村とぼくの空気を交換したい 庭のダリヤや 光った屋根や ゆれる高いいちじくの木をみた ぼくは少しずつ交換しだすのだ ぼくと外を この夏の日の仕事は 吐くことと吸うこと 吐け 吸う ぼくは吐きだした 吸いこむ そうしているうちに 夏の日の空気が ぼくのからだに はいるかもしれない 夏の日の汗が ぼくの声からあふれるかもしれない

Booby Trap No. 11



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引っ越し

布村浩一



黄色い花が咲いて それは5つの花を持った花 刈り取ってもうぼくの自転車の じゃまをしたりしない いつも枯れている木が 花をつけている ピンク色と新しいピンクと 緑のまじった色 引っ越ししてしまった屋根の上に 朱色の花粉が落ちている 部屋にはホコリがいっぱいで ぼくはただ見ているだけだった 十年間もたまったホコリなんて 1cmぐらい 折り目を合わせるため 空と空がぶつかる 思い切り走って帰ってきた自転車は 息がない フランスにいる友だちの妹が 会いにきてくれという その背広が 折り目を合わせる 解決しなかった 解決しようとした あきらめる空は ぼくのすぐ前 近づきも遠ざかりもしなかったホコリと 十年間の記憶 引っ越しするときは ニレの木の下をとおる

Booby Trap No. 14



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今を超えないように

布村浩一



きみのなかにペニスを入れているとき ぼくは単純な男だった 単純な男になれてよかった ピカピカの停車場のそばの別れのあと いろんなことを自然に考える エスカレーターに一人でのぼって 待合室に行き 煙草をとりだし 吸って すわって 立ち上がって 歩き始める 木に話そう とか 弟に電話しよう とか すぐにも引っ越ししよう とか 20年ぶりにセックスをして やっぱりセックスは大きなものだと思ったよ あこがれたり はなれたりしないためにも セックスは必要だと思った 上に昇ることをやめて まっすぐに歩道を歩く 何が待っているだろう とにかく これからしばらくは きみがいなくなった部屋で ビールと パンとベーコン 水と 紅茶と トマト しばらくはきみがいなくなった部屋がさみしいが ビールとパンとベーコン 水と紅茶とトマト きみのいつも持っている体温はぼくをさみしがらせない ということを 木に話す

Booby Trap No. 14



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またこわれたよ

布村浩一



こわれたアンテナに いろんなものが引っ掛かる またこわれてしまったよ Mが世界の司令塔になってぼくを追いつめ 最後は世にも恐ろしい死に方をするという考え また 世界にすべてを告白しようとする行為と 世界からすべてを隠そうとする行為を くりかえすことになる でもぼくは今日 立川のトポスまで一直線に秋の一番気分のいい服を 買うために 歩いている      *     * 公園って面白い所。 ジョギングをするおじさんと 小さな女の子と ボールを追いかける犬。 父親がいる 青い空よりも 今はこの人たちがぼくを癒している この人たちの「関係」が見えだしたときぼくは混乱する      *     * 三好さんからの手紙で回復する 画面には絵が まわりには人が 「御自由にお持ち帰りください」 「2F レンタル フロア」 「冷たいビール おいてます」 「¥3880」 美女が一人 コップに水を汲んできて少し回復する 「リッチ」 「ラリー」      *     * 自転車を使う 交番と 交差点をクリアして 「ビデオのお店」にやってきた 人は9人 煙草を吸う人間は 3人 ぼくはノートと手紙と便箋を持っている      *     * 3マイナス1=2の引き算にぼくはやられた 武器は「イルカ」と「眠る部屋」とシーサーと 雨の棒 武器は…      *     * 89年12月 それからぼくは 回復をつくろうとしてきた 回復以外つくろうとしてこなかった それからのことは分からなかった 今詩人にも会社人間にもなれないで そのすきまに落ちて 通勤路の謎とたたかっている      *     * 「今もっている手持ちのカードのなかで最大のものを使うこと」 ときみは言った いまそのコトバを 「喫茶シャンブレット」に書きこむんだ 「喫茶シャンブレット」に書き込むため 富士見通りに向かって 部屋を出る

