詩 都市 批評 電脳



第18号 1995.8.17 227円 (本体220円)

〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134:FAX 03-5450-1846)
(郵便振替:00160-8-668151 ブービー・トラップ編集室)
8号分予約1100円 (切手の場合90円×12枚+20円×1枚) 編集・発行 清水鱗造

ブービー・トラップ特別号No.1、8月末日出来!
『presence/echolalia』(プレゼンス/エコラリア)発行:昧爽社
田中宏輔の二つの長編詩〈陽の埋葬〉を収める。
この号は予約には含まれません。別途、注文してください。700円(送料込み)
なお、書店でも買えます。その際は、地方・小出版流通センター扱いと指定してください。


昧爽社の本について
十数年前に何冊かこの社名で詩集を作り休業(?)していました。久しぶりに数冊作りました。本屋さんで買えますが、著者のところにもありますので、直接注文されたほうが速いカンパになります。本屋さんで売れたとき入るお金もしばらくたってから著者に還流する形式はとってはいますが、そこのところよろしくお願いします。

ISBN番号リスト
ゼノン、あなたは正しい(倉田良成 表紙 和田彰)ISBN4-943953-00-X
ぼくのお城(布村浩一 表紙 星野勝成)ISBN4-943953-03-4
長い夢(長尾高弘 表紙 和田彰)
毒草――夏の旅(清水鱗造 表紙 星野勝成)ISBN4-943953-04-2
presence/echolalia(田中宏輔 表紙 星野勝成)ISBN4-943953-05-0
郵便振替:00170-6-57502 昧爽社


断章95-8 遠近法

清水鱗造


一枚の景色が少し浮き上がってもう一枚の景色を作る。しかし、はがれた一部はもとの景色とくっついていて、樹木の根も絡まりながら二つの景色とつながっている。
ぼくは毎日人に出会う。そして話が始まる。しばらくすると出会ったことは、生成でも破壊でもなかったことに気付く。生理の行方はゼロ方向に毛細血管を張り巡らす。
これは一枚の景色とそこからはがれた景色のあいだ、何もない部分に発達するから、誰も見ることはできない。
遠近法はここからの距離、見えない地点への方向を表わすが、いっぽうで考え方の一つの型を眼から与えている。自分からの距離は生活するときにはとても意識しなければやっていけないが、密着することも無限遠に離れることも、まったく同じことなのだ。
だから作るとき遠近法を駆使することは〈厳粛な遊び〉〈普通の生活〉の枠のなかに思想を入れることだ。
そのような遠近法の〈団子〉を台所で味噌汁を作っているとき、たしかに感じている。


表紙-にぎやかな場所-花々のための恋唄-夜景-私の壁-裁判-旅仕度-秋の歌-駆ける森-いまここで火を焚く-仮面にはらむ夏-陽の埋葬-矢印-バタイユ・マテリアリスト 2-Windows ヘルプを使った詩集の制作-Booby Trap 通信 No. 9

にぎやかな場所

布村浩一



銀杏が隙間なく埋まっている 真っ黄色だ テニスコートがあって人たちが走っている 彼の表情はどんどん悪くなると思った 治療しているのに 顔から精彩がなくなっていく 「蛙の呼び出し方」という 図鑑を広げたまま彼は眠っているのか 目をつぶっている のか 銀杏の葉が風に揺れ この集会室は受験生のための 勉強部屋になっている 銀杏の葉は揺れ続け ぼくと図鑑 を広げた彼だけからペンを走らす音が聞こえない    *     * 明るい店に来る 明るい店はいい コーヒーとミートソースを注文した 薬を飲んだ この店は大きく明るい 朝食と昼食のあいだ みんな喋っている  席の半分は埋まっていて 本を読む人がいて  角のテーブルでノートを取る人がいる ぼくはアメリカン・コーヒーを注文した。 アメリカン・コーヒーと発音できる     *     * にぎやかな場所にやってきた 水を飲む 店の外には鉄の口 絵皿が無数にあり  中世の騎士の絵 槍を投げるエスキモーの絵  魚を捕る船乗りの絵 花を摘む女の絵  スキー靴を履いた子供の絵 鷲だ 金の枝の木 苺の形のケーキをたのんだ それとセイロン・ミルクティーを 店のすべてのテーブルで会話が続いている クリスマスから正月へ加速する  その加速に乗った人たちがテーブルの上で汗をかいている    *     * 声はあふれ あふれ 老人たちとすべり台  恋人と自転車 ここにもまったく葉のついていない枝がのびていて 木の枝の影が噴水のところまでのびる 日はあふれ  ぼくは日のあたるベンチで  眠りたい


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花々のための恋唄

倉田良成



かすかな悲しみのなかにあるときに 花はするどい痛みのように美しい 遠い世の春の野であなたは呼びかけたのだろうか (あかねさす……)と 四月の光に濡れた朝やみじろぐ闇の夜のなかで 怪我をした少女の狂乱の眼を思うとき 私たちは高貴な声のような怒りに打たれる 「世界は巨きな不正にほかならない」 慰藉はつややかなチェロの言葉で 平安は疼きとともに語られなければならない 私たちがときおり見かける壁に描かれた稚い猥画の なんという深い線! ごらん 曇天を背にして透明な新緑の木が立っている きらめく水をおびただしく含んで 光がそこにとどくまでの眼もくらむディスタンス あしたから永遠に齢をかぞえられる春の人が そのしたにいる はげしく炎える火のような時のなかであなたは呟いたのだろうか (さねさし……)と 無慈悲な四月の風に身をなぶらせて 花は絶望のように美しい もし、歓びのない人生が無価値であるとするならば 人は老いることに希望を持たなくてはならない 勇気をひめて いつのまにか降りだした春の雨があなたの髪を湿らせる 夕ぐれ、新緑は鮮血のいろにまみれ かすかな温もりのこもるしんかんとした公園で 花は残酷なまでに美しい 宵闇ののがれがたくせまる遠い世のきざはしで あなたはささやいたのだろうか (夕されば もの念(も)ひまさる)と…… 


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夜景

長尾高弘



東に満月 西に三日月 鳥や魚が落ちてきた跡には どこが垂直なのかを示すように 糸が垂れていた 無数の糸の遠近法 お前はそのような糸の背後から姿を現した 輪郭だけで濃淡のない平板な姿 やあと声をかけても 気付かぬふりをしてすり抜けていった 今となってはそれもやむを得ないことだろう 生き残ったのは眼だけなのだから (で、お前は誰だっけ?) 西に満月 東に三日月


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私の壁

長尾高弘



私の壁は鉛筆書きである しかし壁などというものは 少し抽象化すれば わざわざ書くまでもないものではなかろうか? といって何も書かれていなければ それをわざわざ壁と呼ぶ必要もない それに実際に書かれているのは 壁のしみ、ひび、汚れで 壁自体は書かれていないのだ なのにそれは私の壁になっている おまけに鉛筆書きだ たったそれだけのことで 私の自由は制限されている 壁の向こうには行けないし 壁の向こうは見えない 迷惑な話だ しかしいったいどうして その壁は私の壁なのだろうか? 私はそんなものを望んだ覚えはない 望まないものを抱え込んでいる必要はないではないか そこで私は私の壁を共有に付することにした これで壁はみんなのものだ みんなの壁は鉛筆書きである


