蛞蝓

長尾高弘



蛞蝓のように地面を這って 歩く練習をしていたら 体が充血して熱くなってきた 丁度向うから女が 這ってきたので交接した 女は子供を産んだ 子供はごむ製だった 口から息を吹きこむと だんだん大きくなった もっともっと大きくしようと ふくらませたら パァーンと花火のように 破裂した 女と大笑いして別れた さらに這ってゆくと日が暮れて 怠惰になった 骨まで解体してぐったりと寝た やがて星よりもよく光る 白骨になった

Booby Trap No. 4



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長い夢

長尾高弘



瞬きながら 私はそんな重荷にたえられない キラキラ光り あなたの茂みから あなたが溶岩のように 流れ出ている あなたのえもいわれぬ匂い 私はその匂いが好きだ あなたの赤い肌に うぶ毛がぴったりと はりついている あなたの崩れた笑顔が 私の前で動かない 私は殆ど吐き気を感じている 父親の上に胡坐をかいて 油を売っているあなた あなたには恥もなく 隠したくなる場所もない 私は危ない道でつんのめった あなたのたっぷりと余った身体を借りて 私は長い夢を見よう

Booby Trap No. 4



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ゆで卵

長尾高弘



きみをゆでたら きみは赤くなって 恥をしのんで 鍋の底にうずくまっている きみのしわはのびて つるつる きみのくぼみは ふんわり光を帯びて きみの目は 白目をむいている きみとぼくの関係は 浅くてからだぬき のものだったから ぼくはきみのことを 惜しいとは思わない でも ゆであがったきみのことを きれいだとは思う きみを火からおろして 腹を裂いたら ゆで卵がいくつも いくつもでてきた 明日から毎朝 一つずつそれを食べて ぼくは飢えをいやすだろう

Booby Trap No. 4



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子供の芝居

長尾高弘



子供を見ているとひょんなことを思い出すものである 子供の頃の私のなかには みんたかとかつんたかとかじゃあたかといった連中が住んでいて あたりが静かになると もぞもぞと動き出して 芝居のようなことをするのである そのみんたかとかつんたかとかじゃあたかは それぞれきゃらくたあというものを持っていて よく出てくるやつもいれば めったに出番のないやつもいる (よく出てくるからといってそいつが好きだとは限らないのだ) 話の内容やそいつらがどんなやつだったかは忘れてしまった いずれ眠って夢でも見ていたのだろう 覚えているのは 騒がしかった雰囲気と名前の一部だけ いつの間にか一人も出てこなくなって そんなやつらがいたことさえ忘れていた それにしても その芝居を見ていた私は誰だったのだろう 今ごろそんなことを思い出す私も

Booby Trap No. 11



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あられ

長尾高弘



朝は晴れていたが 次第に雲行きが怪しくなり 昼食を終えて店を出たときには 街は斜線だらけ 走れ 駅まで20m ジャンパーの襟を立てて 「あられだって」 「あられ?」 「今 通っていった人がそう言ってたわよ」 2人とも 走るのに夢中で あられだとは気が付かなかった 年末のせいか 駅には人がいっぱい 数百人 あるいはそれ以上? これらの人々にもこのようにして あられという単語が伝わっていったのだろうか? あられという単語が脳細胞の隙間に浮かんだり のどの奥を震わせたりしたのだろうか? 他人同士 不思議なことだ 外を覗くと 夏のような厚い雲 今 その真ん中で稲妻が光った

Booby Trap No. 12



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長尾高弘



流し台にみかんの皮が2つ 飛び散っている 彼女が2m先からそれを投げ 「今日は何もしないのに疲れた」 と言った みかんの皮が当たって洗剤が流し台に落ち ころんころんと乾いた音を立てた 横に立っていた私はびくっとして卑屈になり みかんの筋が皮から飛び出して流しの外に広がっていたのを 拾って流しに捨てた (筋なんか丁寧に取っていたのは私の方だ) みかんを食べたのは夕食後のこたつ 彼女が2つ持ってきて1つを私に差し出した 私が筋を取っている間に 彼女は食べ終わっていた (そのとき何を話していたんだっけ) 彼女が寝てから台所に水を飲みに行く 流し台にみかんの皮が2つ 飛び散ったまま残っている

Booby Trap No. 13



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冬の月

長尾高弘



夢のなかで的を狙う ドン ドン ドン ことごとく外れる 夢ってやつはいつでもそうだ 憤然として目覚める 身体がこわばって重い おまけに えらく寒いではないか そこでまた寝て 夢を見る * いや 寒いからといって眠っているわけにはいかないのだ ふとんから身体をメリメリメリと引っぺがし あらゆる先端に血をシュワシュワシュワと送り込む しびれるように新しい朝 (さて 今日は何をやらなきゃならなかったんだっけ?) そして 私は夕方の神保町を須田町に向かって歩いていた 朝が寒ければ夕方も寒い デコボコのビル群に灯ったライトは夕空ににじみ そのすぐそばに大きな月が浮かんでいた 地面に近い月はなぜか大きく見える その月を見ていたら 地球は丸いんだなと思った 月の神保町からも大きな地球が見えるだろうか?

Booby Trap No. 13



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眠い

長尾高弘



朝起きて ごはんを食べたら もう眠い かばんに引きずられて外には出たが 石にけつまずいて たたらを踏んだ 電車に乗って 1人分の席を確保すると ああ眠い とてつもなく眠い そのまま意識がなくなり 気がつくと電車は目的地よりも1つ先 かばんをつかんで慌てて下りたときに 笑いやがったな おれの前に立っていた女よ いびきでもかいていたのかもしれないが この間お前とは別の女が おれの前で薄目を開けて舟を漕ぎながら 鼻ちょうちんを膨らませていたときには おれはそっと視線を外してやったのだぞ お前とは関係ないけど そしておれは階段でまたもけつまずいたのだ

Booby Trap No. 14



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足留まり

長尾高弘



胸のあたり 気分が悪いなと思いながらも むりして出てきたのだけれども 誰もいない田舎道のまん中で 足がからまってしまって 動けない たんぽぽが咲き ヒバリがピーチク鳴くけれど このまま動けないと 溶けてなくなってしまうなと 思うのだけれども 春の日は長くいつまでも落ちない

Booby Trap No. 14



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夜の海から

長尾高弘



一晩じゅう きみが出てくるのを待っていた 普段はそんな気分にはなれないものだが その日は 付き合い始めたばかりの恋人のように 優しい気分になれた (2人でアイスクリームなんかなめちゃってさ) ほかにすることもないので 話をしていたけれど そのうち話すこともなくなった 波がやってくると 2人の呼吸を合わせた 静かなときには 彼女の寝顔を見ていた 夜の海をずっと見ていたのは初めてだ 波はしだいに高くなり 激しくなった でもきみはまだ来ない ずっと待っていた いつまでも待っているんじゃないかと思った 東の空が明るくなり始めたときに やっときみは出てきた 出てきてみれば意外にあっけなかった きみは一瞬ためらったあと小さく泣いた きみと同じように出てきた子の泣き声が 遠くから聞こえてきた きみのお母さんは しばらくベッドから立ち上がれない身体になったけれど 笑った顔がかわいかったよ

Booby Trap No. 14



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疲れた時計

長尾高弘



机の横の時計 ちょっと立派なたたずまいだが 秒針が八時と九時の間で痙攣している 文字盤の下の窓からは キラキラ光る玉のついた四枚の羽が 右に少し回っては左に少し回り 右に少し回っては左に少し回り まるで時を刻んでいるかのように見えるのだが 秒針は八時と九時の間で痙攣している 時計は最初からこうだったわけではない 正しい時間を指し示していた頃もあった (当たり前?) 狂っているのに気付いたのは何日か前のことである 時計がいつやる気をなくしたのか 気付いてやれなかったのが残念だ 時計はその後もときどき動く気になったことが あったらしい 何日かたって見ると別の時間を指し示している さらに何日かたって見るとまた別の時間を指し示している しかし 私が見ているときにはいつも 秒針が八時と九時の間で痙攣している (きっと一番辛い勾配なのだろう) 時計がいつやる気になるのか わからなくても残念ではない ともあれ 私はこの時計の今の状態が気に入っている まるで時を刻んでいるかのように見える四枚の羽 ちらりと覗くだけなら 秒針も八時と九時の間を動いているように見える そして私は時計が疲れていることを忘れる 時計が指し示している時間にいつまでも留まる

Booby Trap No. 15



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長尾高弘



夏の陽光を浴びて 海の上に横たわる女 まるいちぶさも ほともあらわにして 知ってるよ、あのスタイル 涅槃仏って言うんでしょ うん、手枕で横向きに寝ているやつね あの叢のあたり、もう雨が降っているよ ぼくたちも早く帰ろう

Booby Trap No. 15



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二本の筆

長尾高弘



むき出しの二本の筆が 点、点、点、点、点、 を打っていく 太くて長い筆 その筆に思わず目が引き付けられた (だって あまりに見事だったもので) 平行な二行の点、点、点、点、点、 地下のプラットフォームから階段を上り 地上の光のなかに 暖かい春風を受けて 筆のownerは穂先を両手で揃えた (あれ この筆は穂先が上を向いている?) そのとき かすかなにおいが鼻先をかすめた

Booby Trap No. 16



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予兆

長尾高弘



会社を出るときに 天啓のように 自分が今日死ぬということがわかった 意識のなくなった明日の状態を 想像しようとしたが 想像できなかった 真っ黒な視界からは言葉一つ出てこなかった げっ いやだな まだやりたいことはたくさんあるのに 今日はあと五時間しかないが 人間が死ぬのは簡単なことだ たとえば これから私は家に帰らなければならないが プラットフォームに走り込んできた電車の前に ぽろりと落ちるかもしれない 電車はうまくやり過ごせても まだバスに乗らなければならない バスが無事着いても 停留所からしばらくの間 バス通りを歩かなければならない この道は細いくせに交通量が多く 車のスピードも速い 今日もまた 向こうのカーブから車が加速してくる ハンドルを切り損ねて まっすぐ私の頭に向かって飛んでくる よけられない あっという間に倒れる フラッシュを焚いたような一瞬 取り返しがつかないという言葉が 意識のなかで谺している 気がつくと 他人事のように自分の死体が見えた 手足の損傷はそれほどでもないが 後頭部がぐしゃっと潰れて血が出ている 見開いた目と口が動かない 自分の顔ながら 怖かった

Booby Trap No. 16



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最初は一人

長尾高弘



最初は一人だった 手の指は十本 足の指も十本 たったそれだけだったから 不安だった 自分で決めたことだが いつまでも同じところに一人で立っているのは 辛かった それでも時がたつにつれて 手には葉がつき 足からは根がのびた そしてある日 二人になっていることに気付いた 話しかけはしなかったが 一人ではないと思うとうれしかった 手の指は二十本 足の指も二十本 二十本に葉がしげり 二十本から根が広がった 今はたぶん五人くらいになっている 話しかけはしないが 一人ではないということを いつも感じていられる こういうのを満足していると いうのだろうか

Booby Trap No. 16



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長尾高弘



膚のうえを汗が這う 肩から首 背中から尻 腿から足首 舐めるように犯すように ゆるゆると這っていく 汗は這いながら足跡を残す 干からびた白い足跡 膚のうえに何本も何本も 縞模様の白い筋が残る それを消すために膚を洗う 洗えば消えると思う錯覚 目には見えないが 膚は少しずつ腐蝕している

Booby Trap No. 16



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楽器

長尾高弘



バターを塗った パンのように 柔らかく 触っただけで 腐ってしまう 桃のように 繊細な楽器 黒い弦が 何本も生えているが どれも短くとがっている 指先でピンとはじくと 湿った鈍い音 三日月を転がしたように 前につんのめって 止まった やはり楽器は全身で弾かなくては 結露した肌を やさしく抱きかかえ 固く反りかえった弓を 弦に当てる 春の噴水のように 澄んだ響きが ほとばしり 八方に飛び散る 乱反射する光 その黄や青や紫 水面めがけて からみあい ほつれながら 泳ぎ上がる魚の 螺旋の軌跡 撚り合わさって 太くなっていく糸 その糸で織られていく画布 その上に描かれる単純な絵 共鳴板が震え 身体が震える 痺れる 乾く 大きくふくらんだ水滴が 重さに耐えかねて ついに落ちる 同心円が広がり やがて 溶けていく (いま ぼんやりと浮かんだ顔は誰?) 密度を高めた空気は 静かに弛緩していく その片隅で 少し暖まった卵が 直立している

Booby Trap No. 17



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夜景

長尾高弘



東に満月 西に三日月 鳥や魚が落ちてきた跡には どこが垂直なのかを示すように 糸が垂れていた 無数の糸の遠近法 お前はそのような糸の背後から姿を現した 輪郭だけで濃淡のない平板な姿 やあと声をかけても 気付かぬふりをしてすり抜けていった 今となってはそれもやむを得ないことだろう 生き残ったのは眼だけなのだから (で、お前は誰だっけ?) 西に満月 東に三日月

Booby Trap No. 18



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私の壁

長尾高弘



私の壁は鉛筆書きである しかし壁などというものは 少し抽象化すれば わざわざ書くまでもないものではなかろうか? といって何も書かれていなければ それをわざわざ壁と呼ぶ必要もない それに実際に書かれているのは 壁のしみ、ひび、汚れで 壁自体は書かれていないのだ なのにそれは私の壁になっている おまけに鉛筆書きだ たったそれだけのことで 私の自由は制限されている 壁の向こうには行けないし 壁の向こうは見えない 迷惑な話だ しかしいったいどうして その壁は私の壁なのだろうか? 私はそんなものを望んだ覚えはない 望まないものを抱え込んでいる必要はないではないか そこで私は私の壁を共有に付することにした これで壁はみんなのものだ みんなの壁は鉛筆書きである

Booby Trap No. 18



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裁判

長尾高弘



むすめを殺された親は むすめを殺した男を 決して許せない だろう 殺してやりたい と思うことだろう 裁判所で 男を見るたびに 思うことだろう ごはんを食べるように 毎日欠かさず 思っているのかもしれない だからこそ 判決が下されたあと TVカメラの前で 極刑が下されるのを信じて 今日まで闘ってきたのに 無念だ と 涙ながらに訴えるわけだ ちょっと恐いな

Booby Trap No. 18



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

フォアグラ

長尾高弘



 健康診断で脂肪肝と診察された。三十を少し過ぎたばかりで成人病だと言われたわけで、本人にはかなりショックだった。道理で最近、宿酔がなかなか抜けなかったわけだ。食事等に気をつけないと、肝硬変になるという。酒も控えろと指示された。最近飲んでもちっともうまく感じなかったので、酒を我慢するのはちっとも苦痛ではない。やむを得ない場合を除き、決して飲むまいと決意した。それくらい、がっくりきた。あまりショックだったので、会う人ごとに、自分は脂肪肝と診断されたから、当分酒はなるべく飲まないようにすると触れて回った。そうして触れて回った何人目かが、ああ、フォアグラ状態ね、と言った。ああ、なるほどと思い、それからは脂肪肝とは言わず、フォアグラ状態になったから、当分酒はなるべく飲まないようにすると触れて回ることにした。健康診断で言われるまで脂肪肝という単語は知らなかったが、フォアグラならお馴染みだ。最近御殿場で食べた。まぁ、それが初めてだったわけだが。来年道路工事のために閉業するというレストランで、それはうまいフォアグラを食べた。こんなうまいものは今まで食べたことがないと思った。舌先でとろっととけて、微妙な風味がふわっと口中に広がった。レバーというやつは正直なところ苦手なのだが、英語じゃなく、フランス語になるとこれだけうまいものになるのかと思った。フォアグラ状態と診察されたときに、こういうものを食べろというリストをもらった。あそこにレバーを食べるとよいと書いてあったっけ? 書いてなかったような気もする。フォアグラを食べるとフォアグラ状態がよくなるということは、たぶんないだろう。かえってフォアグラ度が上がったかもしれない。でもうまかった。私のフォアグラはどんな味がするのだろうか?
 酒を飲まないと決めてみると、意外と飲みたくなるものである。フォアグラ状態と診断される前でも、それほど飲んでいるわけではなかった。一度飲んだら、次に飲むのは二、三日後、長ければ数週間後だった。酒が嫌いなわけではないが、飲まずにいられないわけでもない。それでも、禁酒ということになると、ふっとビールを飲みたくなったりする。以前なら、そう思ったときの二回に一回は飲んでいたが、今度は飲めない。我慢するぞと自分に言い聞かせる分、苦痛を感じた。思ったより単純ではなかった。それでも何とか我慢した。そんなある日、事務所に越之寒梅が届いた。夕方の六時頃になって、開けてみようかという話になった。ほかの酒ならともかく、寒梅はなかなか飲めるものではない。味見くらいならいいんじゃないか? どこから見つけ出してきたのか、女子社員がオチョコを並べていた。社長がそれらに寒梅を少しずつ注いでいく。みなが飲んだあと、その一つに手を伸ばした。うまくない。寒梅は以前にも飲んだことがあるけれども、こんなに舌を刺すような感じだったっけ? しかし、ほかの社員はうまい、うまいと言って飲んでいる。オチョコを見つけ出した女子社員は、つまみを買いに走った。私は一人で帰ることにした。外に出ると寒かった。オチョコにたった一つの酒では暖かくならない。しかし、アルコールが体内に入ったということは自覚できた。フォアグラ度が少し上がったかもしれない。駅に向かう途中ですれ違った男が連れの男にキンダイチュウと言ったのが聞こえた。一瞬だったし、ほかのことは何も聞こえなかったが、そこは確かに二十年前に金大中氏が誘拐されたホテルの前だった。これから、私は電車に一時間乗る。電車では間違いなく椅子を確保できるだろう。朝の夢の続きでも見ることにしようか。それとも・・・

九五年一〇月の付記
これを書いたのは約一年前である。今年の健康診断では、中性脂肪はまだ高いが脂肪肝ではなくなったと言われ、ほっとした。一年間の節酒の成果かもしれない。帰りに「コレステロールの蓄積を防ぐために」というチラシをもらった。それによると、レバーは肝臓によくないらしい。去年も同じようなチラシをもらったはずなのに、気がつかなかったようである。確かめてはいないが、フォアグラを食べたレストランは、予定通りならもうなくなっているはずだ。


Booby Trap No. 19



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カメムシ

長尾高弘



 大きさはてんとう虫とほぼ同じだが、色が茶色くくすんでおり、よく見ると形もまん丸ではなくて、亀甲形に角がある。てんとう虫とよく似てはいるが、やはり違うようだ。子供の頃、昆虫図鑑で見たカメムシというものかなと思った。図鑑には、確か、危険を感じると身を守るために悪臭を放つと書いてあったはずだが、初めて見たときにはその悪臭はなかった。だから、そのときにはカメムシだという確信は持てなかったが、この家はそのカメムシがやけに多い家だった。引っ越してきてから二年半たつが、毎年見かける。もっとも、一年じゅうのべつまくなしに現われるわけではなく、今年の場合は秋口から目立ちだしたので、秋に発生するものなのかもしれない。これが冬から春まで発生し続けるのか、秋で終わってしまうのかは、そのときになってみなければわからない。毎年、いつの間にかそんなものがいたことさえ忘れている。しかし、現に今は毎日のように現われる。たとえば、外で干していた洗濯物によくくっついているので、白アリのように家に住み着いているのではなく、外にいるやつが何かの拍子で紛れ込んでしまうようだ。坂の下のYさんの家ではそのようなものは出ないという。その家に二十年以上住んでいた妻がそう言うのだから間違いない。カメムシはなぜこの家を選んだのだろうか?
 初めてカメムシが悪臭を放ったのがいつだったのかは、もう覚えていない。しかし、今はカメムシを見るとすぐに悪臭を連想する。どう悪いのかというとうまく説明できないが、たとえば糞尿や生ゴミの臭いではない。理屈では、悪臭だと思うのは気のせいで、本当は悪い臭いじゃないのかもしれないという考え方も成り立つが、その臭いを実際に嗅ぐとやはり悪い臭いだと思う。その臭いのためにカメムシは我が家では嫌われており、「カメ」と呼ばれている。「カメ」という言葉が発せられるときのイントネーションは、たとえば「バカ」という言葉が発せられるときのイントネーションと同じである。「カメ」は見つけられるとすぐにティシュペーパーでくるんで捨てられる。ただくるんだだけではまた出てくるかもしれないので、御丁寧にも指ではっきりとした感触が得られるまで潰される。「カメ」は亀同様に動きが鈍いので、見つかったときには百パーセント潰される。「カメ」は潰されるときに例の悪臭を放ち、ティシュペーパーにしみを作る。ティシュペーパーにしみを作る液体が、悪臭の元なのだろうがはっきりしたことはわからない。「カメ」を潰した指には「カメ」の悪臭が染み付く。一日に何度も「カメ」を見つけ、「カメ」を潰していると、一日中「カメ」の臭いに付き合うことになってしまう。人間の側に潰している意識がなくても、知らないうちに人間の体の下敷きになり、潰れて悪臭を放っている「カメ」もいる。この場合は、先に悪臭を感じてから、「カメ」の死体を探して始末するのである。
 このようなカメムシを見ていると、悪臭がカメムシの危機を助けているとは到底思われない。悪臭を放たなければ、カメムシは我々に潰されることなく、外に逃がしてもらえることだろう。しかし、ものは考えようである。潰さずに外に逃がせば、カメムシも悪臭を放たないかもしれない。さっそく試してみた。結果は芳しくなかった。この家を選び続ける限り、「カメ」は潰され続けるだろう。この家にはカメムシの悪臭が漂い続けるだろう。


Booby Trap No. 19



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精子的

長尾高弘



絶望的にもてなかったので 四十になるまで入れなかった男 その女に巡りあえたのは奇跡的だった それでは早速と準備にかかる 出てきたときも頭が先だったから 入るときも頭が先 教わったわけでもないのに 器用に身体を折り曲げて ついに爪先まで収まった それから十月十日眠り続ける 最初は目立っていた女の腹も すっかり元通りになって 女自身何をしたのか忘れた頃に ぽろっとおたまじゃくしが転がり落ちた 精子からおたまじゃくしへの拡大 それが男の四十年の歳月である

Booby Trap No. 20



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お詫び

長尾高弘



せっかくのお誘いですけど ごめんなさい 私は屁を我慢できないのです 我慢すると腹が痛くて苦しくなるので 我慢しないことにしているんです どうも空気をたくさん呑み込んでしまうようで 消化管のなかにガスが充満し それがゲップになり 屁になり 止まらないんですよ いつまでも 音を出さない訓練までして 街中でも屁が出そうになると 心のなかでごめんなさいと言いながら そっと出してしまうのです 臭くなければ それでもあまり罪悪感を 感じなくて済むんですが 最近ひどく便秘してましてね 自分でも耐えられないくらい臭いんです 自室なんかトイレよりも臭くなっちゃって いつも換気扇を回しています だから本当にごめんなさい あなたにそんな臭い思いをさせるわけには いかないのです

Booby Trap No. 21



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銅像

長尾高弘



新宿の都庁の前で 右斜め上を向いて 口をポカンと開けていたら (そこには空が少しあって  雲が浮かんでいた) いつの間にか銅像にされていた (しまった  どうせなら口を閉じておけばよかった) 台座には 「希望」 というタイトルが 刻まれているらしい なぜ希望なんだかよくわからないが きっと都庁の前だからだろう ここにはほかに 裸の女が立っていて 「愛」 というタイトルが 刻まれているらしい いったいどんな男にだまされて ここに連れてこられたのだろうか?

