詩 都市 批評 電脳


第14号 1994.8.17 227円 (本体220円)

〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134:FAX 03-5450-1846)
(郵便振替:00160-8-668151 ブービー・トラップ編集室)
5号分予約1100円 (切手の場合90円×12枚+20円×1枚) 編集・発行 清水鱗造


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ももんがとぶんがく

駿河昌樹



きょうは朝から荒れもようの天気でな ももんがはついに飛べんかったと 「ももんがとぶんがく!」 そう叫んでもうれつな速さで 猪のズンキーが三杉町のほうへ駆けおりていったそうな


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あたしの死体じゅくじゅくじゅく

駿河昌樹



おとうさん性交せよ あたし、 そんな世界うまれたときからこえていて、 冷感症だとひとはいうけど 男女のことなど時間のムダに思えるの おとうさん性交せよ あなたは、 にんげんは二種類あって、 種族保存係とじぶんをいきていくのとだって言う おとうさんは性交係 週にいちどははらませて、やけ酒のんで むなしいと、おれはむなしい、むなしいと、 くだまきながら死んでいく おとうさん性交せよ あなたには、 ほかにないもの、なんにも ホースをたずさえていつも消防士 いいんじゃない、それもじんせい あっちこっちにいのちの火つけて いいんじゃない、いそがしいむなしさ おとうさん性交せよ あたし、 かってにすきにいきるわ にんげんかんけいだいっきらい たべてねてちょっとはたらいて きれいな景色みてかぜにふかれて としとって病気したら死ぬのよ あたしの死体じゅくじゅく くさってにおってくずれる 夕日がきれいだといいなあ あたしの胸の骨がでるとき


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大山児童食器店のうた

駿河昌樹



じわじわと 腐りゆく 大山児童食器店 いまいちど にどさんど 大山児童食器店 かなしみも よろこびも 大山児童食器店 疾く過ぎし 青春の 大山児童食器店 なべてみな 夢の世の 大山児童食器店 いのち咲く たそがれの 大山児童食器店 もうやめだ おしまいだ 大山児童食器店


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引っ越し

布村浩一



黄色い花が咲いて それは5つの花を持った花 刈り取ってもうぼくの自転車の じゃまをしたりしない いつも枯れている木が 花をつけている ピンク色と新しいピンクと 緑のまじった色 引っ越ししてしまった屋根の上に 朱色の花粉が落ちている 部屋にはホコリがいっぱいで ぼくはただ見ているだけだった 十年間もたまったホコリなんて 1cmぐらい 折り目を合わせるため 空と空がぶつかる 思い切り走って帰ってきた自転車は 息がない フランスにいる友だちの妹が 会いにきてくれという その背広が 折り目を合わせる 解決しなかった 解決しようとした あきらめる空は ぼくのすぐ前 近づきも遠ざかりもしなかったホコリと 十年間の記憶 引っ越しするときは ニレの木の下をとおる


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今を超えないように

布村浩一



きみのなかにペニスを入れているとき ぼくは単純な男だった 単純な男になれてよかった ピカピカの停車場のそばの別れのあと いろんなことを自然に考える エスカレーターに一人でのぼって 待合室に行き 煙草をとりだし 吸って すわって 立ち上がって 歩き始める 木に話そう とか 弟に電話しよう とか すぐにも引っ越ししよう とか 20年ぶりにセックスをして やっぱりセックスは大きなものだと思ったよ あこがれたり はなれたりしないためにも セックスは必要だと思った 上に昇ることをやめて まっすぐに歩道を歩く 何が待っているだろう とにかく これからしばらくは きみがいなくなった部屋で ビールと パンとベーコン 水と 紅茶と トマト しばらくはきみがいなくなった部屋がさみしいが ビールとパンとベーコン 水と紅茶とトマト きみのいつも持っている体温はぼくをさみしがらせない ということを 木に話す


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蛙男

田中宏輔



まるで痴呆のように 大口あけて天を見上げる男 できうる限り舌をのばして待っている いつの日か その舌の上に蝿がとまるのを (とまればどうすんの) 蛙のように巻き取って食うんだ (と) その男 舌が乾いては引っ込め 喉をゴロゴロ鳴らす そうして、しばしば オエー、オエー と言っては 痰を飲み込む (ほんと、いくら見ても厭きないやつ) 訊けば、その男 蛙がごときものにできて 人間たるわしにできんことはなかろう (とか) 言って じっと待つのであった (根性あるだろう、こいつ) ぼくはそんな友だちをもってうれしい ほんとにうれしい


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回す!

田中宏輔



グキッ ボキッ とかとか鳴らして 首の骨を 鳴らして見せる ジュン 凝り症だから とかとか言って しょっちゅう ボキボキ やってた いつだったか おもっっきり 首を回して (まるで竹トンボのように、ね) 飛んで いって そのまま まだ 戻らない


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田中宏輔



桃の実の、そのなめらかな白い果皮(はだ)は ――赤児(あかご)の頬辺(ほっぺた)さながら、すべすべした肌触り 桃の実の、その果面の毛羽立ちは ――嬰児(みどりご)の、皮膚紋にそったやわらかな産毛にも似て 桃の実の縫合線(ぬいあわせめ)、その窪み()に、指を差し入れると ――新生児の泉門(頭骨(ずこつ)の間隙(すきま))がひくひくと動いた 桃の実の薄皮に、爪(つめ)食い込ませて、剥(む)いてみたら ――赤ん坊が、目を醒まして、泣き出した 反射的に、桃の実を、机の角に、ぶつけてしまった ――机の角で、赤ちゃんの左頬が、つぶれてしまった ひしゃげた、桃の実が、ごとんと、床面(ゆか)に落ちた ――血塗れの、乳呑み児は、もう二度と泣かなかった


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絵日記

田中宏輔



きみに死んだ弟をあげるよ もうじき死ぬんだ そしたら暴(ほえ)たりしないからね もう駄々をこねたりなんかしないからね 手間のかかんない とってもいい子になるんだ ただ、こんどの日曜日には 遊園地に連れていってやってよ ずいぶんと楽しみにしてたみたいだから それを宿題の絵日記にかくっていってたからね もうすこし待ってよ いまやわらかくなるからさ ねっ ゴムのにほひは嫌いかい


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ローセキ

田中宏輔



外に出ると、幼い子供が、道にしゃがんでた ――何を、してるの 子供は、返事して、くれなかった 黙ったまま、もくもくと、何かを描いている ――どうして、口を、きいてくれないの ぼくは、子供の、小さな影を、踏んだ 踏むと、ぼくは、手に、ローセキをもって しゃがんでいた、足もとに描かれた、宇宙船や 怪獣たち、とても、なつかしかった なつかしかったけど、ぼくには、描けなかった 立ち上がって、ぼくは、子供の姿をさがした どこにもいなかった、どこにもいない ローセキが、ぼくを捨てた、ぼくが 捨てられた、白い道には、だれもいなかった