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裁判

長尾高弘



むすめを殺された親は むすめを殺した男を 決して許せない だろう 殺してやりたい と思うことだろう 裁判所で 男を見るたびに 思うことだろう ごはんを食べるように 毎日欠かさず 思っているのかもしれない だからこそ 判決が下されたあと TVカメラの前で 極刑が下されるのを信じて 今日まで闘ってきたのに 無念だ と 涙ながらに訴えるわけだ ちょっと恐いな


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旅仕度

荒川みや子



今年の夏の暑い日に、おばあさんが死んだ。去年の夏の暑い日におじいさんが死んだ。二人共生きるのを終えたので旅の仕度をしなければいけない。娘と二人して始めた。それは白い脚絆である。羽のように軽くうすく、足に捲くと冷たい水音がする。編み笠も置いた。足には草鞋をそえた。足袋もはかせる。広い広い地平線と空のあいだにおばあさんは横たわる。冷たい水がひたひたわたしたちを取り囲み、祭壇近くまであふれ出した。生きているわたしたちには、冷えた番茶があった。Tシャツの裾から欠けた月も過ぎる。朝顔、レンコン、ザリガニも出てきた。娘は傍で毬を投げている。二人して膝を折ったまま止まっていようか。イヤイヤ、わたしたちは豆を剥かねばならない。私が嫁さんに来た当初のように、私は娘とそら豆を剥かなければならない。

 おじいさん、うまく川を渡れよ三途の川。小銭は入れといたよ。おばあさん、おばあさんの息子と私は仲よく川の中にいるよ。バタバタ、ブクブクああたのしい。だから、できるだけ遠くことさら遠く、マメの蔓を登ろう。鳥さえ落さずように。


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秋の歌

駿河昌樹



いまはげしく降り続く雨の向こう 黄金色かるく、ひと射しひと射しは細かくふるえながら 時間をかけて降りてくるひかりの柱 濃淡とりどりに金色の丘は連なり 海は見えない 潮の音はしかしひと時として絶えず その音にむしろあれらの丈高い草は揺るぐ 十分生きたといっていいではないか すでに、かたちさまざまな雲の行方みな確かめて 時は杯を溢れる数十の冬を経た重力の虹酒 指と手には多くの指と手の労役を任せよ、そして 脳よりも遠いところの虚の香りをいま一度 嗅ぎ分けようと努めよ 夏はいま一個の緻密な結晶石である 土地の熱と色と湿気を吸い尽くした末の球体なのであれば 色が足りないと嘆くべきではない 見えない海が見える海より曖昧だったこともない この緻密な球体を雨風のなかに握る行為は おそらくは誇るべき指と手の労役 嗅ぎ分けようと努めよ、脳をはるかに零れ落ちて アトリエの外、不可視の柑橘類の香り鋭い、中空の蜜 いまはげしく降り続く雨の向こう 熱をなおも失わぬ地球の建築礎石の置かれたその場所 黄金色は億光年を経て物化した幼い日々の明るさに他ならず 世界は黄金を前にすると激烈な追憶へと傾斜する 時間はたしかに清い水の超高速の恋であろう 黒いものへと心の逃げ隠れする寂しい季節 一個のこの緻密な結晶をつよく掌に握れ いまはげしく降り続く雨の向こう しずかに冷めていくものあれば触れるな そのもののさらに向こうへ 向こうへ


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駆ける森

駿河昌樹



駆ける森 東南 南過ぎない潤い 豊か、森 遠さ、潮風 残す、追憶 プレット! プレット! キー・チェインジ 続けよ 孕む/孕まない闇 わが茎 朽ちるか、芽 雌の香り 残さない指 わが茎 打ち寄せるもの 吹きつけ 開き切ること 虹の粘液 の音 の音、うすい みどり 濃いみどり アプリオリに 駆ける森 陸真珠 セプラノ二枚貝の 伝説 廉価版冊子 嬰児の手ほどの挿し絵 白イルカ 青いルカ 桃井るか いらない ぽっつり 大きくて 青点桃点 ぽっつり 駆ける森 ぽっつり


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いまここで火を焚く

駿河昌樹



起こることがなぜ 起こるか見えないから 見ようとして ぼーっとすわり続ける たっぷりと後退しなければ なにを生きたのかわからない 川の流ればかり見続けて やがて死んでいくとしても 見ることはなおも わたくしの消えた川岸を 見ている 無人の場所はないのだよね 「するとわたしは見られていたのだ! この世界のなかで、わたしは ひとりではない!」と ネルヴァルは言ったものだったが だから いまここで焚く火は 正しくは遍在の火 川岸は消えたわたくしへと 帰っていくのだね 哀しいのは真剣になり切ってないから でしょ 起こること、起こらないこと 考えないでいいから いまここで火を焚くのだよ いまここで火 だけは焚くのだよ


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仮面にはらむ夏

沢孝子



 仮面にはらむ夏  何か ジリジリと  世界の割れるかおではない  古代の軋むこころではない 花の散る舞台を演じている 巫女からもらった 都市に沈むむいしきの 犯罪のかお 三百年の海のことばがある にわか あやつってくる照明に すりよっているわらじの跡の 幕の裏の罪 蚕の死が…… 眼のなかをはしりだす その以前 三百年のむいしきに 割れてきた 都市の世界の 海のことばは 犯罪のかおになる 武の別れの舞台を演じている 巫女の座がますあつみ 列島に祈るむいしきの 犯罪のこころ 三百年の月のうたがある 不可解な ふりしきってくる和紙の雪に げきじょうしたらあしの跡の 幕のおもての罰 蛇の狂いが…… 唇のおくへのがれでる その前世の 三百年のむいしきに 軋んできた 列島の古代の 月のうたは 犯罪のこころになる  何か ジリジリと  仮面にはらむ夏の  割れた世界のことばのように  軋んだ古代のうたのように 海のことばで対話した 花の散っている舞台 一時は 都市のむいしきにある やわらかい三百年のかおで沈み 海ははしるおと 泉がなしの犯罪はあまりにも単純すぎる あやつってくる照明に ふるえていた幕間の展開があり 幕のうらの罪の 花の掟へすりよった時代の 蚕をかかえるわらじで 死の跡を演じている 星をかぞえた夜空のような 海にうねってくる掟を つきぬけていた空間の 三百年のむいしきに沈む 割れてきた 都市の世界の 海のおとが 犯罪のことばの器にふれていく 月のうたで交わっていた 武と別れている舞台 一時は 列島のむいしきにある ふせていた三百年のこころで祈り 月にのがれでたこえ 湖ぶしょうの犯罪の深さははかりしれない ふりしきってくる和紙の雪に こおってくる幕間の展開があり 幕のおもての罰の武の掟へげきじょうした時代の 蛇をおもうらあしで 狂いの跡を演じている 閉ざされていた隙間のような 月ににじんでくる掟へ よばいしていた共同体の 三百年のむいしきに沈む 軋んできた 列島の古代の 月のこえが 犯罪のこころの剣にふれていく  おとがする 割れた世界の  こえがする 軋んだ古代の  何か ジリジリと  仮面にはらむ夏がやってくる 巫女からもらった 都市に沈むむいしきの 「ああ なんて多い支配者」 三百年のおとの海のやわらかさで ひざまずいていた わらじの死の跡にある 幕のうらの罪の蚕をかかえて 花の散る舞台を演じては 築いていった日の うねっている海の掟 つきぬけていた空間の ことばの犯罪にある 器にふれて 都市のかおがわらっている 仮面にはらむ夏の かたくなな願望がわらいころげて その魅力となる にじむ月の掟 よばいしていた共同体の こえの犯罪にある 剣にふれて 列島のこころがいかる 武の別れの舞台を演じては とたんにひろがった年の しのびよるあらしの狂いの跡 その幕のおもての罰にある 蛇をおもって ふせていた三百年の月のこえが 解体していくための作業を開始する 倒れた巫女の座のあつみで 列島に祈っていたむいしきにある 「なんて多い ああ 支配者」へ 仮面にはらむ夏の 幕のうらの罪にある 都市が割れた世界の 海のかおのわらいを 幕のおもての罰にある 列島が軋んだ古代の 月のこころのいかりを わたしは 聞いたか! そこに座していた 巫女の 泉がなしの股座にある 蚕の死……その都市の器と 三百年のむいしきを支配している掟の 湖ぶしょうの肩肘にある 蛇の狂い…… その列島と剣とは きみは 無縁であるか! 何か ジリジリとやってくる 舞台を演じては 幕間に展開していた 「支配者は ああ なんて多い」と はしりだす 眼のなかを のがれでる 唇のおくを あなたは 見たか!