Booby Trap No. 21



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夜の散歩

長尾高弘



眠れない夜 寝床を抜け出して 表に出る。 街は茹でられたように ふやけている。 酔って毛穴の開いたサラリーマンが ふわふわと歩いている。 私はシラフだ。 踏み切りを通過していったのは 下りの最終電車。 小さな明るい箱にあんなに詰め込んで けたたましく駆け抜けると 真っ暗な家々がしんと取り残される。 歩きながら表札を見る。 田辺 三木 伊藤 大前 そういう名前の人が 何人か生きているのだろう。 すぐ目の前で。 とても信じられないが。 表通りに出ても 開いている店はない。 走っているのはタクシーばかり。 時々笑い声や話し声が耳元を ふっと通り過ぎる。 そのとき初めて 洞窟のようなバーが そこにあったことに気付く。 歩き疲れた頃に真っ暗な公園が見えてくる。 滑り台とブランコとベンチ。 ベンチに横になる。 水蒸気が集まってきて露になるのを感じる。 からだじゅうに無数の露がしがみついてくる。 ここで眠ってしまうわけにはいかない。 立ち上がって露を払い落とす。 それでも潰れてするっと服に染みこむやつがいる。 公園の外にコンビニの看板が白く光っている。 若い男が三人 黙ってマンガ本を見ている。 私もマンガ本を一冊取り上げる。 すぐにセックスシーン。 陰部以外が 信じられないほど丁寧に描き込まれている。 一つ読み終わってから外に出る。 三人はまだ黙ってマンガを見ている。 通りはタクシーの数も減っている。 歩いている人間はほかにいない。 ところどころ空き地がある。 郊外に出てきたのだ。 多摩川の橋まで来ると 夜は明けている。 奥多摩から流れてきて 六郷に向かおうとしている水が はっきり見える。 白っぽい道に取り残された街灯が 黄色く光っている。 登戸で始発に乗り 椅子に座ってそのまま眠る。 ときどき目を開けると そこは新宿だったり 生田の森だったり 満員の通勤電車のなかだったりする。 お客さん終点ですよ の声に慌てておりると 午前十時の相模大野だった。 日の光はなんて明るいんだろう と思った。

Booby Trap No. 22



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重力

長尾高弘



いつでもとてもねむいので たとえば電車に乗ればコロリ と眠ってしまうくせに 夜 ふとんのなかにもぐりこむと 身体の重さが気になってねむれない 下になってしまったほうが 上になっているほうの重さに 耐えられず 交替してくれ 交替してくれとうるさくせっつく ので それではと寝返りをうって 反対にひっくりかえると それまで 楽していたほうがだんだん 苦しくなってきて しまいに 替わってくれえと悲鳴を上げる かくも重力は強い力なのだと 感心しているうちに夜は白々と 明けてきて これはまずいと 下になっているほうのうるさい 文句を聞かないよう 聞かないように心がけて やっと眠るとすぐに朝がきて 起こされる あまつさえ 下になっていたほうの腕が しびれていたりして 睡眠が 身体の疲れを取るものだとはとても 信じられない思いで一日がはじまり いつでもとてもねむいので たとえば電車に乗ればコロリ と眠ってしまうのだが なぜそのときには重力を感じない のだろうか

Booby Trap No. 23



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鼻唄

長尾高弘



九〇歳をすぎても元気だということは すごいことだ たまたま飛び込んできた TVのワイドショウのカメラの前で 鼻唄まじりにお手玉をしてみせて 元気なおばあちゃんですねえと スタジオのレポーターたちをわかせた それから半年もたたないうちに 庭で転んで立てなくなり 近所の病院に入院することになった 同室は年寄りばかり 昼間でも眠っているような部屋だった 病院ではずっと寝たきりだったが たまに見舞いに来たひ孫の手をとって 鼻唄を歌うこともあった よく聞き取れなかったが 病院を出たときに何の唄だったのか思い出した いちにーさんしーごくろうさん ろくしちはっきりくっきりとーしばさん かなり昔のTVのCMだった 誰も覚えていないような唄を どうして覚えていて そんな唄を知らないひ孫に どうして唄ったりしたのだろうか? 病院には丸二年いた 久し振りに帰ってきた遺体の枕元で 大往生という言葉が飛び交った 葬式は参列者多数で 自宅前の道が渋滞するほどだった 享年九七歳

Booby Trap No. 23



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きみの色

長尾高弘



ずいぶん透き通ってきたものだね。 きみは、 自分がどんな色だったか覚えているかい。 色々なやつが、 きみにべたべたとペンキで色を塗って、 お前はこんな色だと騒いでいるけど、 あいつらは、 きみが透き通っていて、 向こう側が見えてしまうことに、 耐えられないだけさ。 もっとも、 そんなおしゃべりは、 きみの耳には、 入ってこないだろうけどね。 それにしても、 あのとききみは、 どんな色になりたかったんだい? 赤、青、白、黒、 それとも金色や銀色? どんな色にしても、 それは、 きみの色じゃないんじゃないかな。 もちろん、 きみは透き通っているわけでもない。 だって人間の色は、 そんなに変えられるものではないし、 変わってしまうものでもないと、 思うんだ。 夏の日ざしを浴びたら、 少し濃くなった自分の色に気付く、 なんていうのは甘いかな? いまきみは、 自分がどんな色になっていると、 思っているのだろうか。

Booby Trap No. 24



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後悔

長尾高弘



僕は相変わらず眠っていて きみはくるくるまわっている どうしてまっすぐ向こうに歩いていかないのだろう 早く行けばいいのにと思いながら まわっているきみはかわいいね と口にしている きみはほほを赤くそめて もっと勢いよくくるくるまわって 決して向こうに行こうとしない またやってしまったと思いながら 僕は相変わらず眠っていて さらに深く沈んでいくのを感じている

Booby Trap No. 25



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時間

長尾高弘



火山灰のようなものが 降りつづき 降りつづいて 降りやまない 大切なものも そうでないものも 身につけていないものは 埋もれてしまった 足跡でさえ 数歩のうちに輪郭が ぼやけて消えてしまう いつまで歩いてゆけるのか いつになったら静かに 埋もれることができるのか

Booby Trap No. 25



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コントロール

長尾高弘



止まりなさい 止まりなさい そこで止まりなさい そこで止まるんだ! 言われたら すぐに言われたとおりにしなさい 止まりましたか? そこがあなたの死に場所です いやだ? でもあなたは 必要とされていないのです あなた以外のだれからも あなたはあなたを必要としていますか? いらないでしょう だれからも必要とされていないのだから でも あなたのからだの 一つ一つの部品は 必要です 必要とされている 人を生かすために ですから あなたの死は コントロールされなければ なりません 部品を損なうような 死に方は 認められません しかしあなたにも一つだけ 選択権を与えましょう 殺されるか 自分で死ぬか どちらにしても このロープを使うことにします 決まりましたか? それでは 一 二 三 初出: http://www.longtail.co.jp/poetryd/ 1998年9月17日付け

Booby Trap No. 26



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頭の名前

長尾高弘



頭には名前がもう一つあったと思うのだが どうしても思い出せない。 胴体から切り離したときには、 切断面を全体の名前として、 首 と呼ぶことがあるが、 私がいいたいのは、 物になってしまった頭のことではない。 前から見たときには、 顔 ということもできるが、 うしろから見たら顔とはいわない。 頭はうしろから見たって頭なのである。 頭にくっついている毛のことを 髪の毛というが、 毛をとって 髪 といってもやはり毛のことである。 頭脳という言葉もあるくらいで、 脳 は頭に近い感じがするが、 結局は中身のどろどろのことであって、 鉢の部分がなくなってしまう。 心 は頭ではなくて 胸のあたりにあるらしいから論外である。 頭のもう一つの名前、 あなたはご存知ですか?

Booby Trap No. 27



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良き心を持つ人々よ

長尾高弘



何の因果でこんなつまらないものを読まされなければならないのか という圧力を感じながらつまらないものを書くのは、 辛い。 からくはないがつらい。 こんなつまらない冗談でも、 書いている本人としては 退屈している読者に申し訳ないので、 どうしても書かなければならないことなんだ という理由を見出したときに限って書いているつもりらしいのだが、 つまらないものはつまらないのであって、 つまらないものを面白いと言ってくれる人は、 自らもつまらないものを書いているという負い目のある良き心を持つ人々か 懲りずにつまらないものを書き続ける人に何かを売りつけようと企んでいる人々 だけであろう。 それがわかっていても書き続けるのは、 書いている本人としては どうしても書かなければならないことなんだ という理由が次から次から沸いてきて、 絶えることがないからなのだろうが、 そのどうしても書かなければならないことなんだ たるや、 書かれてしまったあとは書いた本人からも忘れられ、 もちろん良き心を持つ人々も一度面白いと言ったあとは忘れてしまうのである。 つまらないものを書き続けていれば、 その繰り返しがむなしいことであることにはとうに気付いており、 何よりも どうしても書かなければならないことなんだ とやらが絶えることなく次から次と沸いてくるはずなどないではないか ということにも気付いているのだが、 どうしても書かなければならないことなんだ の泉が枯れるということは、 つまらないものを書き続ける人にとっては存在理由を断ち切られるということなので、 容易に容認できることではなく、 むりやりにでも どうしても書かなければならないことなんだ を生産し、 どうしても書かなければならないことなんだ と信じるしかないのである。 いずれにしても、 つまらないものを書くことを覚えてしまった生は、 つまらないものを書き続けて流れ行くものの下流に押し流されるか、 つまらないものを書き続けることを断念してそこで底に沈むか、 つまらない二者択一に迫られたあげく、 あらゆる生にかならずやってくる死というものによって、 そこで永遠に底に沈まなければならない。 ああ 初めて書きたいと思ったときに感じた強烈な恍惚(ルビ:エクスタシー)はどこに行ってしまったのだろうか。 なぜ 書きたいことを書くことだけで満足できず、 良き心を持つ人々に読むことを強いるような邪悪な考えを抱いたのだろうか。 ところで、以上のようなつまらないものを書いてしまった人は つまらないものをかなり書き続けてしまった人であるに違いない。 そして、書かれていることを理解できる人も、 つまらない(かどうかわからない)ものをかなり書き続けてしまった 良き心を持つ人々であるに違いない。 いかに良き心を持ち、書かれていることを理解できても、 これを読んで心弾み、晴れ晴れとした気持ちになる人はおそらく皆無であろう。 つまらないものを書き続けてきた人は、ただ単につまらないだけではなく、 あらかじめ限られた読者しか持たず、 その限られたすべての読者に不快感を与えるものをなぜ書いてしまったのだろうか。 それは 決して満たされることのない 淡く弱い支配欲 の 自慰(ルビ:マスタベーション)。

Booby Trap No. 28



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

共生

長尾高弘



ひょんなきっかけで外国の人が住み着いてしまった。 道端に捨てられているのを見て、 子供が欲しがったのだ。 相手が外国人なので、 子供がジャックという名前を付けた。 この国の人には、 笑い顔とか泣き顔といった表情はなく、 しゃべる言葉も、 わん というだけなので、 本当に一緒に住めるのだろうかと思ったが、 そこには入るな とか、 おしっこはこっち とか、 こちらが勝手に言っている日本語を 彼は何となく理解するようになってきたし、 彼がうれしそうにしているときとか、 寂しそうにしているときは、 こちらからもわかるようになってきた。 言葉を交わさずにわかることって いったい何なのだろう。

Booby Trap No. 28



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

Windowsヘルプを使った詩集の製作

長尾高弘



 パソコンでMicrosoft Windowsを使っていれば誰でも知っていることだが、このWindowsという基本ソフトウェアには、ヘルプ機能というものが組み込まれている。プログラムを使っていて操作方法やコマンドの意味がわからなくなったときに、[F1]キーを押すか、マウスなどで“ヘルプ”メニューを選択すると、プログラムの操作方法を説明してくれる別のウィンドウがオープンされるという機能である。ウィンドウには、もちろん説明の文章が表示されるわけだが、気の効いたヘルプなら、ダイアログボックス(コマンドやファイルなどを指定するための特殊なウィンドウ)の画面コピーなどのグラフィックイメージも含まれている。
 このように書くとすばらしい機能のように感じられるかもしれないが、正直なところ、私はあまりこの機能をありがたいと思ったことはなかった。しかし、仕事でビジネスアプリケーション開発の参考書を翻訳していて、“最近、ヘルプを利用してコンピュータ画面で見る出版物、プレゼンテーションを作る企業が増えている”という一節を見たときに、おお、そうかと思った。
 実は、このヘルプ機能はなかなか凝った作りになっていて、表示されているテキスト、グラフィクスの一部をマウスでクリックすると、画面が変化するようになっている。クリックできる部分は、マウスポインタが矢印形から人指し指を伸ばした手の形に変わるので、すぐに見分けられる(テキストの場合には色付き、アンダーライン付きになっているのでさらにわかりやすい)。たとえば、文章の終わりに「関連項目あれ、それ」という部分があったとして、その「あれ」や「それ」をクリックすると、ウィンドウの中味が「あれ」や「それ」の説明に変わる(ジャンプと呼ぶ)。また、文章のなかでちょっとした専門用語が使われているときに、その用語の部分をクリックすると、ヘルプウィンドウの上に一時的に小さなウィンドウが開いて、その中に2、3行の説明が表示される(ポップアップと呼ぶ)。この場合は、マウスをもう1度クリックすると、元の画面に戻ることができる。マクロと呼ばれる簡単なプログラムを実行することもできる。
 つまり、ヘルプのこれらの機能を利用すれば、冒頭から末尾まで直線的に進む本ではなく、前後左右に自在に移動できる本を作ることができるわけである。たとえば、全集のようなものでは、いくつもある異稿の間を自由に飛び回れれば便利だろう。注の多い本は、ポップアップウィンドウを活用すれば、かなり読みやすくなるはずだ。しかも、ヘルプはWindowsの標準機能なので、ヘルプ形式のデータファイルさえ作っておけば、Windowsの動くどのマシンでも見ることができる。つまり、特別なソフトウェアはいらない。そして、ユーザーがデータを書き換えられないということも、この場合は好都合である。勝手に本文に手を入れられては困る。しかし、本に書き込みをするように、ページごとにコメントを残す機能や、しおりをはさんですぐにアクセスできるようにする機能は含まれている(ユーザーがジャンプなどを定義できればさらによいが、それは不可能である)。
 少しくどくどと説明したが、実際には、おお、そうかと思った次の瞬間には、ヘルプ形式の詩集を作ってみようと思っていた。ちょうど手元には、近く刊行する予定の自分の詩集の原稿がある。この原稿を次のように料理することにした。

1. 起動したときには表紙を表示する。適当なグラフィックデータを使って飾り気を付けるとともに、タイトルをクリックすると、奥付データがポップアップされ、著者、出版社名をクリックすると、それぞれの住所、電話番号がポップアップされるようにする。
2. 画面上部の[>>]ボタンを押せば、表紙から最後のあとがきまで、ページを繰るように直線的に読めるようにする。[<<]ボタンを押せば逆に末尾から冒頭に進める。
3. 画面上部の[目次]ボタンを押せば、どこにいても、目次ページにジャンプできる。目次ページからはあらゆるページにジャンプできる。
4. 雑誌発表済みの11篇については、それぞれのページの末尾に“初出”というラベルのついたクリック可能領域を設け、そこをクリックすると2次ウィンドウという別ウィンドウに初出形を表示する(ヘルプでは、主ウィンドウ以外にもう1つ同じような形のウィンドウをオープンすることができる。両者で比較対照できるのである)。また、初出一覧というページを作り、そこからも2次ウィンドウにジャンプできるようにする。2次ウィンドウの初出形で、“現行”というラベルをクリックすると、主ウィンドウに詩集掲載形が表示される。
5. その他いちいち書くのが面倒な詳細。

図1は、これをまとめたものである。



 本当は、一番書きたいことは、方針を決めてから、動作するヘルプファイルを作るまでの苦労の数々なのだが、BoobyTrapの読者にとっては退屈な話だろうと思われるので省略することにする。基本的な手順は、次の2ステップである。

1. Microsoft Wordというワードプロセッサで文書を作る。ジャンプ、ポップなどを定義するために、決められた形式を守る必要がある。
2. ヘルプコンパイラと呼ばれるプログラムを使って、1.で作成した文書をヘルプファイル形式に変換する(注1)

 完成したヘルプ詩集は、図2のような画面を表示する。ファイルのサイズは50Kバイトほどになった。25000字分ということだが、表紙のグラフィックデータがこのうちのかなりの部分を占めている。しかし、ファイル内のデータ自体はこれでも圧縮されているのである。ちなみに、プレーンテキストでは、本文は30Kバイトほどである。




 今回は、多分に実験的なプロジェクトだったので、やれることはやらなくてもよいことまでやってみたつもりだが、マルチメディア的なことは試していない。たとえば、ウィンドウのなかにビデオを埋め込むようなこともできるはずだが、これにはC言語による本格的なプログラミングが必要になるようである。しかし、ボタンをクリックすると朗読データが流れるようにすることは、もっと簡単に実現できると思う(もっとも、朗読データは、記憶スペースを大量消費してくれるが)。
 さて、私はたまたまWindowsを使っているのでWindowsヘルプを利用したが、世の中にはほかにもこのような機能を持つプログラムがある。この種のプログラムは、一般にハイパーテキストと呼ばれる。このハイパーテキストという概念は、もともと1965年にテッド・ネルソンが提唱したものだが、実用化されたのは80年代である(注2)。このようなプログラムでもっとも有名なのは、間違いなく、Macintoshのハイパーカードだろう。Windowsヘルプの場合、データ作成にかなり苦労するが、ハイパーカードの開発環境ははるかに優れている(という噂である。試してみたいが、私はMacintoshを持っていない)。
 Microsoftは、Windows用のCD-ROMタイトル(Bookshelf、Encartaなど)のために、MediaViewソフトウェアと総称されるプログラムも作っている。初期のマルチメディアタイトルは、viewer.exe、mviewer2.exeといった汎用ビュア(表示プログラム)を使っていたが、最近では、タイトルごとにビュアを開発するような仕組みに変わった。最初期のviewer.exeがヘルプファイルをオープンできたことからもわかるように、このシリーズはヘルプとよく似ているが、ヘルプよりもユーザーインターフェイスに凝ることができるようである。しかし、ヘルプのような手軽さはない。
 もう1つ触れておかなければならないのは、最近のインターネットブームに火をつけたWWW(World Wide Web)である。Windowsヘルプは同じマシンのなかでしかジャンプできないが、WWWはネットワーク越しに世界中のあらゆるページにジャンプできる。マルチメディアという点でも、さまざまなことが実現されているようだ。
 ハイパーテキストだ、マルチメディアだと言っても、所詮、紙には勝てない部分がある。しかし、紙にはない便利さを発揮する部分もある。WWWのようにネットワークが絡んでくれば、情報の流通にも大きな影響を与える。いずれにせよ、これらの試みは、まだ生まれたばかりのものであり、これから自然淘汰が始まるだろう。多くの人が使って役に立つような機能以外は、自然になくなってしまうものだ。しかし、遊び感覚で色々と試してみるのも悪くはないと思う。コンピュータは所詮道具であり、オモチャである。あまり肩に力を入れずに、面白い遊び方を考えるのが一番だ(注3)


注1 実際にヘルプファイルを作ってみたい方は、マイクロソフトウィンドウズソフトウェア開発キットのマニュアル"プログラミングツールズ"と"プログラマーズリファレンスVol.4リソース"、先ほど触れた翻訳中の本、Christine Solomon, *Developing Applications with Office,* 1995, Microsoft Press(秋頃にはアスキーから翻訳が出る予定)などを参照していただきたい。手前味噌だが、開発キットのマニュアルよりもこの本の方がはるかにわかりやすいはずである。
注2 マイクロソフト(株)「コンピュータ用語辞典」、アスキー出版局、1993年7月
注3 なお、このヘルプ版詩集は、紙の詩集の読者のなかで希望される方には無料でお送りする予定です。また、筆者のパソコン通信ID(NIFTY-Serve PEA01357)、Internet nyagao@longtail.co.jpに問い合わせていただければ、製作のノウハウなども提供します。


Booby Trap No. 18



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詩人のためのInternet入門(Part 1)