Booby Trap No. 16



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特別な 映画

布村浩一



立川のただ一つの喫茶店にやってくる ケーキ付きのアール・グレイと マーロン・クリューシュを注文する おいしい アール・グレイは匂いがしない マーロン・クリューシュはおいしい。 アール・グレイは匂いがしない しかしおいしい。 久しぶりに小説を読んでいる きっと2年ぶり ぼくは小説を読まなかった ぼくの頭は小説だ 小説になる 人たちは次から次へとやってくる 土曜日だから ショーケースのなかの光にあふれたケーキ 東京の 立川の プラハではない 冬の衣服をいっぱい着た人たち 校庭があるのは分かっている 校庭へいくつもりなのも分かっている どの道を通ったら校庭へ着けるかだ どの道を通ったら校庭へ行けるか分からない 「デビーの3時」は特別な映画だ 彼は空白を埋めるために旅に出た 「デビーの3時」はぼくの映画だ 布巾(ふきん)はよく乾いた 冬なのだ。 ぼくはどっちみちだめだった。行きどまりだった それからあの女が。 あの孤独があらわれた。 89年秋から冬にかけてのあの女は謎だった 89年秋から冬にかけてのあの女は謎だった ここは空白だ 解こうとした 解けなかった。 ぼくはとても疲れている 声を出したためとても疲れている 今日 ベンチの前 車は止まらずに過ぎる 車は動き続けている ハルと話して回復する ハルと話して回復する 大きく息をする ハルと話して回復する 木の話をした だいだい色の建物の話もした 「水の中に入って 銀杏(いちょう)の葉脈をたどれば そこもきれいだぜ」と ハルは言った 今ここに7人の男が ビデオと/CDと/コーヒーと/写真と/ハガキと/テープと/カレ  ンダーを買うために立ち寄っている ヒゲを剃ることにした 父と会う火曜日まで待っていられない 父は金を返すか? 「返済の方法について話し合おう」 父が3年前に言ったことと同じだ 借金無返却主義 返してくれ!と言おうか 母に正月に12万渡すからその分だけでも、と言おうか ぼくの右腕はすぐに重たくなって働けないんだ、と言おうか ぼくの左腕はすぐに疲れるから働けないんだ、と言おうか 返せ! 確信する 父は返さない    *     * 雨の音を聴いている    *     * (1) 「12月になると国立の町中にクリスマス・ツリーの灯りがついて   それをいつも楽しみにしてるの」 (2)ぼくはイルカにキスをした 彼女は何故かナベ、ヤカン、フライパンそんなものを入れた大きなビニール袋を 持って通りを歩いており、ぼくもまた大きなビニール袋を下げて歩いていた ぼくたちはすれちがった ぼくは彼女を記憶した もっと前に会った 国立の書店の前で彼女は立っていた 知っている顔の誰かに話しかけ  ようとしてやめ話しかけようとしてやめた彼女の表情を覚えている 彼女を記憶した もっと前にも会っている 彼女は軽やかで鮮やかだった 歩幅の大きい女の子。 信号機の前に立っていて 彼女はどこかへ行くのだ ポニー・テールの髪 薄いピンク色の服 きれいな顎 銀杏がすごい 銀杏の葉が隙間なく埋まっている 喫茶カフェ・ダンラの2階 彼女はポニー・テールをしている 彼女は眉毛を強くひいている 彼女は三つの場所を持っている 彼女の鉄の梯子をのぼる きみの一つの部屋に ピンクのセーターが掛けてある 1月14日東京流れ者を観に行く 1月25日クレヨンしんちゃんを観に行く

Booby Trap No. 17



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にぎやかな場所

布村浩一



銀杏が隙間なく埋まっている 真っ黄色だ テニスコートがあって人たちが走っている 彼の表情はどんどん悪くなると思った 治療しているのに 顔から精彩がなくなっていく 「蛙の呼び出し方」という 図鑑を広げたまま彼は眠っているのか 目をつぶっている のか 銀杏の葉が風に揺れ この集会室は受験生のための 勉強部屋になっている 銀杏の葉は揺れ続け ぼくと図鑑 を広げた彼だけからペンを走らす音が聞こえない    *     * 明るい店に来る 明るい店はいい コーヒーとミートソースを注文した 薬を飲んだ この店は大きく明るい 朝食と昼食のあいだ みんな喋っている  席の半分は埋まっていて 本を読む人がいて  角のテーブルでノートを取る人がいる ぼくはアメリカン・コーヒーを注文した。 アメリカン・コーヒーと発音できる     *     * にぎやかな場所にやってきた 水を飲む 店の外には鉄の口 絵皿が無数にあり  中世の騎士の絵 槍を投げるエスキモーの絵  魚を捕る船乗りの絵 花を摘む女の絵  スキー靴を履いた子供の絵 鷲だ 金の枝の木 苺の形のケーキをたのんだ それとセイロン・ミルクティーを 店のすべてのテーブルで会話が続いている クリスマスから正月へ加速する  その加速に乗った人たちがテーブルの上で汗をかいている    *     * 声はあふれ あふれ 老人たちとすべり台  恋人と自転車 ここにもまったく葉のついていない枝がのびていて 木の枝の影が噴水のところまでのびる 日はあふれ  ぼくは日のあたるベンチで  眠りたい