(改稿)



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陽の埋葬

田中宏輔



a green / a green / a green fence の向こう 廃駅 の プラットホームに 足のない 少年が 立っていた a green / a green / a green fence が揺れると 少年も揺れる 枕木も揺れる ぶるぶると震える ぶるぶると震える a green / a green / a green fence の向こう 線路脇 の 叢 の 中 知恵遅れの女の子が ひとりで隠れん坊していた (その少年の妹は、 ひとりで隠れん坊していた (その少年の妹は、 ひとりで隠れん坊していた a green / a green / a green fence が揺れると 少女も揺れる 樹木も揺れる ぶるぶると震える ぶるぶると震える  ガリッ   ガリガリッ 雌鶏(ガツリーナ)! 廃駅 の プラットホームに 電車が 停まる 廃駅 の プラットホームに 電車が 停まる a a 浮子(アバ) 浮子(アバ) 点綴(てんてつ)された罪標(すてふだ) 窓々(まどまど)に象嵌(ぞうがん)された   父擬(ちちもど)き 母擬(ははもど)き 子供擬(こどももど)き      父擬(ちちもど)き 母擬(ははもど)き 子供擬(こどももど)き 鍵ッ は   目だ (隠微な象(かたち)をしている) 鍵 は    目だ (隠微な象(かたち)をしている) そのため 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、 人の心に思い浮かびもしなかったことを、 神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」                 (コリント人への第一の手紙二・九) a green / a green / a green fence の向こう 線路脇 の 叢 の 中(野薊(のあざみ)の後ろ) 少女は見つけた 木の箱、木の箱の中 少女は見つけた 木の箱、木の箱の中 金色に輝く蛇の抜け殻 金色に輝く蛇の抜け殻 くしゃり と 潰す 手の中 手のひらの中 斑猫(はんみょう)、蜥蜴(せきえき)、黒揚翅(くろあげは)、 斑猫(はんみょう)、蜥蜴(せきえき)、黒揚翅(くろあげは)、 ムシや、トカゲが、虹となる ムシや、トカゲが、虹となる a a 浮子(アバ) 浮子(アバ) a green / a green / a green fence が揺れると ホームも揺れる 虹も揺れる ホームも揺れる 虹も揺れる 緑の真珠 緑の真珠 虹から落ちて 海となる 海となる 緑の真珠 緑の真珠 虹から落ちて 海となる 海となる (懐かしいわね、海なんて・・・・・・ と (懐かしいわね、海なんて・・・・・・ と つぶやくアンドロメダの足もと アンドロメダの足もと に 漾(ただよ)い浮かぶ 古色(こしょく)の踏み絵、割れ踏み絵 古色(こしょく)の踏み絵、割れ踏み絵 a a 浮子(アバ) 浮子(アバ) 一相であるべき合金の内部に組成の不均一があることを偏析(segregation) といい、鋳塊の中で重い合金元素が底に沈降するような場合を重力偏析(grav- ity segregation)という。この固溶体合金のように凝固過程で最初に晶出した 中心部と、あとで晶出した周縁部との間に濃度の不均一をおこすと、凝固完了 後には一つの結晶粒、または樹枝状晶の中で中心部と周辺の間に不均一がおこ る。これを粒内偏析といい、かくして得られた組織を有心組織(cored struct- ure)という。(三島良績「金属材料概論」日本工業新聞社刊) 有心組織(cored structure)/有心組織(cored structure) a green / a green / a green fence / a green fence 緑の鋼鉄(はがね) 乖離する まなうら 眼裏と眼差し a green / a green / a green fence / a green fence 緑の鋼鉄(はがね) 乖離する まなうら 眼裏と眼差し その間隙の海景に その間隙の海景に 海胆(うに)も、海鼠(なまこ)も、海星(ひとで)なし 海胆(うに)も、海鼠(なまこ)も、海星(ひとで)なし


表紙-にぎやかな場所-花々のための恋唄-夜景-私の壁-裁判-旅仕度-秋の歌-駆ける森-いまここで火を焚く-仮面にはらむ夏-陽の埋葬-矢印-バタイユ・マテリアリスト 2-Windows ヘルプを使った詩集の制作-Booby Trap 通信 No. 9

矢印

清水鱗造



誘惑に 水しぶきに 毛脛の虫に 土管のなかの細い魚に (なんかわかんなくなっちゃった) びゅーんとね べたべたのをチューブから出して 塗る せいぜいが せいぜいの 平たい町並みの 巨きいトンボが 平たく張りついて 舗道に模様もできるし 身の丈の薩摩揚げ の その薩摩揚げ が 私を好む それで 身の丈の ふうに振る舞うのが 恥ずかしがり屋の 女 買い でも きっと 現われる ちがいない 角々に 汚れた金襴緞子が ホームレスになったので 電信柱によく似合う そんな凧揚げの日 曇天で 自転車で踏切を渡ると 電車の窓から コーヒー売りが 顔を出していたもんだ そのころ 犬の概念について 考えていたんだが しょせん尻尾だろ 尻尾を剃っても だめだし 近視は進むばかりで 一週休んで ティッシュで拭いて 膨満感があって 煙草 一服 単にビタミンの話 時に齢むにゃむにゃ 陽炎にひょろひょろと 黄色い人が いつもの服着て 障子に穴開けて 覗いて 見たのが 例の杓文字だった ケツ語としては 黄門が えらい物持ちで なんか私の下水道を 透視して 紐を引っ張っている