長尾高弘



 実は私がInternetに本格的にアクセスし始めたのは、18号のWindowsヘルプの文章を書いたあとなので、いきなり知ったかぶりをしてこのような文章を書くのは気がひけるのだが、あれから4ヵ月ほどの間ですっかりInternetに染まってしまった。最初はそんなものなのかもしれないが、面白いのである。そこで、今回も技術的なことにはなるべく触れずに、Internetをどのように楽しむかについて思うところを書いてみたい。
 Internetについて説明するときにまず困ることは、それがどういうものかということを説明し出すとキリがないというところである(しかも、一定線より先については、私自身ちゃんと知っているわけではない)。接続形態も様々だし、サービスも様々である。しかし、話をするためには共通の足場が必要なので、最小限必要な範囲で技術的なことにも触れなければならない。ここでは、WWW(World Wide Web)を使ってあちこちのホームページにアクセスするとともに、自分のホームページを作って人に見せるための方法を簡単に説明しよう。私の場合でも、Internetを積極的に使おうと思った動機はWWWであり、InternetとはWWWのことだと誤解されるくらい、人気のあるプロトコルである(プロトコルという言葉についてはまたあとで説明する)。
 さて、そのWWWとは一体何なのかということなのだが、これまた正確に説明し出すとキリがない。18号のWindowsヘルプの文章でも簡単に紹介したように、まずはWindowsヘルプやHyperCardとよく似たものだと考えていただくことにしよう。ウィンドウのなかに絵や字がレイアウトされたページが表示され(オーディオデータ、ビデオデータなどを提供しているページもある)、決められた絵や字をマウスでクリックすると、別のページが出てくるいわゆるHyperTextである。ただ、WindowsヘルプやHyperCardなら、すべてのページが1つのマシンのなかに収められているのに対し、WWWは、世界じゅうのありとあらゆるところにページが分散しているというだけの話である。世界じゅうのページが見られるのはなぜかといえば、それら世界じゅうのコンピュータがInternetによって接続されているからだ。そして、大企業や大学、政府機関などのコンピュータは、すべてそれぞれの構内でネットワーク化された上で、全体が他のネットワークと専用回線でつながっている。これがInternetによって接続されている1つ1つのマシンである。
 もっとも、家庭や私の会社のような中小企業のコンピュータは、当然そのような形ではネットワーク化されていない。しかし、(1)プロバイダとの契約、(2)モデム(と公衆電話回線)、(3)ネットワークソフトウェア、(4)WWWブラウザの4点セットがあれば、そのようなコンピュータでも、一時的に世界じゅうのコンピュータのネットワーク(Internet)の一部になることができる。そして、諸々の設定が終わって一度軌道に乗りさえすれば、あとはHyperCardやWindowsヘルプを起動するのと同じようにWWWブラウザというプログラムを起動するだけで、世界じゅうのページを見ることができる。
 プロバイダとは、ただの孤立したマシンをInternetの一部にするためのサービスを提供する会社のことである。どのプロバイダと契約しても得られる情報は同じだが(ちょっと寄り道になるが、ここのところがパソコン通信ホストとの最大の違いである。パソコン通信の場合には、ホストが異なれば得られる情報も異なる)、その情報を低コストでスムースに得られるかどうかが違う。Internetは複雑なので、プロバイダが提供しているサービスもまちまちだが、家庭のコンピュータからWWWを見たければ、ダイアルアップIP接続というサービスを契約することになる(自宅のマシンからプロバイダのマシンに電話をかけ、電話がつながっている間だけ、自宅のマシンをInternetの一部にする)。プロバイダの詳細についてはInternet専門誌などを参照されたい*1
 モデムは、プロバイダに電話をかけ、プロバイダのマシンと自宅のマシンを接続するための道具で、パソコン通信で使われているものと同じである。電話回線とマシンの間に介在させる。最近のWindowsマシンには、最初から搭載されているが、できる限り高速なものがよい。28800bpsというかなり高速なタイプのものでも、今なら2、3万円で手に入る。
 ネットワークソフトウェアは厄介である。複数のコンピュータが情報をやり取りするときには、さまざまなレベルで約束ごとが必要である。約束ごとがなければ、コンピュータは相手が何を言っているのか理解できない。これらの約束ごとをプロトコルと呼ぶ。プロトコルは階層状になっている。たとえば、何秒にどれだけの量のデータを送るかといった約束が確立されなければ、そのデータの形式についての約束をしても無意味である。この場合、データ量の約束は下位のプロトコル、データの形式の約束は上位のプロトコルということになる。通信で使われるプロトコルは、ISO(JISの親玉のようなもの)の規定では7層だが、一般的には5層くらいになるようである。ネットワークソフトウェアは、その土台の方のプロトコルを体現するプログラムである。
 Windows 95、Windows NT、MacintoshのSystem 7.5には、標準で必要なソフトウェアがすべて添付されているが、Windows 3.1の場合には、別途入手しなければならない(雑誌の付録などでたいてい用は足りるが)。厄介なのはその設定で、色々設定しなければInternetには接続できないのだが、およそ技術的な知識がなければ一体それらの設定がどのような意味を持っているのかとんと理解できない。しかし、Internet雑誌、入門書を見れば、意味はともかく、しなければならないことだけはていねいに説明されているので、何も考えずに指示されたとおりに設定してしまおう*2。一度設定すれば、その後の接続のときには設定のことなど忘れてしまえる。
 最後のWWWブラウザは、繰り返しになるが、WindowsヘルプやHyperCardのようなプログラムである。ただし、マシンがInternetに接続されているという前提のもとに世界じゅうの情報提供者から情報を取ってくるところが異なる。さまざまな種類のものがあるが、Netscapeというプログラムが世界の標準の地位をあっという間に確立してしまった。残念ながら、NetscapeはInternet雑誌の付録などの形では入手できないが、付録に含まれているプログラムを使ってダウンロードすることはできる*3
 ずいぶん紙面を使ってしまったが、これでやっとWWWホームページを見るための準備が終わった。しかし、何をどうやって見るのだろうか?
 もちろん、答はすでに書いてある。WWWブラウザに表示されたページのなかでリンクが張ってある部分をクリックすればよい。しかし、最初のページはどうやって表示したらよいのか? その問題は、WWWブラウザ自身が解決してくれる。たとえば、NetScapeなら、セットアッププログラムでインストールしたままの状態でプログラムを起動すると、NetScape社のホームページを表示する。
 しかし、まだ問題は残っている。NetScape社のホームページからいくらあちこちのリンクにジャンプしてみても、詩と関連のあるページにはなかなかたどり着けないのである。それに、一度試してみれば痛感することなのだが、ページの切り替えには非常に時間がかかる。ジャンプするたびに、リンク情報が指定しているネットワーク上のマシンに出かけていって、ファイルを読むのだからそれも当然である。おまけにWWWのページには、グラフィックデータという重たいものが載っている。そして、PPP接続で転送できるデータは、たかだか毎秒2Kバイトほどだ。途中の接続の状態によっては、転送がぱたっと止まってしまうこともある。結局、1枚のページを見るためには分単位の時間がかかる。できれば、効率よく目的のページにポンとジャンプしたい。
 まず役に立つのは、ブックマーク機能である。これは、また見てみたいと思ったページに栞を挟んでおくというもので、NetScapeを初め、多くのWWWビュアがサポートしている。たとえば、NetScapeの場合なら、「Bookmarks」というメニューから「Add Bookmark」というコマンドを選ぶだけで、表示されているページに栞が挟まれる。次に「Bookmarks」メニューをオープンすると、栞を挟んだページのタイトルバーに表示されていたテキストがメニューに追加されているはずである。その項目を選択すれば、目指すページにジャンプできる。また、「View Bookmarks」というコマンドを選ぶと、栞の一覧表がダイアログボックスに表示され、目的のページにジャンプしたり、栞をグループにまとめたり、不要になったブックマークを取り除いたりすることができる。
 しかし、栞を作るためには、一度そこに行かなければならない。一度も行ったことのないところに直接ジャンプするためにはどうしたらよいか? 答は、URL(Uniform Resource Locators)と呼ばれるものである。
 URLは、<プロトコル>://<接続先アドレス>/<パス>/という形式の文字列である。たとえば、私のホームページなら、http://www.st.rim.or.jp/~t-nagao/である。WWWページの場合、<プロトコル>の部分はかならずhttp(HyperText Transport Protocol)になる。<接続先アドレス>の部分は、サブアドレスを“.”でつないだ形になる。サブアドレスは英文の手紙の宛先と同じで、細かいものから順に指定していく。そのため、後ろの2、3個のサブアドレスは、URLの意味を知る上で役に立つ。私のホームページの場合なら、rim.or.jpの部分である。最後のjpは国名、japanを表わす。イギリスならuk、フランスならfrというわけである。しかし、アメリカの場合は、usを付けないものが多い。この業界では、アメリカが世界である。次のorは、組織の種類を表わす。ac、eduは大学、go、govは政府関係機関、co、comは企業、or、netはプロバイダを表わす。最後のrimは、組織の名前を表わす。rimは私が契約しているプロバイダ、rimnetを表わしている(ついでにその1つ手前のstは、rimnet東京を表わす。rimnetの場合、サービスを開設している都市ごとにそれぞれサブアドレスを使っているのである)。組織名では、たとえば、microsoft、apple、kantei(首相官邸)、u-tokyo(東大)といったものが実在する。最後の<パス>は、<アドレス>で指定されたサブネットワーク(ドメインと称する)で、問題のファイルにたどり着くための経路である。ファイルは木構造で管理されており、木の幹から葉に向かって、<幹(根)>/<枝>/<枝>/.../<葉>とたどっていく。~t-nagaoは、t-nagaoというユーザーの“幹”の部分を指す。プロバイダと契約している個人のホームページは、~<ユーザー名>という形になることが多い。
 実は、リンクを使ってジャンプするときも、栞を使ってジャンプするときも、URLは使われている。ただ単に意識しなくても済むだけだ。しかし、WWWビュアをよく見れば、どこかに控えめに表示されているはずである。Netscapeの場合なら、ページ本体を表示している部分のすぐ上に1行分のテキストを入力できる場所が用意してあり、そこに今見ているページのURLが表示される。この同じ場所にURLを手で入力して、リターンキーを押すと、そのURLが指しているページを見ることができるわけだ。そろそろ紙面も尽きてきたので、最後に詩関連のページのURLをまとめて今回は終わりということにさせていただく。

詩関連ホームページのURLリスト

URL
内容
http://wings.buffalo.edu/epc/
米バッファロー大学のElectronic Poetry Center 。アメリカ、イギリスの小出版社、同人誌などへのリンクを集めている。
http://www.ssynth.co.uk/~rday/poet_mag.html
イギリスBristolの詩人やイベントを紹介する。他の詩関連ページへのリンクも充実している。
http://www.cc.columbia.edu/acis/bartleby/
米コロンビア大学のProject Bartleby。英米詩の古典をWWWで見せてくれる。Bartlett、Dickinson、Keats、Melville、Shelley、Strunk、Whitman、Wilde、Wordsworth。
http://the-tech.mit.edu/Shakespeare/works.html/
WWW版のShakespeare全集。
http://www.cs.brown.edu/fun/bawp/
B.A.W.P(Best-quality Audio Web Poems)。詩の朗読データを集めている。
http://www.cnam.fr/ABU/
ABU(L'Association des bibliophiles Universels) 。電子テキストの蓄積を目的としたフランスの非営利団体。
http://www.stack.urc.tue.nl/~poetry95/
Poetry International '95 Rotterdam On Internetのホームページ。参加詩人のプロフィール、朗読データ(ほとんど空だが)などを集める。
http://cc.matsuyama-u.ac.jp/~shiki/
松山大学が開設している英文の俳句ページ。海外からの投句がかなりある。
http://www.voyagerco.com/PR/p.toc.html
The Paris Review。雑誌の抄録のほか、インタビューのビデオデータなども多数収録している。大家のvoyagerはマルチメディア書籍出版の大手。
http://www.st.rim.or.jp/~t-nagao/
私のホームページ。例によって「長い夢」全編を掲載しているほか、BT発表作、コンピュータ関係の翻訳書リストなどを掲載しています。

註1 インプレスの「Internet Magazine」1995年6月号には、プロバイダ各社が提供するサービス、料金の一覧、プロバイダの比較記事が掲載されている。
註2 たとえば、「Internet Magazine」1995年7月号には、Macintosh、Windows 3.1のTCP/IP、PPPの設定方法が書かれている。
註3 後述の方法を使って、http://home.netscape.com/に接続すればよい。


Booby Trap No. 19



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ハイパーテキストへ(連載第3回)
----詩人のためのInternet入門Part.2 及びその後のWindowsヘルプ

長尾高弘



 前号は、「詩人のためのInternet入門 Part 1」というものを書かせていただいたが、あまり「詩人のための」ということにはならず、ただのInternet入門になってしまった。今回はPart 2として、ホームページの作り方を書くべきところなのだが、これもあまり「詩人のための」話にはなりそうにない。年賀状の下の方にホームページのURLを書いておいたせいか、最近あちこちからアクセスがあるが(まぁ、1日7、8件といったところだが、以前は自分がアクセスしなければ、毎日0件だった)、それらあちこちから地味だねとか、凝ってないねと言われてがっかりしてしまった。地味というか、グラフィックデータが少ないのは、ディスク容量がキツキツなのと、私自身がグラフィクスの多いページを好まない(表示が遅くてイライラする)からなのだが、しかし、あまりホームページらしくないホームページを持っている人間が、他人様にホームページの作り方をお教えしましょうというのもおこがましいので、Part 2は簡単に済ませてしまおうと思う。
 ホームページを作りたいときには、まず色々なホームページを見て、やり方を研究することである。ホームページの記述言語であるHTML自体は簡単である。裸のテキストを<何とか>...</何とか>というタグで囲んで飾りやリンクを定義すればよい。翔泳社から出ている「インターネットホームページデザイン」という1時間で読める本を読めば誰でも何かしら格好のつくものは作れる*1。そして、Netscapeなどのブラウザで面白そうな機能を持つホームページのソースコードをセーブすれば、その機能を盗むことができる。書き方が理解できたら(もちろん、書きながら理解するという方法もある)、ローカルディスクにこれから作るホームページと同じディレクトリ構造を作って、そこにファイルを書いていく*2。専用のHTMLエディタというものもあるが、私は普通のテキストエディタでちょこちょこと書いてはセーブして、Netscapeの“Open File”コマンドで実際に表示して不具合を訂正している。これで完全というものができたら、ftpを使ってローカルディスクのディレクトリ構造をそっくりホームページ用の領域にコピーする。大事なことは、頻繁に手を入れることである。一度見たら、はいそれまでというホームページではつまらない。気にいってくれた人に繰り返し見に来てもらえるようなものにしたい。更新履歴のページを作っておくと、作成者の側の管理にも役立つし、2度目以降のお客さんにも、どこを見たらよいかがすぐにわかって便利である。恥ずかしがらずに、サーチエンジンなどに登録して、宣伝するのも大事だ。最後に、その後見つけた(あるいは教えていただいた)詩関連ホームページのURLをリストアップしておこう(文末参照)。「詩人のためのInternet入門」は不発だったが、「詩人のホームページ」は増えている。
 ところで、最近、私のホームページでは、Windowsヘルプ版のBooby Trapを公開した。18号でWindowsヘルプ版の詩集についての記事を書いたときから今までの間にWindowsヘルプにも大きな変化があった。言うまでもなく、Windows 95のリリースである。Windowsヘルプも、Windows 95がリリースされてバージョンアップされた。新しいバージョンのヘルプエンジンは、古いバージョンのヘルプファイルも表示できるが(しかし、若干の非互換性はある)、古いバージョンのエンジンは新バージョンのヘルプファイルを表示することはできない。両者の差は色々あるが、ヘルプを見る側から考えて大きいのは、CNTファイル(トピックファイル)というものが追加されたこととフルテキストサーチ機能が追加されたことだろう。
 CNTファイルはなければないで構わないファイルだが、あればヘルプ本体のウィンドウとは別のウィンドウでヘルプファイルの目次を表示することができる*3。そして、複数のヘルプファイルのキーワード*4を統合するための鍵を握っている。従来のバージョンでは、「検索」ボタンでキーワードリストのウィンドウを表示しても、そのときに使っているヘルプファイルのなかのキーワードしか表示されなかったが、新バージョンでは、CNTファイルでヘルプファイルのリストを書いておけば、それらのファイルのキーワードをまとめて表示してくれる*5。たとえば、Booby Trapを号ごとにヘルプファイル化し、著者、作者名をキーワードとして登録しておいた場合、従来バージョンなら、特定の著作者名を選択しても、リストアップされる項目はそれぞれの号の作品だけだったが、新バージョンなら、1号から最新号までに含まれるのその著作者の作品がずらりとリストアップされる。これは連載記事を読むときには重宝しそうな機能だ*6
 フルテキストサーチ機能*8は、ある特定の語を含むトピックをリストアップしてくれる機能である。従来のキーワード検索の場合、ヘルプファイルの作成者が決めたキーワードしか使えないが、フルテキストサーチなら、エンドユーザーが検索対象の単語を自由に決められる。たとえば、19冊のBooby Trapで「時間」とか「音楽」といった単語がどこで使われ、どのように使われているかを比較することができるわけである。
 ヘルプの改良ではなく、Windows自体の改良ということだが、明朝のフォントが比較的小さいポイント数でも明朝らしく表示されるようになったのも、ヘルプ版詩集、詩誌の作成では大きな意味を持っている。ちょっとフォントの表示がよくなっただけで、不思議と内容を読んだ印象も変わるものである。その他、18号の原稿を書いたころには気づかなかったテクニックもいくつか見つけたが、これらはいちいち説明しているときりがないので話を先に進めよう*9
 今まで、ハイパーテキストという言葉をあまり明確に定義せずに使ってきた。ちょっと古い本だが、「考える道具としてのMacintosh/HyperCard」(梅村恭司著、1989年共立出版)という本は、「文章の関連ある項目の結合関係を保持し、多角的な方法で見れるような電子情報をHyperTextという。HyperTextは人間の頭のなかにある形態に近い形で文書を保持しようとしたシステムである*13」とうまくまとめた上で、参考文献も紹介してくれている。そして、「裸のHyperCard、または少しスクリプトを追加したくらいのHyperCardをHyperTextと考えてはいけない」とも述べている。この部分を読むと、いつもハイパーテキストという言葉をあまり気楽に使ってはいけないような気分になる。
 しかし、だからといってコンピュータ学者ではない私などがこの本で紹介されている学術論文集を読んでHyperTextの正しい定義を理解したところで得られるものはあまりない。それよりも、自分がどのようなものを求めているのかを突き詰めていくべきだろう。
 Booby Trapの全部の号をWindowsヘルプファイルにまとめる仕事には、自分の詩集をヘルプにまとめたときには感じなかった面白さがあった。たとえば、吉田裕氏の現在の連載、「バタイユ・マテリアリスト」や18号以来の拙稿には、いくつかの註が含まれている。紙の本を読んでいると、この註というもののおかげでページをあっちにひっくり返しこっちにひっくり返しし、元々読んでいたところがどこだかわからなくなり、イライラするということがよくある。しかし、ヘルプ形式なら、註が必要なところをマウスでクリックすれば、別のウィンドウがポップアップしてすぐに註の内容を読むことができる。註は元々読んでいたところからそれほど離れていないところに表示されるので、元の文章にもスムースに戻れる。このようなWindowsヘルプの利点は、「長い夢」をヘルプ化しているときには思い付かなかったことである*14
 同じように、「長い夢」の作業では、キーワード検索*4のキーワードの選び方の重要性にも気づかなかった。「長い夢」では、「目次」とか各ページのタイトル以外にキーワードにすべき言葉は思い付かなかったが、「Booby Trap」の場合には、作品名以外にも、著者名とか、連載名とか、BT通信といった特定のコーナーの名前とか、さまざまなキーワード候補が考えられる。これをうまく構成すれば、たとえば連載記事を続けて読むときなどは、紙の雑誌よりもスムースに号の境界を渡っていける。
 このように、紙の形のBooby Trapをヘルプ形式に変換しただけでも、いくつかの可能性が考えられる。しかし、これだけで満足してしまってよいのだろうか? つまり、縦のものを横にするようなことだけで、「文章の関連ある項目の結合関係を保持し、多角的な方法で見れるような電子情報」という形式をフルに活用したことになるのだろうか? 新しい形式は、文章の構成方法自体を変える可能性も秘めているのではないだろうか?
 文章を書くときにいつも苦労するのは、さまざまなアイディアをどうやって文章の構成要素としてはめこむかである。アイディア自体はダンジョンのなかのアイテムのようにあちこちに散乱している。しかし、文章は冒頭から末尾まで1本の糸のようにつながっていなければならない。そこで、文章を書くという作業は、ダンジョンのなかのアイテムをすべて結ぶ一筆書きのルートを見つけるような迂遠な作業になってしまう*16。アイディア自体を磨くことよりも、アイディアを結ぶことに精力をそがれてしまうのである。
 よく考えてみると、文章のなかには、他の部分からは相対的に独立している部分が含まれているものである。これらを無理に一筆書きのなかに押し込もうとするから、苦労する。押し込めなくて、諦めることにもなる。そのような部分を本文からは切り離し、たとえば本文の適当な場所をクリックするとポップアップ表示されるようにしてはどうだろうか。
 実は、今回の原稿はそのような考え方で書いている。註が妙に多いのはそのためである。この部分は本文とは直接関係ないが、それでも書いておきたいと思うことは、どんどん切り離して註にしていった。これらはあとでポップアップできるようにすればよい。ここまで書いてきた感想では、ずいぶん楽になったような気がする。そして、読むという点では、紙に印刷されたものよりもヘルプ版の方がはるかに楽になっているはずだ。紙の方では、視線があっちに飛び、こっちに飛び、休まるときがないが、ヘルプ版ならそのような視線の移動はあまり大きなものではない。また、紙の場合にはすべての情報がとにかく印刷されて見えるところにあるので、ついつい全部読めという圧迫感を感じがちだが、ヘルプ版なら、本文以外のものは目に見えないので、リンクがあっても興味がなければいちいち読まない*17。また、一筆書き的な書き方をするときと比べれば、本文は短くなり、筋をたどりやすいものになるはずだ*18。梅村氏の「人間の頭のなかにある形態に近い形で文書を保持しよう」という表現には、そのような意味合いがあるのではないかと思う。
 テキストのこのような構成方法にどのような意味があるかはわからない。文章の味がなくなるだけさという批判もあるだろう。しかし、想像は現実を超えられない。さまざまな書き手によるさまざまな実例が揃わなければ、この構成方法の本当の意味はわからないだろうと思う。もちろん、いつまでたっても実例が揃わない可能性もある。だとすれば、この形式には魅力がないというだけのことだ。いずれにせよ、見極めには時間が必要である。そして、私はしばらくこの方法を試してみようと思う。
 コンピュータがらみの原稿を3回書いてきて、やっとそれらのターゲットがハイパーテキストだということがわかった。 しかし、今回はそれがわかったところで紙数が尽きた。機会があれば、また別の角度でこのテーマを取り上げてみたい。*19