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アゲハノカンサツ

関富士子



          幼虫が六匹育った。越冬蛹から羽化した春型が           プランターの三本のグレープフルーツの木に、           五月半ばに産みつけたものたちだ。一週間前に           鳥の糞の姿から脱皮した。旺盛に葉を食べる。           頭を反らせて葉の上のほうへ伸び上がり下へ縮           んでいく。一ミリもない小さな歯形が並ぶ。繰           り返し一瞬も休むことなく、上から下へ食べ続           ける。一枚の葉は五分でなくなる。たくさんの           糞が辺りに散らばっている。柑橘のよい香りが           する。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ サンサイノアラカワキョーコチャンガア マイゴニナッテオリマスウウウ シロノブラースニピンクノスカートオオ セーラームーンノクツオハイテイマスウウウ オココロアタリノカタワアアア シキュウアゲハケイサツショマデエ ゴレンラククダサイイイイ           一匹がどうしても見つからない。いくら数えて           も五匹しかいない。上の枝は食べつくして鋭い           とげしか残っていない。背伸びして人さし指み           たいに空中を探っていたが、ほかは下枝に下り           たというのに、いつまでもありもしない葉を求           めていたのか。モスグリーンの体色や黄の縁取           りの擬眼は、葉の間ならまだしも空中では鳥に           合図を送るようなものだ。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴイチジゴロオ アゲハリッキョーフキンデエ ヒキニゲガアリマシタアアア クルマワグレーノジョーヨーシャデエ ソノママアゲハヤマホーメンエエ ハシリサッタモヨオオオ モクゲキサレタカタワア シキュウアゲハケイサツショエエ           せわしなく枝をはい回っているものがいる。下           枝にはまだ葉が茂っているのだが見向きもしな           い。てっぺんから根元まで行ったり来たりした           あげく、地面に降りてしまった。食草を離れる           とは大胆だ。プランターの細い縁をせっせと歩           く。腹の筋肉が波打つ。逆さまになって尾脚だ           け縁にかけ、頭で辺りを探る。小さな胸脚がさ           わさわ動く。バルコニーの手すりをはい始める。           グレープフルーツの木からできるだけ遠くに行           きたいらしい。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キュージッサイグライノオジーサンガア ホゴサレテイマスウウ ランニングシャツニチャイロノズボン ゴムゾーリオハイテイマスウウ オココロアタリノカタワア           手すりをはい回っていた一匹が、ぽたりと下の           コンクリートに落ちた。何ということだ、死ん           だか。縮かんで動かない。しかしすぐに頭を伸           ばす。辺りを探って垂直の壁に触れると登り始           める。なんともないらしいが、壁からプランタ           ーまでは一・五メートルもある。無事にたどり           着けるだろうか。そっと指先でつまんで枝に戻           そうとすると、赤く輝く二本の臭角を突き出し           た。猫のペニスのようだ。甘いオレンジジュー           スの香りが漂う。これで鳥や虫が逃げ出すとは           思えない。足はしっかり壁に張り付けて抵抗す           る。腹はひんやりと柔らかく乾いている。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴヨジゴロオ アゲハハシュツジョニイ フタリグミノゴウトウガオシイリイイイ ケイカンヒトリヲシャサツシイイ ヒトリニジューショーオオワセテエエエ ケンジュウオウバッテエ トーソーチューデスウウ タマワサンパツノコッテイルモヨウウウ アゲハケイサツショデワア ケイカイオヨビカケテイマスウ           今朝二匹がサナギになった。昨日から枝に取り           ついたまま動かなかった連中だ。擬眼も八本の           腹脚も消えて滑らかな薄緑に変わった。腹から           頭部にかけて、柔らかい葉を巻いたような縦の           筋があり、二つの突起がある。背中の横じまは           セミの胴体に似ている。一匹は上体に細い糸を           二本かけ、尻先を枝につけて立っているが、一           匹は帯糸が切れたのか尻だけで逆さまにぶら下           がっている。触れてみると、鞘の中でぴくぴく           悶えるものがいる。くすぐったいのだろうか。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョウゴゼンシチジニジューニフンゴロオ マグニチュードハチノジシンガアリマシタアアア アゲハシイッタイデエエ カオクノトーカイトダイキボナカサイガハッセイ ジューミンハタダチニヒナンシテクダサイイイ タダチニヒナンシテクダサイ


