ものには、 誰からも見えるものと、 そうでないものがある。 彼の場合、 ある日突然、 空の一点に、 小さな舟が、 見えるようになった、 という。 もとより、 舟は、 空に見えるべきもの、 ではないので、 きっと、 何かの間違いに違いない、 と思いながらも、 空を見上げると、 視界の隅に、 小さな舟が 引っかかっている。 それも、 日を追うごとに、 近付いてきて、 なかの様子さえ、 伺えるようになった。 これは残された時間が短い、 ということなのかもしれない、 何をしようと考えて、 詩を書くことにした。 彼は、 詩に志を持つ、 人だったのである。 舟が見えるまでは、 一つ書くのにも苦労したのに、 そのときは、 立て続けに四つ、 書けたという。 ところが、 四つ目を、 書き終えた頃から、 舟が遠離っていって、 ある日、 きれいに消えてしまった。 人違いだったらしい。 それからはまた、 一つ書くのにも、 苦労するようになった、 という。 だからといって、 もう一度舟を見たい、 とは思わなかったそうだ。


(C) Copyright, 2003 NAGAO, Takahiro
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