今日も朝になったら目が覚めた。 天気以外は昨日と変わらないような気がする。 テレビがヤスクニに参拝した百数十人の国会議員、 というニュースをしゃべっていて、 回廊を歩く行列の先頭の数人が映し出された。 歩いてくる顔顔顔を見て、将来が改めて不安になったが、 画面が切り替わると、それも忘れてしまった。 ここ数週間の習慣になっているカメラを持って家を出た。 新しく撮りたくなるものなどないだろうと毎日思うのだが、 歩いていると何かしら予想外のものを見つけたような気がして、 わずかな時間のうちに何枚も写真を撮っている。 (フィルムがデジタルになって、 何枚撮ってもコストが気にならなくなったのは、 昔と比べてよくなった。 それをつい進歩という言葉で表しそうになる) 今日はツツジの花のところでじっとしていたアゲハ蝶を撮った。 家を出たときには、確かにそんなものが見つかるとは予想もしていなかった。 蝶がいても、カメラを持っていなかったら見つけていなかっただろう。 仕事場に着いたら一人で仕事をする。 仕事が今日の大半であり、日々の大半だ。 十五年前はこんなに仕事をしなくても済んだ。 それでも、その頃の方が余裕はあった。 努力すれば右肩上がりによくなるのが当然だと思っていた。 そうでもないことがあるとは微塵も思っていなかった。 予想していなかったことでも起きてしまえばそれが必然であり、 それ以外の事実はない。 そう言えば十五年前にも写真に夢中になって、 毎日のようにあちこちに歩いていって写すものを探していたなあ。 今はあんなにふらふら歩いているわけにはいかない。 暗くなったら家に帰って食事をするが、食べてからまた仕事をする。 眠くなって仕事ができなくなったところで寝る。 明日が来ることが前提になっている。2013年4月