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ペットランドからの通信

清水鱗造



何かのしるしが 地に埋もれていることがある 前足のあいだで 突然きらめく 円くて二つ穴が開いていたり 米印や十字のかたちなんだけど 一度だけ 金の蜻蛉を見つけた * ぼくがよく行く 地下のバーでは 「ドライなマティニ一杯」なんて 蛇男が言って もぐらのお姉さんが注いでくれる その間 絡まった枝のあいだから もぐらのお姉さんの姿を見ようと 光った目が闇に浮いている * この辺には けっこうたくさんのマシンがあるよ 古いのから新しいのまで でも傷は多くて 修理工場は大繁盛で だいぶ待たないと直らない 僕は倉庫でアクセスしているんだけど 豚くんがよく電子メールをくれる 羊くんって饒舌なくせに 筆まめじゃないんだ * たまにビューアーでみる写真が 電子メールできてさ 見てみると 豚くんの彼女のヌードなんだ そういうの見たくないんだよね 羊くんもたまに彼女の写真を送ってくるけど ずいぶん立派な牧場に住んでるもんだ 羊くんの家族の写真も一枚きて その大きさが球場ぐらいあって 全部見ていない * カオスくんて Sって家に住んでいるんだって シェトランド島なら仕事できるけど たまに会うのが金魚屋のポピーだけだろ せっかくの速足で叩いているのが キーボード 彼も退屈だろうな * 絶望的な歌は サピエンスメガロポリスでは流行らないらしいけど ペットランドの酒場じゃ流行ってる 「俺はもうだめ」 「俺は死にたい」なんて とてもいいね * スクラップだって 溜めれば 立派に住めなくなる 全部動いたって住めなくなる どうせなら 初めからスクラップを詰め込んでしまえ っていういらだったポリスは多い ぼくみたいな犬は そのへん掘っていつでも寝れるからいいけど カオスくんはどうだろうか * でもこんなぼくにも やることは出てくる 倉庫の部屋はぐちゃぐちゃで 兎のお姉さんとの付き合いもどろどろで 地衣類は窓の外まで迫っているようなある日 きまって 〈犬の耳の垂れ具合についてのイメージの展開について議論しませんか〉 というような電子メールが知らない犬からくるんだ * 《耳 それは柔らかく  垂れている  ポワポワッとした毛が  覆い 日に透かされるとき  それは 金色のぼくたちの種族の  栄光を 示す  草原を駆けるとき  パコパコ揺れ  なんとも具合よい飾りだ》 * ぼくの耳はほとんど立っているので 別の切り口からだ 《優しきものが帰ってくるとき  耳は後ろに寝かされる  南から帰ってくるとき  しっぽは東西に揺らし  東から帰ってくるときは  南北に揺らす  だが耳は正確に背のほうへ  すぼめられる  寝る耳は  恍惚の境への言葉であり  はじめに 耳 ありき》 * いつも議論は数十通の電子メールで お互いが満足できる展開になり収束する そのうちにぼくの部屋も自然に整理できたり 兎のお姉さんとも疎遠になったり 新しい女友達が ご飯をつくりにきてくれるようになったりしてね * 豚くんや牛くんとも付き合いはあり たまに訪ねてくる でもぼくの部屋の隅にころがっている 豚や牛の骨をみて みんな青ざめる * 《君たちを食べたりしないよ  あれは肉屋さんがくれたんだ  確かにぼくは君たちの  骨を  しゃぶっている  噛んでいる  なめている  でも  友達の骨を  しゃぶったり  噛んだり  なめたり  しないよ》 * そのうち豚くんも牛くんも ジャムセッションに加わって 倉庫パーティは盛り上がる みんなフードや干し草食べて 牛くんは足組んで爪楊枝使い 豚くんは煙草すってる シーズーのバブルはファミコンやっている 羊くんはウーロンハイで饒舌になって あらい熊くんに絡んでいる 「あら面妖な」なんて しゃれも言うし * 《カオスくん 一度あそびにこないか?  ポピーも連れておいでよ  君がいつも書いている 顔の四角い暇なホモ・サピエンスのために  犬語から人語へのコンバーターを  バイナリーメールで送ります》 * 地中にはしるしがある 毎日掘っていれば 前足の指に かならず それは突き当たる


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煙洞

清水鱗造



しゃがんでいると 影帽子が舗道に長く伸びて 黄色い帽子の男が その先で 煙草の火をもみ消して また一本煙草をとりだして じーっと見ているだけ 尻が赤く染まって 足のあいだから夕日が 探るように伸びてきて 鉄路がほうきの柄になって そこらじゅうで消えている マッチ一本 舗道で擦って 煙を缶からもくもく出して 火ぃつけて 火ぃつけて しゃがんでしゃがんで 火ぃつけて このへん煙洞 煙のなかに黄色い帽子が霞んで見える煙洞


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茶壷のなかの風

沢孝子



いつも南からやってくる 蛇皮線には 敷居に立つ つぶやきがあり 根となった 足となった 露地の やわらかい 夢の木 茶の葉つむ言葉の交わりに ひかった枝葉の他者の眼 そのざわめきの一瞬の風をそらすとき 猿のおどる足 藻のゆれる根 あわててかくす 上昇した夢の木の時代の 赤い水 茶の葉つむ言葉の交わりに わいて 狂う土びん はげしい湯の感情の 敷居のつぶやきこぼれ 蛇皮線を弾く 南の愛があり 一揆をおもって ゆれる藻の根かきわけ おどる猿の足のかたりで 壷の街をひらく 不浄となった愛のながれの 南からの引き潮 古代からの虹のかけ橋で 吊り木がなしが うたった島歌は 夢の木のシンボルをしずめるため 茶壷のなかの風にふれるだろう きれた海の孤島 ちぎれた空の地平線 幼い日の 紋章のかたちに いたんだ波の縁側 つぶやく雲の愛がある きれた藻の海 ちぎれた猿の空 幼いまなざしで 上昇した 夢の木の時代 茶の葉つむ言葉の交わりに 都市のさびにそまった夕ぐれがある 褐色の鉄びんがもえてきて したっていた一揆 壷の街の空の 不浄のながれとなった愛の龍巻がある はてしない古代の 藻の海がきれた時限へ ながれさった蛇皮線の 猿の空がちぎれた驟雨へ 縁側のつぶやきは ぬれなかったか 古代からの虹のかけ橋で 散る木ぶしょうが ラブレターを差し入れてくれたとき こわれた茶壷のなかの 風のシンボルが まなことなってせまってきた 一瞬にして こわれた岩 無の海に かくした爪 荒涼とした 風景の波立ちに 裸景をさらした 途中下車の愛がある こわれた藻の岩 かくした猿の爪 その手ざわりで 忘れて行った道に のぼってくる満月 にぎらなかったか うたう車窓のながれ 土びんの褐色で 一揆の伝説をくぐりぬける 壷の街の風 不浄のながれとなった愛の海道に かたりかけてきた 一本の夢の木の 茶の葉つむ言葉の交わりに 古代の蛇皮線をひけ こわれた藻の岩で 駅駅の扉をひらけ  かくした猿の爪で ひび割れる車輪のこころの 途中下車の座にすわる にげていく泉の 虹のむいしきに 顔をあらって ふりむいてくる乙女 格闘! 壷の街の敷居で 吊り木がなしは 赤子のように だきすくめられてしまった そんなはずはない 壷の空の縁側で 散る木ぶしょうが 大きくなって かぶさってきた そんなはずはない 壷の風の駅駅に ふりむいてくる乙女 どれい地獄が 立ちはだかってきた そんなはずはない くたくたになった蛇皮線の街 敷居のつぶやきを 聞かなかったか おどる猿の足 ゆれる藻の根 上昇した 夢の木の時代の 不浄のながれとなった愛の引き潮がある ねむりつづける紋章のかたちの空 縁側の驟雨に ぬれなかったか ちぎれる猿の空 きれる藻の海 上昇した 夢の木の時代の 不浄のながれとなった愛の龍巻がある 茶壷のなかの 風のシンボルにふるえる 虹の泉のかけ橋に あたりいちめん 駅駅の一揆によみがえる かくれる猿の爪 こわれる藻の岩 不浄のながれとなった愛の海道をくぐる どれい地獄の島歌に 花のにおいがみちてきた

(改稿)