Booby Trap No. 18



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布村浩一



雨の音ならだいじょうぶなんだ どんな音でもだめになるけど 全体を包む 昔の記憶のずっと奥に奥にある バーァ強く雨が降りだして 屋根にぶつかる 壁にぶつかる 部屋じゅうが音にぶつかる 雨の音ならだいじょうぶ 他の音ならどんなものでもだめだけど 一日の終わりが区切られていたとき 山谷や 高田馬場に行ってたころ 雨が降るとホッとした 何もすることがなくなった  公園で 柵のパイプにもたれかかるだけだったが ぼくは仲間たちと笑っていた その雨 あの古い町で ぼくは傘をささなかった いつもそうしていた びしょぬれの薄い服 カミナリが鳴って阿佐ヶ谷のほそい路地で ずぶぬれになる その雨を 自然のように歩いた しみこんでくるのがわかった 子どもたちのかん声が聞こえる 走って帰るんだ アジサイのよこ ぼくはもう傘をさして歩くようになった どんな小さな雨でも空を見上げるようになった 海の記憶 空の記憶 この雨ならだいじょうぶ この雨ならだいじょうぶなんだ

Booby Trap No. 19



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今日

布村浩一



子どもたちの叫び声 秋の日の明るい空に届いて ぼくはひっきりなしにコーヒーを飲み ひっきりなしにトイレに行き 今日も寝不足だ 子どもたちの小さなあいさつ 壁や相手の子どもに当たって 小さなワイワイが通りすぎていく 小さなワイワイが流れていく ハガキを出すために一周する道路の 秋の空の下を 黄色い服の子どもが二人 自転車に乗って通りすぎる 秋の空に意味はなかったが ただ青白く 丸く 丸く バックネットや 赤レンガの家が日を浴びていた きみたちの話し声が輪のようにカチンとあたる アパートのよこの平らな地 土の上できみたちのバイバイは回る トイレに行きたい身体 コーヒーを飲みたい身体 畳の上を歩きまわってひとりの足 指の近くで点線がきえる ぼくは今日は声を出す空気になりたい

Booby Trap No. 20



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ふとんにはいる時

布村浩一



うまく出なかった きみとセックスしていて うまく出なかった コンドームを チリ紙につつんで捨てた その音で ふりむかれたのかと気になった きみが動いていく 電車に乗っていく きみが動いていく 電車に乗っていく きみが動いていく電車に乗っていく ふとんの中の きみの顔は よかった ふとんにはいるときのきみの顔は よかった ふとんにはいる時のきみの顔はところどころブッダ 出なかった身体で 帰って牛乳を飲んだ 帰って寝っころがり煙草を吸い 三本も吸った 帰って寝っころがり牛乳を飲んで 寝っころがった 出なかった身体で 寝っころがった ふとんの中でぼくを待っていて     ぼくがはいるときのきみの顔はよかった とてもよくて とても覚えている

Booby Trap No. 21



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みずうみを開ける

布村浩一



うっとおしい日曜日 心の底に石があるようで その石に心が引っ張られているようで 身体が緑の葉や茎の下にある 自分の心のいろんな面を見せてもらって そのことがぼくをもっと暗くする 自分の姿がくっきりと見えてしまうというのはいいことじゃない 窓が緑の葉に囲まれていて 緑の光が窓を匂いづかせて 机の前にすわっていると みずうみの底にいるようだ まだ回りは騒がしくなく 食器のあたる音が聴えるだけ 字が大きく書けない だんだん小さくなって漢字を書けなくなって カタカナで窮状を訴えた ぼくが外をみない間に緑の葉は増えた 身体がずっとケイレンしていて 考えることや感じることができないが これからとにかく回転してみる 食べて 茶を飲んで 読んで 歩いて 葉をちぎって 街をみて 人とすれちがって 会話をきいて 立ち読みして 本をさがして ご飯をつくって ぼくの動いている音の中に カチッという音がきこえるかな