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バタイユ・ノート3
バタイユ・マテリアリスト 連載第2回

吉田裕



3 「ドキュマン」以前

 物質性への関心は、バタイユにおいて最も注目すべきものの一つだろう。物質性はバタイユにおいて、どんなところでも作用している。ほかの要素はかき消されてしまうように見えるところでも、それはかならず作用している。たとえば精神分析学というテーマをとり出してみる。するとバタイユがそれに引かれた時期と批判的になっていった時期のあることが見えてくるが、だからといって、バタイユはこのような理由から精神分析学に関心を持ち、後になるとこのような理由から関心を失った、と述べることには、ほとんど意味はない。なぜなら関心のこの消長は現象にすぎないからだ。それは根底的には、物質的なものへの関心に動かされているが、それを見ないかぎり、精神分析学またほかのどんな主題も、個別的であるにとどまる。またこの関心抜きでは、ほかの主題につながっていくということも起こらない。たとえば、もう一つ政治的関心という主題を取り出すとき、これら二つのものへの関心は、何年頃には、精神分析学に関心を持ち、また別のの時期には政治的な関心を示したという年代記的羅列にとどまる。それでなければ、集団形成に関する心理学は政治的関心と同質の関心であるという指摘にとどまる。だが、これらバタイユが次から次へともった関心は、簡潔だがもっと深い関心に貫かれている。この関心は、私の見るところでは、物質的なものへの関心なのだ。それをとらえることで、彼の目の眩むような多様性は、もっとはっきりとしてくるだろう。
 それぞれの個別の主題の中のいくつかには、個別性の枠が破られていく場面の現れることがある。政治的関心の場合は、そのひとつの例である。たとえば「ニーチェ時評」(三七年)で、〈共同の情熱が人間の諸力を結び合わせるのに十分な大きさを持たなくなったときには、強制力に頼ること、またさまざまの調整、取引、ごまかし等を発達させることが必要になる。これが政治という名を受けることになったのだ〉と彼が言うとき、彼は普通政治という名のもとに受け取られているものの奥に、本来的な何かの運動を見ている。この運動こそが本当の意味で政治的なものに違いないのだが、それは根本的には、共同体を熱狂のうちに動かす作用をもっとも強く持つ死のなせるわざであることが証明される。だが死とは、人間の物質性があらわになる瞬間でもあり、その意味では、共同性そして政治とは、物質にかかわり、物質性のもたらす運動であることになる。バタイユの政治という概念をそこまで踏み込んでとららえておけば、戦争が始まってバタイユは政治に背を向けたと言われる出来事の意味を、過剰あるいは過小にとらえる過ちを免れることができる。政治的と見える体験と考察の中に、常に変わることなく作用し続けたのは、物質的なものへの関心と、そこから来る否応なしの力だったからだ。それは彼の次の探求と実験の中でも継続した力だったからだ。
 精神分析学や政治というのは例証にすぎない。だから物質性の作用はバタイユのあらゆる関心と主題に作用していて、それをできるだけ多くの領域でとらえたいのだが、そのためにまずそれが最初の時期にどのように現れたかを検証する。なぜなら最初期には、この関心はもっとも率直なかたちで現れているにちがいないからだ。対象とするのは主に「ドキュマン」以前の部分である。この時期のバタイユの活動については、便宜的な分け方に過ぎないが、小説と論文とまだ実践的ではないが政治的な関心の三つの相でとらえることが、有効ではないかと私には思われる。

 一九一八年二十一才の時の「ランスのノートルダム」を別にすると、二三年に彼はシェストフの「トルストイとニーチェにおける善の概念」の翻訳に協力し、二五年には「シュルレアリスム革命」のために「ファトラジー」を翻訳している。だが彼自身による著作としては、二六年の『WC』が最初である。これは破棄されたが、一部分は残り、「ダーティ」と題されて後に『青空』に組み込まれる。それを見るとこれがエロチックな小説であったことがわかる。これをきっかけにして彼は同様の小説あるいはエッセイふうのものをいくつか書く。二七年には「松果腺の眼」、「太陽肛門」、そしてボレルによる精神分析の療法の一つとして『眼球譚』に着手し、これは長編となるが、翌二八年書き終えられ、出版される(同じ年に『ナジャ』が出ている)。そしてこの時期、つまり二六年から、彼は美術と考古学の雑誌「アレチューズ」に寄稿しはじめる。これは学術雑誌であって、彼はそこに彼の古文書学、あるいは配属された国立図書館の貨幣室の専門家として、モンゴル、ベネチア、インドの貨幣についての専門的な論文を発表している。「アレチューズ」への協力は二九年まで続く。そして二八年には、「プレコロンビア芸術展」――つまりコロンブス以前の南米文化に関する博物展――に接して、「消え去ったアメリカ」を書く。この論文は、血と残酷さへの彼の関心を明らかにしてきわめて重要であり、以後論文の先駆けとなるものである。
 バタイユにおいてエロチスムは、常に汚辱する行為として現れるということに、昇華に反抗する物質性の存在を認めることができるが、そうすると、後に彼の関心の中枢を占めることになる物質性への関心は、まずエロチックなものとして、小説を書くことの中であらわになったということができる。おぞましさという点では、先行する「松果腺の目」や「太陽肛門」のほうがまさっているかもしれないが、最初の成果が『眼球譚』であることは、量から見ても、また地下出版であれかたちになったことから見ても確かである。
 他方、論文というかたちでこの関心があらわになるのは、少し遅れるようだ。だが右にあげた学術的という枠のうちにあるを論文も、詳細に読んでいくと、ここかしこに後に固有の関心の萌芽が論文という枠を破って出てくるのを見い出すことができる*1。彼は「アレテューズ」に計七つの論文を寄稿しているが、主に書評と紹介であって、長いものは二つである。それらは「ムガール帝国の貨幣」および「ササン朝クシャンの貨幣」と題されていて、後者は純粋な学術的論文であって客観的な記述に終始しているが、前者には、後のバタイユから見てわかることではあるが、学術性の枠を破るような記述がある。四代のムガール帝国の皇帝の貨幣政策について述べているのだが、バタイユは、その中でもっとも華麗な貨幣を造った第四代皇帝のジェハンジルの人物性に、貨幣についての研究という枠を超えるような関心を示している。この皇帝は大酒のみで、残酷で、殺害者で、「激しい愛情」を持った女を、その夫を殺して奪い、后にする。そして彼の鋳造させた貨幣には、イスラムの伝統がある地域にしては珍しく、さまざまの動物が刻印される。このような人物への関心はいかにもバタイユ的で、次の「消え去ったアメリカ」を準備し、またはるか後のジル・ド・レーへの関心を予告しているようだ。
 「消え去ったアメリカ」は学術雑誌に載せられているから、学術論文として執筆されたのだろうが、言葉づかいも客観的と言いがたいものが多くなり、彼の関心はいっそう前面に出てくる。彼はより豊かで進んでいるとされるインカやマヤよりも、〈気違いじみた暴力と夢遊症的な歩み〉を持つアズテカ文明に惹かれる。彼はそこにヨーロッパの観点から言えば悪魔に近い様相を持ったものが信仰の対象とされていること、またその祭礼が、残酷極まる供犠――数千人が生きたまま心臓をえぐり出され、祭司たちはそれを食する――によって恐怖に満たされていることに惹かれる。これはヨーロッパ人に度を失わせ、理解をそれ以上に進ませなかったが、バタイユはさらに、その血にまみれた恐怖が幸福につながっていることを見い出す。彼はそこに〈恐怖の持つ驚くほど幸福な性格〉を見る。だから〈アズテカ人にとって、死はなにものでもない〉と彼は言う。恐怖は極度のものになることで幸福に転化し、そしてこの転化を媒介するのは死だ、というのが、バタイユが教えられたことである。さらに〈この悪夢のような破局はある種のしかたで彼らを笑わせた〉とも彼は書いている。ここには後年のバタイユの主要なテーマが、十分明らかなかたちで顔を出していることを認めることが出来よう。

