59 早渕、勝田団地、第三京浜都筑インター(6月2日)



写真59-4  この日は、2日前に見そびれた場所を見ようと思って同じ方向に出かけた。待橋(写真34-3)で早渕川の対岸に渡り、川沿いに矢橋(写真59-1)に向かった。矢橋の周辺の道をぐるぐる回っているうちに、矢橋からすぐのところで道を曲がると(写真59-2)、早渕公園の入口(写真59-3)に出ることがわかった。早渕公園といえば、4月にここを通ったときには、せきれいの道の一部が通れなくなっていた(写真34-23)。しかし、その後、滝ヶ谷公園(写真37-1)や東山田公園(写真37-7)もオープンした。せきれいの道の通行止め区間も通れるようになったかもしれない。早渕公園に入ってみると、確かにせきれいの道の柵はなくなっていた。4月も上った丘に上り、柵がなくなったせきれいの道を撮った(写真59-4)。その後の散歩でニュータウン第2地区のさまざまな建物を覚えたが、丘からはそれらがよく見えた(写真59-5〜写真59-8)。
写真59-11  矢橋とは反対側の出口から早渕公園を出ると(写真59-9、写真59-10)、新横浜東山田線はすぐそばにあった。また、自宅の2階からこちらの方を眺めたときにも見える建物が環境情報研究所(写真59-11)という名前だということもわかった。それから早渕公園のなかに戻り、せきれいの道の4月に来たときには通れなかった部分を歩いた(写真59-12)。と言っても、道自体はニュータウンのほかの遊歩道と同じようなものである。ただ、やたらとカラスが目立った(写真59-13)。カラスの餌になるようなものが落ちているのだろうか。
写真59-17  新規開通の部分を全部歩いたところで(写真59-14)、勝田町と早渕の境界を見たくなった。初めて早渕に来たときと同じ道を通ると、すぐにニュータウンの端に来た(写真59-15)。段差があって、いかにもニュータウン区域と非ニュータウン区域の境界という感じの道である。この道を早渕川と反対の方に歩いていくと(写真59-16)、上り坂になって、勝田小学校の校庭の横に出た。そのまま勝田小学校の回りを半周すると正門の前に出てきた(写真59-17)。勝田小学校は団地の隣に建っており、小学校のまわりを歩いているときには横浜生田線(写真51-67)らしきものも見えた。そして、勝田小学校の端まで歩いていくと、今度は先ほどとは異なり、一目では分からないニュータウン区域と非ニュータウン区域の境界があった(写真59-18)。
写真59-22  勝田小学校からせきれいの道はすぐだった。写真34-29の分かれ道でせきれいの道の本道から離れ、七塚歩道橋(写真59-19)に向かった。マンション工事はだいぶ進んでいるようだった。お約束で歩道橋から南北の新横浜東山田線を見たが(写真59-20、写真59-21)、この歩道橋はさらに上に上る階段があって、その階段の上から歩道橋を見下ろすといろいろなものが見えた(写真59-22)。階段の上からは港北工業団地の工場群が並んでいた。細い道だが、運送会社のトラックなどが頻繁に行き来していた。その道を歩いていくと、神隠橋(写真59-23)で第三京浜を渡った。渡ると、日本盲導犬協会神奈川訓練センターの上のあたりに出てくる(写真59-24)。ここから第三京浜に沿って走っている道を東京方面に向かって歩く。インターの入口の道標(写真59-25)やインターと併設されている都筑パーキングエリア(写真59-26、写真59-27)が見えた。そして、西架道橋(写真59-28、写真59-29)で再び第三京浜を渡ってニュータウン側に戻ってきた。
写真59-31  西架道橋を渡るとすぐ、今度は新横浜東山田線を渡る西歩道橋(写真59-30、写真59-31)があった。新横浜東山田線よりも1本奥の道まで行って(写真59-32)、この散歩の前半で通ったところを再び通った(厳密に言うと少し離れているけれども)。そして、早渕公園の横の水色の建物が資生堂第1リサーチセンターであることを知った(写真59-33)。57回でもう知っているように書いてしまったが)。そこから新横浜東山田線を歩き(写真59-34)、2日前歩いたコースに合流して、今日の目標は達成。横濱屋でラーメンを食べて帰った。

参考地図

99/8/4


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