*1 この本が出たあと、Netscape ver.2がリリースされ、Netscapeブラウザだけが使える拡張機能が増えている。そのなかでも、この文章の文脈で重要なのはフレーム機能だろう。これは、ウィンドウを分割して、質的に異なる情報を並置するものである。たとえば、淵上熊太郎氏の詩集「パーフェクト・パラダイス」が掲載されているページ(http://www.st.rim.or.jp/~dingo)では、ウィンドウを左右に分割し、さらに左側を上下に分割して、左上をパートを選ぶための目次、左下をパート内の目次、右全体を詩作品に割り当てている。左上で特定のパートを選ぶと左下のパート内目次の内容が変わり、パート内目次で作品タイトルを選ぶと右側の作品の内容が変わる。従来なら、ある作品が表示されているところからランダムに別の作品のページを表示したければ、一度目次に戻ってからその作品を選択して、都合二度の画面切り替えが必要なのが普通だったが、フレームを活用すれば一度の画面更新で目的の情報にたどり着ける。この機能の概略は、Netscape社のホームページ(http://home.netscape.com/assist/net_sites/frames.html)で説明されている。
*2 ローカルとリモート(ホームページとして実際に公開される領域)とで同じディレクトリ構造を保つのは、追加、修正、削除などのメンテナンスを円滑に行う上で重要な意味を持つ。両者がずれていたら、ローカルで充分にテストすることさえできなくなる。
*3 しかし、トピックウィンドウの目次で項目を選択すると、トピックウィンドウは消えてしまう。ヘルプウィンドウ上部の「トピック」と書かれたボタンをクリックすれば、また出てくるが、消えたり出したりする分、時間がかかってイライラする。また、トピックウィンドウが表示されているときには、ヘルプウィンドウをトピックウィンドウの手前に表示できず、ヘルプウィンドウを操作することができないのも、イライラする。Netscapeのフレーム*1の方が直観的である。
*4 キーワードとは、ヘルプファイルの作成者が各トピック(ページ)ごとに指定できる(指定しなくてもよい)単語で、たとえばヘルプ版Booby Trapの場合には、著作者名や作品名をキーワードとして登録している。このようにして登録されたキーワードは、トピックウィンドウのキーワードタブの下にリストアップされる。リストの上のテキストボックスに探したいキーワードの一部を入力するか、リストを直接スクロールして目的のキーワードを特定し、リスト内のキーワードをマウスでダブルクリックすると(あるいはリターンキーを押すと)、そのキーワードを登録しているトピックのリストが別のウィンドウに表示される(該当トピックが1つだけならそのトピックが直接表示される)。この新しいウィンドウでトピックを選択すると、ヘルプウィンドウに該当トピックが表示される。たとえば、キーワードタブで「清水鱗造」というキーワードを選択すると、別ウィンドウに清水氏が書いたすべての作品がリストアップされるわけである。連載記事を読むときなどに役に立つ。
*5 ところで、新バージョンでは、キーワードリストもトピックウィンドウに統合されている。トピックウィンドウは、「目次」、「キーワード」、「検索」(フルテキストサーチDLLがシステムに組み込まれている場合のみ)といったタブによって内容を切り替えられる形式になっているのである。
*6 旧バージョンでも、Booby Trapの1号から最新号までをすべて1つのファイルにまとめてしまえば、これは可能である。しかし、その場合、新しい号が出るたびにファイル全体をコンパイルし直さなければならない。新バージョンなら、1号から直前の号までのヘルプファイルには手を付けず、最新号のファイルを新しく作って、CNTファイルに変更を加えるだけでよい*7
*7 実際のヘルプ版Booby Trapでは、融通のきかないトピックウィンドウを使わなくても済むように、総目次ファイル(BT.HLP)と各号のファイル(BT01.HLP、BT02.HLP...)を作っているので、最新号が追加されたときには、総目次ファイルにも手を入れる必要がある。
*8 この機能はあまり知られていないようだが、それは普通にWindows 95をインストールしてもフルテキストサーチエンジン(FTSRCH.DLL)がインストールされないからである。この機能を使いたければ、Windows 95のセットアップCDをドライブに入れ、WIN95ディレクトリに移動した上で、ハードディスクのWIN95ディレクトリに移動した上で、MS-DOSプロンプトで

C:>extract /E D:win95_09.cab ftsrch.dll

と入力しなければならない(上記コマンド行は、ハードディスクがC、CD-ROMがDドライブと仮定している)。
*9 と言いつつ、ここで少し細かいことを書いてしまおう。「長い夢」ではルビの入ったページはなかったが、Booby Trapにはルビ付きの作品がたくさんある。Wordにはルビ機能があるのだが、ヘルプではそのようにして付けたルビは表示されない。そこで、行分け詩では文字サイズ、行高の小さい行と大きい行を互い違いにしてルビらしく見せる工夫をした。しかし、1段落分を1行分として扱う散文作品で、この方法を取ると、ルビの塊と本文の塊が分断される形になってうまくない。そこで、ルビ部分のポイントを落として全体を()で囲みルビが必要な部分の後ろに配置するという方法で妥協した*10
 もう1つは、行分け詩の長い行の処理である。Windowsヘルプは、長い行があると、基本的に右端で折り返す。しかし、行分け詩の長い行をそのまま左端から折り返したのでは、本当の行がどこまでなのかがわかりにくい。現代詩文庫などで取られているように、1字下げで折り返したいところである。これは、Wordで元ファイルを作るときに、ぶら下げインデントというものを活用すれば実現できる*11。ところが、ルビ付きの行をそのように処理すると、ルビ付き散文のときと同じような問題が出る。そこで、そのような作品では、1行が途方もなく長くならない限り、折り返しが起きないように設定した。このように設定したページでウィンドウの幅が最長の行の幅よりも短い場合には、水平スクロールバーが表示され、ページを上下だけでなく、左右にもスクロールできるようになる。
*10 これは初期の印刷されたBooby Trapでも取られていた方法である。
*11 Netscapeでは、折り返しの有無は設定できるが、1字下げの折り返しは不可能である。また、Netscapeでもルビは処理できない。ルビは、少なくとも英語などのローマ字言語にはない概念なので、アメリカの技術者にはサポートしようという頭は働かないのだろう*12。縦書きもグラフィックファイルでも使わない限り、実現できない。
*12 アメリカの技術者で思い出したが、Windowsヘルプのキーワードリストは、それぞれの言語のアルファベット順に並べられて表示される。だから、英語やフランス語なら非常にわかりやすい表示になる。しかし、日本語の単語は、文字ベースではなく、読みベースで並べなければ意味がない。記号、ローマ字、アイウエオ順のひらがな、カタカナ、JIS第1水準(おおむね音読みのアイウエオ順)、第2水準(部首の画数順)にきれいに並べられたリストに何の意味があるかは疑問である。
*13 同書12ページ。
*14 Netscapeでも、フレーム機能*1を使えば類似の効果が得られる。
*15 記号、アルファベット(AからZという順番。全角/半角を区別しない分、ただのシフトJISコード順よりもまし)、かな(50音順。ひらがなとカタカナを区別しない点が、ただのシフトJISコード順よりもまし)、第1水準の漢字(大雑把に言って、音読みの50音順)、第2水準の漢字(大雑把に言って、部首の画数順)という順番である。
*16 ただ単に文章の書き方がヘタだということかもしれないが。
*17 私の経験では、WWWの場合は、リンクをいちいち見ていたら時間がいくらあっても足りないし、イライラするので、リンクをクリックしないのが普通である。ヘルプでも、よほどのことがない限り、リンクをいちいち読むことはまずない。
*18 もちろん、本当に読みやすくなるかどうかは、文章の書き方とリンクの構成の仕方によって決まるはずだ。
*19 拙稿ではHyperCardについてはあまり取り上げてこなかったが、HyperCardは、間違いなくWindowsヘルプよりも数倍優れたシステムである。本格的なプログラミングが可能だし、そのプログラミング言語(HyperTalk)は、プログラミングの最先端のアイディアをいち早く取り入れている。 Windowsヘルプでは容易に実現できないことも、HyperCardなら実現できる。表示一つをとっても、Windowsヘルプよりはかなり凝ったものが作れる。
 しかし、私は今一つHyperCardにはなじめないでいる。1つの理由は、凝ったものが作れるから、凝ったものを作らなければならないというプレッシャーを感じてしまうことである。HyperTalkは本格的なプログラミング言語だから、自由に操るためには本格的に勉強しなければならない。Windowsヘルプは、グラフィックデータを貼り込むこともできるが、基本的にテキストを表示するためのシステムであり、テキストのことだけを考えていればよい分、私にとっては居心地がよい。もう1つの理由は、HyperCardがまさしくカードだということである。スタック(トランプの山から来た言葉で、要するにカードの集合のこと)全体でカードサイズを決めてしまったら、それを拡大/縮小することはできない。しかし、Macintoshはマルチウィンドウシステムなのだから、HyperCardのあるスタックと別のプログラムを併用するときなど、HyperCardのかちっと決まったサイズが邪魔になる場合がある。逆に、HyperCardだけをじっくり見たいときには、もっと大きくしたくなる。結局、カードサイズを決めるときには両者の間を取って、大き過ぎず小さ過ぎないサイズを選ぶことになるが、そのようなサイズはあまり使いやすいものではない。そして、Macintoshは日本語の表示に適した機械ではない。同じ17インチディスプレイをWindowsは1280×1024ドットで使うが、Macintoshは832×624で使う。Macintoshは低い解像度でかなり巧みにフォントを表示するが、それでも、この差は漢字の表示では致命的だ。

詩関連ホームページのURLリスト(Part2)


URL
内容
http://www.catnet.or.jp/srys
鈴木志郎康氏のホームページ。昨年刊行された魚眼レンズ写真集「眉宇の半球」のなかの作品と最新及び初期詩作品が含まれている。
http://www.singnet.com.sg/~kanji/
園下勘治氏のホームページ。プロフィールと詩集「最期の三輪車」の作品から構成されている。URLの末尾のsgはシンガポールを意味する。
http://www.asahi-net.or.jp/~DM1K-KSNK/
楠かつのり氏のホームページ。詩集「ペーパービデオ・インスタレーション」のテキスト全文と同氏のプロフィール、イベント予告など。谷川俊太郎氏のコーナーもある。
http://www.st.rim.or.jp/~dingo/
淵上熊太郎氏の詩集「パーフェクト・パラダイス」が全篇掲載されている。Netscape ver.1用ページは縦書き、ver.2用ページはフレーム機能を使ってきれいにまとめてある。
http://www.asahi-net.or.jp/~fd6y-tnk/
田中庸介、高岡淳四、澤尚幸の各氏が執筆する“kisaki treckers”のホームページ。「詩人の香りのする」山登りの雑誌。同誌がすべて掲載されている。
http://www.kt.rim.or.jp/~oqx/
Cyber Poetry Magazine O2X。鈴木志郎康、中上哲夫、淵上熊太郎、宮野一世、Arthur Binardの各氏の詩が読める。インターレースGIFの縦書き表示はなかなか美しい。
http://www.bekkoame.or.jp/~s-uchi/
七月堂内山昭一氏のホームページ。七月堂出版目録、川口晴美アンソロジーなどが掲載されている。グラフィクスがふんだんに使われている。
http://www.ifnet.or.jp/~kumac/
小熊昭広氏と中村正秋氏の詩誌「回生」のホームページ。最新の「た」号が掲載されているほか、バックナンバーも準備中。
http://www.kt.rim.or.jp/~shimirin
清水鱗造氏のホームページもついに登場。昨年刊行の「毒草」全篇と92、93年の週刊読書人書評など。Booby Trap全号が掲載されているほか、ヘルプ版Booby Trapもダウンロードできる。

Booby Trap No. 20



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

ハイパーテキストへ(連載第4回)

長尾高弘



 こういう始まり方が恒例になってしまったが、まずは前回の自己批判である。「今回の原稿はヘルプ版の方がはるかに読みやすいはずだ」と書いたとき、内心、そんなことを書いてよいのかいなと思ってはいた。あの文章を書いたとき、私は実際にヘルプ版を作ってみたわけではなかった。そして、ヘルプ版を作るのは面倒くさい仕事なのである。当時ほかのことに熱中していたこともあって、結局ヘルプ版を作ったのは、印刷された20号を手にしてからだった。あんなことを書いてしまった以上、ヘルプ版にそれなりに凝ったものにしなければならない。19号までのヘルプ版では使わなかった第2ウィンドウも使ってそれらしいものを作った。自分の原稿の部分だけ力を入れたような形になって気まずかったが、結果は惨敗だった。
 と言っても、ヘルプ版を見てみた読者はほとんどいないだろうと思われるので、どう惨敗だったか説明しておく必要があるだろう。本文を表示しているのとは別のウィンドウをオープンするとなると、それなりに時間がかかる。リンクのついたところをわざわざクリックしてみたのだし、少々待たされるのだから、それなりに面白いことが書いてあるのだろうと読者は期待する。しかし、前回の文章はそのようには構成されていなかった。エディタで平面的に書いていたときには気付かなかったのだが、コメントの内容は、わざわざウィンドウを1つオープンするほど面白いものではなかったのだ。コメントからコメントを呼び出す形にしたのも、いざヘルプにしてみると、わずらわしいだけだった。平行して流れるテキストというアイディアには、正直なところ、まだ未練があるのだが、片方の流れがもう片方の流れに従属する形では、限界があるような気がする。少なくとも、今回は前回のようにコメントの山を築かないようにしようと思う。
 さて、前回の原稿を書いてから、鈴木志郎康氏のエッセイ、「インターネットと詩人」(日本経済新聞4/14朝刊)と小倉利丸氏の「インターネットと法言説」(現代詩手帖96/4)を読んだ。それぞれのエッセイの趣旨とは無関係ながら、目を引いたのは、「ホームページの存在はリンクによって支えられているが、ややもすると知人友人の輪の中を堂々めぐりする傾向があるので、それを破って広がって行きたい」(鈴木氏)、「この文章に図版が欲しいという場合に、雑誌や本ならば図版の版権をとって複製を作成して掲載することになるが、「リンク」という機能はそうした手続きを不要にする」(小倉氏)の二箇所だった。リンクがそういうものだということは、もちろん知っているから、そのことに驚いたわけではない。ただ、私の今までの原稿では、自分が書いたものをハイパーテキスト的に構成することに熱中するあまり、「堂々めぐり」に陥っていたということに気付かされたのである。ハイパーテキストの本領は、小倉氏が言うように「他人が作成した公開のデータを自分のデータと結び付ける」ことにある。最初に白状した前回の失敗とからめて言えば、リンクの対象を自分が書いたコメントなどに矮小化せず、電子的にアクセスできるあらゆる情報に広げるべきだったのだ。
 鈴木氏は、新聞に記事が掲載されるとすぐにエッセイのインターネット版を公開したが、インターネット版はエッセイ中で紹介されているさまざまなホームページへのリンクがふんだんに含まれている。鈴木氏のエッセイを読みながら、へー、それを見てみたいなと思えば、マウスクリック1回で見ることができるわけである。小倉氏も、エッセイの本来の趣旨である電子ネットワーク協議会の「倫理綱領」に抗議するホームページを公開しており、このホームページからは「倫理綱領」そのものが掲載されているホームページ(公開しているのは電子ネットワーク協議会自身である)や通産省、「倫理綱領」に抗議するその他の個人、アメリカの通信品位法(CDA: Communication Decency Act)関連のホームページへのリンクがふんだんに埋め込まれている。リンクした先が知らない間に消えてしまったりすることはあるが、このような形でのリンクの利用には、やはり可能性がある。この連載では、関心の対象がWindowsヘルプとWWWの間で行ったり来たりしていたようなところがあるが、最近はどこでも誰でもリンクできるWWWがあれば、Windowsヘルプはもういいかなという気になり始めている。
 確かに閉じた世界では、Windowsヘルプの方がWWWよりも軽いというメリットはある。これは当然のことで、Windowsヘルプのコンテンツは、1つのファイルのなかに詰め込まれているから、最初に全部メモリにロードできる。WWWのページは、次にどのページにアクセスするか予測できないので、直近に読んだいくつかのページをキャッシュメモリ(あるいはプロクシーサーバに)残しておくことぐらいしかスピードアップの方法がない。新しいページを開くたびにその内容をせっせと読み込み、レイアウトを計算して表示しているのだから遅くて当たり前である。WWWブラウザは、ネットワークの先にあるページだけではなく、ローカルマシンのページも読み込めるが、ネットワークの負荷がかからないローカルマシンのページ読み込みでも、Windowsヘルプと比べるとずいぶん重く感じる。しかし、それもどのようなマシンを使うかである。Windows 95登場以降の中レベル以上のマシンなら、両者の差が気になるようなことはあまりないはずだ。
 スピードの差が今後あまり気にならなくなるとしたら、どの程度楽に作れるかといったところが問題になってくる。そして、この点ではWWWの圧勝である。Windowsヘルプは、Microsoft Wordという遅くて不安定なアプリケーションを使ってえっちらおっちら作らなければならない。しかもヘルプコンパイラでコンパイルしなければ、ヘルプファイルは手に入らない。HTMLファイルはテキストエディタでも簡単に書けるし、書いたファイルを保存してブラウザからロードしてみるだけでテストできる。HTMLエディタも急速に発展し、ブラウザ、ワープロソフト、DTPソフト、グラフィックソフトの延長線上にいくつもの新製品が登場している(もっとも私は使っていないが)。これらを使えばHTMLタグの知識がなくてもホームページらしきものは作れてしまう。
 ただ、HTMLのオーサリングにも問題がないわけではない。詩集をそっくりHTML化するとなると、何ページ分ものファイルを作ることになる。このような場合、目次ファイルを作ってそこから各ページにリンクを張ることになるが、これだけでは本文を1つ読むたびに目次に戻らなければならない。次のページ、さらに欲を言えば前のページへのリンクも欲しい(Windowsヘルプなら、このようなページ付けは、最初からサポートされているが)。私も自分の詩集『長い夢』を初めてHTML化したときには、手作業で目次と前後のページへのリンクを作った。
 しかし、この前後のページへのリンクというのが曲者である。コンピュータの作業の常としてコピーアンドペーストを最大限に活用しても、ページごとに細かく書き換えていかなければならない。これが、人間のやる単純作業の常として、どうしても間違うのである。1つ前にリンクしたはずなのに、2つ前にリンクを張ってしまうようなことがかならず起きる。それでも、既刊詩集をそのまま掲載するだけならまだよいが、ページとページの間に何かを挿入したくなったときなどは面倒である。その挿入するページだけではなく、前後のページのリンクの部分も書き換えなければならない。たとえページ順をいじらなくても、表題の字のサイズに手を加えたり、表題と本文の間に線を入れたり、背景色を変えたりしたくなったとき、同じ作業を何十枚ものページで繰り返さなければならない。持ってみればわかることだが、ペースの差こそあれ、ホームページは変化するものである。しかし、HTMLファイルは、そのままでは変化に対応しにくい。できるだけオリジナルのテキストに近い形で管理したいところだ。
 このようなときにHTMLファイルが基本的にはテキストファイルだということが大きな意味を持つ。特定のアプリケーションに依存するフォーマットのファイル(WindowsヘルプのMicrosoft Word形式のファイルのように)だと、そのアプリケーションのなかで作業しなければならないが、テキストファイルは、指示に基づいて一括変形できるプログラムが無数にある。その中でも、perlというプログラムは強力である。スクリプトと呼ばれる簡易プログラムを書けば、かなり細かい仕事もしてくれる。スクリプトを作ってしまえば、DOSのコマンドプロンプトで

C:>perl <スクリプト名> <スクリプトの引数>

といった形式の行を入力するだけで、全部の作業をあっという間に片付けてくれる。ウィンドウのなかで対話的に操作していくどのタイプのプログラムよりも速いし、単純作業にうんざりすることもなくなる。
 詳細は省くが、今年の2月から4月にかけては、このスクリプト作りに没頭した(冒頭で言ったほかのこととはこれである)。そして、OLBCK(OnLine Book Construction Kit)という名前を付けて、ホームページでの公開にこぎつけた。鈴木氏の日経エッセイでも取り上げていただいた。しかし、鈴木氏がそこでも書かれているように、使い方に慣れるまでに少し時間がかかるのが難点である(というか、使える状態にする==インストールするのが少し難しい)。慣れてしまえば簡単であり、テキストがあればどんどんHTMLファイルを作れる。これは私だけではなく、清水鱗造氏もOLBCKでBooby Trap予告篇を作っていて、慣れると簡単だねと言ってくださったので、うそではないと思う。http://www.st.rim.or.jp/~t-nagao/olbck/で公開しているので試してみていただきたい。
 OLBCKも結局は本の模倣であり、閉じた世界と言われればそれまでだが、元ファイルは別に純粋なテキストファイルでなくても、HTMLタグが含まれている半生状態のファイルでもよい。だから、テキストに適宜リンク先のタグを埋め込めば、先ほど述べたような横道に自由にそれる文章を簡単にHTMLページとして作ることができる(そして、この横道へのそれ方に「詩」の可能性があるかもしれない)。
 それはともかく、HTML形式での詩集の流通には期待もある。下世話な話になるが、今、本の形で詩集を作ろうと思えば、数十万円から百万円ほどの出費になる。まぁ、これは詩集を出したことのある人にとっては常識だが、印税が入るのではなく、かなりの持ち出しになるわけである。そのようにして作った詩集には、2000円台の値札が着くが、あいにくほとんどの書店には並ばない。大半は“ぱろうる”以外には並ばないと言ってもよいだろう。買う側からすれば、2000円以上出して買う気になる本はごくまれである。となると、読んでもらえるのはタダで配った本のごく一部ということになる。あまりに虚しい投資ではないだろうか? 
 Internetに置いておけば、誰でもアクセスできる。すでに、Internetにアクセスするための機材は十分安くなった。けちれば20万でお釣がくる(ハードソフト込みで)。そして、プロバイダも値下げ競争に走っている。年間で5万以下で十分アクセスできる。ほかに電話代もかかるが、少なくとも詩集を1冊作るよりははるかに安い。まだ、通信自体のコストが高いので、じっくり読んでもらうという点では期待薄だが、市場が大きくなれば(また業者が市場を大きくしたければ)、環境は改善されることはあっても悪化することはまずないと思う。確かに、まだ、Internetに“誰もが”アクセスしているわけではないが、今後、Internet人口が上がっていくことはあっても、下がることはないだろう。詩を書くのは詩人、読むのも詩人という構図を少しでも変えていきたいなら、Interenetは間違いなく1つの可能性である。
しかし、手放しでInternetの可能性を謳歌するわけにはいかないというマイナスの要素も少しずつ出てきている。その1つが小倉氏のエッセイでも触れられていた、「倫理綱領」を始めとする検閲への動きである。実は、私自身は、小倉氏のエッセイを読んだあと、遅まきながら小倉氏が主催する検閲問題のメーリングリストにも参加させていただいて、検閲問題の状況と考え方を勉強している最中である。このメーリングリストでさまざまな情報や意見に接すれば接するほど、これはなかなか容易ではない問題だと感じてきている。しかし、次回では、「ハイパーテキストへ」というテーマからは少し外れるが、何とかこの問題についての自分の考え方をまとめられるようにしてみるつもりである。