4 政治的なものへの接近

 小説に現れたものは、作者のもっとも内発的な関心だと言えるだろう。プレコロンビア期のアメリカに対する関心も、内発性からくるところが大きいとたぶん言えるだろう。だがこの同じ時期に、つまりバタイユが青年期を、ヨーロッパが一九二〇年代を迎えるというこの時期に、ただ内発的ばかりではない、つまり外側から否応なしに侵入してくる関心と言うべきものが重なってくる。それはとりあえず政治的と言いうる問題である。
 バタイユは一八九七年生まれだから、二十歳前後に第一次大戦と、ロシア革命と、その後に続くファシズムの勃興過程を見ている。これが知的な青年に精神的な影響を及ぼさなかったはずはない*2。第一次大戦後のフランスは左右への分極が激しく、右翼運動も多くの若い世代を引きつけていたが、彼の政治との接触は、左翼運動への傾斜として始まる。この傾斜はロシア革命後の世代への特徴だったろう。〈私は同世代の多くの人々と同じようにマルクス主義に傾斜する運命にあった〉*3とバタイユは言っている。ところでバタイユにおいて左翼運動への仲介役を果たしたのは、シュルレアリスムであるようだ。二四年、バタイユはレーリスの紹介によって、『シュルレアリスム宣言』を出したばかりのブルトンたちと接触し、前述のように「シュルレアリスム革命」に中世の詩を翻訳することになる。ブルトンとの交遊は、生涯の終わり近くなって和解らしきかたちを取るものの、二、三〇年代においては、ほとんど両立しがたいものだった。ブルトンにとってバタイユは、〈汚れて、おいさらばえ、すえた匂いのする世界で、悦に入っている〉(『第二宣言』)偏執狂だったが、バタイユから見たブルトンは度しがたい観念論者だったからである。バタイユの反理想主義、唯物論は、ブルトンとの対立があればこそ、あれほど先鋭で過激なものとなったと言える。
 だがシュルレアリスムとの接触でもたらされたのは、文学上の刺激だけではない。それはバタイユにとって政治的なものへのイニシアシオンともなった。ブルトンたちは、夢の記述また自動記述などの実験を一九年頃から開始している。ブルトンとスーポーの『磁場』は二〇年のものだが、その試みが前衛的、つまり伝統的な価値観に対する強い批判を持っていることによって、政治的な前衛の関心を引くことになる。関心を示したのは、クラルテのグループである。クラルテとは、一九一九年にアナトール・フランスによって創設された文化人のグループでアンリ・バルビュスを責任者とし、ハインリッヒ・マン、ゴリキー、アインシュタインらを主要メンバーとしたが、若い会員の間では社会主義の影響、ことに第三インター(一九年にコミンテルンとなる)の影響が強かった。二〇年一二月には、トゥールで社会党が分裂し、翌年の一二月には共産党が成立する。こうした動きを背景として、クラルテの一人で、小説を書いていたアンリ・ベルニエ*4が橋渡し役になって、シュルレアリストのグループとクラルテのグループを接触させる。二一年頃からこの交流は始まるらしい。二四年にシュルレアリストたちは、アナトール・フランスの葬儀に際して、フランス労働党までが右派に一致して哀悼の意を表したのに反撥し、それを攻撃するパンフレット『死骸』を出し、続いて「クラルテ」自体もその創設者を批判する。それによって、既成政党の枠を越えた左翼運動が生じることになる。シュルレアリスム運動の機関誌として、二四年から「シュルレアリスム革命」が出ているが、二五年には、政治的パンフレット「まず革命を、常に革命を」*5が出され、文学芸術上の革命を社会革命と重ね合わせようというへ志向をシュルレアリストたちは持ちはじめる。
 この交遊の中にスヴァーリン*6の名前が入ってくる。彼はキエフ生まれのユダヤ人で、子供時代にフランスに移民し、労働運動の活動家となり、二〇年にフランス社会党から共産党が分離するときの創立メンバーの一人である。党の機関誌の編集長を務め、コミンテルンへの代表として、二一年以来モスクワで活動するが、二四年のレーニン死後のスターリンとトロツキーの間の権力闘争で後者を擁護したことで追放され、フランスに戻る。しかし彼は、ソ連共産党と協調路線を取るフランス共産党からも除名される。以後彼はいくつかの独立的なグループを作り、フランスにおける非共産党系の左翼活動家の一中心となる。二五年に彼は「共産主義者会報」を出し、二七年にはマルクス・レーニン主義共産主義者サークル」 というグループを作るが、これは三〇年に「民主共産主義者サークル」と名前を変え、三一年から「社会批評」を出しはじめる。彼自身は三五年に『スターリン』を出す。これはフランスでの最初のまとまったソ連論である。この活動の中にシュルレアリストたちが交差してくる。ブルトンの最初の妻シモーヌ・コリネは、シュルレアリスムの初期にブルトンにもっとも顕著な政治的感化を及ぼしたのは、このスヴァーリンとベルニエだと証言している*7
 二七年にブルトン、アラゴン、エリュアール、ペレらは、共産党に入党する。トロツキーが追放された二四年にクラルテのグループは、共産党批判を行っているし、帰国後のスヴァーリンらを中心とするコミンテルン批判、スターリン批判もすでに開始されていたが、またブルトン自身もトロツキーの『レーニン』に感銘を受け、紹介記事を書くほどであったが、彼らは共産党に加盟する。なにがしかの幻想がまだあったからだろうか。スヴァーリンは相談を受けたが、反対はしなかったらしい。しかし芸術が政治に従属させられ、シュルレアリスムが利用されても理解されてはいないことを感じて、彼らと党の間には齟齬が生じる。ペレはすぐさま離党する。ブルトンも距離をとるが、ただ離党するのは三五年になってからである。一方アラゴンはそのまま党にとどまり、反対に三〇年にはシュルレアリスムの運動から脱退する。