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坂を下ることから

倉田良成



空で無形のカーテンが揺れる この街の坂は永遠のほうへ延びていて 白い洗濯物をおびただしくひらめかす 濡れた虹彩が映す精緻な夏の市街図 猛禽の眠りの時が太陽とともに過ぎてゆく 窓際のコップに挿したパセリの塊の たけだけしい緑の氾濫に充ちてゆく水滴のために またひとつ ちいさな宇宙は創始されなくてはならないのだ ダイニングルームのあたらしい眼光のなかで 坂を下ってゆくと ひたひたと透明な潮は上昇してくるだろう それが希望だと気づくためには この新緑の街を浸す 淡い血の淵の存在まで降りてゆかねばならない 若い母親の制止を振り切って走るおさな子の 空気にそよぐ金の産毛に 飢えた世界はその秘密を託すのだ 小学校のバザーから聞こえてくる歓声の ただならぬたいらぎが秘めるむごさのうえに 青空は鳴れ 鐘はひびけ いつもここからが発端である ノブをまわして坂の上に立つことからが ここからは見えない 丘のむこうには濃く鮮明な海があるはずだ 逞しく起ちあがる積乱雲のしたで 風景にはむすうの楽譜の線が引かれ とつぜんかがやく亀裂のように雨が襲来して去る 金管楽器の法悦は終わった いっせいにたちのぼる水の死骸の 明るい翳を踏んでわれわれは下った 午後 蘇生した光を悲しみのように浴びながら 木々の祝祭に沸く公園のほうへ歩いていった


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眠い

長尾高弘



朝起きて ごはんを食べたら もう眠い かばんに引きずられて外には出たが 石にけつまずいて たたらを踏んだ 電車に乗って 1人分の席を確保すると ああ眠い とてつもなく眠い そのまま意識がなくなり 気がつくと電車は目的地よりも1つ先 かばんをつかんで慌てて下りたときに 笑いやがったな おれの前に立っていた女よ いびきでもかいていたのかもしれないが この間お前とは別の女が おれの前で薄目を開けて舟を漕ぎながら 鼻ちょうちんを膨らませていたときには おれはそっと視線を外してやったのだぞ お前とは関係ないけど そしておれは階段でまたもけつまずいたのだ


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足留まり

長尾高弘



胸のあたり 気分が悪いなと思いながらも むりして出てきたのだけれども 誰もいない田舎道のまん中で 足がからまってしまって 動けない たんぽぽが咲き ヒバリがピーチク鳴くけれど このまま動けないと 溶けてなくなってしまうなと 思うのだけれども 春の日は長くいつまでも落ちない


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夜の海から

長尾高弘



一晩じゅう きみが出てくるのを待っていた 普段はそんな気分にはなれないものだが その日は 付き合い始めたばかりの恋人のように 優しい気分になれた (2人でアイスクリームなんかなめちゃってさ) ほかにすることもないので 話をしていたけれど そのうち話すこともなくなった 波がやってくると 2人の呼吸を合わせた 静かなときには 彼女の寝顔を見ていた 夜の海をずっと見ていたのは初めてだ 波はしだいに高くなり 激しくなった でもきみはまだ来ない ずっと待っていた いつまでも待っているんじゃないかと思った 東の空が明るくなり始めたときに やっときみは出てきた 出てきてみれば意外にあっけなかった きみは一瞬ためらったあと小さく泣いた きみと同じように出てきた子の泣き声が 遠くから聞こえてきた きみのお母さんは しばらくベッドから立ち上がれない身体になったけれど 笑った顔がかわいかったよ


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回復

園下勘治



重力は魂をつなぎとめる だから地球上の生きものはみんな 万物を落ちるに任せている 夏の満月の夜の寂しさは この世に理由を持ってはいない 通信がこんなとき わずか頭にそそぐのだ 私たちが重力の檻を脱したら どんなメッセージが伝えられるのか あの悩みこの苦しみ、みんな 種族の輪廻が決めたこと 町で一番高い朝の木が 最初の輝きに満たされるとき 私たちはもう回復期にあると思う

(連作・死のレッスン 5)



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塵中風雅 (一一)

倉田良成



 元禄三年陰暦六月初め、京に上った芭蕉は夏の暑い盛りを十八日まで滞在し、去来、凡兆、如行らと「昼夜申(まうし)(だんじ)」(元禄三年六月三十日付曲水宛書簡より)、「おもひの外(ほか)長滯留(たいりう)」(同)となって、十九日、幻住庵に戻っている。帰庵早々、大坂の商人何処によってもたらされた加賀の小春(しようしゆん)の書簡に短い返事を認める。以下全文を引く。

何處(かしょ)持参之芳翰落手(はうかんらくしゆ)、御無事之旨珍重令存(ちんちようにぞんぜしめ)候。類火之難御のがれ候よし、是又(これまた)御仕合難申盡(しあわせまうしつくしがたく)候。殘生(ざんせい)いまだ漂泊(へうはく)やまず、湖水のほとりに夏をいとひ候。猶(なほ)どち風に身をまかすべき哉(や)と、秋立比(たつころ)を待(まち)かけ候。且(かつ)両御句珍重、中にも、せりうりの十錢、小界(生涯)かろき程、我が世間に似たれば、感慨不少(すくなからず)候。口質(こうしつ)他に越(こえ)候間、いよいよ風情可被懸御心(ふぜいおこころにかけらるべく)候。愚句
   京にても京なつかしやほとゝぎす
暑氣痛(いたみ)候而及早筆(てさうひつにおよび)候。
     季夏二十日
   小春(せうしゆん)雅丈       はせを