詩関連ホームページURLリスト(Part 3)
URL
内容
http://www2a.meshnet.or.jp/~yamaiku/
山本育夫氏の“美術品観察学会“のホームページ。会報も掲載されていて、面白い
http://www.english.upenn.edu/~afilreis/88/home.html
ペンシルバニア大学でアメリカ現代詩の講座を開設しているAl Filreis教授のホームページ。どうも授業用に使っているらしいが、教材、リンクとも豊富。
http://nickel.ucs.indiana.edu/~avigdor/poetry/ginsberg.html
ギンズバーグの"Howl and other poems"がまるまる掲載されている。
http://pharmdec.wustl.edu/juju/surr/surrealism.html
Surrealism Server。今さらと思われるかもしれないが、関連ページへのリンクは豊富。
http://www.franceweb.fr/poesie/
Club des Poe'tes。フランス語圏の詩人を幅広く紹介している。
http://www.lsi.usp.br/usp/rod/text/lautreamont/lautreamont.html
英仏2語によるロートレアモン全集(構築中)
http://www.lsi.usp.br/art/pessoa/
ペソアの詩集、資料集(ポルトガル語)
http://www.lsi.usp.br/usp/rod/rod.html
上の2つのページを作ったサンパウロ大学の電子工学専攻の学生Rodrigo de Almeida Siqueiraさんのホームページ。ブラジルのハイクのコンテストでも賞を取ったことがあるという。欧米には、彼のように個人で古典の電子化に精力を注いでいる人が多い。

Booby Trap No. 21



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

ハイパーテキストへ(連載第5回)

長尾高弘



 前回、インターネットの検閲問題について書くと言ってしめくくった。今回は、これが懺悔の有力候補なのであるが、物書きの端くれとして、検閲問題について言うことがありませんとは口が裂けても言えない。しかし、日々10個平均で送られてくる検閲問題メーリングリストのメッセージに目を通すのがやっとで、何ら建設的な行動を取っていない者があまり偉そうなことを言うのも恥ずかしい。というわけで、何を見ればより深く理解できるのかということを中心に、現状での自分の感想を添えるということにしようと思う。

まず、動きを整理しておこう。インターネット通信規制が大きくクローズアップされたのは、アメリカで本年2月1日に電気通信法というものが議会で可決され、8日に大統領がサインして発効したときである。これと呼応するかのように、日本でも通産省の影響下に電子ネットワーク協議会という業界団体が2月16日「電子ネットワーク運営における倫理綱領」(http://www.nmda.or.jp/enc/admin.html参照)というものを出しており、それに対する抗議声明(http://www.toyama.ac.jp/~ogura/another_world/censor/netrin1.html参照)もすぐに出ている。前号や冒頭で触れたメーリングリストは、この抗議声明の賛同人によるものである。夏以降は、郵政省による法制化の動きもある。また、総選挙直前になって、盗聴の合法化の特別立法が浮上した。盗聴ということには、電話回線を使ってやりとりするコンピュータ通信も含まれるのである。アメリカでは、電気通信法の第五編通信品位法(Communications Decency Act:CDA)に対する違憲訴訟が起こされ、6月12日にフィラデルフィア連邦地裁が原告側の主張を認める判決を下したが、政府は控訴している。この運動では、CDAに対する反対の意思表示のためにブルーリボンのアイコンがデザインされ(これをホームページの一部に貼るのである)、アメリカに限らず、世界中のホームページに広がった(私も付けています)。しかし、そのような注目を浴びないところで、フランス、シンガポールなどが次々に法制化を完了した。
 規制側の言い分は、ポルノ(特に小児ポルノ)の蔓延とテロリストのインターネット利用に対する対策ということだが、どこの国でも、規制の基準はあいまいであり、何でも取り締まれるようなフリーハンドを確保しようという意図が見え隠れしている。マスコミは、自らのホームページを作る一方で、インターネット無法地帯説を垂れ流している。個人が大企業やマスコミと対等に情報を発信できるということが、政治家やマスコミをおびえさせているらしい。彼らとしては、何とかインターネットを制御したいのである。
 あらすじはこんなところである。日本語で詳しい情報を得るためには、何よりもまず、繰り返し言及しているcensor MLを購読することである(英文等の転載記事も多いが)。ogr@nsknet.or.jp(小倉利丸氏)に抗議声明に賛同するとともに、メーリングリストを購読したいという内容のメールを送ればよい。紙媒体では、「インパクション」98号が「サイバースペース独立戦争」という特集を打っている。この号は、通信規制ばかりでなく、インターネットを市民運動に活用する方法を検討するという内容も含んでおり、私のサイトも、東大駒場寮廃寮反対ホームページ(!)として紹介されている。また、盗聴合法化案の問題点については、「現代詩手帖」11月号の小倉氏のコラムが簡潔にポイントを押えている。
 冒頭でも書いたように、私はこのcensor MLから送られてくる大量の情報をただただ眺めているばかりなのだが、表現の自由ということについては随分考えさせられた。たとえば、旧来のマルクス・レーニン主義的な発想には、反革命宣伝は規制しちまえというところがあった。マルクス主義でなくとも、ドイツでは、ナチと極左の宣伝は非合法とされている。最近、カナダのネオナチがWWWを使ってホロコーストはなかったという宣伝をしたことがあって、ドイツは、そのサイトへのアクセスを遮断しようとした。しかし、ミラーサイトが世界中にできて、その禁止は無意味なものになってしまった。ホロコースト否定に反対する人でさえ、規制はよくないということでミラーサイトを作ったのである。文芸春秋の雑誌「マルコポーロ」は同じようなことを主張して潰れたが、あのとき私にはいい気味だと思うところがあった。しかし、censor MLでこの事件を知ったときには、随分考えさせられた。アクセスを規制するから、かえって注目を浴びてしまうんだという批判もあった。上記「インパクション」の座談会(栗原幸夫、山崎カヲル、赤川学、小倉利丸の各氏)でも、このミラーサイトのエピソードを含め、表現の絶対自由主義の可否がかなり激しく論じられている(山崎氏は絶対自由主義を強く主張し、小倉、赤川氏は疑問点を提出している)が、ここまで来ると容易に答は出てこない。前回、コッケイなほどに重々しく容易でない問題だと書いたのは、こういうことが頭のなかを占めていたからである。
 しかし、今政治的に焦点になっていることはもっと単純なことには違いない。上からの倫理の強制に従うか否かである。倫理の強制に従えば、検閲がオマケでついてくる。しかし、本当の目的はもちろん検閲である。問題は、まだ、インターネットというものが何か、自分の目で経験していない人々が多いために、デマがまかり通っていることだ。実際にあちこちのホームページを覗いて見ると、ブルーリボンがついているところや、倫理綱領ページへのリンクを持っているところは結構ある。バーチャルでリアルではないと思われているネットワークの世界の方がリアルな目を持っているのだ。これからインターネットの利用者は間違いなく増えるだろうし、そうすればネットワークのリアリティを知る人は増えるはずだ。デマが通用しなくなれば、権力も見え見えの方法で我々を縛ることはできなくなる。だからこそ、デマが通用するうちに法制化してしまおうと急いでいるのだろうが、インターネットは今までバラバラに孤立させられてきた個人を結び付ける力を持っている。イメージ==デマをばらまくマスコミに騙されてきた我々にも、逆襲のチャンスはあるのではないだろうか。反検閲の闘いの現状は厳しいが、長期的にはそのような希望を持ってもよいと思っている。
 さて、憂鬱な話だけでは終わりたくないので、本題のハイパーテキストということについても考えてみたいと思う。今までは、私の考えをあれこれ書いてきたが、今回は私以外のホームページから学んだことを書いてみたい。
 ホームページに大量のデータを流し込んでも、変化がなければ、繰り返し覗いてくれる人はいないだろう。実際、更新されているからこそ、見えない相手に同時代性を感じるのである。逆に、量が多いということは、読むものを面倒な気分にさせる恐れがある。7月に登場した清水哲男氏の「増殖する『俳句歳時記』」と題するサイトは、量を減らして更新回数を増やすことによって、成功している好例である。このサイトは、わずか3ページで構成されている。1つはサイトのコンセプトをまとめた2画面分ほどの文章、もう1つはリンク集、そして最後の1つが原則として毎日更新される本題のページである。このページは、冒頭に毎回更新される1行のメッセージがあって、その後ろに3つの俳句と選句者(清水氏が主となるが、ほかの詩人も参加している)の評、他の2ページへのリンクなどがきれいにレイアウトされて続くという形式になっている。俳句は毎回1つずつ追加され、同時に1つずつ消えていく。3つあるわけだから、3日以内に1度見れば、見落としなしで継続的に読めるというわけである。1年後には検索エンジンを追加し、3600句あまりが集まった10年後に終了するという。俳句と選評のかけあいが面白く、両方合わせても量的にはわずかなので、負担にならない。私自身、最初は毎日という読み方はしていなかったのだが、次第にこれはいいやと思い、毎日読むようになった。もし読み忘れた日があっても、3日間、句の方が待っていてくれるというのもありがたい。ハイパーテキストというと、空間的な広がりということを考えがちだが、このページはあれこれ欲張らずにむしろ時間的な広がりを呼び込んでいる。
 ところで、私は、まずハイパーテキストで本を真似てみようとしたので、前後のページへのリンクとか目次ページとかを重視した。前回紹介したOLBCKは、一連のテキストファイルから自動的に前後のページへのリンクと目次ページを生成しようという試みである。しかし、それらのリンクが重要だと力んでみたのも、リンクがなければ、すぐ隣に並んでいるページの存在にさえ気が付かないからである。これを逆手に取れば、迷宮を作ることもできる。もちろん、面白いものになるか、自己満足に終わるかは、作者のセンス次第だ。パソコン通信をやっていた頃の友人でnano-Rayさんという人がいるのだが、彼女のホームページに行くと、まず、右か左の丸をクリックせよというだけのページが登場する。どちらをクリックしても、いわゆる目次ページが表示されるが、デザインは異なるし、内容も若干異なる。目次のなかで「nuaw」というものを選択すると、メニューと称してまたデザインの異なる目次が表示される(要するにこの部分だけは逆立ちして見なければならなかったのである)が、ここにはリンク、日記などの項目はなく、「まんが」、「写真」、「絵」、そして「墓を暴く」となっている。ここで「墓を暴く」を選択すると、さらに「墓メニュー」というページになって、「まんがの墓」、「絵の墓」といった項目が並んでいる。実際のまんが、絵のページには前後へのリンクがあり、「墓」に入る前のものも「墓」に入ってしまったものも一列に並んでいる。たとえば、こういう構成方法もあるということだ。
 最近、プログラマ向けの記事の翻訳をしていて、WWWブラウザを汎用ブラウザとして使うためのテクニックを概観したものに出くわした。HTMLには、CGI、SSIとか今年になって注目を集めたJava、ActiveXなどのプログラミングインターフェイスがある。つまり、ホームページを表示したり、ホームページを操作したりしたときに、それを引き金にしてプログラムを動かすことができるのである。たとえば、ページ上の入力可能領域に単語を入力してそのすぐ下のボタンをクリックすると、単語の意味が表示されるオンライン辞書のようなものはすでにいくつもあるし、個人のホームページでも、同様の仕掛けで定型メールを送れるようなものは多い。このようなプログラムを実行できるホームページ群のなかでも特に気に入っているのは、アメリカのThe Bible Gatewayというサイトである。このサイトは、欽定版(KJV)を始めとする6種類の英訳のほかラテン語訳、フランス語訳、ドイツ語訳などの聖書を持っており、CGIインターフェイスを使って、本文をあれこれ編集して表示してくれる。創世記(Genesis)、出エジプト記(Exodus)などの書名を指定すれば、それぞれの書がそっくり表示されるし、章、節を指定してその部分だけを表示させることもできる。また、検索対象の単語を指定すれば、その語が含まれている書:章:節をすべて拾い出すこともできる。そして、CGIというインターフェイスは、これらの指定をそっくり1行のコマンド行(URL)として記述できる。検索結果と同じ内容を表示するためのコマンドをブックマークとしてブラウザのなかに保存したり、リンクとしてほかのページに埋め込んだりすることもできるわけである。これを利用すれば、たとえば何かの論文を書いていて注釈として聖書の参照情報を入れなければならないときに、The Bible Gatewayの検索コマンドをリンクとして埋め込んでおけば、読者はマウスクリック1つで聖書の関連箇所を直接見ることができるようになる。The Bible Gatewayのようなサイトを実現するためには、CGIインターフェイスの向こう側(サイトを作る立場で言えばこちら側)に、効率のよいテキストデータベースを構築し、データベース検索プログラムを作って、WWWページを自動生成するインターフェイスプログラムを作らなければならないから、誰もが簡単に作れるというわけではないが、こういうものが増えれば、インターネットによる読書の楽しみは確実に増すだろう。
 手前味噌だが、私が作ったBooby Trapのホームページも、単純に各号を目次に従ってプレゼンテーションするだけではなく、著作者別の目次も用意してあり、連載記事をまとめて読んだり、詩だけをまとめて読んだりすることができるようになっている。これらは前回紹介したOLBCKのベースとなったperlスクリプトとCGIで実現されているのだが、単純に本を再現するだけではなく、本を綴じ直すところまでは来ているわけである。ちなみに、Windowsヘルプ版のBooby Trapでも、ある作者のほかの作品を表示することまではできるようになっているが、Windowsヘルプのプログラミング能力には非常に大きな制限があるので、HTMLほどのことはとうていできない。

詩と検閲問題のURL集

URL
内容
http://ux01.so-net.or.jp/~fmmitaka/
清水哲男氏の『増殖する俳句歳時記』。本文参照
http://www.niji.or.jp/home/hori/
堀剛氏の『詩とテツガクのページAscendant』。個人誌Ascendant1〜4号のほか、詩集『長崎から尚遠く』抜粋、詩集『ジャック・きみに』全篇とエッセイ群が掲載されている。『ジャック・きみに』の「ジャック」はすばらしい作品。頻繁に更新されている。
http://www.ipcs.shizuoka.ac.jp/~ektsasa/
佐々木敏光氏の俳句とヴィヨンのホームページ。ヴィヨンの部は、フランス語テキストのほか、佐々木氏の邦訳がすごいペースで追加されている。俳句の部は、佐々木氏の未刊句集『春の空気』のほか、芭蕉、蕪村、近世、現代句集から構成されている。
http://www1.nisiq.net/~jaja/welcome.html
jajaさんのハイパーポエムページ。お題となる作品にコメントを付加していくゲーム。ただし、投稿はボツになることもある。機械的に追加されるのではなく、人間が介在するところが、ネットワークの面白いところである。最近、87年刊の『ボール箱に砂場』も追加された。
http://www.and.or.jp/~nori
nano-Rayさんのホームページ。本文参照。nano-RayはMan Rayが微小化したハンドル?
http://www.hokusei.ac.jp/~i93072/diary
小原聖健氏の『僕を取り囲む私を観察した不定期日記で自分は誰?』というタイトルの日記ページ。車に挽かれた猫というイメージでこれだけの量をこれだけのペースで書き続けるというのはすごいことだと思う。nano-Rayさんに教えてもらった。
http://www.t3.rim.or.jp/~katugatu/index.htm
五柳書院、書肆山田、ふらんす堂、国文社、深夜叢書社、七月堂、水声社の出版7社の営業を代行しているBOOKENDのホームページ。各社の新刊情報がどこよりも早く入手できる。今週(?)の詩という作品紹介のコーナーも追加された。
http://www.gospelcom.net/bible
The Bible Gateway。本文参照
http://www.toyama-u.ac.jp/~ogura/another_world/censor/netrin1.html
電子ネットワーク協議会による『倫理綱領』に対する反対声明のホームページ
http://www.jca.or.jp/~toshi/cen/wiretap.intr.html
法務省が準備している盗聴法案に対する反対声明のページ。
http://www.jca.or.jp/~toshi/NetCensor/statement.html
『倫理綱領』、盗聴法案、郵政省による規制法制化の動き全般に対して新たに起草された『ネットワークの検閲、規制に反対します』という声明のページ。
http://www.eff.org/blueribbon.html
ブルーリボンのホームページ
http://www.vtw.org/speech/
CDA裁判についての情報ページ


Booby Trap No. 22



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

ハイパーテキストへ(連載第6回)

長尾高弘



 前の号は休んでしまってごめんなさい。別に書くネタがなくなったわけではないのだが、書くヒマがなかったのである。特に懺悔のネタは、決してなくならないところが悲しいところだ。1回抜かした分、少々古い話題になるが、『るしおる』29号(書肆山田, 1996年11月)の清水哲男さんの「蛍の頭 4」に、清水さんが引用した大村浩一氏の文章のなかにさらに引用されている私のメールというものがあって、そのなかで私は日本には大学や読者のページがないと言っている。
 問題のメールを書いたのは、去年の夏頃だったと記憶しているが、『るしおる』が発売された11月頃には、すでにこの見解が誤りだということはわかっていた。特に国文学関係の電子テキストの蓄積は、現在のインターネットの普及度を考えれば、かなり進んでいると言ってよいだろう。福井大学の岡島昭浩さんが作られたリンク集(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/bungaku.htm)は、それらの電子テキストを一望のもとに見渡せるすばらしいものになっている。先ほどの引用されたメールのなかで、私はないものの例として万葉集を挙げているが、万葉集については検索機能付きのページが少なくとも2つあることがわかる(http://dtkws01.ertc.edu.yamaguchi-u.ac.jp/~kokugo/search.htmlhttp://www.kyu-teikyo.ac.jp/~ichikawa/ltdb/index.html)。近代以降でも、中原中也については、長崎大学の中原豊さん(http://133.45.168.7/chuuya.htm)が初期短歌、『山羊の歌』、『在りし日の歌』の完全なテキストを公開されている。
 岡島さんのページからリンクされているページをいくつか見てみると(とうてい全部は見切れないのだが)、国文学畑の人々のページは互いによくリンクされていることがわかった。短歌関係のページも相互リンクされている(俳句関係はそうでもないようだ、などと言って新たな懺悔のネタにならなければよいが...)。そして、私のリンクページに含まれている(現代)詩人のページも、相互リンクされている。しかし、分野が少し違うと、個人ページのリンク集には限界が出てくる。問題のメールを書いた頃の私のホームページ探しは、主としてそれらのリンク集(それと登録系検索エンジン)に頼っていたので、ちょっと分野の異なるページには気付かなかったのである。
 それでは、何かほかの手段はないのだろうかと言えば、もちろんあって、それはいわゆる検索エンジンというものである。検索エンジンには、大きく分けてロボット系と登録系の2種類がある。ロボット系のエンジンは、自動的にあちこちのページにアクセスして情報を蓄積するのに対し、登録系のエンジンは、ホームページのオーナーが自分のページの情報をエンジンに提供する。当然、ロボット系のエンジンの方が蓄積している情報は多いが(しかし、それもロボットプログラム次第である)、登録系のエンジンは、オーナーが分類、メッセージなどを書いているので、情報の精度が高い(かもしれない)。問題は、どちらも数種類ずつあって、どれを使うか迷うというところである。
 このような悩みは、Asai Isao氏の「検索デスク」というページ(http://www.bekkoame.or.jp/~asaisan/)に行けば、かなり解消される。このページを使えば、1つのキーワードで複数の検索エンジンを呼び出すことができる。それだけではなく、どこのエンジンが強力で、どこのエンジンの登録数が多いか、といったことも説明してくれている。
 「検索デスク」を見て以来、私は、日本語関連ではgoo(http://www.goo.ne.jp/)、海外ではHotBot(http://www.hotbot.com/)を愛用するようになった。どちらも、それぞれの分野でAsai氏が検索力トップと評価しているロボット系サービスである。ロボット系のエンジンは、ほんのちょっとでもキーワードが含まれているページを律義にリストアップしてくるので、はっきり言ってゴミ情報が多い。そのことはロボットプログラムの開発者たちも考えているらしく、goo、HotBotは、ともに何らかの基準に基づいてページにランクを付け、それを%表示してくる。しかし、ランクが高いからといって、期待通りのページが出てくるとは思わない方がよいようである。当たりのページを見付けるまで、いくつものページをクリックしなければならない。かなり根気のいる作業になる。しかし、あれこれの人名をキーワードとして検索してみると、それなりに面白いページが見付かる。
 たとえば、ブラジルのギタリスト、Ziqueさん(http://www.netserv.com.br/zique/)のページのディスコグラフィには、Gozo Yoshimasu and Ziqueの"The moan close my face is a fish"というものが含まれている。moanがmoonの間違いだとすると、『死の舟』(1992年、書肆山田)に収録されている「わたしの貌のよこの月は魚だ」のレコードなのだろう。また、カトマンズポスト(The Kathmondu Post)のあるページ(http://www.south-asia.com/Ktmpost/1996/Dec/Dec18/dec18-lc.htm)には、「日本詩の大御所、谷川俊太郎と新世代の代表的な詩人、佐々木幹郎が来た」という記事が掲載されている。これからは、海外に行ったからといって、地元の新聞記者に「最近の日本の詩の大半は、リアリティがないねー」などとうかつに言うと、日本の端末からばっちり見られてしまうのである。
 詩の読者のページも、gooで見付けることができた。川端秀人さんのページ(http://server1.seafolk.co.jp/~kwbt/)は、「詩を読もう 私家版現代詩の歳時記」と題して、毎月、詩を1つずつ取り上げて、それらの詩にまつわる思いをエッセイにしているというページである。6月分は、田村隆一「保谷」を取り上げているのだが、エッセイは、岡田隆彦の訃報に接し、突然北海道から九州に電話をかけてきた友人の話から始まっている。その友人は、「周りを見てもさ、岡田隆彦なんて誰も知らないしさ…」と言っているが、川端さんの文章を読むと、逆に「彼の死に感慨を覚える人間があちらこちらにいるのだ」ということを確認させてもらえる。詩を読んでいてよかったなと思うページである。
 読者のページでは、もう1つAkira "Kevin" Koyasuさんの「吉岡実の世界」(http://userwww.aimnet.or.jp/user/akirakoyasu/yoshioka.html)というページもある。Koyasuさんは、このページで、「彼がどれくらい世の中に知られた詩人であるのか僕は判りません。正直、20年前に買った詩集「サフラン摘み」以降に彼がどんな創作活動をしてきたのか、或は現在も存命なのかそれさえも知らないのです。」 と書かれているのだが、私はつい、吉岡実は90年に亡くなったとメールしてしまった。Koyasuさんからは、ありがとうという返信をいただいたが、あんなメールしなければよかったのではないかと今でも少し後悔している。
 研究者、読者のページがあることはわかった。しかし、最近、これら以上に増えているのは、出版社や書店、古書店のページである。gooで詩人の名前をキーワードにして検索すると、ほとんどかならず古書店のカタログページに行き当たる。古書店業界はもともとカタログによる通信販売が盛んだったと聞いたことがあるが、インターネットはこの方向に拍車をかけるのではないかと思う。カタログを印刷、製本することを考えれば、テキストファイルをHTML化する方がはるかにコストは低いだろうし、まめに更新することもできる。インターネットなら検索機能を付けることもできる。買う側から言っても、サーチエンジンで目的の書名や著者名で検索すれば、あちこちの古書店の在庫がわかるわけだから、便利である。インターネットがTVのように普及するのはまだ先のことだろうし、それまでは従来の形態との併用ということになるだろうが、有望な形であることに違いはない。
 新本の方は、Book Stacks Unlimited(http://www.books.com/scripts/news.exe)を初めとして、アメリカにはかなり多くのインターネット通販書店がある。ユーザー登録して、籠に本を入れていって、最後に購入、配送手続きをする。日本では、このような形で気楽に本を買えるサイトはあまり見かけなかったのだが、最近、図書館流通センター(http://www.trc.co.jp/trc-japa/index.htm)が同じようなシステムを持っていることを知った。思潮社、書肆山田などの詩書もかなり登録されている。まだ、ぱろうるの方が品揃えでは上回るようだが、気楽にぱろうるに行けない地方在住者にとっては便利なサービスだろう。
 そして出版社。すでに七月堂のホームページがあることは本誌20号でお伝えした通りだが、今年の5月21日には、書肆山田もホームページをオープンした。オープンした、などと他人行儀に書いたが、実は、このホームページの作成には、縁あって私も参加させていただいた。そういうわけで、あまり詳しく書くと自慢話になってしまいそうなのだが、このページでは、品切本を含めた書肆山田刊行書の大半について、目次、表紙イメージを含む詳細な情報を提供している。
 ところで、冒頭でも紹介した清水哲男さんの「蛍の頭 4」に引用されている大村浩一氏の文章に引用されている私のメールメッセージには、「日本のリンクは詩人自身が発信しているものが多いのに対し、海外のリンクは大学、出版社、読者のリンクが主です(註: 私のリンク集に含まれているサイトの説明なのでこういう言い方になっている)。鈴木志郎康さんのような一線級の詩人が、自身で発信しているものは、あまりないと思います」と書いてある。海外に詩人本人のサイトがどれだけあるかはよくわからないが、日本の詩人のサイトは、その後も急速に増えている。特に、『列島』に所属していた井上俊夫さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yp5k-tkn/)のような大ベテランが自らホームページを開いておられるのはすばらしいことである。そのほか、このシリーズでまだ紹介していないページとしては、山内宥厳さん(http://www.asahi-net.or.jp/~be5y-ymnu/gsjd1.html)、奥村真さん(http://www.freepage.total.co.jp/oku/)、渡辺洋さん(http://www.catnet.or.jp/f451/)、谷内修三さん(http://www.asahi-net.or.jp/~kk3s-yc/)、榎本恭子さん(http://www.asahi-net.or.jp/~yk8k-imd/seishikyutai1.html)のページがある。また、鈴木志郎康さんが「詩の電子図書室」として、清水哲男『スピーチバルーン』、辻征夫『ボートを漕ぐおばさんの肖像』、八木忠栄『にぎやかな街へ』の全篇と恩地妃呂子、奥野雅子、川本真知子さんの詩誌『Intrigue』の第1号を紹介している。清水鱗造さんは、「うろこ通信」というセカンドページを持っており(http://www.asahi-net.or.jp/~cq2k-ktn/fcv/uroko.html。清水さんは、Nifty-ServeのFCVERSEというフォーラムにSHIMIRIN's ROOMというスペースを持っており、うろこ通信のページはそこと直結しているわけである)、ここには、倉田良成さんの『解酲子飲食』、夏際敏生さんが亡くなられる直前まで書かれていた日記が掲載されている。逆に、園下勘治さんのページはなくなってしまった。インターネットのページは生きているので、死ぬこともあるのだ。
 さて、1回抜かしてしまった分、ネタの方も1回分ほど遅れてしまった。実は、私が今一番力を入れているのは、エキスパンドブックというものである。従来は、ホームページからダウンロードできる詩集、詩誌の媒体として、このシリーズの発端となったWindowsヘルプというものを使っていたのだが、エキスパンドブックを知ってからはこちらに乗り換えつつある。次回は、このエキスパンドブックについて取り上げることにしたい。


