芥川龍之介と資本主義
資本主義社会は会社が支えている。
会社は従業員に給料を払い、
株主に配当を払う。
給料は経費だから
少なければ少ないほどよい。
配当は利益処分だから
利益が大きければ大きいほど多くなる。
会社は利益を大きくすることを目指す。
だから給料をもらうより、
配当をもらった方が得だ。
そう言うと、
利益が大きければ配当だけでなく給料も上がるものだ
と言う人がかならず出てくる。
でも、給料を上げるよりも
配当を上げる方が優先される。
会社は株主のものだ
という主張の方が、
会社は社員のものだ
という主張よりも重視される。
そもそも利益が出るのは、
わからない程度に会社が給料の一部をピンハネしてるからだ。
その分経費が減って利益が増える。
だから当然のことながら、
あくせく働いて価値を生み出すより、
お金を転がした方が儲かる。
ピケティが言うとおりだ。
ただ、転がせるほどお金がある人は少ない。
会社の方も売上より経費が高くなって
過去の利益を食い潰せば、
営業を続けられなくなる。
その会社の株主は投資した分だけ損する。
損しても笑ってほかの会社に投資できる人は
とても少ない。
ピンハネされても、
給料を貰う方が安定している。
だから多くの人は、
金転がしより給料取りを選ぶ。
そしてピンハネされる。
ただ、ピンハネの事実を認めるのは悔しい。
だから、ピンハネされてるとは思わないことにする。
資本主義しかないのだと自分に言い聞かせる。
心から資本主義がいいと言えるのは、
お金を転がして儲けられる人だけだけど、
みんなが資本主義を認める。
この理屈は、ケチをつけるつもりなら
いくらでもケチをつけられるだろう。
でも、働いて価値を生み出している人は、
生み出した価値の一部を盗まれている
というのは事実であり、決して否定できない。
ところで、こういう話をしていていつも思い出すのは
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。
カンダタは泥棒だってことになってるけど、
働いて給料をもらってる人たち、
働いても働いても生活に不安を感じる自分たち
のように思えてならない。
そんな不安のない世界に行くために、
私たちはいつも競争している。
同じ境遇の地獄の住人同士、
足を引っ張っている。
引っ張らなければ、
引っ張られるのだ。
そんな地獄を見下ろしてるやつがいる。
ちょっとした気まぐれで地獄の人間をからかっても、
誰にもとがめられない。
でも、お釈迦さまとか呼ばれて
最初から地獄の住民とは違うのだ。
私たちは給料をもらう前にピンハネされている
と言ったけど、もらってからもピンハネされている。
税金というやつだ。
でも、誰とは言わないが、
世の中には税金を払わず、
税金で食っているやつもいる。
最初から住む世界が違うのだ。
芥川龍之介の時代には。
そういうやつがもっとたくさんいて、
もっと威張ってたな。
この話も、ケチをつけるつもりなら
いくらでもケチをつけられるだろう。
でも、一番の大泥棒が盗んだ相手のことを
泥棒呼ばわりするのはよくあることであり
(今でも給料泥棒って言葉がある)
決して騙されてはならない。
そう言えば、芥川龍之介には、
日本帝国主義のことを辛辣に描いた
「桃太郎」ってのもあったなあ。
子供向けの選集には入ってなかったけど。