 小春の閲歴については以下のとおり。小春。亀田氏。通称伊右衛門。名は勝豊。白鴎斎と号す。加賀金沢の人。旅宿業宮竹屋喜右衛門道喜の三男。長兄伊右衛門勝則の養子となり、その兄が創業した薬種商宮竹屋の二代目となる。北陸行脚の途次、芭蕉が本家の宮竹屋に泊まったことが機縁となって入門。そのときの唱和が「寝る迄の名残也けり秋の蚊屋 小春」「あたら月夜の庇さし切る 芭蕉」である。俳諧歴は元禄二年刊の「阿羅野」にはじまるが、その活動範囲は加賀俳壇をおおきく超えるものではなかった。寛文七(一六六七)年に生まれ、元文五(一七四〇)年歿。享年七十四。
「せりうりの十錢」とは「卯辰集」に収める「十銭を得て芹売の帰りけり」のことを指す。また書簡中「類火の難御のがれ候よし」というのは、元禄三年三月十六日の夜から翌十七日に及んだ金沢の大火のことを指す。加賀俳壇の仲間である北枝はこれによって家を焼かれ、このときに「焼(やけ)にけりされども花はちりすまし」という句を得て芭蕉に激賞されたことはよく知られたエピソードである。小春の家は類焼をまぬかれたらしい。「殘生いまだ漂泊やまず」とあるが、元禄二年春にはじまる北国行脚以来、芭蕉は江戸には帰っていない。江戸に戻るのはこの書簡の翌年、元禄四年の十月まで待たなければならない。もっとも芭蕉にしてみれば、江戸に「戻る」という意識は希薄なものであったかもしれない。だいいち帰るべき庵は人に譲り渡してしまっているのである。元禄二年の旅立ちのときと同じく、元禄四年の入府にさいしても杉風の採荼庵(さいたあん)などにやっかいになっていたようである。それに四国・九州までも、とこころざしを洩らした芭蕉のことである(「四國の山ぶみ・つくしの舩路(ふなぢ)、いまだこゝろさだめず候」元禄三年正月二日付荷兮宛書簡)。「猶どち風に身をまかすべき哉と、秋立比を待かけ候」という言葉のうちに江戸のことが頭にあったとはとうてい考えられないのである。
 このとき、「せりうりの十錢」の句は、芭蕉のこころによくひびいたのではないか。「小界かろき程、我が世間に似たれば」というのは芭蕉の実感であったにちがいない。ただ、これが元禄三、四年ごろからさかんに芭蕉が提唱しはじめた「新意」「かるみ」とどう関わるかというとこれは一筋縄ではいかない問題をはらんでいるだろう。現に「かろき小界」を観じた芭蕉自身の句を探ってみれば、これ以前にも「ものひとつ瓢(ひさご)はかろき我が世哉」(貞享三年)、「一つぬひ(い)で後(うしろ)に負(おひ)ぬ衣がへ」(貞享五年)などが散見されるからだ。ちなみに前者は江戸深川芭蕉庵での、後者は「笈の小文」の旅中での吟であるが、草庵住まいでなければ旅にあるといった二者しか選択肢を持たない芭蕉の「小界」をまことに象徴的に表している二句であるといってよいだろう(ここに引いたのはたまたま偶然ではあるが)。ただし、これらは「かろき」へ向かう志向ではあるが、その全き成就ではないということは言える気がする。言い換えればここでの「かろさ」は観念や思想ではあっても、芭蕉という存在の機微をおびやかしかつ祝福する「詩」ではありえていない。芭蕉はこのころまだなにものかに渇えている。
 元禄三年前後、芭蕉がしばしば「かろさ」について言及していることは、すでに前の項でも書いた。たとえば元禄二年十二月の去来宛書簡では「尚々(なほなほ)愚句元旦之詠、なるほどかろく可被(いたすべく)候。よくよく存(ぞんじ)候に、ことごと敷工(しきたく)み之(の)所に而御座無(てござなく)候」とか、元禄三年四月十日付の此筋(しきん)・千川(せんせん)宛書簡の「猶(なほ)はいかい・發句、おもくれず持(もつ)てまはらざる樣(やう)に御工案可被成(こうあんなさるべく)候」、また元禄三年の春に詠まれた「木のもとに汁も膾も櫻かな」にふれて、「花見のかゝりを少し得て、かるみをしたり」と言ったとある(三冊子より)。
 結論から先に言ってしまえば、筆者としてはこれら一連の言及の流れのうちに「十銭を得て芹売の帰りけり」への称賛をとらえておきたい。すなわちこの句はまぎれもなく芭蕉が目する「かるみ」の句でありながら、句中に「かるい」という言葉などまったく使われていないことに思い当たられたい。ここにおける「かるみ」とはなにか。青々とした香草を差し出し、わずかな銭を握って長居もせずに帰ってゆく芹売りの後ろ姿に早春の光まで透けて見えるようだ。そんなことはどこにも書いていないが。句眼は「芹売」の一語だろう。「十銭を得」るから「小界」がかるいのではない。芹という、鮮烈な春の香りを放つが存在自体ははかないものを売る者であるからこそ、そこに「詩」があり、生業(なりわい)はかるくてそして尊いのだといえる。芭蕉が目している「かるみ」とは案外奥が深いもののように思われるのである。この句など、なにか蕪村の「鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半の門」を思い起こさせると言ったら過褒であろうか。「口質他に越候」と芭蕉の慧眼はさすがにそこのところをはずしていない。のちにはかばかしいはたらきも示さなかった、この親子ほどにも年の隔たりのある薬種屋の跡取りの、匿された資質をどうも芭蕉は感じ取って愛したらしい形跡があるのである。
 ところで、書簡中の「京にても京なつかしやほとゝぎす」の句は、たんに近作を無機的に報じただけのものであろうか。この句を仔細に眺めてみると、京住まいの生活者の視点ではけっしてないことがわかる。「京」というしたたかな存在のただなかで、一種既視感にも似た感覚に見舞われている深更の自画像は、まさしく旅中にある者の像にほかならない。「京」という王城の地で、過去数知れず歌に詠まれてきた幻鳥としてのほととぎすを聴く――そこにかぎりない慕わしさ、懐かしさがあるというのは「京」にとっては異邦人である「小界」のかるい旅人の視線だといえよう(ちなみにこの句の別のバリアントの前書には「旅寓」とある)。その意味でこれは「せりうりの十錢」の句への濃(こま)やかな唱和であったと私は考えるのである。この旅人の視線は、西行の「としたけてまたこゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」にも比肩しうる次の句に昇華されていったと私は思う。元禄七年、芭蕉五十一歳の、最後の旅の途次で詠まれた吟であった。

 世を旅にしろかく小田の行戻(ゆきもど)

(この項終わり)



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バタイユ・ノート2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第7回