Booby Trap No. 24



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

ハイパーテキストへ(連載第7回)

長尾高弘



 この連載の第1回は、Windowsヘルプを使って詩集を作ろうというものだった。つい3年ほど前のことだ。たったこれだけの間に状況ががらっと変わってしまうのが、コンピュータの世界のコワイところであり、コンピュータなんか人に勧めてよいのだろうかといつも疑問に思ってしまうのもそのためだ。まず、その第1回の原稿を書いたすぐあとにWindows 95が登場し、ヘルプエンジン自体が変わってしまった。もちろん、古いバージョンのデータファイルは新しいヘルプエンジンでも動作するのだが、コンピュータの世界では、古いということはバカにされるということである(一応、私もこの業界でメシを食っているわけですし^^;)。そのときは、作ったヘルプファイルは『長い夢』だけだったので、急いで新バージョンに合わせて作り直した。そして、「Booby Trap」の既刊20冊ほどを一挙にヘルプ化した。
 しかし、その後急速にWWWが普及した。Microsoftでさえ、Visual C++というプログラム開発用ツールの新バージョン(ver.5)では、WindowsヘルプをやめてWWWを使うようになった。「Booby Trap」もWWW版を作って、私のWebサイト(以前はホームページと呼んでいたが、こちらの方が正確な呼び方なので、これからはWebサイトという用語を使う)のディスクスペースを使って公開するようになった。このとき、実はちらっと気付いていたのだ。ヘルプは面倒くさい。WWWは、以前も書いたように、テキストだけでできているので、テキストの加工に適したperlなどのプログラミング言語でちょっとしたプログラム/スクリプトを書けば、自動的に生成することができる。それに対し、ヘルプの場合は、Microsoft Wordの上で手作業であれこれのマークを付けていかなければならない。
 以上は本連載の3、4回とダブる話である。もうだいぶ前になるが(97年の5月頃)、ついにこのWindowsヘルプを捨てる日が来た。電話代を使わずに読めるハイパーテキスト的なブラウザがもう1つ見付かったのである。それが(株)ボイジャー(http://www.voyager.co.jp/)のエキスパンドブックである。
 エキスパンドブックのことを知ったのは、そのときが初めてではない。もともと、ボイジャーのアメリカの親会社(http://www.voyagerco.com/)は、電子本の出版ということでは知られた存在だった。この連載でも紹介したことのある、Paris ReviewのWebサイトは、アメリカボイジャーのスペースを間借りしている。ソフト屋に行けば、アメリカボイジャーのPoetry in MotionとかLewis Carroll "Alice's Adventures in Wonderland"のエキスパンドブックが並んでいた。しかし、私のメインプラットフォームはWindowsであるのに対し、エキスパンドブックはMacintoshの世界だった。95年から97年にかけて、事務所にMacを置いていた時期はあったが、Windowsでブラウジングできないものには興味がなかった。
 ところが、97年の5月頃になって、ふとしたきっかけで、ボイジャーには日本法人があり、エキスパンドブックの日本語版があることや、新しいバージョンはWindowsとMacintoshの両方でデータを作成でき、両方でブラウジングできることを知った。新潮社はこれを使って「新潮文庫の100冊」の電子本を発売している。そして、データ作成ツール(オーサリングツール)はもちろん有料だが、ブラウジングツールはWebから無料でダウンロードできることもわかった。これは試してみるしかないと思い、早速アキバに行って買ってきた。3万8千円ほどだった。バージョンは、1.6である(98年5月現在、Windows版オーサリングツールの定価は45000円となっているが、http://www.voyager.co.jp/cgi-bin/shop/のボイジャーのオンラインショッピングを使えば36000円で買えるようである。Mac版ツールは28000円と安いが、これはWindows版には紙のマニュアルも含まれているからである)。
 ここでエキスパンドブックの特徴をヘルプやWWWと比較してみることにしよう。
 まず最大の長所だが、エキスパンドブックは縦組みに対応している。縦組みと書いたのは、単なる縦書きではなく、細かいところに神経が行き届いているからである。たとえば、英数字が入ってきたとき、全角(2バイト)文字を使えば縦書きになるが、半角(1バイト)文字を使えば横書き(首を右に倒して読む形)になる。これは当たり前である。1字の場合やNHK、IMFといった大文字の頭字語、1998年のようなものは全角文字を使い、Windowsとかhttp://www.何たらかんたらのようなものなら半角文字を使えばよい。問題は2桁数字である。通常の縦組み印刷なら、2つの半角数字を並べ、さらに90度左に倒す。Microsoft Wordのようなワープロでは、これができないが、エキスパンドブックではできる。ルビも付けられるし、行間、文字間も細かく調整できる。Windowsヘルプでは、ルビを付けるために非常に苦労をした。行間、文字間は、Windowsヘルプでは調整できるが、WWWではあまりうまく調整できない(スタイルシートなどの比較的新しい機能を使えばよいが、画像と共存させるのが難しい)。
 一方、画面サイズは固定されており、1つのディスプレイに表示できるエキスパンドブックウィンドウは1つだけに制限されている。これは、エキスパンドブックがもともとHyperCardだったことを反映しているのだろう。画面サイズが固定されていることには、良い面と悪い面がある。良いというのは、レイアウトが楽になることである。画面サイズが変更されて1行の文字数が変わったときのことをあれこれ計算する必要はない。悪い面は、解像度の低いディスプレイに合わせて画面を設計しなければならないことである。そうしなければ、画面サイズの小さいノートパソコンユーザーを排除することになってしまう。しかし、1600×1200ドットの画面で640×480の小さな画面を見るのはむなしい。津野海太郎氏は、読みやすいと書かれており(「本はどのように消えてゆくのか」。http://www.voyager.co.jp/aozora/からエキスパンドブック形式でダウンロード可能)、確かに1行の文字数が20字であっても苦にならない散文の場合にはそれでもよいのだろうが、詩の場合には1行の文字数があまり少ないとピンとこない場合がある。だからといって文字数を増やそうとすると、文字サイズを小さくしなければならないわけで、これは読みにくい。エキスパンドブックウィンドウの回りに広大に広がるスペースを恨めしく睨むばかりである。
 1つのディスプレイに表示できるエキスパンドブックウィンドウが1つだけに制限されているのは、マニュアルがオンライン形式のみで提供されているMacintosh版を使うときには苦痛だろう。わからないことがあってマニュアルを読もうとすると、作業中のブックが消えてしまうのである。作業に戻ると今度はマニュアルが見えない。これはとても苦痛である。紙のマニュアルは別売で出ているが(Windowsなら添付されているが)、ブックを2つ同時に表示できれば、だいぶ楽になると思う。
 良くないこととしてはもう1つ、プログラムがバージョンアップしたときに古いバージョンのデータが無駄にならないかどうか、安心できないということがある。安心できないというのは、無駄にならないかもしれないが、その確証がないという意味である。アプリケーションプログラムが独自のデータフォーマットを持つ場合には、このことが常にポイントになるが、アプリケーションというものはばかばかしいほどすぐにバージョンアップされ、そのたびにデータフォーマットも変わる。本来なら、古いバージョンのデータも読み込めて、新旧の適当な形式で保存できるようであってほしい。しかし、エキスパンドブックの場合、この辺がもう1つはっきりしない。そして、Mac用のバージョン1.5で作成されたデータをいただいたことがあるのだが、これはWindows用バージョン1.6のブラウザでは表示できなかった。ブックウィンドウ自体が出てこないのである。
 最初にも述べたように、エキスパンドブックはMacintoshで育ってきたソフトウェアであり、Windows、Macintoshの両バージョンの完全な互換性を保証するようになったのは、バージョン1.6からである。だから、Mac用バージョン1.5のデータがWindowsで読めないのはしかたのないことなのかもしれない。しかし、ソフトウェアのバージョンが変わるたびにデータ自体を作り直さなければならないのでは、安心してデータを作ることはできない。もちろん、エキスパンドブックというソフトウェアがいつまでも存在するという保証はないし、こういうことを心配しだすときりがないのだが、データだけがあってもソフトウェアがなければ読めないというところがコンピュータ本の場合には常に問題になる。
 エキスパンドブックに対する注文ばかり続けて書いてしまったが、最後にヘルプをやめてエキスパンドブックに移行することを決断した最大のポイントを挙げておこう。それは、コマンドをテキスト形式で記述できることである。ルビでも、縦横変換でも、すべて特殊文字を挿入すればテキストで表現できる。それらコマンド用特殊文字を入れたテキストファイルをブックに落とせば、自動的に整形されたエキスパンドブックになる。私にとって、これは何よりも便利な機能である。
 コンピュータのユーザーインターフェイスはいかにあるべきか、という議論では、画面に見えるものを直接キーボードやマウスで操作して操作結果を確かめながら対話的に仕事を進めていくことが理想とされることが多い。このような環境をいち早く実現したのは、Macintoshである。画面上の一角のコマンドプロンプトと呼ばれる場所に暗号めいたコマンド名をキーボードで入力しなければならないMS-DOSやUNIXと比べて、Macintoshは非常に優れていると高く評価された。しかし、WindowsがMS-DOSに取って代わり、XウィンドウがUNIXでも当然のものとして普及するようになって、今や対話的操作は当たり前のものとなった。1回のマウスクリックで新しいテキストにジャンプしていくハイパーテキストは、このような対話的操作が実現されなければほとんど不可能だっただろう。
 しかし、見ながらデータを作っていくということは、人間が手作業をしなければならないということでもある。その作業が機械的である規則に沿ったものだったとしたら、その作業はまさにコンピュータにさせるべきものではないだろうか? 人間は機械的な単純作業には不向きである。コンピュータよりも作業ペースは恐ろしく遅いし、コンピュータなら間違えないところを人間は間違えることがある。そして、単純作業を長時間強制されると人間は心底疲れてしまう。
 Windowsヘルプにうんざりしたのは、このような単純作業をコンピュータにさせることができなかったことにある。Booby Trapのヘルプ版を作るために、一晩の自由時間を全部つぎ込まなければならない。しかし、エキスパンドブックなら、テキストファイル上であれこれ操作してから流し込むことができる。テキストファイルの操作とくれば、perlの得意分野である。テキストエディタの検索コマンドも手伝ってくれる。実際には、テキストファイルをエキスパンドブックに流し込んでから、ルビの位置などについてはチェックをかけ、手で修正を施さなければならないのだが、Windowsヘルプと比べればはるかに簡単である(ただし、エキスパンドブックには最後の注文を付けておかなければならない。テキストを流し込んだときに化ける文字がある。エキスパンドブックからコマンド入りのテキストファイルを取り出すこともできるのだが、エキスパンドブックに流し込む前のテキストファイルとは微妙に異なるものになってしまう。このほかにも、細かいバグがあって疲れることが多い。面白いプログラムなのだが、考え方をもう少し整理して作り直したら、もっと操作しやすく、効率よく作業できるプログラムになるはずだと思う)。
 というわけで、従来Windowsヘルプだったコンテンツは、すべてエキスパンドブックで作り直した。また、専用線をひいたので、Webサイトも移転した。新しいURLは、http://www.longtail.co.jp/である。また、Booby Trapのページはhttp://www.longtail.co.jp/bt/に、エキスパンドブックコンテンツのダウンロードページはhttp://www.longtail.co.jp/exbook.htmlにあるので、アクセス環境のある方は是非覗いてみていただきたい。


Booby Trap No. 26



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

ハイパーテキストへ(最終回)

長尾高弘



 昨年(1998年)の暮にポケットピカチュウというおもちゃの万歩計を買った。同じ頃、デジタルカメラも買った。デジカメは当時最新鋭の1万画素タイプのもので、640×480ピクセルと1280×960ピクセルの2種類の大きさで写真を撮れる。年が明けて、運動不足解消のために、腰にポケットピカチュウ、肩にデジタルカメラをぶら下げて、家の近所を歩くことを思い付いた。デジタルカメラは、いくらシャッターを押しても、フィルムが消費されるわけではない。メモリカードに記録された画像をパソコンに取り込み、気に入ったものを残し、失敗作を消すだけである。パソコンにデータを保存したら、メモリカード自体の中身は消して、再利用する。だから、貧乏症の私でもシャッターを押しやすい。銀塩カメラでは、家族が写っていない写真など撮ったことがなかったが、デジタルカメラでは、ちょっと気に入った風景があると、すぐにシャッターを押すようになった。
 写真が少し溜まってくると、それをWWWのホームページにして人に見せたくなった。ホームページ作成歴が4年にもなれば、それが自然の人情というものである。幸い、私は1年前から自前のサーバでホームページを公開しているので(http://www.longtail.co.jp)、ディスク容量はほとんど無限にある。プロバイダと契約して使えるようになるディスク容量は、5Mバイトとか10Mバイト、多くても100Mバイト程度でしかないが、自前サーバなら、Gバイト単位でディスクを使える。1枚200Kバイトほどもある写真データだって、何枚でも掲載できる。
 問題は、写真をどのように提示するかである。私の散歩写真の場合、写真自体はどこにでもあるごく普通の風景なので、文章で写真に意味付けをする必要があると思った。そこで、散歩全体の概要を書いた文章のページを作ることにした。このページを便宜上本文ページと呼ぶことにする(図1)。本文ページには、320×240ピクセルの小さな写真も数枚貼っておく。そしてこの小さな写真や文中のリンクから、散歩の過程で撮った写真を表示するページにジャンプする。これを写真ページと呼ぶことにする(図2)。写真ページには、1280×960ピクセルの大きな写真を貼り、どこでどのような向きで撮ったのか、何が見えているのかという説明を付ける。1つの本文ページに対して何枚かの写真ページを組み合わせて1回の散歩の記録が完成する。
 本文ページからは、原則としてその回のすべての写真ページにジャンプできるようにした。つまり、本文ページは、写真ページの目次のような機能を果たす。一方、写真ページには、1-1、1-2といった番号を付けた。つまり第1回の散歩の1枚目、同じく2枚目という意味である。写真ページには、本連載の第4回で簡単に触れた自作ツール、OLBCKを使って、前後の写真ページへのリンクを付けた。こうすると、1回の散歩が小さな本になる。本文ページが目次で、1枚目の写真からその散歩の最後の写真までを順にたどっていくと1冊の本の最後のページに到達するわけである。実際、散歩した結果には、順番があり、物語性がある。だから、散歩の記録が本の形を取るというのは、ごく自然なことである。
 散歩には何回も出かけたので、本文ページも溜まっていく。そこで、各回の本文ページにジャンプするマスター目次(以下、単に目次ページと呼ぶ。図3)も用意した。これで、散歩全体が大きな本になった。小さな本をいくつも含む大きな本という構造を作ったわけだが、本文ページは擬似目次である以前にまず本文なので、大きな本と小さな本は相互に独立した別個の本でもある。
 自宅の近所をぐるぐる回って散歩しているので、同じところを別の経路で通ったりすることや、ある箇所で見えていたものと同じものが別の角度から見えたりすることもある。そのような関連写真ページには、当然ジャンプできるようにしたいところであり、実際に、それら過去の写真ページへのリンクは、本文ページ、写真ページの両方に埋め込んだ。こうすると、1冊の小さな本(1回の散歩)の途中で、別の小さな本のなかに飛び込むことができるようになる。ブラウザには、読んだページの履歴が残っているので、ちょっと寄り道して元の本に戻ってくることもできるし、そのまま別の本の読書を続けることもできる。
 この構造は、ある種のコンピュータゲームと似ている。たとえば、私が散歩のときに腰に付けているピカチュウが出てくるポケットモンスターのようなゲームである。この種のゲームでは、主人公がいて、歩いたり走ったり泳いだりして前進する。すると、分かれ道があって、プレイヤは道を選ぶ。道には宝物や敵が転がっていて、拾うとか戦うといったアクションを起こす。私の散歩写真は、宝物でも敵でもないし、いっぱい見たからといって経験値が上がるわけではない(私の腰についたポケットピカチュウの歩数は、散歩するたびに上がっていくけれども)ので、ゲームとして楽しむことはできないが、比喩的に言えば、私の「東山田散歩」は、ゲームのような構造をしている。そして、多くのゲームが散歩というメタファを使っているのは、とても面白いことだと思う。
 散歩とゲーム、本の比喩についてさらに考えると、まだしていない散歩、歩いている過程の散歩はゲームに似ているが、散歩が過去のものとして記録になってしまうと本になるとも言える。私の東山田散歩は、途中で別の回の散歩に飛び込めるようにした分、本の構造を少し解体してゲームの構造に近付いた。しかし、本当の散歩なら、私が撮っていない風景がまだ無限に残っている。東山田散歩のWebページをいくらたどっても、有限の組み合わせしかない(有限といってもかなりの数になるが)。コンピュータゲームも、ゲームの世界の外には抜け出せないという点で、本当の散歩よりも私の東山田散歩のWebページに似ている。これは、現実(リアリティ)と擬似現実(バーチャルリアリティ)の違いである。
 ところで、この企画は、始めたときには10数回で終わるつもりだったし、1回の散歩の写真ページも10枚前後だった。1280×960というほとんどのディスプレイでは全部表示しきれない写真を載せていながら、それでも全部を読もうと思えば読めるようにしておきたいと思ったのである。しかし、散歩というのは、実際にしてみると実に楽しいものであって、10数回ではとても終わらなくなってしまったし、だんだん遠くまで出かけるようになったこともあって、1回の写真の枚数も80枚とか100枚とかになることも珍しくなくなってきた。全体どころか小さい本1冊さえ、少なくともインターネットでは読み通せない代物になってしまった。現在、55回まで続いて写真は2336枚あるが、10回分以上の未整理の写真がまだ残っている。最近は作っている私自身、どこにどんな写真があったのか把握しきれなくなってきた。目次ページと擬似目次の本文ページだけでは、誰もが迷子になってしまうのである。
 歩いていて迷子になりそうになったら地図を見る。散歩メタファのコンピュータゲームでも、今歩いているところがどこかを示すマップ機能がある。そこで、東山田散歩ページでも、地図に当たるものを作ることにした。最初に作ったのは、全体の画像一覧ページ(図4)である。各回のタイトルと、個々の写真のタイトルを最初から順に並べただけのものだが、ここに来ればすべての写真ページにジャンプできる。ただし、このページは巨大になってしまって、表示に時間がかかる。次に、各回ごとにすべての小写真を見られるようにした(長ったらしいが、"この回のすべての写真ページ"と呼んでいる。図5)。これは、1回の写真ページが増えてきて、本文ページからすべての写真ページにリンクを張るのが不可能になったためである。しかし、これらは地図というよりはただの目次、あるいは索引である。もともと、本文ページが目次としては不完全だったのを補ったに過ぎない(目次は本にとっての地図だと言うこともできるが)。
 目次を整備しただけでは、隔靴掻痒の感が残る。そこでつい最近のことだが(正確に言うと、この文章を書きながら)、簡単なサーチエンジンを付けた(図6)。指定された文字列がタイトル、あるいはタイトルと本文を含む全体に含まれている写真ページを拾い上げるのである。この機能は、結局のところ、テキストに依存しているので、写真ページにあるものが写っていても、それについて説明文の方で言及していなければ検索には引っかからない。また、たとえば"鷺沼"で検索すると、鷺沼からははるか遠くに離れたところから出ている"鷺沼行きのバス"のようなものも拾ってきてしまう。このようにかなり不完全なものではあるが、読者がそれぞれの目次、それぞれの地図を作れるようにはなった。これは紙の本では不可能なことである。
 このようにして作った東山田散歩は、結果的に今の時点で私が想像できるハイパーテキストの姿をすべてさらけ出したものになった。しかし、結局、4年前の連載開始のときから大して進歩していないという感じもする。これ以上何回連載を重ねても大きな進歩は見込めないので、今回でこの連載は終わりということにする。帰着点を冷静に考えると、インターネットに誰もがアクセスできる時代になったのに、一人で作ることにちょっとこだわり過ぎたかもしれない。今までも紹介したが、インターネットを介した連句、ハイパー詩のような試みもある。それよりも何よりも、インターネットのWeb空間自体が1つの巨大なハイパーテキスト空間である。この空間は生きており、毎日増殖し、毎日変化し、毎日一部が消えていく。昨日まで読めたものが今日は読めなくなっているということが、あるいは本との最大の違いかもしれない。今後、本は読まなくてもWebは読むという人が増えてくるだろう。そのような人々が多数になったら、ハイパーテキストという以前にテキストという概念自体が大きく変わっていくのかもしれない。

