二〇二三年から二〇二四年への年越し
年末年始はどうも苦手。
この時期限定でやらなきゃならないことがあれこれあって、
いつものリズムが崩れるのが疲れるのよね。
でもそういったことがなんとか終わって大晦日、
ぽかんと口を開けて紅白歌合戦を見てしまったよ。
歌の合間にウクライナがどうとか平和がどうとか、
もっともらしいことを言って洗脳してくるけどさ、
なんでパレスチナって言わねえんだよ。
さすがにイスラエルとも言えなかったようだけどさ。
いつも後ろにアメリカがついてる方が善玉扱いで、
すっかりそっちばかり応援するように飼いならされちゃったけどさ、
そのうちアメリカの代わりにロシアと戦争させられてるウクライナみたいに、
日本が韓国、台湾と手と手を取り合って中国と戦争させられそうになったら
どうするのさ?
日本国憲法前文には、
《われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する》
って書いてあるのに、
どうして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」
ってところを忘れちゃったんだろうね?
一夜明けて正月元旦。
午後からこの時期ならではの会食があって、
横浜中華街のレストランの六階にいたんだけど、
忘れもしない日が暮れかけた午後四時すぎに、
足元がぐらんぐらんと揺れだして、
天井の照明もぐるんぐるん回りだした。
言うまでもなく、
それは能登の大地震が横浜まで伝わってきたってことなんだけど、
こちらはそのときにちょっとあわてただけで、
気がついたらもとのように食事してた。
マグニチュード七・六、最大震度七は並大抵のことじゃない。
でも、最初のうちは被害があまり伝わってこなかったので、
奇跡的にあまり被害がなかったのかと思った。
本当は、被害の情報が伝えられないぐらい
ひどい被害を受けたってことだったのにね。
二日のニュースで輪島の朝市通りの大規模火災の映像を見て、
さすがにとんでもないことが起きてると思ったよ。
昨年十月から何度も見てきた
イスラエル軍のパレスチナへの無差別攻撃の映像を思い出した。
それはいかにも傍観者らしい間の抜けたものの感じ方で心苦しいけど、
どうか許していただきたい。
当事者でない人間は手順を踏まないと理解に近づけないのだ。
能登では学校と病院が自然に避難所になったって報道されてた。
それは不安だからだ。
パレスチナでは学校と病院が集中的に空爆と地上攻撃を受け、
女性や子どもを含む多くの市民が犠牲になってる。
それがいかに非人道的な攻撃かが改めてよくわかった。
逆に変なことを言うなと思われるかもしれないけど、
パレスチナには原発がなくてよかったとも思った。
ハマスに取られた人質がどこにいるのか知ってか知らずか、
イスラエルはガザならどこでもってぐらいに攻撃してるけど、
デモ隊に乱暴な日本の警察だって、
誰かが人質を取って立てこもったら一斉射撃なんかやらないぜ。
あんな攻撃してイスラエル軍は人質が巻き添えを食わないか気にならないのかねえ?
そんなイスラエルのことだから、
もしパレスチナに原発があったら間違いなく攻撃するんじゃないかな?
原発攻撃は国際法違反だけど、病院や学校への攻撃も国際法違反だ。
パレスチナに原発があったら、ハマスの秘密基地だからとか言って攻撃しそうだよ。
能登には志賀原発がある。
最初は隠してたけど、三メートルの津波に襲われてる。
揺れは想定を越えたものだったけど、地元自治体にはすぐに報告しなかった。
そして変圧器の故障で二万リットルの油が流出したために、
外部電源の一部から電気を受けられなくなり、
完全復旧には半年かかる見通しだと言われてる。
一歩間違えば福一の再来だった。
それでも運転停止中だったからまだ救われた。
再稼働してたらどうなってただろうか?
しかも、今回激しい被害にあった珠洲にも原発計画があったのだ。
地元の反対で潰れてなかったらどうなってたのか?
想像するだけでも恐ろしい。
原子力規制委員会の山中伸介会長は、志賀原発再稼働審査について、
長期化することになるだろうと言ったそうだ。
おかしいだろ?
ただちに廃炉じゃないのか?