吉田裕



5 過剰から神秘へ・ニーチェを照らし出すものとしての社会科学研究会
 雑誌「アセファル」のなかでニーチェが非常に大きな役割を果たしたことを、数回にわたって読んできたが、今回は社会科学研究会のなかで、またそこで活動するバタイユのなかで、ニーチェがどのような意味を持ったかをみることにしたい。とはいえ、この時期のバタイユの活動をとらえるのに、「アセファル」に触れ、次いで社会科学研究会というやり方でとらえようとすることについては、いくつかの点で注意が必要である。というのは、バタイユ自身が「自伝ノート」のなかで言っているのだが、社会科学研究会の活動は、結社としての「アセファル」のもう一つの外部活動機関として想定されていたからである。だから結社「アセファル」、雑誌「アセファル」それに社会科学研究会の三つの活動は、互いに強く結ばれており、かなりの部分で重なりあっている。前回に見たように、社会科学研究会の設立広告は、「アセファル」の3・4合併号に掲載されていた。時間的な面から言えば、この設立宣言が出されるのは37年7月であり、その実践としての講演会活動が行われたのは、37年11月から39年7月までであって、「アセファル」の最終号である第5号の刊行は39年6月であるから、社会科学研究会の活動は、「アセファル」にほぼ重なっていることになる。結社「アセファル」も、ロールの死を経た後も、39年まで持続していたようだ。だからこの時期の彼の活動を、簡単に「アセファル」(結社と雑誌の二つの意味で)から社会科学研究会へという言い方をするわけにはいかないのだ。バタイユはこれら三つの活動を、一貫したものととらえていた。ただ実際には、それぞれ性格が違うこともあって、参加者は必ずしも同じではなかったし、また結社と雑誌の「アセファル」についてはバタイユがリーダーシップを持っていたものの、社会科学研究会に関しては中心人物はカイヨワだと見られていたようだ。38年7月にNRF誌にバタイユ、レリス、カイヨワの3人の論文が発表されたとき、問題にされたのはほとんどカイヨワの「冬の風」だけだったらしい。共同体の今日的な可能性を探ることをうたったこの論文には、右翼からの反応もあったとのことである。
 社会科学研究会の活動は講演が主であったから、資料らしいものは元々少なく、さらに散逸していたが、77年にオリエによって収集がなされ、かなりよくわかるようになった(邦訳『聖社会学』工作舎。現在ではさらに増補版が準備されているらしい)。しかしそれをニーチェという関心から読んでみると、意外にニーチェに対する言及が少ないことに気がつく。ニーチェを主題にした講演は行われていない。バタイユもそのような講演を行ってはいない。資料が残っている講演のなかでニーチェの影響がもっとも明らかなのは、39年1月のガスタラの「文学の誕生」であろう。「悲劇の誕生」を思わせる題は、たしかにそれを文学に応用したことを思わせるが、論旨は意外に平凡で、編者のオリエは、この講演についてクノーが「ニーチェ以来誰でも言うような常套句の域を出ていない」と評したことを明らかにしているが、たぶんその通りだろう。そのほかのところでは、ニーチェの名は散見される程度である。比較的かたちを保ったまま残っているバタイユの講演のなかで、いくらか目に付くのは、最初の講演会である37年11月に彼が行った「聖社会学および『社会』『有機体』『存在』相互の関係」のなかで、〈ニーチェは無機物質に知覚が存在し、したがって意識が存在すると考えていた〉と書いている部分である。彼は自分もものごとを同じように見る傾向があり、そのようなニーチェの文章を非常に興味深く読んだと述べているが、これは無機物質も含めて世界を意識の作用を媒介として総体的な交感状態におこうとするためだったのだろうか。もっともそのあとに、ニーチェもその当時この問題に深くはかかわらなかったと述べているから、この言及もさしたる重要性を持っているわけではないようだ。
 だからこの時期のバタイユのニーチェ像を見るためには、社会科学研究会ではなく、雑誌「アセファル」が適当だと言うことになるだろう。しかしながら、社会科学研究会に仮にニーチェに関する直接の言及が少ないとしても、それがバタイユのニーチェ理解について知るために益するところがないと言うことはできない。なぜなら、雑誌「アセファル」でニーチェの影はすでに大きいが、その3・4合併号から5号にかけて度合いを急速に高めていくニーチェの神秘主義的解釈の傾向は、刊行期間が長いこともあって、必ずしも「アセファル」だけからは読みとりにくいのだが、社会科学研究会の活動は、背後からこの部分を照明してくれるように見えるからである。