Booby Trap No. 22



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まずしいぼくの生活

布村浩一



まずしいぼくの生活は 夏の大きな空の下で うすい青色の点滴のもとで 歩行する 宙づりの家まで歩行する チラッチラッチラッと星が落ちる 空とぼくは切り離されて ぼくの歩行は ただ行き当たりばったりの 最初の入り口や二番目の入り口に当たっては向きを変える 折れた紙のようなもの まか不思議なことを考えていないとすれば ぼくの体は何も持っていない手ぶらで みえるものに何んの意味もつけくわえることのできない 生活で 空から切り離された遠くにある小さな帽子で 今まか不思議なことも考えないようにして喫茶店に急いでいる 小さい ゴミのようなもんさ ゴムがはねる 身体に傷をつけてきただけであって 秘密から遠ざかるために 急いで部屋から出てきた 空から急降下する 鳥の汗が ぼくの右腕にあたる

Booby Trap No. 22



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自転車を置いてきて

布村浩一



ミスター・ドーナッツでアップルパイと アメリカン・コーヒーを注文する アップルパイをすぐに食べ終える 急に店が混み始めて 通行人はかならず店の中をちらっと見る 店の中を50年代のロックン・ロールがながれている イギリス観光旅行という80ページの本を読んでいる 今日は秋の天気のいい日 日射がいい 歩く人が日の光を浴びている 漢方薬という看板の文字が見える 天明堂という旗の文字 30分ごとに煙草を吸って 灰皿の中に三本の煙草 これからトポスという安売りの店に行って買い物をするつもりだ

Booby Trap No. 23



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布村浩一



寒い日だが ふとんをほした 12℃ぐらいだと思う 照って 消えて 消えて なくなった それから部屋に一人ぼっちになった くらい静かな日曜日 窓ガラスの暗さおとなしさが 心で 窓ガラスとずっとおなじ距離でここにいる 電気ストーブ 消してみると部屋から 音がなくなった 点けてみると グツグツという音が始まる こういうふうに なにもないということに 心の底からなれているわけではなく 窓から目が離せない 音がやってくるのを待っている 日ざしが変わるのにおどろいた 日ざしといっしょに心が変わる 窓ガラスを通してはいってくる 手 ぼくの呼吸が赤くなる

Booby Trap No. 23



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父の決意

布村浩一



斎藤さんは意外に思うだろうが ぼくは父親の面倒を見たくない  距離を持とうと努めている 父とぼくが一緒にひとつのグラグラと した岩になるのではなく 突き放しながら見ていようと思っている  桜の花が散りはじめる 雨が降っているせいだ 雨に濡れた舗道 で 桜の花びらが道路にはりついている ぼくが連絡しないまま父親は死ぬだろう 後になってその事をぼく は知る ぼくのなかでゆれるものの大きさにぼくは耐えられるだろ うか 身体がはげしくゆれるだろう 身体の振幅のためによろよろ とよろけるかもしれない 熱い霧にからだの真ん中を穴が開いたよ うにさせられるかもしれない 下北沢の駅で待ち合わせて 近くの喫茶店にはいった コーヒーを たのむ 父はコーヒーがくる前からしゃべりはじめて 女のことを いう 別れるという この女といるとだめになる この町から離れ るともいう この町に住んでいたら何もできない お父さんが生ま れて育った町なんだから 町には昔からの知り合いがあっこっちに 住んでいてどんな仕事でもやるというわけにはいかない 女には仕 事をやめさせた 外で男と会っているような気がしてならないんだ  サラ金の金を返すために 他のサラ金から借りている その金が 返せなくなった 家賃も払っていない ひとりじゃだめなんだ で ももう別れる 新しくやり直したい アパートに女がいた ラメの光る服を着ている みんなわたしが悪 いんでしょうねという 目のしたにはっきりわかる隈ができている  額が大きすぎる 事情がわかるにつれて ぼくには額が大きすぎ ると思う 家賃やサラ金が払えたとしても そのあとの見通しがつ かない それに父の心をくるおしくさせているのは女のことだ 女 との関係からだ 老人という言葉が浮かんできた  受話器をはずしまた置く 手が受話器の向こうの世界とつながって いるようで重くなる 目の前で父親が死んでいくのをだまってみて いるようだ 胸のあたりがグラグラゆれている 支点がふるえてい るのがわかる このまま受話器を取らなければ あなたからメッセ ージを受けとることができる 黙すること 線を引くこと はっき りと身体を切り離すこと その跡がみえること 父だからということではないような気がしていた 倒れそうなもの が揺れると手が伸びてしまう 自分の秤の上に十万置き 二十万置 き 父の高血圧 視えない目 決意とみえて崩れていく心 いつも 謝る心 そういったものを置きつづけて もうこの秤の上に置くの がいやになった 秤は揺れない 父から電話はこない ぼくがかけるだけだ 父がでても窮状は訴え ない ちがう町へ行くという 身の回りが落ち着いたら連絡するよ という 何とかするとしか言わない 新しく住むところがみつかる まで連絡はできない ここをとにかく離れる 家賃だってたまって いるし もう無理は言えないんだから いらない荷物は整理してい るところだ いるものは今度住むところに送って ここの大家さん にあいさつして そうしたら 向こうで落ちついたら はっきりし たら連絡するよという

