濃厚なメッセージ―鈴木ユリイカ詩集『サイードから風が吹いてくると』『私を夢だと思ってください』『群青くんと自転車に乗った白い花』
二九年ぶりの詩集だという。それだけの年月をかけて書き溜められた作品群を整理するのは容易なことではなかっただろう(たぶん、今回は捨てられた作品もかなりあると想像する)。一冊では分厚くなりすぎて読みにくいので三冊、それも原爆(『サイードから風が吹いてくると』)、芸術、世界観など(『私を夢だと思ってください』)、家族、社会など(『群青くんと自転車に乗った白い花』、東日本大震災に取材した作品も含む)とテーマ別に分けて、時期別にしなかったのは、初期三詩集を含めて鈴木氏の作品が一貫して、生きたいという思い、生を愛おしむ思い、その思いを妨げる戦争や死への恐怖、憎しみを中心として書かれていることを考えれば非常に適切だったと思う。三冊の分類に使われたテーマは、この共通テーマの現象形態と言うべきだろう。このような編集の結果、作品と作品を精緻に組み合わせてカテドラルのような詩集を実現した『海のヴァイオリンがきこえる』とは対照的な三冊になった。同じ詩集のなかに約三〇年の制作時期のずれがある作品が収められているため、同じようなテーマで集められていても、個々の作品の味わいは少しずつ異なる。そもそも、この分類は厳密なものではないし、厳密にはなり得ない。だから、この三冊は悩んだり軌道修正したりする作者の生きる姿を示す詩集になったと思う。
作品の出来に多少のばらつきを感じるのは当然だろう。先ほども触れた生と死(知らないもの、わからないものを含む)のダイナミズムは観念的に展開されることが多い。『私を夢だと思ってください』の表題作、「夜」、「FILM」(その他多数)ではそれがうまくはまっていると思う。一方、三冊を通じてもっとも多く言及される原爆は、生と死のダイナミズムをもっとも象徴的に表す存在のようにも感じられるが、8月6日の投下時の惨状だけでなく、その日を生き延びても数か月、数年後に突然死を呼び込む放射能の問題(通常兵器とのもっとも大きな違い)、原爆被害の真相を軍事機密として隠すアメリカや被爆者に対する差別、被爆の前後を通じて生き残った韓国・朝鮮人差別などの社会的な問題を重層的に抱える複雑なテーマである。正直に言って、『サイードから風が吹いてくると』の巻頭作、「HIROSHIMA MON AMOUR」の逆説的な表現に私はついていけなかった。原発事故による放射能問題への言及が少ないのも物足りなく感じた。その一方で、「知らない」ものが列挙される「G線上のアリア」のなかで当時五歳の作者がはっきりと見た「ぐにゃりと飴みたいに曲がった電柱と/恐ろしくいためつけられた大地と その上に降る/白いちらちらしたもの」には、激しくリアリティを感じた。しかも不思議なことに、伝聞から書かれた『サイードから風が吹いてくると』の「ヴァーミリオン2」、「ヒロシマにいる、きみ 2」や想像から書かれた『群青くんと自転車に乗った白い花』の表題作と3篇の「序曲」にも、「G線上のアリア」と同じような迫真力を感じた。
いずれにしても、メッセージをまっすぐに投げかけてくる詩集三冊分の詩群は味わいが濃厚で読み応えがある。知った風なことを言える立場ではないが、こういうタイプの詩は減ってきたのではないだろうか。でも、私はこういう詩をもっと読みたい。
初出「妃」第23号(2021年8月21日発行)。3詩集は昨年書肆侃侃房から刊行されたものです。