 社会科学研究会の記録を通読して、いちばん印象的なのは共同体に対する強い関心であろう。共同体に関する関心があったればこそ、社会学を表題とする活動を組織したのだから、それは当然だとは言えるし、またバタイユには社会学に対する関心がずっと以前からあって、それがここで実践的活動を行わしめるほどの力を持つようになったとも言えるが、それでもここではもっと根本的に、なぜバタイユが共同体や社会に対して持つ関心がこれほど強いものになったかを考える必要があるだろう。補足しておくなら、共同性への関心は、結社「アセファル」やこの社会科学研究会を別にしても、またもう一つある。それは37年4月の「集団心理学会」の設立のことである。会長にピエール・ジャネという高名な心理学者をいだき、バタイユは副会長に名を連ねている。これもまた今のところ、ほとんど名前だけが伝えられているものの資料のない、あるいは本当に名前だけで終わって実質がほとんどなかったかもしれない、ある点ではいかにもバタイユ的な活動のひとつではあるが、それは少なくとも、名称が示しているように、集団すなわち共同性に対する関心を表したものではあったはずだ。
 集団、共同体、あるいは社会と呼ばれるものに対するこれほどの関心はなぜなのか。それは共同性が、神秘と表裏一体の関係にあったからである。共同性と神秘経験が結びつくことは、現在の水準ではわかりやすくはないだろう。共同体とはとりあえず社会のことだとすると、現在の通念からすれば、社会とは複数の個体の集合であり、この結合は合理的であるべきであり、そのような場合神秘経験は社会に対立するからだ。けれども神秘と共同性は、本当はひとつのものの表と裏であることを、バタイユは社会学あるいは精神分析学を引用しながら主張する。社会は単に個体の集合ではない。個体が集まって社会を作るとき、そしてそれが単なる集合ではなく有機的に結合するとき、そこには個体の和以上のものがあらわれる。その時この集団は共同体と呼ばれることになる。
 ではこの和以上の部分はなにか? それは文字どおり過剰なものである。この過剰さは、過剰さであるからには、共同体内部では解消されえない。するとそれは犯罪、破壊、暴力等共同体を脅かすものとして現れ、共同体を動揺させるのだが、共同体は逆にこの動揺を、共同体の本質としての過剰なものを確認する機会として利用し、自己を共同体として確立するのである(たとえばフロイトによれば兄弟による父親殺しがあり、またバタイユは、イエスの処刑によってキリスト教団が成立するとみている)。ただしこの時、共同体確立の根拠となった犯罪、破壊、暴力そのほかは、共同体を揺さぶるものでもあるために、隠蔽される。するとこの隠蔽によって犯罪そのほかは、触れてはならぬものとして聖なるもの、神秘的なものという性格を帯びることになる。
 バタイユとその友人たちは、社会科学研究会の活動のなかで、社会や共同体の結束点である聖なるものの探求をおこない、それは同時に新たな共同性はどのように可能であるのかの探求でもあったが、それは反対側では、共同体の結節点となるべき神秘的な体験の可能性を探し求めることであった。
 バタイユに限って言えば、この関心はもちろんそのとき急に始まったものではない。共同体が生じさせる和以上のものは、「消費の概念」以降、彼がまさしく過剰という名で惹かれ続けてきたものであったからだ。そしてこの過剰分を放出するための非生産的消費は、贈与、性愛、戦争であったが、これらが聖なるもの、神秘的なものとほぼ同一であることは、容易に理解される。しかしながら、この部分には階梯を想定し他方が問題ははっきりするだろう。つまり過剰はさらにその性格を強化して、神秘となって現れることになる。この時期のバタイユは神秘的なものへの傾斜を急激に強めていった。そのことは、いくつかの面で観察できる。先に言っておけば、神話と神話的なものへの関心はこの時代に顕著に現れていた。オリエは、神話は時代の流行だったと言っている。彼の盟友であったカイヨワが38年に「神話と人間」、39年に「人間と聖なるもの」を出し、レヴィ=ブリュルに「原始神話学」35年、「原始人における神秘体験と象徴」38年があった。ほかにナチスムに近いところで、ローゼンベルク「二〇世紀の神話」がある。
 バタイユもこのような著作と時代を共有している。彼においてこの傾向は、まず神秘経験を持った人物への関心となって反映する。彼がフォリニョの聖アンジェラやアヴィラの聖テレジアをはじめとするキリスト教の聖女たちへの関心を深めていくのはこのころからである。シュリヤによれば、バタイユの最初の神秘主義的テキストは、「死を前にしての歓喜の実践」だということだが、これは前述のように、「アセファル」第5号の「ニーチェの狂気」の特集号にでたもので、39年のことである。同じ関心がニーチェを眺める視野のうちにも侵入し、その結果としてニーチェの像を変え、神秘主義的解釈が始められたように思われる。だが彼の神秘化の傾向は、他と比べてさらに過激だったらしい。レリスは社会科学研究会の発足当時から批判的だったが、カイヨワでさえも次第に批判に転じるようになり、それが結局は社会科学研究会を崩壊させることになる。
 しかし今はバタイユの軌跡を追うことにしよう。このように「過剰」が「神秘」へと読み変えられていったとき、他方それと相関関係にあった「共同体」も変化を起こさざるを得ない。突飛な言い方に聞こえるかもしれないが、共同体が変化していった先は「戦争」であると言えるように私には思われる。過剰はあまりにも過剰なものとなり、共同体の秩序のなかに回収され得なくなる。そこで引き起こされる戦争とは、有機的な組織としての共同体の共同性、つまり人間と人間を結びつけ対立させる力がもっともむき出しにされた状態ではないのか。戦争とは共同体の本質が露呈される瞬間なのだ。
 彼は〈戦争と供犠の儀礼と神秘的生活には等価性がある〉と言っている(「有用性の限界」)。これは文字どおり、神秘と戦争の同一性を言っている。さらにバタイユが男女の性愛をしばしば供犠のイメージで語っていることを思い出せば、この同一性のなかにさらにエロチスムの問題を重ね合わせることができるだろう。事実バタイユは、社会科学研究会の最後の講演で、おそらくは不特定多数を相手にする講演という性格のために押し隠していた性愛に関する考えを、あたかもそれが最後の講演になることを知悉しているかのようにあからさまにし、性愛が共同体の擾乱に繋がっていくことを明言する。〈彼らは抱擁のなかで出会う共通存在を越えて、激しい消費のうちに見境のない無化を要求するのです。その消費のなかでは、新たな対象、つまり一人の新たな女あるいは男の所有も、さらにいっそう破壊的な消費のための口実にすぎません。………こんなふうに彼らは徐々に、自分たちの供犠への熱狂を伝染させ広めるという欲望にとりつかれてゆきます〉。ニーチェの像をめぐってなされたその神秘化と戦争のなかへの位置づけは、以上のような全体的な流動化のなかのひとつの例であるが、またニーチェの像の変化という限定された例を検証することで、この全体的な流動化を観察することもできるのである。

(この項終わり)



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Booby Trap 通信  No. 5

禁忌と禁忌の侵犯に人間をみる
聖女たち――バタイユの遺稿から/著訳者・吉田裕/書肆山田/定価 2000円(本体1942円)

【目次】
●「聖ナル神」遺稿 ジョルジュ・バタイユ/吉田裕訳
「エロチシスムに関する逆説」の草稿
聖女
シャルロット・ダンジェルヴィル
●淫蕩と言語と――「聖ナル神」をめぐって―― 吉田裕
(書店でお買い求めください)
歴史の「中心」をめぐって――友人への9通の手紙/私家版(残部僅少)/無料
【関連資料】吉田裕『歴史の「中心」をめぐって』(非売品)は一九八九年から九一年までの、詩を書いている築山登美夫への手紙を中心に編まれている。八九年の春から一年間フランスにいて、ルーマニアのことなどが日本への情報とは違ったかたちで受けとめられたことなど、もちろん文学をやっている者が状況とどんなふうにかかわっていくか、という根底的な問題ももどかしく感じながらも書かれている。この本のもうひとつの中心はジュネットのセミネールで直接講義を受けた体験と、ジュネットの思想の解析である。ジュネットはタイトル、献辞、序言、あとがき、インタヴュー、自己解説、回想などの周辺のテキストをパラ・テキストという概念にまとめ、テキスト論を展開する。手紙の形式からいっても量的にも、ジュネットの考え方をめぐった随想というかたちであり、著者の関心はバタイユに移っていくところで手紙は終わっている。(中略)
 吉田の本を読んでいてもうひとつ感じたのは、西洋やその他の国の思想の異化ということが身近に自然になってきたということである。わが家にも昨年アメリカ人の少年が二カ月ほど、ごく自然に生活していった。ヘヴィメタルバンド・メガデスのマーティ・フリードマンのアルバム『憧憬』の〈Realm Of The Senses〉という曲の演歌のメロディラインの異化作用。日本の時間的な隔たりによる異化ならば寺山修司作高取英演出『盲人書簡』。(後略)(「週刊読書人」1993・3・15号〈さまざまな異化作用〉・清水鱗造)
(著者に直接注文してください。著者住所:〒168杉並区高井戸西2-7-29)
【近況】引っ越ししてようやく落ち着いてきた。バタイユについていくつかテーマが浮かんで、思いつくままに、ワープロに打ち込んでいる。そのひとつは吉本と重ね合わせること。30、40年代のバタイユのテーマは、神秘と性愛と戦争だと言えそうだが、これは自己幻想と対幻想と共同幻想のことではないのか。彼らは二人とも、これら三つのものが交差しあう地点を経験し、惹かれ続けたのではないか。自分のこれまで何を考えてきたかを検証する意味でも、この二人を比較してみる気持ちを持つ。

Pastiche/田中宏輔/花神社/定価2400円(送料込み)
いくら あなたをひきよせようとしても
あなたは 水面に浮かぶ果実のように
わたしのほうには ちっとも戻ってはこなかったわ
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと あなたは はなれていった

