鮎川信夫追悼 |
「戦中手記」は何回か読み返した。最近までかかれていたコラムは初期から表われている、文明批評への志向が出ていてジャーナリズムの良識みたいなものを目指していたと思う。詩についてのまとまった論考はもう書かないだろうな、という感じが晩年にはあった。詩について受け継がれるものは、計り知れないだろう。僕は鮎川氏に二度お会いしたことがある。石原吉郎記念講演会と「毒草」でインタビューを載せるために訪ねていったとき。講演会では同時期に発売された花神社の全集(これは厳密には全集でなく著作集)の、月報とまるっきり同じことをしゃべった。なんとなくなぜほとんど変わらない内容をしゃべるのか、推察できる気がした。訪ねていったときには石油ストーブに火がつかないで、お母さんに聞いていたのが印象に残っている。それから国保にはいっていないという話をきいてびっくりした。エッセイなどを読むと詩人の生活形態がうっすらとわかる。結婚しようとしまいと、どんな生活をしていようとそんなことはどうでもいいが、書かれたものから鮎川のエロスを探るときどうしようもなく『厭世』などのエッセイ集が重要性を帯びてくる。それは別にして、詩人のライフスタイルとして、学ぶところは多々ある。とにかく心の内部で鮎川の死を受け止めようと思う。(鱗) 連載についての註 木嶋の賢治論は、連続して書かれているものの一環としてある。編集者に連絡してくだされば、他の論考のデータをお知らせできる。清水の連載は廃刊になった「夜行列車」(二回連載)から続ける。 次号予告 〈座談会〉鮎川信夫について 福間、木嶋、清水 〈詩〉藤林靖晃、田中勲、二川原一美ほか 〈歌仙〉倉田良成ほか 〈批評連載〉木嶋孝法、清水鱗造 |