 バタイユとブルトンの関係の最初の結節点となった事件が起こるのは、二九年はじめのことである。この年の二月一二日ブルトンとアラゴンは、個人的活動か集団的活動かの間で態度を明確にするように求めるアンケートを、シュルレアリストのグループとその周辺にいた人物八十人ほどに送付する*8。シュルレアリスム運動からは、二六年にアルトー、スーポー、二八年にはデスノスらが除名され、また自らすすんで運動から離れ、すでに分裂が起きている。だからブルトンとアラゴンのこのアンケートには、このようにたがのゆるんだシュルレアリスム運動の方向性をあらためて明確にしようという意図があったことは間違いない。この質問は同時に、共同行動を行うときには、誰となら行動をともにすることが出来るかを答えることを第二の質問とし、これは多くの紛糾を巻き起こした。だが重要なのはやはり、最初に出された共同行動か個人行動かという問いのほうであろう。それは単に芸術上の運動としてのシュルレアリスムのみにかかわるのではなく、政治的な意味あいを含んでいることは明らかだった。集団行動がというのが何を指すのかは明示されていなかったが、それだけにそれは政治的なものである可能性を持っていた。前述のように、ブルトンたちはこの時期、集団で共産党に入党し、また脱退していた。それにこの時期には、トロツキーの問題があった。彼は二五年に権力機構から排除されたが、この年ソ連領からも追放されたからである。マルマンドは、このアンケートの実行の背後には、トロツキーの影があったと言っている*9。右のアンケートに肯定的に答えた者たちには、三月一一日に集会に出席するよう招待状が出されたが、この集会にはトロツキーの問題が議題の一つとして取り上げられることになっていた。
 このアンケートに対してバタイユは、きわめて簡潔に〈イデアリストの糞ったれどもにはうんざりだ〉と答えている。この頃バタイユは、政治的な行動を行っていないし、思想的な探求もそれほど深かったとは言えないが、ブルトンたちへのこの回答の中には、その政治的な匂いをかぎつけた上での拒否があるように思われる。党を担ぐのであれ、トロツキーを担ぐのであれ、彼らのうちにあるのは、あいも変わらぬ観念論にすぎない。そうである限り、自分の考えるような革命は原理的にあり得ようがない。仮に直観に負うところが大きかったとしても、この時、文学上でも、思想上でも、バタイユの立場は揺るぎようなく明確なものになっていたように見える。

*1 バタイユの「ドキュマン」以前の論文は、全集第1巻におさめられ、十項目ある。うち最初の一つは、古文書学校の卒業論文――一三世紀の騎士団に関する研究――の梗概、二番目がファトラジーの翻訳、最後が「消え去ったアメリカ」であって、「アレチューズ」に載ったのは七つである。引用する二つの論文は未訳である。
*2 バタイユの政治上の活動については、マルマンド『政治的バタイユGeorges Bataille Politique』一九八五年とシュリヤの『バタイユ伝』一九八七年(河出書房新社)に多くを負っている。
*3 『バタイユ伝』上87、OC,t8,p563
*4 ベルニエは、ブルトンやバタイユよりわずか年上で、第一次大戦に従軍したあと、政治ジャーナリスムの世界で活動し、その関係でドリュ・ラロシェルの友人となる。『ジル』でグレゴワール・ロランとして戯画化されているのが彼である。さらに彼はドリュを通じてペニョー家を知り、その娘であるコレットを政治活動の世界に連れ込む。
*5 「シュルレアリスム革命」は二九年まで続く。その最終号に第二宣言が掲載される。その後分裂を経て三〇年から「革命に奉仕するシュルレアリスム」となる。これは三三年六号で終わる。以後シュルレアリストたちは新たに創刊された美術雑誌「ミノトール」に参加する。
*6 スヴァーリンに関しては、次の伝記を参照した。"Boris Souvarine", Jean-Louis Panne, Ed. Robert Laffont, 1993.
*7 マルマンドは、ほかにマルセル・フリエとナヴィルの名を挙げているp23。
*8 このアンケートの文面は、モーリス・ナドー『シュルレアリスムの歴史』思潮社に収録されているp191。
*9 前掲書p33。


表紙-にぎやかな場所-花々のための恋唄-夜景-私の壁-裁判-旅仕度-秋の歌-駆ける森-いまここで火を焚く-仮面にはらむ夏-陽の埋葬-矢印-バタイユ・マテリアリスト 2-Windows ヘルプを使った詩集の制作-Booby Trap 通信 No. 9

Windowsヘルプを使った詩集の製作

長尾高弘



 パソコンでMicrosoft Windowsを使っていれば誰でも知っていることだが、このWindowsという基本ソフトウェアには、ヘルプ機能というものが組み込まれている。プログラムを使っていて操作方法やコマンドの意味がわからなくなったときに、[F1]キーを押すか、マウスなどで“ヘルプ”メニューを選択すると、プログラムの操作方法を説明してくれる別のウィンドウがオープンされるという機能である。ウィンドウには、もちろん説明の文章が表示されるわけだが、気の効いたヘルプなら、ダイアログボックス(コマンドやファイルなどを指定するための特殊なウィンドウ)の画面コピーなどのグラフィックイメージも含まれている。
 このように書くとすばらしい機能のように感じられるかもしれないが、正直なところ、私はあまりこの機能をありがたいと思ったことはなかった。しかし、仕事でビジネスアプリケーション開発の参考書を翻訳していて、“最近、ヘルプを利用してコンピュータ画面で見る出版物、プレゼンテーションを作る企業が増えている”という一節を見たときに、おお、そうかと思った。
 実は、このヘルプ機能はなかなか凝った作りになっていて、表示されているテキスト、グラフィクスの一部をマウスでクリックすると、画面が変化するようになっている。クリックできる部分は、マウスポインタが矢印形から人指し指を伸ばした手の形に変わるので、すぐに見分けられる(テキストの場合には色付き、アンダーライン付きになっているのでさらにわかりやすい)。たとえば、文章の終わりに「関連項目あれ、それ」という部分があったとして、その「あれ」や「それ」をクリックすると、ウィンドウの中味が「あれ」や「それ」の説明に変わる(ジャンプと呼ぶ)。また、文章のなかでちょっとした専門用語が使われているときに、その用語の部分をクリックすると、ヘルプウィンドウの上に一時的に小さなウィンドウが開いて、その中に2、3行の説明が表示される(ポップアップと呼ぶ)。この場合は、マウスをもう1度クリックすると、元の画面に戻ることができる。マクロと呼ばれる簡単なプログラムを実行することもできる。
 つまり、ヘルプのこれらの機能を利用すれば、冒頭から末尾まで直線的に進む本ではなく、前後左右に自在に移動できる本を作ることができるわけである。たとえば、全集のようなものでは、いくつもある異稿の間を自由に飛び回れれば便利だろう。注の多い本は、ポップアップウィンドウを活用すれば、かなり読みやすくなるはずだ。しかも、ヘルプはWindowsの標準機能なので、ヘルプ形式のデータファイルさえ作っておけば、Windowsの動くどのマシンでも見ることができる。つまり、特別なソフトウェアはいらない。そして、ユーザーがデータを書き換えられないということも、この場合は好都合である。勝手に本文に手を入れられては困る。しかし、本に書き込みをするように、ページごとにコメントを残す機能や、しおりをはさんですぐにアクセスできるようにする機能は含まれている(ユーザーがジャンプなどを定義できればさらによいが、それは不可能である)。
 少しくどくどと説明したが、実際には、おお、そうかと思った次の瞬間には、ヘルプ形式の詩集を作ってみようと思っていた。ちょうど手元には、近く刊行する予定の自分の詩集の原稿がある。この原稿を次のように料理することにした。