もいだのは わたし
水面になげつけたのも わたしだけれど
(〈水面に浮かぶ果実のように〉)
【プロフィール】1961年、京都生まれ。現在、同志社国際高校数学科講師。『Pastiche』(1993.5刊)は処女詩集。「ポパイ」2.10号47ページに顔写真とインタビューが載っています。同性愛を織り込んだ詩も書く。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒606 京都市左京区下鴨西本町36-1-2A号)
【近況】三ケ月ほど前に住居を替え、電話を替え、消息を絶っていたNから電話がありました。好きな子ができ、同棲していると言うのです。そして、そう言った後、涙声で「ごめんね」と繰り返しながら、「また電話してもいい?」とか、「また会ってくれる?」とか言うのです。ぼくには、Nの気持ちがさっぱり分かりませんでした。同棲している相手と別れた訳でもないのに、いまさらのように、ぼくのところに電話をかけてくるなんて……。愛されている人間というものが、どれほど残酷な振る舞いをするものか、ぼくは痛感することができました。

新刊!
『蚤の心臓』/関富士子/思潮社/定価2600円(書店でお買い求め下さい)

棚の下の暗がりをすばやく歩く者は
猿のような後ろ姿だが
首だけあおむけて
蜂をほおにとまらせたり
幹の蟻をこすり落としたり
蔓や葉は光の方へ伸びるが
房がながながと垂れるので
日暮らし膝でいざり歩く
下草に濡れてふるえながら
てのひらで房の重みをはかっている
房は熟して張りつめ
汁がその手にしたたるだけで発酵する
びしょぬれで飲みつづける毎日のあと
枯れ落ちようやく明るんだ棚の下で
酔いざめのくしゃみをする
〈時をめぐる冒険〉より〈葡萄畑〉
【著者紹介】1950年福島県生まれ。1977年、詩集『螺旋の周辺』監獄馬車刊。1991年『飼育記』あざみ書房刊。土井晩翠賞。詩誌「gui」同人。(住所〒351埼玉県朝霞市泉水2-7-34-101
【近況】ワープロに縛りつけられた一か月が過ぎて、さあ遊びに行こうと思ったら梅雨だ。かっぱを着て自転車を飛ばす毎日が始まる。

長尾高弘
【近況】300MBのHDDを買ってから2ヵ月、未だにコンピュータに接続していません。前回、ねじ回しを持ったときには、FDDを1つ壊してしまいました。こんな人間でも食って行けるのが、コンピュータ業界の良いところです。Panix BBSに以前書いたことと重複しますが、朝吹亮二『opus』の45〜53は、パソコン通信を題材にとった日本で最初の詩作品なのではないかと推測しています。日本でパソコン通信が始まったのが85年で、『opus』は86年までの作品ということですから、これはなかなかすごいんじゃないかと思っています。
【プロフィール】1960年4月6日生。(住所:〒223横浜市港北区東山田3-26-16)

沢孝子
【自己紹介】大和化している自己を捕らえ直さないかぎり、何ひとつ真実が見えてこないような気がしています。『空は海は月は』の詩集(私家版、500円)では、労働した街の手触りで、『プラスチックの木』の詩集(書肆山田、2060円)では、大和化の意識の裂け目を拡大鏡で覗いた、膨大なイメージ群で、今は、歴史の中へと悪戦苦闘していますが、やや自虐的なものから解放されて、少しは攻撃的になり楽しんで詩を書いている所があります。やはり自己満足の詩?
(住所:〒560豊中市東豊中町5-2-106-504山形方)

白蟻電車/清水鱗造/十一月舎/定価1500円(送料込み)
穢れを通して生きていることの意味を探るというのはかなり勇気の要ることだ。清水鱗造はいまそれを敢えてやろうとしている。――鈴木志郎康(帯文より)
蟻の文字がぎっしり詰まった丸まった新聞紙が
ボッと発火する
吉凶吉凶吉凶…と燃える
家系を満たす甘い雪崩…と燃えている
凌辱するものは味方でも撃て…と燃える
菊が硫酸に浮いている
声がただれてくる
逆円錐の渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
百平方メートルの皮膚がいっせいに鳥肌立つ
(〈渦群〉より)
【近況】暑い夏で、楽しい気分も憂鬱な気分もある程度破壊されるようです。冷房した部屋で、向かっていくべきもの(挑戦していくべきものというような大袈裟なものではなく)がだんだん姿を現わしてくるような感じです。これも44歳という年齢に達したからかもしれません。犬が毎朝寝床まできて起こしてくれます。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒154世田谷区弦巻4-6-18)

布村浩一詩集/自家版/定価1000円(送料込み)
90年代の喩の行方を鮮烈に告げる!
二つの ぼたん
鳥をつかって漁をする
魚売り
おちていく ふたつの
火花
花火は明るくて
泳がない
沈んでいく音楽にのせて
オルガンの音楽にのせて
オルガンのおちていく弾き手
だいじょうぶ
まだ
稲は食べられる
おちていく 二つの

祭りのなかの
合図のように
とおく
村の呪文の
なかに
いる
駆けていく距離の
小さな軽い足
とおざかっていく
船の上の 息を吐く
兄妹
(〈二つの ぼたん〉)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒186 国立市西1-10-3 浜田方)

長編書き下ろし!
〈金の枝のあいだから〉/倉田良成詩/私家版/頒価2300円(送料共)
挿画・造本/三嶋典東

冬の透明な船着場が近づく
鬱蒼と火のからまる街に
示される尉の面の
無限にかさなりあってゆく明るみのはなびら
底光りする鏡から
むらがるユリカモメが抜け出して
部屋いっぱいに香り立つ
小松川の暗黒へ
きらめく夜の河へ
千年
金の屑を散り敷いてきた秋ごとに
ふりそそぐ恩寵の驟雨を狂気のように堪えてきた
末は
旅人の
肉眼
明るみのはなびらの
あふれるまぼろしのはなびらのなかで
               (パート15〈河明かり〉より)
*著者に直接注文のほか、渋谷ぽると・ぱろうると池袋ぽえむ・ぱろうるに置いています
【近況】私家版の新詩集の制作・配布・宣伝がひととおり終わってほっとしています。最寄りの駅に八尾の風の盆のことを載せたポスターが貼ってあるのを見て、矢も楯もなく行きたくなりました。ずいぶん前のことですが、テレビで風の盆を収録した番組があって、そのときの男や女の舞の手のあまりのうつくしさに鳥肌が立ったのを覚えています。それ以来、越中八尾は私にとって幻の土地となりました。そうたびたび行けるところではないので、ここはなにがなんでも休みを取って堪能してこようと決めています。

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