Booby Trap No. 24



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日曜日

布村浩一



めずらしく店が混んでいる 日曜日だからね ペリカンのような人たちがテーブルの回りに集まって 話をしている 今日は二回 いいことがあった ドラッグストアと この店に入ってきた時と エルビス・プレスリーがかかっている 今日は薄曇り 25度にもいっていない 町は涼しくて 大学通りの北島金物店で 鍵をさげるやつを買った ひっぱるとぐーっと伸びるやつ 交差点のところの煙草屋でパイプも買う 昨日買ったパイプはまずくて吸えない 今日のはまあいける 時々このタバコ屋で買い物をすることになるかもしれない ウェイトレスはニレ?と聞いたが ぼくはカゼブレンドを注文する 日曜日には苦くないコーヒーをたのむのだ 話し声はイヤじゃない じゃまにもならない 大きな音がテーブルの上を弾けている 椅子のこすれる音もいやじゃなかった 桜の葉が夏にいっぱいある 緑の葉がものすごく多い木がそうなのだ 店の前 大学通りの向こう側とこちら側 ずっーと並んで立っている 五時ウェイトレスは歩き回って客に水をつぐ その足音が 話し声のなかで一番よく動く

Booby Trap No. 26



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桜の方

布村浩一



窓の向こうの桜がきれいだ 夕方 白い桜 ふくらんでいる 大きい いっぱい 1500の桜がふるえて こちらを向いている 行列 まっすぐ歩けない 大通りは人間たちであふれあふれ 大声でしゃべりながら 人間たちは 靴で 視線で 身体をすれ合わせながら 桜の木の下を通りすぎる 叫びながら男の子が走り 髪を人形のように切っている女の子が 紙を落とし (パンフレットのようなもの) メガネをかけた中年の女が立ち止まっている(腕を組みながら) 町はさわがしい 行列の速度が 12度の気温が 混ざりあって ぼくはウトウトと眠りそうだ コーヒーショップ・ドトールで 21人の人間は 高い声で 今日のことを話している 注文したコーヒーと 天気 ケーキと 赤い服  あと七日の 入学式 そんなことを いつまでも 話している ぼくはこれから 東の方の二丁目の陸橋に行く この橋は 映画で ぼくの好きな女優が 自転車に乗って  渡った 彼女はただ  ゆっくりと ペダルを漕いだのだ

Booby Trap No. 27



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小さなハードル

布村浩一



八月の終わりのプールの空 青くて 高くて 今日は晴れててよかった 水しぶきがぼくのところまで飛んできて まだこれからだって 子供たちが飛びこんでいる 全部飲み込んで 忘れてみせる そのようにして次に行くのだ 五十メートルのプールを二回往復して また寝っころがった コンクリートの床にぼくの汗がしみこんで 手のひらが四十度の熱を感じている 五冊の小説を捨てるのだ ぼくには関係ない 死はぼくたちを結びつけない ぼくたちは何かが違っていて あなたは宙にあるものに力を込めて ぼくは地面に腕立てふせをするように力を込める まぶしい空 今日のプールはすっかりきれいだ 十分間の遊泳禁止 「水泳は激しい全身を使う運動ですから」 アナウンスが響く 六人の監視員がひとりずつ プールの底に潜って 長い間 調べている このとき 水が生き物のような気がした プールの底で 体が柔らかい生き物になる プールの底に指を触れながらそう思う 水はキラキラと透明で さわっていて楽しいほどだ プールの囲いの向こうからまた声がして 自転車に乗って誰かやってくる 空がまぶしくて 目を開けていられない プールは満員だ 夏が終わるなんて信じられない もう一回往復したら 体が疲れきったら ぼくは帰る 夏が体の中で終わって 何も思い出さない 一本の単純な力になって目を洗い 汗と水を ふき取るのだ

Booby Trap No. 28


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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