1. 起動したときには表紙を表示する。適当なグラフィックデータを使って飾り気を付けるとともに、タイトルをクリックすると、奥付データがポップアップされ、著者、出版社名をクリックすると、それぞれの住所、電話番号がポップアップされるようにする。
2. 画面上部の[>>]ボタンを押せば、表紙から最後のあとがきまで、ページを繰るように直線的に読めるようにする。[<<]ボタンを押せば逆に末尾から冒頭に進める。
3. 画面上部の[目次]ボタンを押せば、どこにいても、目次ページにジャンプできる。目次ページからはあらゆるページにジャンプできる。
4. 雑誌発表済みの11篇については、それぞれのページの末尾に“初出”というラベルのついたクリック可能領域を設け、そこをクリックすると2次ウィンドウという別ウィンドウに初出形を表示する(ヘルプでは、主ウィンドウ以外にもう1つ同じような形のウィンドウをオープンすることができる。両者で比較対照できるのである)。また、初出一覧というページを作り、そこからも2次ウィンドウにジャンプできるようにする。2次ウィンドウの初出形で、“現行”というラベルをクリックすると、主ウィンドウに詩集掲載形が表示される。
5. その他いちいち書くのが面倒な詳細。

図1は、これをまとめたものである。



 本当は、一番書きたいことは、方針を決めてから、動作するヘルプファイルを作るまでの苦労の数々なのだが、BoobyTrapの読者にとっては退屈な話だろうと思われるので省略することにする。基本的な手順は、次の2ステップである。

1. Microsoft Wordというワードプロセッサで文書を作る。ジャンプ、ポップなどを定義するために、決められた形式を守る必要がある。
2. ヘルプコンパイラと呼ばれるプログラムを使って、1.で作成した文書をヘルプファイル形式に変換する(注1)

 完成したヘルプ詩集は、図2のような画面を表示する。ファイルのサイズは50Kバイトほどになった。25000字分ということだが、表紙のグラフィックデータがこのうちのかなりの部分を占めている。しかし、ファイル内のデータ自体はこれでも圧縮されているのである。ちなみに、プレーンテキストでは、本文は30Kバイトほどである。




 今回は、多分に実験的なプロジェクトだったので、やれることはやらなくてもよいことまでやってみたつもりだが、マルチメディア的なことは試していない。たとえば、ウィンドウのなかにビデオを埋め込むようなこともできるはずだが、これにはC言語による本格的なプログラミングが必要になるようである。しかし、ボタンをクリックすると朗読データが流れるようにすることは、もっと簡単に実現できると思う(もっとも、朗読データは、記憶スペースを大量消費してくれるが)。
 さて、私はたまたまWindowsを使っているのでWindowsヘルプを利用したが、世の中にはほかにもこのような機能を持つプログラムがある。この種のプログラムは、一般にハイパーテキストと呼ばれる。このハイパーテキストという概念は、もともと1965年にテッド・ネルソンが提唱したものだが、実用化されたのは80年代である(注2)。このようなプログラムでもっとも有名なのは、間違いなく、Macintoshのハイパーカードだろう。Windowsヘルプの場合、データ作成にかなり苦労するが、ハイパーカードの開発環境ははるかに優れている(という噂である。試してみたいが、私はMacintoshを持っていない)。
 Microsoftは、Windows用のCD-ROMタイトル(Bookshelf、Encartaなど)のために、MediaViewソフトウェアと総称されるプログラムも作っている。初期のマルチメディアタイトルは、viewer.exe、mviewer2.exeといった汎用ビュア(表示プログラム)を使っていたが、最近では、タイトルごとにビュアを開発するような仕組みに変わった。最初期のviewer.exeがヘルプファイルをオープンできたことからもわかるように、このシリーズはヘルプとよく似ているが、ヘルプよりもユーザーインターフェイスに凝ることができるようである。しかし、ヘルプのような手軽さはない。
 もう1つ触れておかなければならないのは、最近のインターネットブームに火をつけたWWW(World Wide Web)である。Windowsヘルプは同じマシンのなかでしかジャンプできないが、WWWはネットワーク越しに世界中のあらゆるページにジャンプできる。マルチメディアという点でも、さまざまなことが実現されているようだ。
 ハイパーテキストだ、マルチメディアだと言っても、所詮、紙には勝てない部分がある。しかし、紙にはない便利さを発揮する部分もある。WWWのようにネットワークが絡んでくれば、情報の流通にも大きな影響を与える。いずれにせよ、これらの試みは、まだ生まれたばかりのものであり、これから自然淘汰が始まるだろう。多くの人が使って役に立つような機能以外は、自然になくなってしまうものだ。しかし、遊び感覚で色々と試してみるのも悪くはないと思う。コンピュータは所詮道具であり、オモチャである。あまり肩に力を入れずに、面白い遊び方を考えるのが一番だ(注3)


注1 実際にヘルプファイルを作ってみたい方は、マイクロソフトウィンドウズソフトウェア開発キットのマニュアル"プログラミングツールズ"と"プログラマーズリファレンスVol.4リソース"、先ほど触れた翻訳中の本、Christine Solomon, *Developing Applications with Office,* 1995, Microsoft Press(秋頃にはアスキーから翻訳が出る予定)などを参照していただきたい。手前味噌だが、開発キットのマニュアルよりもこの本の方がはるかにわかりやすいはずである。
注2 マイクロソフト(株)「コンピュータ用語辞典」、アスキー出版局、1993年7月
注3 なお、このヘルプ版詩集は、紙の詩集の読者のなかで希望される方には無料でお送りする予定です。また、筆者のパソコン通信ID(NIFTY-Serve PEA01357)、Internet nyagao@longtail.co.jpに問い合わせていただければ、製作のノウハウなども提供します。


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Booby Trap 通信  No. 9

禁忌と禁忌の侵犯に人間をみる
聖女たち――バタイユの遺稿から/著訳者・吉田裕/書肆山田/定価 2000円(本体1942円)

(書店でお買い求めください)
【目次】
●「聖ナル神」遺稿 ジョルジュ・バタイユ/吉田裕訳(「エロチシスムに関する逆説」の草稿・聖女・シャルロット・ダンジェルヴィル)
●淫蕩と言語と――「聖ナル神」をめぐって―― 吉田裕
歴史の「中心」をめぐって――友人への9通の手紙/私家版(残部僅少)/無料
(著者に直接注文してください。著者住所:〒168杉並区高井戸西2-7-29)
【近況】ものを書き始めてから、十年を越える時間がたってしまった。最初はひどく時間と手間がかかって、膨大な(と言うほどでもなかったが)ノートの反古を作ったものだった。その頃、原稿用紙に向かってペンを走らせている物書きの写真などを見るとうらやましくて、自分も慣れたらああいうふうに文章が出てくるようになるに違いないと慰めた。しかし時間がたってみても、書き方は少しも変わらない。パソコンが出来て、反古と肩こりからは解放されたけれども、書き直しの回数とかかる時間は同じである。これが私の人生最大の誤算?