図1 本文ページ
図2 写真ページ
図3 目次ページ
図4 画像一覧
図5 この回のすべての写真
図6 サーチエンジン

(編集者註:図1〜6は、紙版、正式HTML版およびエキスパンドブック版に掲載されますが、以下のURLの長尾高弘さんのサイトに行けば、「東山田散歩」の全容がわかります)

http://www.longtail.co.jp/walk/


Booby Trap No. 27



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翻訳詩
ウィリアム・ブレイク 『無垢と経験のうた』―人間の相反する二つの精神状態を示す─ 連載第一回

訳 長尾高弘



前口上
 私は英文学を勉強しているわけではないのだが、以前から詩の翻訳ということをやってみたいと思っていた。翻訳をするためには、原詩をじっくり読まなければならないが、逆に翻訳をするのでもない限り、原詩をじっくり読むような機会はなかなか得られない。たとえば私のような者が翻訳もせずに原詩を読んだとしたら、曖昧なところを漠然と残したまま少し読み進んだところで、自分の読みの雑駁さにうんざりして原詩を放り出してしまうだろう。しかし、翻訳をするとなれば、細かい一つ一つの疑問に自分なりの答を与えなければ、先に進めない。だからかえって着実に一歩一歩先に進むことができるのである。
英語と日本語には絶望的なほどの距離がある。ヨーロッパ語同士の翻訳とはわけが違う。その分、翻訳は難しいと言えば難しいが、逆に割と早い段階で忠実な翻訳ということを諦らめて、訳者が自分の考えを訳文に盛り込むことができるという側面もある。自分の考えを盛り込むと言っても、原詩に書かれていないことを勝手に書くということではないのだが、たとえば辞書にだって一つの語には複数の訳語が書かれているものだ。どれを選ぶかに訳者の考え方は反映する。しかし、英語と日本語の距離ということを考えるときに大きいのは、文章の構成方法である。文法的に忠実に翻訳しようとすれば、訳文がどうしようもなくぎごちなくなり、翻訳したものが詩ではなくなってしまう。翻訳したものを詩に近付けるためには、息継ぎをしながら日本語のコトバの海を泳ぎ回らなければならない。前のものを後ろにしたり、助詞でニュアンスを変えたり、時にはセンテンスの区切り位置を変えたりすることも、英語から日本語への翻訳では、禁じ手ではないと思う(と言うよりも、原詩を何度も何度も読んで、読み手である私の側に落ちてくるものを自然に語り直すような形で翻訳できればと思っている。私のネーティブランゲージは日本語なので、自然に出てくる言葉も日本語になるというわけである。自然にという言葉を使ったが、この過程は、アタマの仕事であるというよりも身体の仕事であるような気がしてならない。文法的なチェックは、そのようにして出てきたものをあとから点検するアタマの仕事である。そのときに、センテンスの入れ替えなどにも気付くはずである。もちろん、点検という第二次の仕事も、アタマだけでするわけではない。身体とアタマが闘いながら妥協点を見出すようなものになるはずである)。
しかし、自分でアイディアをひねり出して詩を書く場合でも、アイディアが勝負に大きな影響を与えるのは最初だけであり、後半戦はもっぱらひしめき合うコトバのなかでもがくことになるものだ。つまり、自作でも翻訳でも、後半戦の部分は同じように苦しみ、楽しむことができるはずである。それに、自分で全部作るときには、なかなか前半戦に突入できないために、後半戦を楽しむ機会にもなかなか恵まれないが、詩の翻訳をすれば、次から次へとこの後半戦の部分を楽しむことができる。これはなかなか効率的だ。
 ブレイクを選んだことに深い意味はない。著作権でもめるのがいやだったので、死後かなりたった人を選んだまでである。そのような人を探していたときに、飯島耕一の『ウィリアム・ブレイクを憶い出す詩』が、頭に思い浮かび、原書や参考書も見つかったので、ブレイクにしただけである。しかし、いざ作業を始めてみると、ブレイクを選んでよかったと思った。性に合うのである。ブレイクはアメリカ独立戦争とフランス革命を抑圧しようとするイギリスの政治に闘志を燃やし、飯島はブレイクを憶い出しながらベトナム戦争への怒りを書いた。私も闘うことを忘れない人間でありたいと思っている。
 これからお目にかけるのは、初期の代表作であり、もっともポピュラーな『無垢と経験のうた』の試訳である。一七八九年にまず『無垢のうた』が出版され、一七九四年に『経験のうた』の部分が追加されて、合本として出版されたが、『経験のうた』だけの形のものはない。『無垢のうた』の部分は、ブレイクの生涯のなかでも、素直で純真な部分が現れた珍しい作品となっている。
 原詩のテキストは次の本によった。
David V. Erdman Ed. The Complete Poetry & Prose of William Blake, Newly Revised Edition, ANCHOR BOOKS, 1988
 ブレイクの作品は、『無垢と経験のうた』も含め、ほとんどのものが本人によるイラストが入った本になっている(というよりも、全体が版画作品になっていて、ブレイク自身が印刷しているのだが)。そのページイメージをそっくり復元した本も出ている。
David V. Erdman, The Illuminated Blake, Dover, 1974
William Blake, Song of Innocence and of Experience, Oxford University Press, 1970
前者はモノクロ、後者はカラーである。後者には、経済学者ケインズの弟で、著名な書誌学者であるGeoffrey Keynesのコメントが入っている。
 ブレイクの翻訳は、戦前を中心としてかなり出ているようだが、私が入手できたのは、次の三種類である。
梅津濟美訳『ブレイク全著作』一九八九年、名古屋大学出版会
寿岳文章訳『ブレイク詩集』一九六八年、弥生書房(世界の詩五五)
土居光知訳『ブレイク詩選』一九四六年、新月社
土居訳は、昨年平凡社ライブラリーの『ブレイク詩集』としても出版されている。飯島が『ウィリアム・ブレイクを憶い出す詩』で引用しているのは、土居訳である。
 少しでも参照した研究書は、以下の通り。英文のものは、全部読み切ったわけではない。
S. Foster Damon, A Blake Dictionary, refised edition, University Press of New England, 1988
David V. Erdman, Blake: Prophet Against Empire, Dover Publications, 1957
土居光知『著作集第一巻』一九七七年、岩波書店(ただし、ブレイク論は戦前に書かれたもの)
梅津濟美『ブレイク研究』一九六三年、垂水書房
梅津濟美『ブレイクを語る〈増補新版〉』一九九一年、八潮出版社
 また、ブレイクにはキリスト教関係の単語も頻出するが、それらについては、日本聖書協会『新共同訳聖書』を参考にして考えた。
 この参考文献リストからもわかるように、私の作業は間違っても英文学者の仕事ではない。ブレイクだけでもほかに読まなければならない本はたくさんあるし、ブレイクと同時代の詩人の作品も大して読んでいるわけではない。しかし、詩の翻訳は、自分でも詩を書く人間にとっては、面白い仕事なのである。一つの決定訳をあがめるよりも、読む人それぞれがそれぞれの訳を作っていけばよいのではないかというのが、私の考え方である。
 なお、インターネットの私のホームページには、『天国と地獄の結婚』も訳出してあるので、アクセス手段のある方は参照していただければ幸いである。

  無垢のうた



 序詩

笛を吹いて下る谷
奏でるうたは歓びのうた
あれ、雲の上に一人の子。
笑いながらのおねだりは、

小羊のうたを吹いてみて。
おやすい御用とうれしく吹けば
ねえねえそのうたもう一度。
涙を流して聞いている。

楽しい笛は一休み
楽しいうたをうたってよ。
それでは楽しいうたをうたえば
涙を流して喜ぶ子。

そのうた本に書いといて、
みんなが読めるとうれしいな。
見れば子どもはもういない。
私は葦の茎をぬき

むらの筆をこしらえて
きれいな水にしみをつけ
楽しいうたを書き留めた。
みんなが楽しくなるといいな。


 羊飼い

羊飼いのやさしい丘はなんてやさしいんだろう、
羊飼いはその丘を朝から晩まで歩き回る。
一日じゅう羊たちについて歩き
一日じゅう羊たちをほめたたえる。

だって小羊が無邪気にないている、
母親がやわらかい声でこたえている、
羊飼いはみんなをまもっている、
羊飼いがそばにいるから羊たちはしあわせ。


 響きあう緑

日がのぼって
空はしあわせ
陽気な鐘が
春にようこそ
雲雀とつぐみ
森の鳥たちも
声を張り上げ
鐘にこたえる
響きあう緑に
子どもたちの遊ぶ姿

樫の木陰に座った
白髪のジョンじいさん
年寄り仲間に囲まれて
日頃の憂いも笑い飛ばす
遊ぶ子たちに目を細め
思わず口をそろえて言う
あれだ、あれこそが
子どもの頃の歓びだった
響きあう緑に
若いときの姿が見える

子どもたちの遊びも
疲れてきたらもう終わり
日がとっぷりと沈んだら
楽しいときももう終わり
おかあさんの膝のうえ
兄弟姉妹まあるくなって
巣にかえった小鳥のよう
みんなおやすみの時間
暗くなった丘に
子どもの姿はもう見えない


 小羊

 小さな小羊、誰につくってもらったの?
 それが誰だか知ってるの?
小川のほとり、草のうえ
いのちと食べ物をくださって、
何より一番やわらかい
つやつや輝くすてきな服も、
谷じゅうみんなが笑いだす
優しい声もくださった!
 小さな小羊、誰につくってもらったの?
 それが誰だか知ってるの?

 小さな小羊、おしえてあげる
 小さな小羊、おしえてあげるよ
その人の名前はきみと同じ
自分のことを小羊と言ったんだ。
その人はやさしくておだやか
小さな子どもになったんだ。
ぼくは子ども、きみは小羊
その人の名前はぼくらと同じ
 小さな小羊、神さまは
小さな小羊、祝福してる


 小さな黒人の子ども

お母さんが南のジャングルで生んだ子だから
ぼくは黒人。おお、でもぼくの心は真っ白だ。
イギリスの子どもは天使のように真っ白。
だけどぼくは光をとられたように真っ黒だ。

まだ日があまりのぼらないうちに
お母さんが木の根元に座って教えてくれた。
ぼくをひざに乗せて、ぼくにキスして
東の空を指さしてこう言ったんだ。

のぼってくるお日様をごらんなさい。あそこには
神様がいらっしゃって、光と熱をくださってるの。
花も木も、動物も人間も、朝のやすらぎ、
昼の歓びを神様からいただいているのよ。

私たちがこの地上にいるのはほんのわずか、
それは愛の輝きに耐えることを覚えるためなの。
この黒いからだと日にやけた顔は、
雲のような森の木陰のようなものよ。

魂が輝きに耐えられるようになったら、
雲は消えて、神様のお声が聞こえるの。
大事な愛しい子どもたち、木陰から出ておいで、
小羊みたいに歓んで、私の金の天幕に集まりなさい。

お母さんはこう言ってぼくにキスしてくれたんだ。
だからぼくはイギリスの子どもにこう言うよ。
ぼくが黒い雲から、きみが白い雲から自由になって
大好きな小羊みたいに神様の天幕に集まったら、

御父のひざに喜んでよりかかれるようになるまで、
きみが熱に耐えられるようになるまで、日陰を作ってあげよう。
それからぼくは立ち上り、きみの銀色の髪をなでて
きみのようになる。そうしたらきみもぼくが気に入るさ。


 花

明るい明るいすずめ
深い緑の葉のうらで
幸せの花一つ
矢のようなお前を見てる
私の胸のすぐそばに
小さな揺りかご見つけてよ

いとしいいとしいロビン
深い緑の葉のうらで
幸せの花一つ
お前の泣き声聞いている
私の胸のすぐそばに
いとしいいとしいロビン


 煙突掃除の少年

ぼくがとても小さいときにお母さんは死んじゃって、
ぼくがそうじーそうじーそうじーそうじーって
やっと言えるようになったら、お父さんはぼくを売った。
だからぼくは煙突を掃除して、煤のなかで眠るんだ。

小羊の背のような巻き髪の小さなトム・デイカー、
髪の毛剃られて泣いていた。だからぼくは言ったんだ。
泣くなよ、トム、気にするな。その頭なら
煤だってきみの銀色の髪を汚せやしないさ。

それでトムも泣き止んだ。そしてその夜、
トムは寝ている間にこんな夢を見たのさ。
ディック、ジョー、ネッドにジャック、たくさんの掃除の子たち、
みんなそろって黒い棺桶に閉じ込められ、鍵も閉められた。

そこに輝く鍵を持った天使がやってきて、
鍵を開けて、みんなを外に出してくれたんだ。
跳ねて笑ってみんな緑の野原に駆け下りた。
川でからだを洗って日の光を浴びてぴかぴか、

煤袋を残して、はだかの白いからだで
雲のうえにのぼって、風のなかで遊びまわった。そして、
天使がトムに言ったんだ。いい子でいたら神様が
お父さんになってくださるよ。そしたら、いつも楽しいんだ。

そこでトムは目が覚めて、暗いうちにぼくたちは起きた。
煤袋とぶらしを手に持って、掃除の仕事に出かけたんだ。
その朝はとっても寒かったけど、トムは幸せそうであったかかった。
自分のつとめを果たしていれば、いじめなんか怖くないのさ。


 迷子になった男の子

お父さん、いったいどこに行くの?
お願いだからそんなに速く歩かないで
お父さん、ぼくに声をかけて
かけてくれなきゃ、ぼくは迷子になっちゃう

夜は暗く、父親はどこにもいなかった。
子どもは涙でびしょ濡れ。
沼地は深く子は泣きやまない。
そしてすべては霧に覆われた。


 見つかった男の子

先へ先へと漂う光に誘い出され
寂しい沼地で迷子になって泣いている子ども。
しかし、神様はいつも近くで見守っておられます。
白い光に包まれて父のように姿を現わされたのでした。

神様は、坊やにやさしく口づけすると、その手を引き、
心配のあまり真っ青になって、寂しい谷間を
くぐり抜けてきた母親のもとに導かれました。
泣かないで、坊や。もう大丈夫だよ


 笑いのうた

緑の木々が声を出して笑い、
小川がえくぼを見せて走り抜けるとき、
風がぼくらの冗談に腹をかかえ
緑の丘がそのざわめきに笑いを返すとき、

原っぱが生き生きとした緑に笑顔を見せ
きりぎりすが明るい景色に笑うとき、
メアリーとスーザンとエミリーが
かわいい丸い口でハッハッヒーと歌うとき、

色鮮やかな鳥たちが、桜んぼとナッツを広げた
木陰のテーブルで笑い声を上げるとき、
みんなおいで、楽しくなろうよ、
いっしょにうたおう、ハッハッヒー。

(以下次号)



Booby Trap No. 23



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

翻訳詩
ウィリアム・ブレイク 『無垢と経験のうた』―人間の相反する二つの精神状態を示す─ 連載第二回

訳 長尾高弘



(承前)

 揺りかごのうた

私のいとし子の頭のうえに、
影をつくれあまい夢。
やわらかな月の光をあびた、
気持ちよい小川のあまい夢。

やわらかく沈むあまい眠りよ、
まゆを編んでちいさな冠をつくれ。
おだやかなあまい眠りの天使よ、
私のしあわせな子のうえに浮かべ。

夜のあまいほほえみよ、
私の歓びのうえに浮かべ。
あまいほほえみ、母のほほえみは
長い長い夜をなぐさめる。

あまい寝言、小鳩のようなため息よ、
この子のまぶたから眠りを追い出すな。
あまい寝言よりもっとあまいほほえみは、
小鳩のような苦しみをなぐさめる。

眠れ眠れしあわせな子。
神が創られたものはみな眠りほほえんだ。
眠れ眠れしあわせな眠り、
お母さんの涙のしたで。

いとしい我が子、おまえの顔に、
神様の御姿が透けて見える。
いとしい我が子揺りかごのなかで、
神様は私のために泣いてくださった。

私のためにおまえのためにみんなのために、
幼な児だった神様は泣いてくださった。
おまえにはいつでも見える、
おまえにほほえみかける神様のお姿。

おまえにわたしにみんなに、
幼な児になられた方はほほえみかける。
幼な児のほほえみは神様のほほえみ。
天地をなぐさめやすらかに眠らせる。


 神のすがた

慈悲、憐憫、平和、愛。あらゆる者は、
苦しみのうちにこれらを求めて祈り、
これら歓びの美徳に
感謝の気持ちを返す。

なぜなら、慈悲、憐憫、平和、愛は、
我らの父、神だから。
そして、慈悲、憐憫、平和、愛は、
神のいとし子、人間にほかならない。

なぜなら慈悲は人の心、
憐憫は人の顔、
愛は人の神聖なかたち、
平和は人の衣装。

だから苦しみのうちに祈る
あらゆる土地のあらゆる者は、
慈悲、憐憫、平和、愛
人の神聖なすがたに祈る。

相手が異教のトルコやユダヤであっても
人は人のすがたを愛さなければならない。
そこには慈悲、憐憫、愛が住み
神も住んでいるのだから。


 昇天祭

昇天祭の日だった。親のない子どもたちは無邪気な顔を浄め
赤、青、緑の服を着て、二人ずつ手をつないで歩いていった
雪のように白い杖をついた銀色の髪の儀官が子どもたちを導き
テームズを流れる水のようにセントポールの大聖堂まで歩いていった

おお何とたくさんのロンドンの花ロンドンの子どもたち
仲間同士で固まってすわり、それぞれがそれぞれの光を放っていた
たくさんのざわめき、しかしそのときたくさんの小羊たち
数千の男の子女の子たちが汚れを知らない手を上げた

そして子どもたちは強い風のように天に向かって歌声を上げた
天上の人々の間をめぐって響き合う雷鳴のように
その下に座るのは、年老いた人々、貧者の賢い守護者たち
だからやさしい気持ちになって、門口から天使を追い払わないで


 夜

日が西に沈んでいく、
宵の明星が輝いている、
鳥は巣に戻って鳴きやみ、
私は自分の巣を探さなければならない。
花のような月は、
静かな光に包まれて、
天上高い四阿に座り、
夜にほほえみかけている。

さようなら、群れなす羊を楽しませていた
緑の野、しあわせな茂みよ。
小羊たちが草を食んでいた野山を
光の天使たちは静かに進む。
天使たちは目に見えぬかたちで
ひとつひとつの花と芽に
眠っているものの胸に
やすみなく祝福と歓びを注ぐ。

鳥たちを暖かくつつむ
無防備な巣をのぞき、
獣たちの住む洞穴をもれなく訪れる。
それらのものが傷つかぬように。
眠ることができなくて
泣いているものがあれば、
そのまぶたに眠りを注ぎこみ、
寝床のかたわらに座って見守る。

狼や虎が獲物をもとめて吠えるときには
憐れみのあまり立ち止まり泣く。
彼らの渇きをいやす道を探し求め
羊に手を出さないように導く。
しかし彼らが激しく猛り狂うときには
思慮深き者、天使たちは
従順な魂をひとつひとつ受け取り、
新しい世に送り出す。

そこでは、獅子たちの赤く燃える目も
黄金の涙を流す。
弱いものを憐れんで吠え、
羊たちの群のなかを歩きまわって言う。
怒りは彼のおだやかさによって
病は彼の健やかさによって
この不死の世界から
追い払われた

そして穏やかに鳴く羊よ、
これからはお前のかたわらに横たわり、
お前の名で呼ばれる方のことを思い、
お前を見守って泣く。
命の川で洗い清められた
私のたてがみは、
永遠に黄金のように光り輝く。
お前たちを守り続ける限り。


 春

笛を鳴らせ!
今は静か
鳥たちは
昼と夜を喜ばす
谷間の
ナイチンゲール
空のひばり
陽気に
楽しく楽しくようこそ春

小さな男の子
歓びでいっぱい
小さな女の子
とても愛らしい
鶏がときの声を上げる
だから君らも
陽気な声で
子どもたちのさざめき
楽しく楽しくようこそ春

小さな小羊
ぼくはここだよ
おいで、ぼくの
白い首をしゃぶって
きみのやわらかい毛に
さわらせて
きみのやわらかい顔に
キスさせて
楽しく楽しくようこそ春


 乳母のうた

子どもたちの声が緑に響き
笑いが丘にあふれるときは
私の心は安らぎ
ほかのものもみな静か

日は沈んだ、夜露も浮かぶ
子どもたち帰っておいで
空に朝が顔を出すまで
遊ぶのをやめて戻っておいで

いやいやもっと遊ばせて
まだ明るいし寝れないよ
おまけに空には小鳥が飛んでいる
丘は羊たちでいっぱいさ

はいはいそれなら遊んでおいで
真っ暗になったら帰って寝ましょう
小さな子どもたちははねて叫んで笑い
丘じゅうがこだまをかえした。


 幼い歓び

名前はない
だって生まれてまだ二日--
きみのことをどう呼ぼうか?
私はしあわせ
だから私は歓び
すてきな歓び きみのもとに

かわいい歓び
生まれて二日のすてきな歓び
きみのことを歓びと呼ぼう
きみは笑う
私は歌う
すてきな歓び きみのもとに


 夢

夢は天使が守る私のベッドの上に
本当に影を織りなしたことがあった。
蟻が迷子になっていた。
そこはたぶん私が横になっていた野原だ。

何かの間違いで迷って一人
真っ暗な闇のなかに歩き疲れた姿。
幾重にももつれあった茎のうえで
悲嘆にくれる彼女の声が聞こえた。

おお、私の子どもたちよ! 泣いているのだろうか
父親のため息を聞いているのだろうか
私がいないかとおもてに出て
見つからずに戻って涙を流しているのだろうか

かわいそうになって私の目からも涙が落ちた。
しかし私は、近くに土蛍がきて
応えるのを見た。泣き叫んで
夜の番人を呼び出したのは誰かな。

黄金虫が巡回するとき
私は地面を照らすことになっている。
黄金虫の羽音についておいで。
小さな放浪者よ、家路を急ぎなさい


 ひとの悲しみに

ほかの人が苦しんでいるのを見たら、
私も悲しまずにはいられない。
ほかの人が苦しんでいるのを見たら、
慰める方法を考えずにはいられない。

涙がこぼれ落ちるのを見たら、
同じ気持ちにならずにはいられない。
父が子の泣く姿を見たら、
悲しみで胸がいっぱいにならずにはいられない。

子どもが幼い恐怖にうめき苦しんているのに、
母親は黙ってそれを聞いていることができるだろうか。
いやいやそんなことはできはしない。
決してできるわけがない。

まして私たちみなに微笑みかけて下さる方が、
鷦鷯の小さな悲しみを聞き
小鳥たちの憂いや悩みを聞き
子どもたち哀れな様子を聞いたら、

巣のかたわらに座って
彼らの胸に憐れみの心を注いだり、
揺りかごのそばに座って
子どもたちとともに涙せずにいられようか。

私たちの涙をぬぐうために、
昼も夜も私たちを見守らずにいられようか。
いやいやそんなことはできはしない。
決してできるわけがない。

その方はあらゆるものに歓びを与え、
その方は小さな子どもになられる。
その方は嘆きの人となって、
その方は悲しみをともにする。

あなたがため息をついているのにあなたを創った方が、
ため息をつかないなどと考えてはならない。
あなたが涙を流しているのにあなたを創った方が、
涙を流さないなどと考えてはならない。

おお、神は私たちに歓びをくださる、
神は私たちの悩みを打ち砕く、
私たちの悩みが消え去るまで、
神は私たちの傍らで悲しみつづける。


  経験のうた


 序詩

詩人の声を聞け!
その者は現在、過去、未来を見る、
その耳は
古代の木々の間を巡る
神聖な言葉を聞いた。

失われた精霊を呼び
夜露に涙をながす声は、
北極星を
動かし、
堕ちた光を生き返らせるだろう!