Pastiche/田中宏輔/花神社/定価2400円
(書店でお買い求めください)
いくら あなたをひきよせようとしても
あなたは 水面に浮かぶ果実のように
わたしのほうには ちっとも戻ってはこなかったわ
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと あなたは はなれていった

もいだのは わたし
水面になげつけたのも わたしだけれど
(〈水面に浮かぶ果実のように〉)
【プロフィール】1961年、京都生まれ。現在、同志社国際高校数学科講師。『Pastiche』(1993.5刊)は処女詩集。「ポパイ」94.2.10号47ページに顔写真とインタビューが載っています。同性愛を織り込んだ詩も書く。
(著者住所:〒606 京都市左京区下鴨西本町36-1-2A号)
【近況】ノブユキから電話がありました。アメリカの恋人をともなって帰国して、またいっしょにアメリカに行きました。そばにいる奴と英語で話しながらぼくに電話するノブユキに、ぼくの頭はクルクルパーでした。白人のことが大嫌いになりました。
☆編集者注 Booby Trap 特別号1『presence/echolalia』は書店でも注文できますが、著者のところにもありますので、できるだけ直接著者に注文してください。定価700円(送料共)です。


新刊!
ぼくのお城/布村浩一/昧爽社/定価1300円(送料込み)

(書店、または著者に直接注文してください)
おれはいい訪問者だったかい
つよし
じゃあまたと言っておれはおまえとおもえの子供に手をふる
和泉府中の駅でおれは
心がふるえている皮のようなものに包まれているのを感じた
ホームでおまえにもらった週刊誌を読み
タバコを吸った   (〈旅行〉冒頭)
(著者住所:〒186国立市西2-1-12 松野荘101)


新刊!
長い夢/長尾高弘/昧爽社/1000円(送料込み)

しばし手を休めて
彼らは思い出した
地面に手を突っこんで
地面を真二つに
引き裂こうとした時のことを
わずかにできた裂け目は
広がらず
逆に地面にしめつけられた手を
ようやっとの思いで
引き抜いたのであった
(〈平和〉より)
【プロフィール】1960年4月6日生。(住所:〒223横浜市都筑区東山田3-26-16)
【近況】エッセイの方でMacintoshを知らないのでと書きましたが、書いたあとで何かくやしくなり、会社に買わせてしまいました。忙しくてハイパーカード版は当分作れそうにありませんが、このソフトは奥が深くて面白そうです。Internetも、そのMacintoshでアクセスしています。気軽に海外を覗けるというのが面白いですね。たとえば、ベルギーにマグリットのホームページというものがありまして、jpeg形式の画像ファイルを大量に提供しています。運営者は、今秋を目標にそれらの画像ファイルをまとめたCD-ROMを作ろうとしているようです。


沢孝子
(住所:〒560豊中市東豊中町5-2-106-504山形方)


駿河昌樹
(住所:〒155世田谷区代田1-1-5 ホース115-205)


荒川みや子
【プロフィール】1948年6月生まれ。詩集『森の領分』『冬物語1983』。
(住所:〒150渋谷区恵比寿南2-5-1 梓沢方)


白蟻電車/清水鱗造/十一月舎/定価1500円(送料込み)
穢れを通して生きていることの意味を探るというのはかなり勇気の要ることだ。清水鱗造はいまそれを敢えてやろうとしている。――鈴木志郎康(帯文より)
蟻の文字がぎっしり詰まった丸まった新聞紙が
ボッと発火する
吉凶吉凶吉凶…と燃える
家系を満たす甘い雪崩…と燃えている
凌辱するものは味方でも撃て…と燃える
菊が硫酸に浮いている
声がただれてくる
逆円錐の渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
百平方メートルの皮膚がいっせいに鳥肌立つ
(〈渦群〉より)
新刊!
毒草――夏の旅(長編詩)/清水鱗造/昧爽社/定価600円(送料込み)

(著者に注文して下さい。著者住所:〒154世田谷区弦巻4-6-18)
【近況】詩集を立て続けに作りました。稼ぐほうの仕事もあるので、進行はとぎれとぎれでしたが、山を越えたという感じでほっと一息です。Internet に接続して遊ぼうと思いつつ夏になってしまったという感じです。


新刊!
ゼノン、あなたは正しい/倉田良成/昧爽社/定価2000円

(書店または著者に直接注文してください)
中天に赤いクレーンが揚がり、空の奥から覗く眼がある
水が撒かれて建物が解体する夏
しきりにたちのぼる翳のなかを
はげしく煮沸されている坂下の街にむかう
巨きな意思が透明な斧のように頭上に吊るされ
プールの歓声がきらびやかに破壊する八月の青
悲しみのように髪を濡らしながら
すあしの子供たちはふたたび未来のほうへ帰ってゆく
(どこにもない場所へ
私も帰らなければならない)
(〈はるかな場所にむかって寝返りをうつ〉より)
(著者住所:〒221横浜市神奈川区六角橋6-31-6-502)
【近況】引っ越しをしました。山ひとつ越えただけの近所ですが、ぐっと「ヨコハマ」が近くなった感じで、五階の窓からは正面にみなとみらい地区が一望できます。ランドマークタワーやコスモクロック、インターコンチネンタルホテルなどの夜景がとても美しい。だけどマンションなので猫の次郎と別れるのがとてもつらかった! さいわい、引き取り手が見つかったので、そういう意味では幸運なやつです。昧爽社から新詩集を出したことをお知らせしておきます。あれやこれやで「塵中風雅」は今回もお休み。

【編集後記】18号は予定より1カ月半も遅れてしまった。原稿のほうはたくさんあって、うれしい悲鳴というところであるし、活力に応じて発行をまめにやらないとまずいな、とも思っている。さいわいにして、DTP はとても時間の節約になるし、清水タイプライター社にお願いしている印刷の進行なども流れがはっきりしてきたので、日常のテキストの整理をやって計画性をもっともてばだんだん速く刊行できるようになっていくとは思う。今年の前半は阪神大震災、オウム事件と大変なことが立て続けに起こった。たぶん、この夏の心身の疲れはいつもの年と違うように感じられている方が多いのではないだろうか。
 個人的にはいろいろ周りを見渡しつつ、目標である小さな作業をひとつずつ最後までやろうと思っている。じつをいえばこんな心境になったのは最近のことで、雑念を振り切るのは容易ではないことがだんだん見えてきたというだけのことかもしれない。


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