おお地よ、地よ蘇れ!
湿った草の間から立ち上がれ。
夜は衰えた、
眠りの群の間から
朝が立ち上がる。

もう顔をそむけるな。
なぜお前は顔をそむけるのだ。
星の広間
海に沈んだ岸は
夜明けまでの存在なのに。


 地の応え

恐ろしく陰惨な暗闇から
地は頭を上げた。
彼女は光を奪われていた。
岩のような恐怖!
髪は灰色の絶望に覆われていた。

私は海に沈んだ岸に閉じ込められ
不寛容の星は私の穴を
凍った霜で覆っています
私は泣きながら
古代人の父の声を聞いています

人間のわがままな父
残酷で不寛容で利己的な恐怖
夜のなかに縛られている
歓びが朝と若さの処女(おとめ)たちを
生むことができるでしょうか。

芽や蕾が育つときに
春が歓びを隠すことがあるでしょうか?
種を蒔く人は
夜に種を蒔くでしょうか?
暗闇で鋤を鋤く人がいるでしょうか?

この重い鎖を断ち切ってください、
それが私の骨を凍らせているのです。
利己主義! 虚栄心!
永遠の苦悩!
それが自由愛を縄で縛り付けているのです。


 土くれと小石

愛は自分の歓びを求めたりはしないよ、
自分のことを気にかけようともしない。
ほかの人に安らぎを与え、
地獄の絶望のなかに天国を築くんだ。

 牛の足に踏みつけられた
 小さな土くれはこううたった。
 しかし小川の小石は
 震える声で本当のうたをうたった。

愛が求めるのは自分の歓びだけ、
自分の歓びのために他人を縛ることだけ。
他人の楽しみは安らぎを奪い、
天国の悪意のなかに地獄を築く。


 昇天祭

これが神聖な光景だろうか、
豊かで実り多い国で
幼な児は貧困に突き落とされ、
冷たい欲得ずくの手に養われるのか?

あの震える泣き声がうたか?
あれが歓びのうたになりうるのか?
貧しい子どもがこんなに多いのか?
ここは貧困の地だ!

彼らの太陽は決して輝かず、
彼らの土地は草もなく寒い。
彼らの道は茨に覆われている。
そこは永遠の冬だ。

太陽が輝くところなら、
雨に潤うところなら、
幼な児が飢えるはずがない、
貧困が心を脅かすことも決してない。


Booby Trap No. 25



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

翻訳詩
ウィリアム・ブレイク 『無垢と経験のうた』―人間の相反する二つの精神状態を示す─ 連載第三回

訳 長尾高弘



(承前)

 迷子になった女の子

預言者である私には見える。
将来
地は眠りから
(この文字を深く刻み込め)

目覚め、彼女の穏やかな
造り主を探し求める。
そして不毛の荒野は
穏やかな庭園になるだろう。
 --------------------
強い夏が
決して衰えを見せない
南の国で
かわいいライカが横になっている。

七つの夏を数えた
かわいいライカ。
怖い鳥の声をききながら
長い間歩いてきた。

この木のしたにきたら
眠くなってうとうとしだしたの。
お父さんとお母さんが泣いている--
ライカはどこで寝ているんだろう。

不毛の荒野で道に迷ったのは
お父さんとお母さんの子。
お母さんが泣いているのに、
どうしてライカが眠れるでしょう。

お母さんの心が痛んでいるなら、
ライカを起こしてください。
お母さんが眠っているなら、
ライカは泣かないわ。

まぶしい荒野を覆い隠す
不機嫌で暗い夜。お願いだから
私が目を閉じている間、
月を上らせていて。

ライカが横になって眠っていると、
深い洞穴から
猛獣たちが出てきて、
眠っている娘を見た。

獅子の王が立ち
少女を見下ろした、
そして聖別された地で
踊りまわった。

横になっている彼女のまわりで
豹や虎もはしゃぎまわった。
年老いた獅子は
黄金の鬣をかがめ、

彼女の胸をなめ
首のまわりをなめた。
獅子の燃える目から
ルビーの涙が流れ落ちた。

獅子の女王は娘の
粗末な衣装を脱がせ、
裸にして、眠っている娘を
自分たちの洞穴に運んでいった。


 見つかった女の子

ライカの二親は
目を泣きはらして、
夜通し深い谷を進んだ。
荒野は泣いていた。

歎きのあまり疲れはてやつれはて、
声は枯れはてた。
手に手をとって七日間、
二人は砂漠の道をたどった。

深い影のもとで、
七夜を過ごし夢を見た。
二人の娘は荒れ果てた砂漠で
おなかをすかせていた。

夢に現れた娘の幻は
道なき道をさまよい、
飢え、泣き、弱り、
あわれな声で叫んでいた。

女は身震いして
休まらぬままに起き上がった。
悲しみに疲れ果てた足では
もう一歩も先に進めなかった。

悲しみに震える女を
男は両腕で抱きかかえた。
ふと気が付くと
目の前に獅子が横たわっていた。

戻ろうとしてももう遅い。
重々しい鬣に気おされて
二人は地にひれ伏した。
獅子は餌食のにおいをかぎながら

二人のまわりを歩きまわった。
しかし獅子が二人の手をなめたとき
二人の恐怖はやわらいだ。
獅子はただ静かに立っていた。

二人は深い驚きに満たされて
獅子の目を見上げた。
金色に輝く精霊を
不思議な思いで眺めた。

獅子の頭には冠
肩には流れる
金の鬣。
二人の怖れは完全に消えた。

獅子は言った。私についてきなさい。
娘のために泣く必要はない。
ライカは私の宮殿の奥深くで
ぐっすり眠っている。

そして二人は
ビジョンが導くままに従った。
荒々しい虎に囲まれて
娘が眠っているのを見た。

彼らは今も
寂しい谷間に住んでいる。
狼の吠える声にも
獅子のうなる声にも恐れることなく。


 煙突掃除の少年

雪のなかに小さな黒いもの。
悲しい調べでそうじ、そうじと叫んでいる!
お父さんやお母さんはどこにいるんだ? え?
二人はお祈りのために教会へ。

荒野で幸せそうにしていたから、
寒い雪のなかで笑っていたから、
二人は死の衣装で子どもの身をくるみ、
悲しい調べのうたを教えた。

子どもがうたって踊って幸せそうだから
二人は我が子を傷つけたなんて思っていない
そして神と司祭と王を称えに行った
我らの悲惨から天国を作った者たちを称えに


 乳母のうた

子どもたちの声が緑に響き
ささやきが谷をうめつくすとき、
若き日の思い出が鮮やかに蘇り
私のほほは妬みに青ざめる。

日は沈んだ、夜露も浮かぶ
子どもたち帰っておいで。
遊んでいるうちに春も昼も消え失せる
冬と夜は偽りのうちに費やされる。


 病める薔薇

おお、薔薇よ、病める美。
嵐の夜、うなる風に
飛ばされてきた
目に見えない虫が

お前の深紅の歓びに酔い
住みついてしまった。
彼の暗いひそかな愛が
お前の命を確実に奪う。


 蝿

なあ、蝿よ
今、おれの手は
何も考えずにお前の夏の歓びを
吹き払っちまったが、

おれはおまえのような
蝿なのではなかろうか?
おまえはおれのような
人間なのではなかろうか?

おれが歌って踊って
酒を飲んでいられるのも、
目の見えない何者かの手が
おれの羽を引っこ抜くまでのことさ。

思考が生命で
息で強さなのだとすれば、
思考が足りないのは
死んでるってことなら、

それじゃおれは
幸せな蝿になろう。
生きているなら、
死んじまうなら。


 天使

私は夢を夢見た! それに何の意味があろうか?
私は処女の女王で
優しい天使に守られていたが
愚かな悩みは決していやされなかった!

そして私は夜も昼も泣いた
天使は私の涙をぬぐってくれた
それでも私は泣き続けた
私の心の歓びは閉ざされてしまった

天使は羽をつけて逃げていった。
そして赤い薔薇のように真っ赤な朝。
私は涙をぬぐい、万の槍と盾で
怖れを守り固めた。

天使はすぐに帰ってきたが、
私の守りは固く、入ってこれなかった。
若き日は逃れ去り
髪は灰色になっていた。


 虎

虎。それは夜の深い森に
燃え輝くシンメトリ。
この恐怖のかたちをあえて作った
不死の手、不死の眼はいかなる存在なのか?

虎の眼が焼き焦がした深さ
空の高さはどこまで果てしないのか?
神はどんな翼で天にかけ上がり
どんな手でその火をつかんできたのか?

力強い心臓を支えるのは
どんな肩、どんなわざなのか?
その心臓が鼓動を刻みだしたとき
四肢がかくも恐ろしく躍動するのはなぜなのか?

鋭い頭のかたちを鍛えたのは、どんな槌、どんな鎖
どんなかまどとどんな鉄床なのか?
恐ろしい形をあえてつかんだその手より
恐ろしいものはいったいあるのだろうか?

星々が輝く槍の雨を降らせ
涙で天をあふれさせたとき
神はそれを見て満足の笑みをもらしたのか?
この恐怖を作った神は本当に羊を作った神なのだろうか?

虎。それは夜の深い森に
燃え輝くシンメトリ。
この恐怖のかたちをあえて作った
不死の手、不死の眼はいかなる存在なのか?


 私のかわいい薔薇の木

花をあげようというのだった。
五月さえも生み出せない素敵な花、
しかしかわいい薔薇の木がありますから
と言ってその花はやり過ごしたのだ。

そして私のかわいい薔薇の木に向かい、
昼となく夜となくかわいがった。
しかし薔薇はやきもちやいてそっぽを向いた。
私の歓びときたら彼女のとげばかり。


 ああ、ひまわりよ

ああ、時に倦んだひまわりよ!
旅人が旅を終える
甘い黄金の土地を求めて、
日の歩みを数えるもの。

望みを奪われた若者と
雪に覆われた乙女が
墓場からふらふらと立ち上がるところ。
お前はそんなところに行きたいのか。


Booby Trap No. 26



蛞蝓-長い夢-ゆで卵-子供の芝居-あられ--冬の月-眠い-足留まり-夜の海から-疲れた時計--二本の筆-予兆-最初は一人--楽器-夜景-私の壁-裁判-フォアグラ-カメムシ-精子的-お詫び-銅像-夜の散歩-重力-鼻唄-きみの色-後悔-時間-コントロール-頭の名前-良き心を持つ人々よ-共生-Windows ヘルプを使った詩集の制作-詩人のためのInternet入門-ハイパーテキストへ 3-ハイパーテキストへ 4-ハイパーテキストへ 5-ハイパーテキストへ 6-ハイパーテキストへ 7-ハイパーテキストへ 8(最終回)-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 1-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 2-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 3-ウィリアム・ブレイク『無垢と経験のうた』 4

翻訳詩
ウィリアム・ブレイク 『無垢と経験のうた』―人間の相反する二つの精神状態を示す─ 連載第四回



(承前)

 ゆり

慎み深い薔薇は棘を突き出している。
つつましい羊は恐ろしい角を持っている。
白いゆりは、愛の歓びに包まれているが、
その鮮やかな美しさは棘や怖れには汚されていない。


 愛の園

愛の園に入っていくと、
決して見たことのないものがあった。
かつて遊んでいた緑のまんなかに、
教会が建てられていたのだ。

教会の門は閉じられており、
扉にはするなと書かれていた。
そこで私はとてもすてきな花が、
たくさん咲いていた愛の園に向かった。

そこは墓で覆われていた。
花が咲いているはずのところに墓石が立っていた。
そして、黒衣の僧がそれぞれの持ち場を歩きまわり、
私の歓びと望みを次々に茨で縛っていった。


 小さな洒落者

お母さん、お母さん、教会は寒いよ、
パブならあったかくて楽しくて気分がよくなるよ。
それにぼくの馴染みの店だって教えてあげられる。
天国じゃそんなふうに楽しくさせてくれないよ。

でも教会にお酒が少々とあったかい火があって
楽しい気分にさせてくれるなら、
誰だって一日じゅう歌って祈るだろうし、
教会から逃げ出そうなんて思わないさ。

坊さんも説教しながら飲んで歌えば
春の小鳥のように幸せになれるよ。
いつも教会にいるお上品なラーチ夫人だって
子どもを鞭でたたいたり腹ぺこにさせたりしないさ。

お父さんだって、子どもが自分と同じくらい
幸せで楽しそうにしていれば歓ぶでしょ。
同じように神様だって悪魔だの酒樽だのとケンカしないで
優しくくちづけして飲み物と着る物をあげるようになるよ。


 ロンドン

特権を与えられたテームズのほとり、
特権を与えられた通りを一つ一つ歩いた。
すれ違う顔、顔、顔には弱さの印
歎きの印がはっきり刻印されていた。

あらゆる大人のあらゆる叫びに、
恐怖におののくあらゆる子どもの泣き声に、
あらゆる声にあらゆる布告に、
心が作り出した束縛が聞こえた。

煙突掃除の子どもたちは
黒光りする教会にぞっとして泣いていた。
運のない兵士たちのため息は
血まみれになって宮殿の壁を転げ落ちた。

しかし真夜中の通りで一番多かったものは
生まれたばかりの赤ん坊を泣かせ
疫病で結婚の棺を引き裂く
若い売春婦たちの呪い


 人間抽象化

貧しい人間を作らなければ、
憐れみはもういらない。
誰もが神のように幸せなら、
慈悲はもういらない。

相互の怖れが平和をもたらす。
するとわがままな愛がのさばり、
残酷な心がわなを編んで、
餌をたんねんにばらまく。

あいつは聖なる怖れを手にして座り、
地面に涙の水をまく。
するとあいつの足元に
謙遜というやつが根を張る。

あいつの頭は神秘の
陰鬱な影に覆われ。
毛虫や蝿がその神秘に
たかってはびこる。

ついには赤くておいしい
偽りの実をつける。
黒い烏はこの木のいちばん
暗いところにに巣を張った。

地と海の神々は
この木を見つけようとして
自然をくまなく探したが無駄だった。
こいつが生えているのは人間のオツムのなかさ。


 幼い歎き

お袋がうなり、親父が泣いた。
無力な裸で大声あげて、
とんだ危ないところに飛び出してきたもんだ。
雲に隠れた鬼っ子のように。

親父の腕のなかでもがき、
襁褓のひもにまたもがき、
縛られ抑えられて疲れちまった。
お袋の胸のなかですねてやるのがいちばんだ。


 毒の木

友に腹を立てたときは、
怒りをぶちまけたのでおさまった。
敵に腹を立てたときは、
ぶちまけなかったので怒りが増した。

恐ろしい思いで夜も朝も、
その怒りに涙の水をまいた。
微笑みながら穏やかな
偽りに満ちた思いで日に当てた。

昼も夜も木は育ち、ついには
見事な林檎がなった。
輝く実は敵にも見えたが
それはそいつの敵のもの。

夜が空を覆いつくしたとき、
そいつはこっそり庭に忍び込んだ。
朝になって私は小躍りして喜んだ。
敵は木の下にひっくり返っていた。


 奪われた少年

自分と同じように他人を愛せる人なんていません。
自分と同じように他人を尊ぶこともできません。
思想が自分自身よりも偉大なものを
知ることも不可能です。

そして父よ、どうしてあなたのことや
兄弟たちのことを自分以上に愛することができましょうか?
扉の回りでパン屑をついばんでいる小鳥
のように私はあなたを愛します。

子どもの傍らに座って話を聞いていた司祭は、
震えるほどの勢いで少年の髪の毛をつかみ、
少年の小さなコートをつかんで引き立てたが
誰もが司祭らしい振る舞いを尊んだ。

高い祭壇に立ち、司祭は言い放った。
見よ、この恐ろしい悪鬼を!
我らのもっとも神聖な聖餐を
批判する理屈をこね上げた者を。

子どもが泣き叫んでも誰も聞こうとしなかった。
両親が泣き叫んでも無駄だった。
子どもは小さなシャツ一枚に剥かれ、
鉄の鎖で縛られた。

そして聖なる場所で焼き尽くされた。
すでに多くの人が焼かれた場所で。
両親が泣き叫んでも無駄だった
アルビオンの岸で行われているのはこういうことだ。


 奪われた少女

 未来の子どもたちは、
 この怒りのうたを読み、
 かつてはあの愛が、甘い愛が
 罪と考えられていたことを知るだろう!

冬の寒さを知らぬ
黄金の時代には、
若く輝く男女は
神聖な光を
夏の歓びを裸で浴びる。

あるとき深い慈愛に
満たされた若い男女が、
神聖なる光によって、
夜の帳が開けられたばかりの
歓びの庭で会った。

朝の草のうえで
恋人たちは戯れあった。
親は遠く離れたところにあり
見知らぬ者が寄ってくることもなく
乙女はすぐに怖れを忘れた。

静かな眠りが
天を深く揺らすとき、
疲れた旅人が涙を流すとき、
二人は甘いくちづけに倦み
一つになる約束をした。

輝く乙女は
白衣の父のもとに帰った。
しかし、父の慈愛に満ちた
聖なる書物のような顔は、
娘のしなやかな四肢を恐怖に震わせた。

弱くあおざめたオーナよ
白髪の父に語っておくれ。
我が愛する花を身震いさせるほどの
激しい怖れを!
陰鬱な悩みを!


 ティアザに

死すべきものとして生まれた者が
世代を超えて蘇るためには、
焼き尽くされて地に戻らなければならない。
ならば、私とお前にどんな関わりがあろうか?

恥と自尊心から生まれた両性は
朝とともに花咲き、夜とともに死んだはずだった。
しかし慈悲は死を眠りに変えた。
両性は働き、泣くために立ち上がる。

汝、我が死すべき部分の母よ、
お前は、残虐を鋳型として我が心臓を作り
自己を欺く偽りの涙で
我が目、耳、鼻を縛った。

感覚のない土で私の口を閉ざし
私を裏切って死すべきものに堕とした。
そして、イエスの死が私を解放した。
ならば、私とお前にどんな関わりがあろうか?


 学童

夏の朝は起きるのが楽しい、
あらゆる木々が鳥の歌に包まれ
遠くの狩人が角笛を吹くとき、
そしてひばりが私と歌うとき。
おお! なんとすばらしい仲間たち。

しかし夏の朝に学校に行くなんて。
おお! それこそはすべての歓びを
硬直した悪意の監視のもとに奪うもの。
子どもたちはため息と
失望のうちに日を費やす。

ああ、そして私はうなだれて座り
じりじりとした時間をいくつも過ごす。
教科書を読んでも、教室に
座っていても、歓びはない。
重い雨に心はすりへらされる。

歓びのために生まれた鳥が
どうして篭のなかで歌うことができようか。
怖れに責め立てられる子どもは
幼い羽を垂れ
青春を忘れる以外に何ができようか。

おお、父よ、母よ。
芽を摘んでしまえば花は咲かない。
悲しみと失望によって、
幼い木から春の日の歓びを
奪ってしまえば、

夏の歓びが立ち上がることが
夏の果実が実ることがあろうか。
冬の嵐を見せ付けられた者に
悲しみを吹き飛ばす力を蓄えることが
成熟のときを祝福することができようか。


 古代の詩人の声

歓びに満ちた若者よ、こちらに来い。
明けていく空を
生まれたばかりの真実の姿を見よ。
疑いも、理性の雲も
暗い論争も、作られた悩みも消えた。
愚かさは、もつれて行き場のない根であり、
無限の迷路だ。
いかに多くの者がそこに落ちていったことか!
彼らは一晩じゅう死んだ者の骨に躓き続ける。
そして、くよくよ心配することしか知らない。
自分が導かれなければならないのに他人を導こうとしたがる。


Booby Trap No. 27


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